第五章12 決着の時
悪夢のような光景だった。このゲームにおいて、ミコトたちのハンデになっている右手という武器。
それは一人一本という前提があるから、「不利」という程度で抑えられていたのだ。だが、目の前の敵はその前提を無理矢理覆して見せた。こうなるともう、「無理」という領域に入ってくる。
うごうごと蠢く無数の右手。それは気持ち悪い触手のようで、その一本一本が必殺の刃。身体のどこか一部に触れた瞬間に、敗北が確定する消滅の魔手。
そしてツカサは、無数の死の脅威を一斉に伸ばした。
うねうね、ぐねぐねと入り乱れながら、数えるのも億劫な量の右手がミコトたちに向かって押し寄せる。
幸いスピードはそこまで速くない――が、この数を躱しきり、防ぎきるのはまず不可能。となれば、できることは――
『ミコト、リョウカ!』
『はい!』
『せーのっ』
テレパシーでタイミングを合わせ、全員で剣を振りかぶる。
「『エクスカリバー』!」
そして、光の奔流が右手の群体とぶつかり合った。
躱すことも防ぐこともできないなら、攻めるだけだ。襲い来る右腕を、全て吹き飛ばせばいい。
「……ちっ」
しかし、そう簡単に片付くはずもなかった。
光の斬撃は、確かにツカサの右腕を全て半ばから吹き飛ばした。しかし、切り落とされた部分から、それらはぐじゅりと音を立てて再生する。
通常の再生よりも早いし、元々は存在しない部位だ。それはツカサの能力によって制御された再生だろう。つまり――
「キリが無い。一旦退くぞ!」
再び伸びる魔手を見遣り、ユウの叫びと共に三人は駆け出した。
『どうするの、ユウくん?』
こちらを見るミコトのテレパシーに、ユウは少し考えて答える。
「こっちだ! 死角に入るぞ!」
と、肉声でポーズを叫びつつ、通路を折れて別の並びへと入り込む。
『……あと三分だ。最終フェーズに移行しよう』
そしてテレパシーを使って、本当の狙いを二人に伝えた。
戦いの前、ユウが考えた作戦は三段階。
第一フェーズは、ミコトとユウの、聖剣と退場を使っての真っ向勝負。
第二フェーズが、リョウカを意識させての擬似的な三対一と、聖剣をリョウカに持たせた本当の三対一。ここまでで決めておきたいところだったが、ツカサの予想外のパワーアップのせいで数的な有利はかなり薄くなった。
『でも、それは……』
そして三つ目、最終フェーズをミコトは渋っていた。
それは彼からしたら当然だろうが、背に腹は代えられない。リスクを背負ってでも勝たなければ、どちらにせよ全員が消えてしまうのだ。
『やるならここしかない。長引くとこっちが不利だしな』
『どういうこと?』
と、ミコトを説得するユウの思考に、リョウカが疑問を差し挟んだ。
『気付いてないのか?』
ユウがその説明をしようと考えたとき――お誂え向きに、その機会が巡ってきた。
それはかなり、ぞっとする形でだが。
「逃げても無駄ですよ。僕の感覚は、このショッピングモール全体の動く物体を捉えています」
気が付くと真横まで迫っていたツカサの右腕の一本。その掌に、ぱくぱくと喋る口が付いているのだ。
漫画で見たことがある気もするが、実際見ると相当気持ち悪い。
「でも、神経は通いきってないみたいだな」
答えながら、ユウはニヤリと笑みを浮かべた。口しか付いていないからツカサには見えないだろうが、多少気晴らしにはなる。
「何を――」
そして疑問の言葉を口にする掌の口が、その手首からぼとりと落ちて沈黙した。
「な、反応が鈍いだろ」
ユウは振り抜いた聖剣をちょっと持ち上げながら、喋る器官を失った右腕の残骸に話しかけた。
「いえ、狙い通りですよ」
しかしツカサの右腕は、新たな口を腕の半ばに作り出しそう答える。
そして直後、切り落とされた手首――だった場所から、無数の右腕を超再生した。
「それは本気で気持ち悪い!」
ユウは心からそう叫びつつ、全力で一歩を踏み込み前方へ大きく進む。
同時に振り返りながら、聖剣を肩口から袈裟斬りに振り抜いた。
「『エクスカリバー』!」
それは迫る右腕たちを一掃したが、その根元からは既に二回目の超再生が始まっている。
「もう一回!」
それを、横からまとめてリョウカが薙ぎ払った。
「とどめ!」
さらにミコトが腕の正面に回り込み、通路に沿って光の奔流を放つ。
伸びてきていた腕が丸ごと飲み込まれ、その大部分は霧散した。
「げ」
しかし、ピンチはまだまだ続く。
吹き飛ばした腕の反対、ユウの真後ろから大量の腕の波が押し寄せてきていた。
どうやら、別の通路を回り込んで来たらしい。
「『エクスカリバー』!」
ユウが振り返ってそれらを吹き飛ばすが、その隙に反対側の腕が復帰する。
「これ……」
「キリが無い!」
「最初からそう言ってるだろ!」
ミコトもリョウカもユウも、口々に叫びながら迫る腕を押し返す。
しかし、完全に挟み撃ちの状況に追い込まれている。
「なら……こうだ!」
と、ミコトが突如上に向かって聖剣を振り上げた。
「……ナイスだ、ミコト! 行くぞ!」
その一撃で天井はバラバラに崩壊し、右腕の軍隊に瓦礫の雨が降り注いだ。
その機転に驚きつつ、ユウは指示の声を張る。
ユウの声を受け、三人で一息に跳躍する。そして穴の開いた天井を抜け、二階へと逃げ延びた。
『ねえ、これ……』
『そういうこと、ユウ?』
ミコトとリョウカが、気付きの声を心の中で上げた。口に出さなかったのは、ツカサに悟られないようにという点でよく二人とも気を配ったのものだと思う。
『な、息、上がるだろ』
聖剣の威力は強大だ。だが、どうやら撃つ度に相応の体力を削られる。
手にしてすぐのリョウカはともかく、ミコトは早く気付けよとツッコみたいところだが。
『これだけの威力をリスクなしで撃てるとは思ってなかったけど、予想以上に消耗するみたいだ』
一応、代償が体力というのは良心的とは言える。普通はこの威力の攻撃を乱発すれば、あっさり勝負は着く。だから本来、リスクなど無いに等しい。
だが、今回ばかりは相手が悪い。ただでさえ固い上に、再生能力まで手に入れているのだ。長期戦になれば、どんどん体力が削られていずれ動けなくなるだろう。
向こうにも体力の上限はあるだろうが、今のところ腕を動かすだけで本体が全く動いていない。再生に体力を使うのではないかという疑惑もあるが、現時点ではただの希望的な観測に過ぎない。
どこにも、何も保証はない。であれば、最大戦力で一気に片をつけるのがベストだ。
『分かっただろ、ミコト。……絶対に勝つ、そうだろ?』
改めて、ユウはミコトにそう語りかける。
その覚悟を問うように。
『……うん、そうだね。やろう!』
意を決したミコトの返事を聞き、ユウは力強く頷いた。
*************
勝負はきっと、数秒で決する。おそらく、人生で最も長い数秒になる。
最後の詰めは、走りながらユウが考えてくれた。
改めて、ミコトは仲間たちの力に感謝する。
ユウに、リョウカに――そして、アカリに。
「……行くぞ」
ミコトは呟き、跳躍する。同時にユウとリョウカも左右で跳び、三人は柵を跳び越え、吹き抜けを階下へと落ちていく。
場所は『花の広場』。ツカサが居る『水の広場』とは、通路で一直線に繋がっている。
ミコトは、空中で身を返す。落下に紛れ、攻撃の準備を整える。
聖剣を逆手に握りしめ、満身の力を右腕に込める。聖剣に光が満ちる。
勝負が決する。一階に降り立つまであと、三、二、一――
「――『エクスカリバー・スティング』!」
着地と同時、ミコトは聖剣を全力で投じた。
通路を駆け抜け、『水の広場』から右手を伸ばすツカサに向けて、聖剣は一直線に突き進む。
先に放ったそれと、速度は桁違いだ。目にも止まらず、音にも聞こえず。
瞬間的に駆け抜けたそれは――
「僕は動けない――そう思いましたか?」
直前で目標物を見失い、何にも触れずに空を切った。
同時、ミコトたちの背後からツカサの声が響く。
瞬間移動。ここまで散々彼が使ってきた、幾度もミコトたちを追い込んだ彼の戦い方。
姿形が変わろうとも、その能力に変わりは無く。
ミコトの放った全力の攻撃を、躱し、そして同時に反撃へ。
背後へ回り込み、右手を伸ばす。それは、彼の必勝パターンだ。
そして今の彼には、右手が無数に存在する。ミコトたちにとって、間違いなく絶望的な状況――
「――予想通り、だ!」
「!!」
歯を食いしばりつつ叫んだユウの声に、ツカサが目を見開く。
そして歯を食いしばっているのは、彼が全力で踏ん張っているからだ。
ここで、ユウの能力をおさらいしよう。
彼の能力は『接続』。左手で触れた物体と自分を接続し、そのつながりは自由自在。
そして今は、それを『聖剣』としている。三本の聖剣は、それぞれ鎖で繋がっている。
しかし――聖剣同士が、鎖で繋がっている必要は無い。
「『リバース』!」
ミコトの叫びに答えるように、それは飛来する。帰ってくる。
「ぐぅっ――!」
ツカサは、伸ばしていた右手をかき集めた。
そして、自らに襲いかかる脅威を全力で防御する。
激しい光と音を散らせながら、ツカサの右腕と聖剣がぶつかり合った。
聖剣は、帰ってきたのだ。ミコトが持っていたのは三本の聖剣の、真ん中の剣だった。
そして、聖剣同士を結ぶのは、今は鎖ではない。
「超強力なゴム紐――って言うと、ずいぶん庶民的だけどな。『高校生同士』の喧嘩に使うには、ちょうどいいだろ?」
その作戦を立てたユウが、誇らしげにそう言った。
ミコトが全力で投じた聖剣は、『水の広場』に向けて全力で突き進んだ。
――『花の広場』に居る、ユウとリョウカの聖剣に繋がったまま。
ゴム紐で繋がった三つの物体。その真ん中を全力で投げて、残りの二つを固定しておいたらどうなるか。
それは、小学生にでも分かる。
「――行くぞ!」
ユウの叫びと共に、三人は最後の攻防へと駆けだした。
*************
ツカサは感動すら覚えながら、彼らの攻撃を受け止めていた。
――ここしかない。彼らがそう考えているのは容易に分かった。
聖剣を投げるという、一度見せた攻撃。その隙をツカサは当然衝く。
ユウはそれを読み切り、彼の背後への瞬間移動と油断を誘った。そしてその上で、超強力な反撃を用意していたのだ。
彼の狙い通り、ツカサは全ての右腕を防御に回すしかない。この隙に、彼らはこちらに攻めかかってくる。
そして――
「ふぅっ!」
ツカサと聖剣の攻防は終わった――引き分けという形で。
聖剣は空中で一瞬制止した後、ゆっくりと落下を始める。
ツカサの右腕はその全てが吹き飛ばされ、彼は元の人間の形に戻っていた。
大きく後ろに押し退けられたが、身体に傷は無い。
千載一遇のチャンス。
ツカサは無傷。しかし無尽蔵の右手が今はない。彼らにとっては、ツカサを退場させる絶好のタイミング。
聖剣で強化されたユウとリョウカが先行する。遅れて走るミコトは、落下する聖剣を右手で掬い取った。
迫る三人に、ツカサは再び右腕を生み出し始める。
しかし成長途中のそれを、先に辿り着いたユウとリョウカが正確に斬り飛ばした。
長くは保たないであろう二人とツカサの攻防。聖剣を振るう彼らに対して、ツカサの要する労力は微弱。いつかはこちらの再生速度が、彼らを追い越す。
だが、ミコトがツカサに向かって駆けるには、十分な時間稼ぎ。
そして、ミコトはツカサの目の前に辿り着き――
「――今だ!」
ユウの叫びと全く同時――全員の目の前に現れる。
開始四十五分、五回目のスキャンだ。
スキャンで注意が逸れる隙を衝くという、一度ツカサが使った作戦。
意趣返しにしても、それはこの場面でお粗末だ。この土壇場で、敵が使った作戦をそっくりそのまま返すなど。
胸中に怒りと落胆が浮かぶ中、ツカサは冷静にミコトを見据える。彼にさえ注意していれば、負けることはない。
――彼が伸ばすのは、どうしたって左手。なら、彼らが斬り飛ばせない、本物の右手を使って対処するだけだ。
正義の味方は大変だな――などという、ツカサの頭の中を。
「……な……どう……は……!?」
――それを抱える頭ごと、スパンと景気の良い衝撃が駆け抜けた。
訳が分からない。何故こんなことが起こったのか分からない。
あり得ない。どう考えても不可能だ。何故――
「こんにちは」
――何故、彼女が、ここに居る。
ハナサキ、そう呼ばれた少女。ミコトたちの仲間の一人で、そして居なくなってしまったはずの少女。
あり得ない。ツカサは確かに見た。スキャンの結果を、一瞬だが確かに見た。そこには、赤い点は四つしか無かった。
ツカサにミコト、ユウとリョウカ。ここに居る参加者は、それで全て。
それだけではない。ツカサの感覚は、今も変わらず全てを把握している。
それなのに、彼女の気配を全く感じなかった。
どんな武術の達人だろうと、今のツカサから気配を消しきることは不可能なはずなのに。
彼女は、ツカサの背後数メートルから、突如として現れたのだ。
そして、どうやらツカサの頭を強かに叩いた。
あらゆる混乱が頭の中を駆け抜ける中、ツカサはしかし頭に残る冷静さをかき集めた。
そして、この状況を切り抜ける手を導き出す。
突如現れた理由は分からないが、少女は生身の人間。残った右手で消すのは容易い。
彼女を消して、次にミコト。それで終わりだ。
そして右手を伸ばした瞬間、疑問の一つが解けた。
「消え、ない――」
彼女はツカサの右手を、左腕で受け止めた。
そして残った右手で、ツカサの右腕を握りしめる。
「ミコトくん!」
「くっ――」
右手は封じられた。振り払う暇はない。
ミコトは左手を伸ばしている。それに触れれば、ツカサの敗北。
だが、勝負は最後まで分からない。しかし間違いなく――
「これで――」
「最後だ!」
伸ばされたミコトの左手を、ツカサの左手が握りしめた。
全てを救う、ミコトの左手か。
全てを従える、ツカサの左手か。
「『強制退場』!」
「『絶対支配』!」
二人の能力が、同時に解き放たれた。




