第五章11 正義の味方なんか
「彼女は、僕のことを『想像力豊か』なんて言いましたが……それは、大きな間違いでしたね」
沈黙が落ちる空間に、ツカサの独りごちる声が響いた。その表情はいつもの無表情などではなく、見ていて苦痛を感じる程に、痛切に歪んでいた。
――そう、間違いだった。あるいは想像力があったとして、それを上手く使えてはいなかった。
「隣に居る、誰よりも大切な人の気持ちを、想像できていなかったんですから。彼女が、どれだけ僕を大切に思ってくれていたかを」
一番知るべきこと。一番思いを馳せるべきこと。それを蔑ろにして物語の世界に浸っていたというのだから、なんという才能の無駄遣いか。
いや、無駄遣いどころの話ではない。裏目に出て、逆目に出て、憂き目に遭ったのだ。
あの時、ツカサは想像していた。少年がトラックに轢かれるのを。少年の家族や友人が悲しむのを。だからこそ、ツカサはあの時走ったのだ。
自分が走ったら、隣に居る彼女がどうするかを想像できないまま。
「僕は、彼女が身を挺してまで僕を守ってくれるほど、僕のことを大切に思ってくれてるなんて知らなかった。彼女の隣に居ることに満足して、彼女のことをこれっぽっちも理解できていなかったんです」
結局ツカサは、自分のことしか考えていなかった。恋は盲目だなんて言葉があるけれど、目を瞑って走れば何かにぶつかるのは当然だ。
「だからそれは、報いなんだと思いました。僕が、一番大切なことを見落としていた報い。……でも、それじゃあ彼女が浮かばれなさすぎる」
そうしてぶち当たったのは、取り返しのつかない悲劇だった。泣こうが喚こうが、彼女は帰ってこない。起こった事実は覆らない。
「だってそうでしょう。僕のせいで、彼女は命を落とした。僕はずっと、僕自身を赦せない。赦さない。赦してはいけない。ずっと彼女のお墓に向かって、ひたすら額を擦り付けるくらいしかできなかった。一生をかけて、彼女に謝罪をすることしかできなかった。そんなことには、何の意味も無いと知りながらです」
彼女が戻って来るなら、また自分に笑いかけてくれるなら、ツカサは何だってできる。
だが、それは土台不可能な話だ。あり得ない幻想だ。何をしたって、どれだけ願ったって、彼女は生き返らない。
死者が蘇ることはない。時を遡って、事実を捻じ曲げることはできない。
「そんな時です。このゲームが……『イマジン鬼ごっこ』が始まったのは」
彼女の死から、およそ一年が経った頃に、突如巻き込まれたデスゲーム。最後まで勝ち残ったたった一人の人間が、何でも願いを叶えられるという。
希望も無く、ただ意味の無い贖罪のために苦しんで生きていたツカサに、それは生きる意味を、戦う意味をもたらしたのだった。
「千載一遇のチャンスだと思いました。僕は、彼女を生き返らせる。そして、今度は同じ過ちを繰り返さないように、彼女の為に人生を捧げる。それだけが、僕のただ一つの願いで、希望になりました」
それはもしかすると、間違った願いなのかもしれない。
――彼女がそんなことを望んでいるのか。そんな疑問もある。だが、それを訊くためにも、彼女を蘇らせるのだ。何しろツカサは、彼女の想いを分かっていなかったのだから。
「だから、貴方たちがどれだけ立派な願いを持っていようと。どれだけ正しい行いをしようと。僕は、勝利を譲る訳にはいかないんです。だから――」
間違っていてもいい。正しくなくていい。ただもう一度、彼女に会えるなら。
「僕は悪役でいい。悪役になって、正義の味方である貴方たちを倒す」
万人のための正義の味方なんかに、なる必要はない。
ただ一人、彼女を守るためなら。
――僕は、悪役にでもなろう。
自分に改めて言い聞かせるように。
揺ぎ無い声で宣言をして、ツカサは世界を睨みつけた。
****************
「僕は……僕たちは、正義の味方なんかじゃありません」
語り終えたツカサを前に、応えるミコトの声が響いた。
その表情は穏やかで、ともすればこの状況を忘れてしまいそうな程だ。
――そう、ミコトたちは正義の味方ではない。あるいは正しいことをしていたとして、それはひどく独善的な理由からだ。
「このゲームが始まってから失われた命を、全て取り戻す。それが僕たちの願いです」
改めて、ミコトは自分の願いを口にする。
それは、彼女とそう約束したから。そしてその約束を守りたいと、ミコトが望んだから。
「ええ、知っています。それはきっと正しいことだ」
そんなミコトの言葉に、ツカサはそう答える。
ミコトが正しく、自分が間違っていると。
命を大切にする。確かにそれは、一般的に正しいことなのかもしれない。多くの人がその行動には賛同するだろうし、成し遂げれば褒め称え、感謝する人だっているかもしれない。
だが、ミコトはそう思わない。
「……僕とユウくんにも、幼馴染が居たんです。彼女は病気で亡くなったけど、もし少しだけ何かが違えば、今も元気に生きていたかもしれない」
「……それが、どうかしたんですか」
唐突なミコトの告白に、ツカサは暗い視線をミコトに向けた。
彼はミコトの次の台詞を、固い表情で待ち構えている。
「僕たちは、彼女を救う機会を棒に振って、他の見ず知らずの人を救おうとしています」
そして放たれたミコトの言葉は、彼の逆鱗を正確に突いた。ミコトにそんなつもりはなかったが。
「だから、それがどうしたと言うんですか! だから僕に諦めろとでも!? 自分たちも同じだから、それが正しいことだからと、そう言うんですか!?」
激昂する彼に、余裕など欠片もない。彼はミコトの言葉を自分への説得だと解釈し、そしてそれは見当違いも甚だしいのだと怒っている。
「貴方も同じだと言うのなら、分かるはずだ。分からなければおかしい。この痛みが、この悲しみが、この苦しみが。そうでないなら、貴方は彼女のことを本気で愛してはいなかったということですよ」
彼は、ミコトの言葉を全力で否定する。ミコトの思いの軽さをあげつらい、馬鹿にすらしてみせる。
本気で愛していたのなら、それ以外のことなど考えられるはずがないと。彼女を見捨てることなどできるはずがないと。
それが、彼の考えだ。
「いいえ。僕たちは間違いなく、彼女を愛していました。大切に思っていました」
だがミコトは、怯むことなくその言葉を真っ向から否定する。声高に、自分の、自分たちの思いをひけらかす。
それが更に、ツカサの怒りを煽るものだと分かっていても。それだけは、誰にも否定されたくなかったから。
「だったら何故っ……何故そんなことが言えるんですか! 痛みに堪える自分たちが偉いと、大のために小を切り捨てる自分が正しいと、そう言うんですか! そんなのは偽善でしかない、欺瞞でしかない! 他の何にも代えられないものを、大切なものと言うんです。そんなことが言えるというのが、貴方が彼女を大切に思っていなかった何よりの証拠だ!」
当然、ツカサの怒りは燃え上がる。膨れ上がり、溢れ出てミコトへと押し寄せる。並べられた言葉が、津波のようにミコトに襲い掛かる。
「約束したからです」
しかしその全てを切り裂くように、ミコトの凜とした声が響いた。
たった一言、思いの全てを込めたその一言は、凝縮された重みを持ってツカサの言葉の海に碇を下ろした。
「約束……?」
訳が分からない、という顔でツカサはその言葉を繰り返す。
しかし、ミコトの言葉とその心は、間違いなく、埋め尽くされたツカサの怒りに一石を投じたらしかった。
「はい。『命を大切にする』。たったそれだけの、曖昧な約束です」
そして、場違いなほど朗らかな笑顔で、ミコトはそう言った。
「その約束を守るために、僕たちは戦っています」
ミコトが戦う理由。譲れないもの。それはその約束と、それを守ると言う自分の意志だった。
「……馬鹿馬鹿しい。そんなことのために。彼女は、自分を救う機会があると知ってもそう望むんですか? 自分の命を棒に振ってまで、誰かの命を救えと言うんですか?」
ツカサは、ミコトの言葉に対しそう吐き捨てた。
しかし言った瞬間、どういうわけかツカサ自身が苦しそうな顔をした。
まるで、自分自身の言葉に、どこか致命的な部分を刺されたかのように。
「そんなこと、分かりません。分かるはずがない。だってもう、彼女は居ないんだから」
返す言葉をそこまで言って、ミコトはああそういうことか、と納得した。
彼が苦しそうな顔をした、その理由は。
「それは、あなたも同じなんでしょう? 彼女が生き返ることを望んでいるか。それは、あなただって分からない」
きっとツカサは、それを知りたいのだ。想像できていなかった彼女の思いを。想像することしかできない彼女の望みを。
どうやら、ミコトの考えは当たっていたらしい。彼はぐっと黙り込み、歯噛みしてミコトを見ている。
しかしそれは、ミコトが彼を言い負かしたということではない。
「結局は、同じことなんです。僕は、彼女が望んだから、彼女ではない誰かを救う。彼女のために。あなたは、彼女が何を望んだか知りたいから、彼女を救う。やっぱり、彼女のために。どっちも、たった一人の女の子のことを考えているだけ」
――愛だの恋だの、大昔から人が頑張る動機なんて大差はない。恋というには、当時のミコトは幼すぎたけれど。
ミコトもツカサも、言っていることは正反対のようで、その実何も変わらない。
「だからこれは、ただの我儘なんですよ。『大切な人を生き返らせたい』というあなたの我儘と、『全ての人を生き返らせたい』という僕たちの我儘。そのぶつかり合いでしかないんです」
意志だとか信念だとか、そんな大層なものではない。自分の大切なものが大切だと、そう主張しているに過ぎないのだ。もっと明け透けに、『駄々を捏ねている』のだと、そう言い換えてしまったっていいくらいに。
「どちらも正しくて、どちらも正しくない。僕はそう思います。だからここに、正義の味方なんか居ない。もちろん悪人だって居ない」
そもそも、正義だとか悪だとか、そんなのは誰が決めるものでもないのだろう。神様だって大したことはしてくれないと、それはここに居る誰もが分かっている。
強いて言えば、自分の中にだけ答はある。自分にとっての、自分にとってだけの正しさが。
そしてそれは、外に出た瞬間に崩れ去る砂上の楼閣だ。万人にとっての正しいものなんて、きっとこの世のどこにもない。
だから、正義の味方と悪人だって、実はこの世のどこにも居ないのかもしれない。
確かに言えるのは――
「ここに居るのは、ただの高校生です。高校生が我儘を言って、お互いを負かそうとしてる……それだけなんです」
ただ、それだけ。どこまで行ってもミコトたちは高校生で、世界を救ったり滅ぼしたり、そんなことはできない。
極端な話、世界中の高校生が死んでしまったって世界は続く。
「だから……恨みっこなしで、全力でぶつかる。勝った方が、自分の願いを叶える。それだけのことなんです」
ミコトの言いたいことは、それで全てだった。
それがミコトが、長い戦いの果てに辿り着いた結論。
結局ミコトは最初から、自分のために戦っていたのだ。他の人と、全く同じように。
「……そうですね。ここに居るのは、ただの高校生。でも……!」
長い沈黙の後、ツカサが口を開いた。
その表情には、決意と覚悟が滲み出ていて。
「高校生のままじゃ、僕は勝てない。同じだけの意志の強さを持つ相手に、真っ当な手段では確実な勝利を得られない」
不穏さをはらんだ言葉を吐き、ツカサは目を見開いた。
「僕の想いは、その程度のものではないんですよ。だから僕は――」
言葉と共に、自分の身体に左手を宛がう。一瞬の逡巡の後、彼は言葉を続け――
「悪にでも――化物にだって、なってやる」
その身体に、異変が起こった。
衣服のあちこちに不自然な膨らみが生じ、やがて生地を突き破って何かが姿を現す。
それは、右手だった。
一本ではない。身体のあちらこちらから、無数に右手が生えてきているのだ。それと同時に身体は大きく膨れ上がり、目は血走り、身体中の血管が赤くくっきりと浮かび上がる。
一本の左腕に、数え切れない右腕。長さもまちまちで、アンバランスなそれをぐねぐねと動かす彼は最早人の形をしていない。
それは正に、化物と呼ぶに相応しい姿だった。
「さあ――決着の時です」
ぎょろりと血走った目をミコトたちに向け、変わり果てた声で彼はそう言った。




