第五章10 叶えたいたった一つの願い
開始三十五分。四度目のスキャンは、その睨み合いの最中に行われた。
ミコトたちは、目を通している素振りは無い。じっとツカサを睨み付け、こちらの挙動を警戒しているようだ。彼らからすれば、敵はもうツカサ一人しか居ない。それはツカサも承知している。
だがツカサは、スキャンを見ない訳にはいかなかった。何せ、本来ミコトたちは四人組なのだ。
だがスキャン結果のどこを見ても、赤い点は四つしかない。ここに居る自分と、ミコトにユウ、そしてリョウカ。それで全てだ。
「もう一人の女の子――名前は何と言ったでしょうか。彼女はどうしたんですか?」
もしやと思って、ツカサはそう訊ねる。
「ハナサキは……っ!」
すると、三人は一斉に暗い顔で目を伏せた。
スキャン結果だけでなく、ツカサは強化された感覚でも索敵を行っている。その結果、遠くの方――umiの三階奥に、六人居ることだけは分かっていた。
このショッピングモールの中に居て赤い点で表示されないということは、ミコトの能力で退場した人々だということは分かる。
その中に彼女――ハナサキという、その少女が居るとしたら。それは奇妙な話だ。ここまで四人で戦って来たであろうに、最後の戦いだけ除け者にするとは思えない。
それに、仮に何らかの作戦や事情で退場させていたとして、今この瞬間そんな遠くに居たらまるで意味が無い。
だが事実、今現在yamaの中に、この四人を除いて動く物体は何も無い。それはツカサの感覚がはっきりと示している。
ということは、結論は一つ。
「なるほど、誰かにやられてしまったんですね。お気の毒ですが、それはとても助かる」
「……」
沈黙が、何よりも雄弁な答だ。どうやら、彼女はもう居ない。
それはツカサにとって――不謹慎ではあるが、かなり喜ばしい事実だった。
身のこなしから、彼女の身体能力は中々に高いということは分かっていた。彼女が聖剣を持ち、四対一で戦うことになっていたら。流石に勝ち目が無かったかもしれない。
カチャリ、と音が鳴る。見ればそれは、ミコトが剣を構えた音だった。
鬼気迫る怒気。今までで一番の戦意を見せる彼に、要らないことを言ったな、と自戒する。どうやらツカサは、彼の逆鱗に触れたらしい。
「望むところです。ここで貴方たちを倒して――僕が、願いを叶える」
じり、と身を低くし、ツカサは戦闘態勢を取る。
「勝つ!」
そしてミコトの叫びと共に、戦いは再開された。
***************
目に見えて、ミコトたちの攻勢は強まっていた。二人の段階で既に拮抗していたのだから、三人になったら当然である。
加えて――
『ミコト、リョウカ、合わせろ!』
頭に響く声に従って、ミコトは剣を構えた。
視線の先では、ツカサと組み合ったユウが剣を大きく振り払い、ツカサに僅かな隙を作り出す。
「「「『エクスカリバー』!」」」
三人が呼吸を合わせ、三方向から光の斬撃をツカサに向けて放つ。
「はぁっ!」
しかしツカサも反応しており、光を湛えた拳をこちらに向かって突き出した。
光と光がぶつかり合い、辺りは目も眩む閃光で埋め尽くされる。
『――リョウカ、後ろだ!』
続いて響いた声で、リョウカは後ろを振り返り、襲いかかってくるツカサの右手を剣で受け止めた。
いくらここまで一緒に戦ってきたとは言え、リョウカとミコトたちの付き合いは浅い。
それでも鎖で繋がった三本の聖剣を上手く扱えているのは、ユウの能力によるところが大きい。
ユウは二本目以降の聖剣を作る際、一つオリジナルの要素を加えていた。
それが、持ち主同士のテレパシーである。
『精神接続』自体は、第一ゲームから使っている『接続』だ。
それを聖剣に組み込んだのは、ユウの素晴らしい発想だったと言える。
複数人になった強みを最大限に活かすためのテレパシー。それを駆使した連携が、徐々にツカサを追い詰めていた。
ミコトとユウだけなら、両腕を使えばツカサはその攻撃を凌げていた。
しかしリョウカが加わったことで、確実に防ぎきれない攻撃が生じている。
段々と、ツカサの身体に傷が増えていく。だが、彼はここぞというところで確実に致命傷を避けていた。
そして、それだけではない。
確実に、こちらの手数は増えている。間違いなくツカサを追い込んでいる。
しかし、ツカサの手数も何故か増えているのだ。
彼は多少の傷は厭わずに、こちらを攻め立ててくる。剣が掠めようがお構いなし、行動不能にならなければいいという様子だ。
今の戦況は、ミコトたちの誰か一人が倒れれば崩れる均衡状態だ。だから、ツカサは死にもの狂いで『最初の一人』を倒そうと躍起になっている。
「ちっ、少しは怯んだりしろよ!」
かなり深く身体に斬撃が入ったにも関わらず、逆に伸びてくる右手を紙一重で躱しながら、ユウは愚痴るようにそう叫んだ。
「生憎、痛みには強いんです。身体の痛みなんか、大した問題じゃない」
「何がそこまで……!」
再び伸びる右手を剣で受け止めながら、鬼気迫るツカサにユウはそう吐き捨てる。
「一体、何がそこまであなたを突き動かすんですか?」
横から振り下ろした剣を左手で受け止められ、リョウカがそのまま問いかける。
「決まっているでしょう。僕には、どうしても叶えたい願いがあるんです。それは貴方たちだって同じはずだ」
静かに答え、そして腕を大きく振って二人を払いのけたツカサに、ミコトが駆け寄って剣を振り下ろす。
「教えてください。貴方は、一体何を願っているんですか?」
その剣を受け止めたツカサに、ミコトはもう一度その問を発した。
真っ直ぐに、ツカサの目を見つめながら。
「……いいでしょう。全ての参加者を救おうという貴方たちから見れば、下らないことでしょうが」
その眼差しを受け止めたツカサは、僅かな逡巡の後にそう言った。彼の中でどんな心境の変化があったのか。それは、ミコトには分からなかった。
「僕は正義の味方でなくていい。たった一人……たった一人だけ救えれば、それでいいんです」
彼は瞬間移動で大きく距離を取ると、堂々とした声でそう言った。
それは、ミコトたちとは正反対の願いで、しかしそこにある思いはおそらく同じ種類のもので。
「僕は、僕の大切な人を生き返らせる。そのためだけに、僕は今戦っているんです」
真っ直ぐなツカサの視線を受け止めながら、ミコトは彼の話に耳を傾けた。
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あの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。榊原司という人間の人生が、取り返しが付かない程に崩れ去った一日のことは。
「もう……泣きすぎだよ、司くん」
「いや……だって凛、雄樹の気持ちを考えるとさ……」
ちなみに、雄樹というのは今しがた観終わった映画の主人公の名前である。
そして凛というのは、今まさに司に向かってハンカチを差し出してくれている女の子の名前だ。
司はそのハンカチを受け取り、目に押し当てて涙を拭う。
「本当に、感受性豊かだよね」
そんな司を見て、彼女はくすりと笑いながらそう言った。
彼女の名前は、西野凛。司の幼馴染で、小学校に上がる前から知っている。
大人しく控え目な彼女は、人前で泣いたりすることは無い。どころか、笑ったり怒ったりすることだってほとんど無く、周りからは「ロボットみたい」なんて言われていた。
しかし、司と一緒にいるときにはよくこうして笑っていた。大きな笑い声ではないが、他の人に向けるぎこちない笑いと違い、自然に漏れ出た穏やかな笑顔。
凛は少し周りを見回して、自分たちの他に誰も居ないことを確認した。
映画はエンドロールまで流れ切り、既に他の客は全員劇場の外に出ている。それだけ司が感動の余韻を引き摺っていた、という話だ。
「ほら、いい子だから泣き止んで」
そしてそう言うと、座ったままの司をギュッと抱きしめて、頭を優しく撫でた。
温かくて柔らかい感覚が、司を包み込む。ふわりと良い匂いがして、司は目を瞑って髪の毛が梳られる感触を心地よく味わう。
映画の中に飛び込んでいた感情が、現実の温かい肌触りに触れて戻ってくる。
「……ありがとう、凛」
しばらくその状態を堪能した後、司はそう言ってポンポンと凛の腕を叩く。
それを合図に凛は司から離れ、「どういたしまして」とにっこり笑った。
彼女が自分に見せてくれる、自分にしか見せないその笑顔が、司は堪らなく好きだった。
「凛は、時々大胆なことをするよね」
人が居ないとはいえ、公共の場で司を唐突に抱きしめたことを指してそう言うと、凛は思い出したかのように赤面した。
そして動揺する彼女を司は捕まえ――不意打ちに口づけた。
「大胆のお返し」
そう言ってニヤッと笑い、ますます赤面する彼女を「かわいいなあ」と思いながら眺める。
「もう、バカ」
「どういたしまして。……そろそろ行こうか」
口をちょっと尖らせて文句を言う彼女の手をさりげなく取って、司は歩き始める。
彼女も大人しく歩き出し、二人はようやく劇場を後にした。
彼女は幼馴染であると同時に、司の恋人でもある。
中学二年生の夏、思い切って司が告白をしたところから、二人の順調な交際は続いていた。
その日は、司が以前から好きだった異世界英雄譚アニメの劇場版が上映されるということで、二人で映画館まで観に来ていたのだった。
「やっぱり、雄樹は抜群に格好いいよね。これぞ正義の味方という感じで」
昼食を取りながら、二人で映画の感想を話す。王道のデートパターンを楽しみつつ、司の語りには熱が入る。
「本当に好きだねぇ。『正義の味方になりたい』って、司くんずっと言ってたもんね」
「昔の話だよ」
くすりと笑ってそう言う凛に、司は内心冷や汗をかきながら何でもない風に答える。
実際、まだ少し憧れている――なんてことは、流石にこの歳になって言えるものではなかった。
「司くん、けっこう想像力逞しいところあるよね」
そんなことを言われ、司はぎくりとする。よもや、心の声が口から漏れていたのではないか、なんて考えていたら――
「だから、司くんは優しいんだと思う。人の気持ちをちゃんと想像できるから、映画に感動して泣けるし、困ってる人に手を差し伸べられるんだよ」
彼女はそう続けた。思いがけず褒められて、司は嬉しい三分の一、恥ずかしい三分の一、びっくり三分の一で彼女をぽかんと見つめる。
「……そう、かな」
思ってもみなかった自分の一面、そして彼女が司のことをそんな風に見ていたのかと知り、司は自信なさげに声を出す。
「そうだよ」
しかし彼女はそんな司ににっこりと笑いかけ、自信たっぷりにそう言い切った。
「あ……それより、次は凛の観たい映画を観に行こう。何か観たいものはない?」
「んー……今は、特にないかな」
つい気恥ずかしくなって、話題を変えようとそんなことを訊くが、この手の質問に対して凛の答はいつも一緒だった。
何でもいい。特にない。任せる。
司としては凛の好きなものを知りたいのだが、結局いつも、司の希望に彼女が合わせることになるのだった。
「……そう、分かった。何かあったら、いつでも言って。付き合うから」
「うん、ありがとう」
司がそう言って、凛がそう答える。これもいつもの会話だ。
胸に若干のモヤモヤを抱える司だが、ここで問い詰めるのもおかしな話だ。
――また今度訊いてみればいい。
そう結論付けて、司は昼食を片付けようと口と手を動かした。舌に感じる味が、なんだか少し薄くなったような気がした。
****************
昼食を食べ終えると、二人は手を繋いで街をぶらついていた。
特に目的はない。ただ、まだ帰りたくはない。そういう、ゆったりとした時間。
ただ何事もない時間を共有する、二人で過ごすそんな一時が、司は好きだった。
――だが、この日に関してだけは。何もないなら帰ってしまえばよかったと、今ならそう思う。後悔先に立たず、という当たり前の言葉が身に染みる。
ぽつりぽつりと、何のことはない会話を交わしながら、ふらりふらりと、街を歩く。いつもの、ありふれた休日。
しかしそれは、唐突にやってきた。大概にしてそれは、前触れなどないものなのだろうけど。
「ねぇ、あれ……」
先に気がついたのは、凛の方だった。
彼女が指を差す方を見れば、そこにはころころと転がるボールがあった。どうやら、すぐそこにある公園から転がり出てきたらしい。
「……!」
そして当然の如く、後からそれを追う少年がぱたぱたと駆けてきていた。
ボールはころころと転がる。歩道を越え、車道へと転がり出る。ころころ、ころころ。
少年は走る。歩道を越え、車道へと駆け抜ける。ぱたぱた、ぱたぱた。
「――危ない!」
叫ぶと同時に、司の身体は動いていた。
車道には、事もあろうに大型のトラックが走っていた。視線の高い運転手は、不意に低い位置に現れたボールにも少年にも気が付いていないようだった。
ボールを無事に捕まえ、安堵の表情を浮かべる少年へと、減速する様子もなくトラックは突き進む。
――正義の味方になりたい。そう思っていた。
だからこの時、司は迷いなく走れたのだと思う。走れてしまったのだと思う。
凛の手を離し、真っ直ぐに、少年に向かって。
そのこと自体は、絶対に間違ってはいなかった。だって、他にどうすれば良かったと言うのか。
――大丈夫、間に合う。
司はその時、そんなことを考えていた。少年の元にたどり着き、彼を抱えて、道路の脇へと駆け抜ける。
迫るトラックが横目に映る。けたたましいクラクションの音と、激しく甲高いブレーキ音が鼓膜を突き刺す。
濃厚な死の恐怖に、司の身が一瞬竦む。
――あと、たった一歩。しかし、間違いなく一歩ぶん。
間に合わない――そう思った司の、
「え……?」
その背中を、余りにも軽い衝撃が襲った。
よろめきながら車道の脇に追いやられ、振り返った司の目と――
「――凛」
いつもの笑顔で笑いかける凛の目が、一瞬交錯した。
しかしそれは、本当に一瞬の出来事で。
目を瞬いた時には、ドン、という鈍い音と、トラックの無機質な車体だけが、視覚と聴覚を埋め尽くしていた。
「――凛!」
遅れてきた精神的な衝撃に脳みそを殴りつけられ、我に返った司は叫びながら走り出す。
「り、ん……」
そこには、血の海に沈み、手足がおかしな方向に曲がった、無残な凛の姿があった。
景色が薄暗く見える。身体から力が抜け、がくりと地面に膝を着く。音は遠のき、頭の中は目の前の光景を受け入れることを拒否して空回りする。
――嘘だ。なんで。こんなはずじゃ。
埒もない、役に立たない言葉ばかりが、頭の中に虚しく響く。
「さ、く……ん……」
その時、唯一意味のある音が司の耳に飛び込んだ。
まともな活動を取り戻した脳と耳と目が、凛の方へと一気に向く。
「つか、さ……くん……」
聞き間違いじゃない。そう確信して、司は血に濡れるのも厭わず、格好も気にせず、四つん這いで凛の元へと急ぐ。
「凛!」
彼女の顔を覗き込み、司は大声でその名前を呼ばわる。
「司くん……?」
「ああ、ここにいる。ここにいるよ……!」
虚ろな視線を泳がせる彼女の手を握りしめ、必死に呼びかける。
すると彼女の視線が、司の顔を捉えたように見えた。
「司、くん……」
「大丈夫、大丈夫だよ凛。すぐに救急車を呼ぶから。だから――」
矢継ぎ早に言葉を浴びせかける司の手を、不意に彼女は握り返した。その力強さに、思わず司の言葉が止まる。
「よかっ、た……無事で」
「……っ!」
血に塗れた顔で、それなのにいつもと全く変わらない穏やかな笑顔で、彼女はそう告げた。
たった、それだけ。それだけを遺して、彼女の身体からは何もかもが抜け落ちた。
司の手を握り返す手も、司の顔を見つめる眼差しも。全てから何かが消え去って、彼女はぴくりとも動かない、彼女ではない何かになった。
「凛、凛!」
何度名前を呼んでも、何度手を握りしめても、何度身体を揺さぶっても。
彼女は何も応えない。彼女にはもう何もない。ただ、彼女だった肉の塊と、彼女から流れ出た真っ赤な血だまりだけがそこにある。
それが、彼女の痕跡の全てだった。
「凛……嘘だ……凛……!」
事実は何も変わらない。司の声には、何かを覆す力はない。
どれだけ叫んでも、どれだけ願っても、彼女が死んでしまった事実は動かない。
「うわあああああああ!」
救急車のサイレンの音。狼狽える運転手の声。少年の鳴き声。集まってきた野次馬のざわめき。
その全てを塗りつぶすような慟哭の声を上げて。
高校一年生の春、司は最も大切な人を失った。




