第五章2 試したいこと
目の前にあるのは、街を見渡せばすぐに見つかるような、全国展開しているチェーン店のカフェだった。見慣れた緑と白の看板は普段通りの顔をしていて、ともすれば日常的過ぎる風景。
「ミコト、一旦中に入るぞ」
だが、日常はまだまだお預けだ。何しろ今は非日常もここに極まれりという、戦いの渦中に居るのだから。
ユウの言葉に従って店内に入り、彼に倣ってソファーの陰に身を隠す。
「ここは……これか。umiの一階、『錨の広場』の目の前にあるステバ」
ユウはソファーにもたれかかりながら、手に持った紙をめくっている。
「いつの間に……」
彼が手にしているのはどうやらフロアガイドだ。水色を基調としたそれには、どこにどんな店があるかが記されている。
ミコトと同じように何の準備も無くここに放り出されたはずなのに、何故そんな物を持っているのか。
「さっき入る前に、あそこから取って来たんだよ。ちゃんと他の二つの施設の分もある」
ユウが指差した方を覗いてみると、そこには床に据え付けられた台のようなものがあった。ショッピングモールにはよくある、大きな案内板のようだ。
その側面には、今ユウが手にしている水色の『umi』のもの以外にも、黄緑色の『yama』、緑色の『アウトレット』のフロアガイドが常備されていた。
「yamaからもアウトレットからも遠い位置だな。さて……とりあえず、二人からの連絡が欲しいけど」
ユウがフロアガイドに記されたマップに目を走らせながら呟くと、丁度そこでケータイが鳴った。
噂をすれば、リョウカからMINEのメッセージが来ていた。
「ナイスタイミングだね」
「だな。……よし、ラッキーだ。向こうもumiに居るらしい。少し遠いけど」
明るい声を出したミコトに返事をしながら、ユウはメッセージと地図を照らし合わせて確認する。
「どうするの?」
「何はともあれ合流したいところだけど……」
ミコトが方針を訊ねると、ユウは考え込むように言葉を切る。
「実は、試しておきたいことがあるんだ。ツカサと遭遇する前に」
やがてユウはニヤリと笑って、そう切り出した。
ミコトは驚いた。ユウの発言が意外だったからではない。
「実は――僕も、試しておきたいことがあるんですよ」
その偶然の一致に、だ。
今度は、ユウの方が驚く番だった。
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ツカサとの決別の後、少し話をしたところで女神によるチーム分けの宣言が行われた。
話し合いの結果、四人はミコトとユウ、アカリとリョウカのペアに分かれることにした。ミコトを全力で勝たせるためだ。
アカリとリョウカには、できるだけ早く合流するようにという指示だけ出してある。第四ゲームと同じく、ミコトが居なければ退場を使えないのだから当然だ。
だからすぐに、リョウカから現在地の連絡が来たという訳である。
「ルールは少ないけれど、代わりに少しギミックを用意したわ」
というのは、ゲームを始める直前の女神の言葉だ。曰く、
「まず、会場はレオンスプリングタウン全体。umi、yama、アウトレットの三施設全てよ。施設間の移動は可能だけれど、外との境界線には見えない壁があるわ。会場外への離脱は不可能よ」
そこまでは、これまでのユウの見立てが当たっていたことになる。
ショッピングモールを丸ごと使った、サバイバル形式の鬼ごっこ。六十四人でこの会場はいささか広い気もするが、ツカサのような規格外の能力も居るのでこれくらいが妥当なのかもしれない。
「それから、定期的に全参加者の居場所が分かるようになっているわ。逃げ隠れしてばかりじゃ、つまらないでしょう?」
そして続いた女神の言葉は、予想外の内容だった。
動きのない戦いほどつまらないものはないので、主催者側からすればそれも妥当な話だろう。
が、参加者からすると堪ったものではない。最後の一組になるまで、一瞬たりとも安息の時は無いということになる。
「居場所はどうやって分かるんですか?」
女神の説明に口を挟んだのはツカサだ。
全員が気になっているであろうこととは言え、この空気で堂々と発言するとは。やはり自分が強いという自覚が、その胆力に繋がっているのだろうか。
「十分ごとに十五秒間、目の前に映像が現れるわ。今、少しやってみせましょうか」
女神の言葉に従って、全員の目の前に半透明の映像が映し出された。
大きさはおよそ六十センチ四方。そこにスプリングタウン全体の地図が表示されている。
左下の方に水色で示されてる、三角形に近い建物がumi。その上に位置しているのが、緑色で先が少し欠けた矢印のような構造のアウトレット。その更に右側に、細長い四角形のyamaが黄緑色に彩られている。
「ここはumiの三階、レオンシネマの中よ。そこに集まっている点が貴方たち」
言われて目を走らせると、水色のumi、その一角に赤い点が無数に集まっていた。
「どの点が誰かまでは分からないし、地図は上から見た図だから階数も分からないわ。でも、おおよその位置はそれで分かってしまうという訳」
戦いを動かすため、というなら十分な情報。ずっと隠れていても、いずれ見つかってしまうだろう。
ミコトとしては一人でも多く退場させるのが目的なので、隠れるつもりは毛頭ない。ただし、奇襲が掛けにくいというのは一つ厄介なところだ。
逆に言えば奇襲を受けにくいということでもあるので、良し悪しだろうが。
「スタート地点はペアごとの完全なアトランダムよ。会場に転送されたと同時にゲームスタートで、禁止事項は一切無し。居場所は、開始五分後に最初の一回が表示されるわ」
「そんなところかしらね」と、女神は説明を終えた。
「さて、他に質問が無ければ。早速ゲームを始めましょう」
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――最初の五分間が勝負だ。
まだ誰も敵の位置を把握していない、全員が手探りな状態。ここで敵の位置を把握して奇襲ができれば、一気に攻められるチャンスである。
そして彼には、それが可能だった。
目を閉じて自らに左手を押し当て、想像を膨らませる。
――僕は今、あらゆる感覚器官と第六感が研ぎ澄まされている。この会場全体を把握できるほどに。
そして、目を見開くと。
ありとあらゆる感覚から、膨大な情報が流れ込む。
視覚は壁すら見透し、目を向けた先の必要な物が全て見える。
聴覚は遥か遠くの衣擦れさえ聞き分け、動く物全ての位置を正確に把握する。
嗅覚、触覚、味覚さえも、敵を見つけることに特化し、微かな情報を拾い集めて脳に送り届けている。
そうして彼は、三つの施設に渡る広大な会場内の全てを把握した。
常識的に考えればそんなことは不可能だ。だが、彼が「できる」と思えばそれは可能なのだ。
次の瞬間、彼は一瞬にしてそこから姿を消した。
瞬間移動――これも、彼の能力で容易に実現できる。
唐突に目の前に現れた自分に、油断していた他の参加者二人が驚愕の表情を浮かべるのが見えた。
彼は冷静に、動き出そうとする参加者の一人に右手で触れた。流れるような動きで、引き攣った顔のもう一人にも同じように手を伸ばす。
あっという間に、二人の参加者は消え去った。それを為した彼はしかし、喜ぶでもなく「うん」と自分の行動の成果を確認する。
「さて。五分で片を付けてしまおう」
勝利への確かな道筋を思い描き――ツカサは不敵に笑った。
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「最初の五分が勝負だ」
ユウの言葉に従い、ミコトは彼の後に続いてひっそりと移動していた。
最初の五分間だけは、誰も敵の位置を把握できていない。目視で発見しない限り、戦いが起こることは無い。
だから、その間にいい位置をキープしておく、というのがユウの方針だった。
具体的に言うと、上へ移動していた。エスカレーターの手すりより身を低くし、動かないそれを静かに、かつ素早く登って行く。
ショッピングモールは、各所に吹き抜けが存在する。
下から見ると上の様子は分かりにくいが、上から見るとよく見える。必然的に、できるだけ上に陣取る方が相手を一方的に見つけやすいという訳だ。
「よし。ここで最初のスキャンを待とう」
三階まで登りきり、適当な柱の陰に身を隠したところで、ユウがそう言った。ミコトも息を切らしながら、同じように身を潜める。
――止まっているエスカレーターを登ると、妙に身体が重く感じるのは何故だろう。
愚痴のようなことを思うミコトだが、ユウが息を切らしていないのを見るに単純に体力不足かもしれない。
「来たぞ!」
ユウにそう言われるまでもなく――
目の前に、半透明の映像が浮かび上がった。開始五分、一回目の居場所の告知――長いので、ユウは『スキャン』と呼んでいるが。
二人で素早く、地図上に目を走らせる。
ミコトたちが居るのは、地図の一番下の方。umiの中でも下の方に位置する、『錨の広場』と呼ばれるスペースの近くだ。
それを示す二つの赤い点。そこから――かなり近い位置に、誰かが居た。
広場の中心、吹き抜けを挟んで反対側。その少し離れたところに、やはり二つの点が固まっている。
三階で言えば、ミコトからも見える位置にあるゲームセンターの中。フロアが分からないので、もしかすると違うフロアかもしれないが。
更に目を走らせると、umiに存在する三つの広場の付近に参加者たちは固まっているようだ。
ミコトたちが今居る、最下端の『錨の広場』。そこから上に少し行ったところに『潮の広場』、更に右に『波の広場』がある。
その中で、『潮の広場』にミコトの目は吸い寄せられた。三つの中で、点が最も密集し――そして激しく動き回っている。
おそらく、そこでは既に戦いが始まっている。
リョウカから来たメッセージによれば、アカリとリョウカは『波の広場』の付近からスタートしている。巻き込まれていることはないと思うが。
「ユウくん――」
「ミコト!」
戦いが起こっているなら、早く止めに行くべきだ――「『潮の広場』に向かおう」と提案しようとしたミコトの声は、ユウの鋭い叫びに遮られた。
何かと思ったミコトの視界に、何かが飛び込んだ。
小さくて、空中に浮いている――可愛らしいクマのぬいぐるみだ。
余りにも場違いな物体だが、飛んでいる時点で何者かの能力。
「――!」
次の瞬間、ミコトの目の前には男の姿が現れていた。
――奇襲だ。
そう思った時には、男の伸ばす右手が、ミコトの目前に迫っていた。
***************
「セツナ、近いよ!」
「落ち着けカホ、違うフロアかもしれない。まずは『索敵』を飛ばしてくれ」
隣で焦った声を上げる相方の女性に、男は冷静な声で指示を飛ばした。
「う、うん。そうだよね」
彼女は言われた通り、握りしめた物に能力を発動する。
するとその手から飛び出した小さなクマのぬいぐるみが、スーッと空中を移動していった。
男の名はセツナ。ここまで彼女――カホと共に戦ってきた。
カホの能力は『機能追加』と言って、触れた物体に任意の機能を追加するというものだ。
今はぬいぐるみに、『周囲の人間に向かって飛んで行き、その場所を伝える』という『索敵』の機能を追加したのだった。
それ単体ならただの便利な道具扱いだが――セツナが居ると、それは必殺の作戦に変わる。
「居たよ!」
「よし!」
彼女の声に答え、セツナは自分の身体に左手を当てた。
次の瞬間、セツナの見る景色は一変する。
彼の能力は直球も直球、『瞬間移動』だ。説明するまでも無い、単純明快で強力な力。
さらに、『対象物を一度視認していれば、距離に関わらずその場に移動できる』という特性が、カホの能力と抜群に相性が良かった。
目の前に現れた――実際現れたのはセツナの方だが――のは、二人組の男だ。隣の男の方はどうやら反応して動き出しているが、目の前に居る方の男はポカンと口を開けている。
――もらった!
今までの経験から、目の前の男は確実に消せると確信する。セツナが伸ばした右手が、男の身体に迫り――
「っ!?」
固い感触を得て、セツナの思考が一瞬止まる。目の前の男は、相変わらず口を開けてこちらを見ていた。
目線を下げ、自分の右手を見遣ると――白銀に光る物体に、行く手を阻まれている。
と、右手に大きく力が加わり、その物体に払いのけられたと理解する。
大きくのけ反り隙だらけになったセツナは、咄嗟に自分に左手を当てて能力を発動した。
「良い判断だな」
男たちから距離を取ったセツナの耳に、そんな言葉が飛び込んだ。
そこでようやく、状況を正確に理解する。
まだ口を開けている、間抜け面の男。
もう一人の男がいつの間にかその隣に移動していて、どうやら彼によってセツナの奇襲は防がれたらしい。
そして、彼の手には――荘厳な剣が握られていた。
***************
美しい光を湛えた白銀の刀身に、荘厳な装飾が付いた鍔。
何より、見る者を魅了し、そして圧倒するその雰囲気。
ミコトは、驚きを持って自分の隣に立つユウを見つめる。
彼の手に握られたその剣を、ミコトは間違いなく知っていた。
「ユウくん、それ――」
「俺の能力は『接続』。触れた物体と自分を繋ぎ、その繋がりは『何でもアリ』、だ」
漏れ出るように問いかけを発したミコトに、ユウはニヤリと笑って答える。
二度と見ることはできないと思っていた。
その剣の持ち主は消されてしまっている。その剣を創り出せる人物は退場してしまっている。
ミコトは驚きを通り越し、感動すら覚えていた。
その剣はミコトにとって、強さの象徴で、希望の象徴で。
それをユウが――ミコトが最も信頼する人物が手にしているのだ。
「『エクスカリバー』……!」
そう、彼の手に握られているのは。
マレイが創り出し、ユウキが振るっていた聖剣。
それより少し小ぶりになってはいるが、その輝きは間違いなく聖剣そのものだった。
「いや、凄いなコレ。身体中に力が漲るのが分かる」
聖剣は、手にした者の能力を常識外れに跳ね上げる。マレイが考えたその特性すら、ユウは自分の能力で再現してみせたという訳だ。
「ずっと考えてたんだ。奴に――ツカサに対抗する手段。その結論がコレだよ」
ツカサに対抗しうる力。彼と対等に戦っていた、ユウキの力があれば。
ユウの言葉に、ミコトの心には希望が湧き上がる。
ユウは、剣をピタリと男に向けた。
すると男は、不意にその姿を消し去る。
「ふっ!」
次の瞬間、ユウが舞うように剣を振るった。現れては消え、消えては現れる男に合わせて。男の瞬間移動に、膂力と反射神経だけで対抗しているのだ。
男がミコトの目の前に現れても、ユウの剣はその右手を悉く防いで見せた。
「くそっ、化物かよ!」
何度試しても、どこから攻めても防ぎきるユウに、男はそう吐き捨てると再び距離を取り、そのまま姿を眩ませた。
「あ!」
「逃げたか? ――いや」
感覚さえ研ぎ澄まされるのが、聖剣の力だ。男の気配を追ったらしいユウは、彼の狙いを察したらしかった。
「どうやら次は、ミコトの出番だぞ」
「へ?」
ユウの言葉に、ミコトは訳が分からず間抜けな声を上げる。
しかし、その言葉の意図はすぐに分かった。
ミコトたちの視線の先、吹き抜けの近くの開けたスペースに、唐突に何かが出現したのだ。
重たい金属音をガチャつかせ立ちはだかっているのは――どう見ても、大きい人型のロボットだった。
「……ナニコレ」
「たぶん、あの男の相方の能力だな。ゲーセンのUFOキャッチャーが変形したロボットに見える」
言われてよく見ると、確かに頭部が透明で中にプライズが散乱している。
ソイツは体長は三メートルくらい、屈強な金属製の手足をガチャガチャと動かし、こちらに向かってファイティングポーズを取っていた。
「俺の試したいことは試せた。コイツはミコトの『試したいこと』に、うってつけじゃないのか? ――っと!」
ユウが喋っていると、再び男が奇襲をかけてきた。しかし、ユウは難なく反応して防いでいる。
瞬間移動の男と、謎の人型ロボット。一応、二対二の状況になったと言える。
「という訳で、そっちは任せる」
「――!」
それは、今までなら考えられなかったことだった。
ミコトは戦闘力皆無で、人間との直接戦闘ですら怪しいくらいだ。そんなミコトに、未知の大型ロボットの相手を任せる、とユウは言った。それは事前に伝えておいた、ミコトの『試したいこと』のためだ。
ユウはその言葉を信用し、ミコトへの信頼を示してくれた。
「……うん!」
だからミコトはそう答え――意気軒昂に、ロボットと相対した。
聖剣は強い。だが、それだけではツカサに届かない――ミコトはそう思っている。
だから――この戦いで、ツカサに届かせるもう一つの武器を手に入れる。
「さあ――来い!」
決意と共に、ミコトは吠えた。




