第四章21 最後まで
しばらく経った後、落ち着いたマレイは四人から少し離れた場所に座り込んでいた。
ただし、落ち着いたと言うよりは『落ち着かせた』と言うのが正しい。
本来であればそっとしておいて、好きなだけ泣かせてやりたいところだ。しかし、ゲームはまだ終わっていない。幸いにも当たりに人の気配は無いが、他の参加者が来たら戦闘になる可能性が非常に高いのだ。
そんな状況に、退場したマレイを――泣いている女の子を置いていくことなんて、できるはずもなかった。
だからアカリの能力で、彼女を元気付けてもらったのだ。アカリの能力を以てしても中々泣き止まなかったのが、彼女の悲しみの深さを物語っていた。
こういうとき、アカリが居て良かったとミコトは思う。
ミコトにできるのは、参加者を退場させることだけだ。退場させたその後で、ミコトがその人にしてあげられることは何も無い。たとえその人が、どれだけ心に傷を負っていたとしても。
普段はあまり出番はない。しかし、ここぞというときに役に立つ、誰よりも優しい能力。
彼女が居なかったら、ここまで戦ってこれなかっただろうとミコトは思う。
「……ごめん」
マレイは不意に、ぶっきらぼうにそう言った。膝を抱えたまま前を向いているので、一瞬誰に向けての言葉か分からなかった。
「八つ当たりして。痛かったでしょ……?」
続いた言葉で、それはどうやらユウに向けられたものらしいと判明した。
ミコトがちらりと窺った彼女の表情は気まずそうだし、気恥ずかしそうだ。
何しろ、喚き散らしながら馬乗りになって散々殴った挙句、その胸で滾々と泣き続けていたのだ。それはもう、乙女としては恥の極致だろう。
「いえ……怪我はすぐに治りますし」
「美少女に馬乗りされるなんて、ある意味ご褒美ですしね」
やはり気まずそうに、気恥ずかしそうに答えるユウの横から、リョウカがじっとりした視線と共にやけに冷たい言葉を投げた。
よく聞けば、その言葉は敬語に戻っている。『これはもしや』とミコトの下世話な部分が心の中でむくりと首をもたげるが、追求したい衝動をどうにか堪えきった。
「まあ、そういうことでひとつ。……そんなことより、いい加減ゴールしよう。いつ誰が来たっておかしくないんだから」
しかしユウはそれに頓着する様子も無く――内心はどうか知らないが、少なくとも外聞は保って――、適当に流すと話題を変えた。
横でリョウカが若干むすっとした顔をしているのが、ミコトにはよく分かった。
「マレイさん、もう動けますよね? ここから離れて、どこか屋内に避難しておいてください。もしかすると、次の戦場はここかもしれないので」
「うん、分かった」
ユウの言葉に、マレイは素直に頷いて答えると立ち上がった。それを確認して、ユウはミコトたちを振り返る。
「じゃあ、俺たちはゴールしよう。最初はミコトからで、次は――」
「ユウくんだよ」
「ユウくんだね」
「ユウだよ」
三人が揃って、ユウの言葉を遮った。第三ゲームでも似たようなやり取りがあったなあと、ミコトは少し笑う。
「お前ら……今度は下手したら、俺がゴールした瞬間に消えるかもしれないんだぞ?」
ユウは若干呆れた様子で、三人にそう言い含める。
確かに、今回は六十四人がゴールした時点で残りの参加者は消えてしまう。もしミコトやユウが六十四人目だった場合、二人がゴールした瞬間に消えてしまう可能性があるのだ。
しかし誰も結論は変えず、分かってるとばかりに頷いた。
「ユウくんが居なきゃ戦えないって、前にも言ったでしょ?」
ミコトは再び、ユウに向かってそう告げる。
もちろん、ミコトが一番守りたいのはアカリだ。だが、アカリと二人きりではまず間違いなく勝ち残れない。
それはアカリだってきっと分かっていて、彼女がそれを望まないことをミコトも分かっている。
アカリはミコトに助けてほしい訳ではない。ミコトを助けたいのだ。たとえ戦えなくとも、力は無くとも。
彼女は、そういう人間なのだ。
「うんうん。それに消えちゃっても、ミコトくんが一番になって助けてくれるでしょ? 確かに、少し怖いけど……信じてるから」
ミコトの思った通りの言葉を、アカリは口にする。その期待は重たいが、むしろ力の湧く重たさだった。
真っ直ぐに信頼の眼差しを向ける彼女と目を合わせ、ミコトは力強く頷く。
「うん。そのためにも、ユウが行ってくれなきゃ困るよ」
そしてリョウカは、ユウを見ながらそう言った。そこにはアカリの目と同じく、絶対的な信頼の光が宿っていた。
「……そうだな」
ユウは何とも言えない表情を浮かべ、それだけを口にした。照れているのか、居心地悪そうに身じろぎして。
「よし。じゃあミコト、行ってくれ」
ユウはそう言うと、ミコトの背中を左手で軽く叩いた。ミコトはそのまま数歩前に進み出て、像の前に立つとそれを見上げる。
「――みんな!」
と、不意にマレイの声が響く。ミコトが振り返ると、彼女は全員に向けてこう言った。
「絶対、ユウキを――みんなを助けて」
それを聞いて、全員が厳かに、力強く頷いた。
言われるまでも無い。ここまで来たら、最後まで勝ち残るしかない。そして、願いを叶えるのだ。
「それから、あのスカした野郎を……思いっきり、ぶん殴っといてよね!」
「はい、必ず!」
気丈にも笑みを浮かべながら、マレイはそんなことを言ってみせた。殺すでも、消すでもなく。
その気概に応え、ミコトも柄にもなく気を張った声を出す。
そして、像に向き直ると――ゆっくりと手を触れた。
全身がぼうっと光り、身体が徐々に薄くなり始める。
「それじゃあ、みんな――また後で!」
白んでいく視界の中、ミコトは仲間たちにそう言った。
定員の六十四人という数字に、一抹の不安は残る。だが、きっと大丈夫だと言い聞かせて。
それから――
「マレイさん! あなたたちと会えてよかった!」
ミコトは消えゆく直前、そう言い残した。
ユウキが残した言葉は、ミコトの中で今、一つの希望となって燃えている。
この炎が本物なら――ミコトは次のゲームも戦い抜けると、そう思った。最後の最後まで、彼はミコトの力となってくれたのだ。
それを少しでも、マレイに伝えたかった。
マレイがその言葉に、再び少し目を潤ませる。
しかし間違いなく、笑顔を浮かべたのを見ながら――ミコトの視界は、真っ白に染まっていった。
*************
その後、少し躊躇いながらユウが続いてゴールを果たした。
「大丈夫、みたいだね……?」
「うん……」
しばらく不安げに顔を見合わせるアカリとリョウカだったが、二人の身体は依然として存在していた。アカリはそこで、ほぅっと一息吐いた。
「じゃあ、次はアカリだね。ミコトのことを考えるなら」
先んじてそう言ったのはリョウカの方だ。性格的にどちらも先を譲るのは明白だったが、彼女の方が一歩早かった。
「――ううん。先に行くのはリョウカちゃんだよ」
だが、アカリはゆるゆると首を横に振るとそう告げた。
「気にしなくても、戦力的にはユウが居れば十分だよ。それよりも、ここからは気持ちの方が大事だと思う」
リョウカはそれを、これからの戦いを考えての言葉と受け取ったようだった。確かに、客観的に見ればリョウカの方が戦力としては大きい。
もちろんそれもあるが、アカリの真意はそこには無かった。
「違うの。ミコトくんは、もう私が居なくたって大丈夫」
ミコトは、過去と向き合った。向き合って、そして前を向いたのだ。
彼はアカリを守るために戦うと、そう言ってくれた。
しかし、それはきっかけに過ぎなかった。彼はもう希望を、意志を、覚悟を、自分の腹にしっかり落とし込んでいる。
「でも――ユウくんには、リョウカちゃんが必要だよ」
「え……?」
アカリが続けた言葉に、リョウカが疑問の声を上げた。
「ユウに……私が……?」
困惑して――しかし、少し顔を赤らめて。
訊ねるリョウカに、アカリは頷いて答えた。
「うん。じゃないと、なんか……ユウくんが、どっかに行っちゃう気がしたの」
根拠は無い。確証も無い。
だが、何故か強くそう思ったのだ。ユウはまだ、何かを抱えている――そんな風に。
「それは……分からなくは、ないかな……」
すると、リョウカもそう言った。そうでないかと思っていたが、やはりリョウカも薄々勘付いていたらしい。
「何かはっきりとある訳じゃなくて……上手くは、言えないんだけど……」
アカリと同じように、リョウカもモヤモヤした何かを感じているらしかった。
「こういうとき、便利な言葉があるよ」
言い淀む彼女に、アカリは悪戯っぽく笑いかける。
「なに?」
訊ねられ、アカリは渾身のドヤ顔を決めた。
「女の勘、ってヤツだよ」
一瞬、ポカンとリョウカはアカリを見た。
しかしすぐに、ふっと表情を緩め笑い出した。
「――そうだね。二人分の女の勘だもん、きっと当たってるよ」
そうして二人で、ひとしきり笑った後。
「だから、ね? 先に行って」
真剣な眼差しで、アカリはそう言った。
その表情には決意が表れていて、リョウカは彼女の言い分を認めた。
「……分かった」
そう答えると、像の元へ歩み寄る。
「じゃあ……行くよ」
「うん」
リョウカが最後にそう言って、アカリは答を返す。
そして、リョウカが像に触れた。
「アカリ――また、あとで」
「うん」
消えゆくリョウカの言葉に、同じ答を繰り返す。アカリは、ここで消えたとしても構わないとさえ思った。何故なら、もう全てを仲間たちに託してある。
だから、笑顔で見送った。薄らいでいくリョウカの姿を見つめ、穏やかな気持ちで。
――そして、リョウカは完全に消え去った。
「――……消えない」
そこから、たっぷり十秒は固まっていた。
だがアカリの身体には何ら異変はなく、今尚しっかりと存在していた。
「よかったじゃない」
二人のやり取りをずっと黙って見守っていたマレイが、不意にそう言った。
「……はい」
消えなかったのはもちろん嬉しいが、覚悟を決めていただけに拍子抜けではある。
そんな微妙な心境が顔に出ていたのだろう、マレイが呆れ顔で話しかけてくる。
「もう、ちゃんと喜びなさいよ。これでまた、ミコトと一緒に居られるでしょ?」
「……はい!」
そう言われて、単純なアカリはあっという間に喜びを溢れさせた。その分かりやすさに、マレイも思わず笑みを漏らす。
「ほら、早く行ったら? 待ってると思うわよ」
「はい、ありがとうございます! マレイさんも、気を付けてくださいね!」
優しい声で背を押してくれるマレイに、アカリは感謝を告げた。
そして待ちきれず、すぐに像に手を押し当てる。こうなると、一秒でも早くミコトに会いたくて仕方が無かった。
「――ハナちゃん!」
と、身体が薄らいでいく中、マレイの声が聞こえて振り返る。
すると彼女は、優しげな表情で、でも悲しげに目を潤ませて。
「アンタは、最後までミコトの傍に居るんだよ!」
――そう言った。
それは彼女が果たせなかった願いで、どうしようもなく溢れた思いで。
アカリには、それを叶えるチャンスが与えられたのだ。
「――はい!」
彼女の分まで、なんて、おこがましいけれど。
絶対に離れまいと固く決意し、凛とした声で返事をした。
満足げに微笑むマレイの姿が最後に映り――アカリの視界は、白く埋め尽くされた。
ユウキの言葉は、ミコトの胸に。マレイの言葉は、アカリの胸に。それぞれ希望を灯してくれた。
最後まで力になってくれた、二人の思いを引き継いで――
ミコトたちは、第四ゲームを勝ち抜いた。




