第四章20 激闘の果て
劇的な戦いには、劇的な決着が待っているものだ――多くの人はそう思うことだろう。激しい戦いの末、お互いの死力を振り絞り、最後の最後、僅かな差で勝利を勝ち取る。
だが、現実は非情だ。どれほどの力を持っていようとも、どれほど素晴らしい戦いをしようとも。
たった一つのミスが、たった一手の悪手が、たった一瞬の逡巡が。
驚くほどあっさりと、劇的な戦いの幕を引くこともあるのだ。
だからそれは、決して珍しいことではないのかもしれない。
誰もがそれを、望まなかったとしても。
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ゴールの前、ミコトたちはただひたすらに待っていた。ユウキがツカサを倒し、あるいは振り切って、ミコトたちの前に現れるのを。
「もしツカサが来たら――」
「馬鹿なこと言わないで、ユウキが負ける訳ないでしょ」
ユウは最悪の事態を想定し、その場合の話をしようとした。しかしその言葉を、マレイが有無を言わさぬ口調で否定する。
「万が一の話です。もし――」
「万が一なんて無い。ユウキはいつだって最強なの」
「――もしそうなったら、全員すぐにゴールしてください」
頑なにその想定を拒むマレイを押し切って、ユウはその先を全員に向かって告げた。
ユウキを信じるのは構わないし、ユウだって勝ってほしいと本気で思っている。しかし最悪の事態になったとき、全員がやられてしまったら、ユウキに合わせる顔が無い。
「……」
マレイは不機嫌な顔で黙り込み、気まずい沈黙が訪れる。
「ねえ、あれ――!」
一番初めに気が付いたのはアカリだった。彼女が指を差した先、目の前の交差点の向こう側。
そこには、男が居た。右手に剣を持ち、ゆっくりとこちらに歩いてくる男。
「嘘……」
呟いたのはマレイだ。その声は――絶望に彩られていた。
「なんで、その剣を……!」
その声に続くように悲嘆な問を投げたのはミコトだ。
マレイの創り出した、荘厳な聖剣――それは半ばで折れ、男の右手に力なく収まっている。
「ツカサ――!」
ユウが、男の名を口にした。
こちらに向かって歩いてくるのは、ツカサだった。ユウキが持つはずの剣を、その成れの果てを手にして。
「全員ゴールに――」
「ああ、焦らなくていいですよ。僕は今、とても戦う気にはなれないんです」
すぐに思考を切り替え、想定していた最悪の事態に対応しようとしたユウ。
しかしその指示を言い切る前に、ツカサは五人の目の前に現れていた。
「――っ」
ユウは喉を詰まらせて身を固めた。下手に動けば全滅――しかし、彼はこちらを攻撃する素振りが全くなかった。
「彼は本当に強かった。そしてとても仲間思いで、清く正しい心の持ち主でした。彼に敬意を表して、貴方たちは見逃してもいいと思っています」
ユウキは、手にした剣をそっと丁寧に地面に置くと数歩下がった。
その手つきからは彼のユウキに対する敬意が滲み出ていて、本心からそう言っているのだと分かる。
「どういうつもりで――?」
しかし、リョウカは警戒に満ちた声で問いかける。
見逃す理由など特にないはずだ。本当にツカサがユウキを尊敬したとして、結局勝ち残れるのは一人だけ。いずれ消す相手なら、ここで消さない理由は何なのか。
その問に、ツカサは素直に回答を寄越す。
「理由は二つあります。一つは、このゲームの勝利条件はもう満たしたからです」
言いつつ、ツカサはポケットから宝を取り出してみせた。ユウキは三つの宝を持っていたはずで、つまり全てを彼が奪ったということだ。
「もう一つは――」
「嘘よ! ユウキが負けるはずがない!」
続けて語ろうとするツカサを、悲鳴のようなマレイの声が遮った。
「ユウキはいつだって馬鹿みたいに強くて、馬鹿みたいにお人好しで……馬鹿みたいに、いつも私の傍に居てくれた……アイツが私を残して居なくなるなんて、そんなことあるはずない!」
マレイは悲痛で沈痛な、心を切り裂くような声で、ユウキを思って叫ぶ。目の前の男の言葉を否定しようと、あらん限りの声を振り絞り、その目に涙を浮かべながら。
彼女のことを、彼女とユウキのことを、ミコトたちは深くは知らない。それでも、彼女の思いはひしひしと、それこそ痛い程に伝わってきた。
「そうです。まともに戦っていたら、彼は勝利し、僕は負けていたでしょう。それが、もう一つの理由です」
ツカサはマレイと真正面から向かい合い、彼女の目を真っ直ぐに見て、その叫びに静かに答える。
その表情には勝利した喜びは欠片も見えず、彼もまた悲しみを覚えているようにすら見えた。
「言わばこれは――贖罪です。僕も自分で驚きました。こんな――」
そして宝をしまうと、自分の顔に左手で触れ――
「こんな酷い手を使って勝利してしまったんですから。自分がこんなにずる賢いだなんて、全く知りませんでした」
続きを語る声は――本来の声よりずっと高い、女性の声で発された。
「……!」
全員、声も出なかった。
視線の中心に居るツカサ。だかそこにあるのは――どこからどう見ても、マレイの姿だった。
「変身……?」
アカリが呟いたその言葉が答だろう。
彼は自身に能力を使い、『マレイに変身せよ』と命じたのだ。傍から見たら、全く違いなど見当たらない。本人と向き合い悲しげな表情をしてる様は、本当に同じ人間が二人居るとしか思えなかった。
「汚ぇ……」
気が付くと、ユウはそう吐き捨てていた。
誰が見ても明らかだったであろう、ユウキの最も大切に思っている相手。
戦いの最中にその相手に化けられたら、誰だって動揺する。その隙を衝かれ、ユウキはやられてしまった――そういうことだ。
「自覚しています。僕は本当に、信じられない程卑怯な手を使いました。だからここで貴方たちを見逃して、少しでも罪の意識を軽くしたいところです」
ツカサは変身を解き、ユウの呟きにそう答えた。
だが、彼の表情は悲しげでも、言い種は自分本位なものだった。
「自分の言い訳のため……?」
「ええ。僕は僕の為に貴方たちを見逃す……そう言った方が、信じられるでしょう?」
そこに言及したのはリョウカで、ツカサはもっともらしい言葉でそれに答える。
「そんな……」
そんなやりとりがまるで聞こえていないマレイは、呟きと共に膝から崩れ落ちた。
ユウキは負けた。よりにもよって、マレイへの思いを利用されて。
その事実が、マレイの心を粉々に砕いたようだった。彼女は跪き、ぼろぼろと大粒の涙をこぼした。
呆然自失とは、こういう状態を指すのだろう。彼女の瞳は何も映さず、耳に入る音は全て通り過ぎていく。ただ悲しみだけが、彼女の全てを支配していた。
「マレイさん、でしたか。貴方には特に申し訳なく思います。貴方とユウキさんの絆を利用……いえ、悪用したわけですから」
そんな彼女を見て、ツカサは正しく「どの口が」という台詞をのたまった。しかしそれも、悲嘆に暮れるマレイにはたった一言しか届かなかった。
「ユウキ……」
その一言だけを呟いて、彼女は顔を上げた。その視線は地面に置かれた剣に、続いてツカサへと向けられる。そして――
「うああああっ!」
雄叫びを上げ、マレイは唐突に駆け出した。折れた聖剣を拾い上げ、憤怒の形相を浮かべてツカサに向かって突進する。
「――っ!」
しかしその突貫は、ユウが伸ばした棒によって遮られた。足を取られ転がるマレイを、ユウ以外の全員が呆気に取られて見ていた。
「行ってくれ。この人は俺が止めておく」
そのまま接続を変化させ、ユウはマレイを縛り始めた。
「ユウ!?」
「ユウくん!?」
「今戦ったら負ける! みんな抑えてくれ!」
全員が口々に戸惑い叫ぶ中、ユウは言い聞かせるようにそれを上回る音量で叫んだ。
「テメェふざけんな、放せ!」
マレイが口汚くユウを罵るが、それも致し方ないとユウは甘んじて受ける。しかしそれでも、ここでツカサと戦うことだけは避けたかった。
「さあ、早く行ってくれ」
「……分かりました」
ユウが急かすと、ツカサは頷いて歩みを進めた。
「待て! このクソ野郎!」
マレイの罵詈雑言をしっかりと聞きながら、ツカサは立像の前に立った。
「……そうですね。それでも――」
マレイに言葉を返しながら立像に触れると、その姿はぼんやりと輪郭を失い始める。
「僕には、叶えたい願いがある」
段々と存在が薄まる中、ツカサはハッキリとした声でそう告げた。
「殺す……! 絶対……絶対、殺してやる……!」
怒りに醜く顔を歪めながら、マレイは消え行く男にそう叫んだ。彼は最後に悲しげな表情を浮かべると、やがて完全にその姿を消し去った。
「……ミコト、マレイさんを退場させてくれ」
「はぁ!?」
ツカサが消え去ったのを確認すると、ユウはミコトにそう頼んだ。マレイは苛烈に反応し、拘束を解こうと暴れ出す。
「ユウくん……でも……」
「ふざけんな! アイツは私が殺す、邪魔するな!」
戸惑うミコトの声に、マレイの怒鳴り声が重なる。ユウはその声を受け止めると、静かな声で続けた。
「だからですよ。……分かるだろ、ミコト。頼む」
「……うん」
後半をミコトに向けると、ミコトもその意図を理解したようだった。
激しく暴れ、喧しく喚くマレイの傍にしゃがみ込むと、ミコトは彼女に左手で触れる。
「やめ――」
「『強制退場』」
最後の拒絶の声も空しく、ミコトは能力を発動した。
彼女が握りしめたまま離さなかった聖剣は音も無く消え去り、彼女の退場が成立したことが傍目にも分かった。
アカリとリョウカが目を背ける中、ミコトが立ち上がると彼女は徐々に大人しくなっていく。
「なんでよ……私は……」
マレイは、力なく掠れた声を発する。ユウは彼女の拘束を解き、彼女の傍に膝を着く。
「すみません。でも、こうするしかなかった――ユウキさんのためにも」
そして、伏し目がちに彼女にそう告げる。だが、その言葉にマレイが再び怒りを爆発させる。
「アンタがっ……アンタにユウキの何が分かるって言うのよ!」
痛切な声で叫びながら、マレイはユウに向かって思い切り殴りかかった。その拳はユウの頬を捉え、勢い余って二人とも倒れ込む。
「ユウくん!」
「いい、止めるなミコト。これくらいはされて当然だ」
駆け寄ろうとするミコトを制止しながら、ユウは拳で血を拭って起き上がる。どうやら口の中が切れたらしい。
その間にマレイも起き上がり、再びユウを殴ると彼に馬乗りになる。
ミコトもアカリもリョウカも、マレイを止めるのを堪えてその様子をじっと見守る。
「ユウキは私の全てだった! アイツが居ない世界でなんて、生きてる意味が無い! だからアイツの仇くらい討ってやるって、それでやられたって全然構わないのに……! なのに、なのにアンタが!」
一言ごとにユウを殴りつけながら、マレイは叫び続ける。
だが、殴られているユウよりも、殴っているマレイの方がよほど痛々しい顔をしていた。顔を歪め、涙を零し、張り裂けそうな声を上げ。
「だからですよ」
徐々に力を失っていく拳を受け止めながら、ユウは静かに繰り返した。
「確かに俺たちは、貴方たちのことをよく知りません。それでも、お互いをすごく大切に思ってるってことくらいは分かります」
やがて殴るのを止めたマレイに向かって、ユウは語りかける。慎重に感情を抑えた、しかしマレイを思い遣る口調で。
「だから、マレイさんの怒りもある程度は分かっているつもりですし……刺し違えてでもアイツを殺したいって気持ちだって理解できる。でも……」
ユウだって、そう思ったことがある。エイタの正体が判明した時には、本気で殺したいと思った。
「そんなこと、ユウキさんは望まないはずです。マレイさんが消えてしまうことも……誰かを消して、殺してしまうことだって」
ユウには、自分とマレイの姿が重なって見えた。あるいは、ミコトと。
瑞生の『命を大切にしてほしい』という言葉が蘇る。ユウキは間違いなく、命を大切にしたいと思っていたはずだ。でなければ、『強制退場』なんて能力は選べない。
「ユウキさんは、誰も殺さないためにあの能力を選んだ。それはミコトを見てきた俺には分かります。それで、それはマレイさんのためなんじゃないですか?」
ここからは、ユウの完全な憶測だった。だが、ユウは直感的にそれが正しいと分かっていた。
「誰よりも強く、誰よりも正しく優しく。マレイさんが思うユウキさんであろうと――そういう人物で居続けようと、あの人はそう思っていたんじゃないでしょうか」
自分の大切な人のため、その人に誇れる自分でありたい。そう思うのは自然なことだ。
結局、人を変えるのは自分ではなく他人だ。誰かのためでこそ、人は自分を変え、強くなるエネルギーを持てる。
「だから……あの人に助けられた俺たちは、貴方を止めなくちゃならなかった。そうでないと、それこそユウキさんに合わせる顔が無い」
語るべきことを語り、ユウは口を閉じた。
その上で、マレイは震えている。涙がユウの頬に落ち、温かくて冷たいそれはゆっくりと伝って地面に浸み込む。
「分かってるわよ、そんなこと……」
マレイはそう呟くと、ユウの胸に頭を落とした。
「ユウキ……ユウキ……!」
そして、彼女はユウキの名前を呼ぶ。何度も何度も、どうしようもなく震える声で。
ユウは彼女の熱い頭を乗せたまま、静かに彼女の声を聞き続けた。
おそらくこのゲームにおいて、最も激しかったであろう戦いは。
悲しみと絶望だけを残して、余りにもあっけなく幕を閉じたのだった。




