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イマジン鬼ごっこ~最強で最弱の能力~  作者: 白井直生
第四章 競争と狂騒
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第四章13 動き出した時

 視界の端で、マフラーがひらりと落ちていくのが見えた。それは、リョウカが身に着けていた物だ。

 自分と一緒に居た頃には着けていなかったそれが足元を流れる川へと落ち、流されていくのを見ながら――ウタネは、ただ困惑していた。


 『後は任せた』。そう言われた。

 そこに、リョウカはどれだけの意味を込めていたのだろうか。それをウタネが知ることはできなかった。何故ならリョウカは今、それに答えることができないのだから。



 ウタネの右手を握ったのは、リョウカだった。そのとき一瞬、確かに目が合ったとウタネは思った。そして彼女は――笑ったのだ。


 訳が分からない。ついさっきまで、本気で殺し合いをしていた二人だ。ウタネは彼女を許せなくて、それは彼女も同じはずで。


 そんな困惑が浮かんだ途端、ウタネの身体は衝撃に襲われた。為す術無く落ちていくはずの身体が、急激に落下を停止したのだ。

 全体重が右腕に掛かり、手首が、肘が、肩がぎしりと軋む。しかし、ウタネが再び落下することはなかった。


 リョウカはウタネの手を強く握りしめたまま、ピタリと動きを止めていた。


 彼女の能力は『完全停止』。触れた物体を、文字通り完全に停止させる能力。それは人間に使った場合、その瞬間に思考も意識も停止させるもので。

 自分に掛けたら、二度と解除ができない――そう聞いていた。


「なんで――」


 痛い程に食い込み、指先が痺れる程の強さで握られた手を握り返して、ウタネは呟いた。その手は微動だにせず、鉄に触れているかのような硬さで、しかし確かに温かい。


「なんで――」


 なんで、私の手を握ったの。その温もりを感じる資格なんて、私には無いのに。


 ウタネは首を上げ、リョウカの顔を見つめる。その表情は我が子を見守る母親のように穏やかで、お気に入りの本を読むときのような優しい微笑みで。


「なんで――」


 なんで、そんな表情をしているの。あなたに向けられるべきは、怒りと悲しみに満ちた視線のはずなのに。


 ウタネは駄々をこねる子供のように、振り払うように右手に力を込める。しかしリョウカの身体は微動だにせず、左手を胸に当てた状態で、右手でウタネをしっかりと掴んでいる。


「なんで――」


 なんで、自分に能力を掛けたの。自分が動けなくなると、何もできなくなると知っていて。


「なんで――」


 何度も呟くウタネの目から、大粒の涙が零れ落ちた。一度溢れたそれは止めどなく頬を濡らし、ぼろぼろと落ちて、流れる川へと吸い込まれていく。

 大きな川はその涙を飲み込み、何事もなかったかのように全てを押し流していく。


「答えてよ、リョウカ!」


 なんで、私を助けたの。

 問いかける言葉を追い越して、浅ましい願いが口を衝いて転がり落ちた。


 本当は、分かっている。全ての問の答を、ウタネは知っている。それでもリョウカの口からそれ・・を聞きたいというのは、間違いなくただの我儘だった。



 ウタネは、だらりとリョウカにぶら下がる。涙を拭うこともせず、顔を上げるのもやめ、どうにかしようと考えることも放棄して。

 このまま、ここでずっとぶらぶらしていようか。何もできない、どこにも行けない、中途半端に過ぎるこの状況は、自分にはとてもお似合いだ。


 そんな自嘲的な考えと、怠惰な行動は――


「――リョウカ!」



 聞こえてきた叫び声で、終わりを迎えた。


**************


 大きな川に架かる、大きな橋。その端へと繋がっている川沿いの道を、ユウは走っていた。

 その目が凝視しているのは、橋桁の下の中空で止まっている――二つの人影だ。


 一目見ただけで、ユウはその状況を理解できた。それはユウが心のどこかで、『リョウカはウタネを消さない』と思っていたからだろう。


「――リョウカ!」


 返事が来ないことは分かっていたが、それでもユウは大声で呼ばわる。

 その声で、だらりと力なくぶら下がっていたウタネが顔を上げてこちらを見た。


 ここからではよく見えないが――ユウは、彼女が泣いていると思った。殺意も怒りも憎しみも、全てが行き場を失くして彷徨っていると。

 殺そうとした相手に助けられたとしたら、そうなるのも当然だろう。


「待ってろ、今助ける!」


 迷いなく、ユウは叫ぶ。リョウカがウタネを助けた。それが間違いないなら、ユウが迷う必要はない。

 彼女たちの元へと、ユウは走った。



 数分前、ユウは意識を取り戻した瞬間に活動を再開した。

 このゲームが始まってから、何度か気絶と覚醒は経験している。他人のそれも何度か見ている。

 その経験から考えると、意識の覚醒には本人の意志が関わっているようだった。戦う意志を、何かを成し遂げようと強く意志を持っていると、覚醒が早まる。


 あるいはそれを『イメージ』と言い換えると、このゲームの枠に馴染むかもしれない。左手の能力と同じように、想像力が物を言う。

 思えば、逆に左手の能力も『意志』の力と言えるかもしれない。


 ともかく――戦う意志を、助けるという意志を強く持っていたユウは、比較的早く意識を取り戻したのだった。


 そして彼はすぐに高所に登り、辺りを探った。見失った男を探すためだ。

 しかし先に見つけたのは、少し離れた橋の上で誰かが戦っているところだった。


 この状況で近くで戦っているとしたらそれはほぼ間違いなくリョウカとウタネで、ユウは慌てて走ってきたのだった。



 と、リョウカたちに近付こうと走るユウの耳に、苦々しい声が掛かった。


「ちっ――どうやって抜け出してきやがった!」


 声の主は、さっきユウを串刺しにしてくれた男だった。 

 男とウタネは作戦を立てていたに違いなく、ここに男が居るのは当然と言えば当然だ。

 ――ただ、どうやら一悶着あったようだが。


 男はこちらに駆けてくると、あと数メートルという所でポケットに手を突っ込んで急停止した。

 何かと思えば、ポケットの中で大量の小石を握り込んだようだった。先ほどの攻防でその有用性を認識したのか、どこかでストックしてきたらしい。

 握りしめたそれらを、彼はユウに向かって撒き散らした。


「気合と根性だよ!」


 ユウは答にならない答を返しながら、その攻撃を横っ飛びに躱す。さっきは狭い庭な上にもう一撃があったから躱せなかったが、開けた道の上では恐るるに足らない。


 だが、男はすぐに第二射を用意していた。どうやらポケットの中には、かなりの量を詰め込んでいるらしい。


「くそっ、どけよ――!」


 男の石が尽きるのが先か、ユウが躱し損ねるのが先か。早くリョウカを助けたいというのに根競べを強いられ、ユウは苛立ちの言葉を吐いた。



「――シンドウユウくん、だね」


 しかし、根競べは唐突に終了を迎えた。

 名前を呼ばれたと認識した次の瞬間には、こちらに向かって飛んできていたはずの小石が全て消え去っていたのだ。


「なん――」

「だと――!?」


 ユウと男が、驚愕に声を揃えた。

 あり得ない――小石のうちの一つには、間違いなく男の能力が掛かっていたはずだ。防御不可能なそれを、防ぐどころか一瞬にして消し去ったのだ。二人が驚くのも無理はない。


「ミコトに言われて先に来たんだ。いきなりで悪いけど、勝手に手伝わせてもらうよ」


 そしてそれを為したらしい男は、いつの間にかユウの隣に立っていた。

 その姿をまじまじと観察する暇もなく、彼は一歩で数メートルの距離を詰め、すり抜け男の眼前に現れた。


 彼は手にしたを振り抜く。そう、彼は剣を持っていた。

 その速さたるや、目にも止まらぬとはよく言ったものだ。ユウでも目では追えず、彼の体勢から何が起こったかかろうじて理解するのがやっとだった。


 そしてすり抜け男は、やはりそれなりに強かった。ギリギリではあるが、反射的に左手を上げて剣に触れたのだ。

 しかし――本来それだけで成立するはずの防御は、成立しなかった。

 振り抜かれた剣は男の左手ごと頭部を強打し、その意識を奪い去った。最初に会った時に、ウタネの能力を使って彼を殴り倒したように。


 それだけのことがあっという間に起こり、ユウが理解できたのは二つ。

 彼の強さと――『ミコトに言われた』という言葉。

 そして、その二つが分かれば十分だった。


「悪い、ソイツは任せた!」


 ユウは初対面の彼に全てをぶん投げ、彼とすり抜け男に背を向けて走り出した。後ろで彼が頷いていたのだが、その確認すらせずに。

 ユウはリョウカたちに最も近い川べりまで辿り着くと、地面に手を着いて棒を伸ばした。


「リョウカ――」


 棒を川の上にまで伸ばし、ユウはリョウカを近くで見つめる。

 彼女は穏やかな笑顔で、胸に左手を当て、右手でウタネを掴み――そして、ぴくりとも動かなかった。

 ユウの推測通り、やはり彼女は自身に能力を掛けていたのだった。


「おい――ウタネ・・・


 そしてユウは、そう呼び掛けた。

 ウタネは涙の跡が目立つ顔でゆっくりとこちらを見て、目が合うとぽつりと呟いた。


「なんで――」


 呟いた途端、再び彼女の目からは涙がこぼれた。


「なんで――私を、助けたの?」


 リョウカが答えてくれない問を、ユウに訊ねる。

 しかしユウも、その質問に答えることはない。


「それは――本人に訊いてみろよ」


 代わりにそう言うと、ユウは棒を操作した。

 リョウカとウタネの下に回り込み、棒を二つに分割する。間に縄を巡らせれば、二人を受け止める『網』の出来上がりだ。


「さあ――どうすればいいかは、分かってるんだろ?」


 リョウカの能力は、自分には掛けられない――自分に掛けると、二度と解くことができないから。

 彼女はそう言っていたが、実はそうではない。彼女を『停止』から解放する方法は、三つある。


 一つ目、右手で消す。これはリョウカの『停止』が無敵の防御ではない証拠だ。停止していても、右手で触れられれば消える。

 もちろん、これは論外だ。


 二つ目は、ミコトの能力で『退場』させることだ。今までの傾向からすると、能力が発動さえすれば、他のあらゆる能力を解除したうえで『強制退場』は成立する。

 エイタに効かなかったのはそもそも能力を発動できていなかったからで、『停止』相手なら問題なく能力は発動するだろう。

 しかし、これもベストではない。リョウカがここで退場になるのは、できれば避けたいことだった。


 そして三つ目。おそらく、これがあるからリョウカはこんなことをした。


「……リョウカ」


 ウタネはその名を呟き、上を見上げる。

 物言わぬ彼女を見て、意を決したように――左手を伸ばす。


「戻って、きて」


 自然と漏れ出た言葉と共に、左手が彼女の腕に優しく触れる。


「――『能力無効』」



 そしてウタネは、自身の能力を発動したのだった。


***************


 両手に、しっかりと力を込める。握りしめる。

 それはきっと、あの日彼女の首にそうした時よりも力強く。

 絶対に、離さないように。


 そう言えば、最後に手を繋いだのはステージの上だった。

 二人の仲を壊すきっかけとなった、オーディションのステージ。しかしあの時は、二人はお互いを思い遣って手を繋いでいたのだ。


 あの時、ウタネは思っていた。リョウカが一緒だから、頑張れたんだと。

 ステージに立つ緊張も、リョウカと一緒なら笑い飛ばせた。毎日の練習も、リョウカと一緒ならただ楽しかった。

 リョウカと一緒に歌うことが、何よりも楽しく、愛おしい時間だったのだ。


 あの時確かに持っていたはずのその思いを――どうして、忘れてしまっていたんだろう。

 そう思った瞬間、また涙が溢れたのをウタネは感じた。


 しかしその涙は、零れ落ちはしなかった。

 落下する。身体を浮遊感が襲い、足から先に下へと落ちる。涙を残し、身体が先に落ちていく。

 思わず、ウタネはぎゅっと目を瞑った。


 落下は、すぐに終わった。ぎしりと縄が軋む音が聞こえ、軽い衝撃と共に身体が受け止められたことが分かる。

 その間も――手は、しっかりと握りしめたままだ。

 目を瞑ったまま、ユウの創り出した網の上に、ウタネはしばらく横たわっていた。



「――手」


 そして、声が聞こえた。少し前にも聞いていたはずなのに、その声は酷く懐かしく感じた。

 その声で、意識が手に向く。握りしめたその手はもう、鉄のような硬さではなく。

 動いて、柔らかくて、そして――


「温かい、ね」


 もう一度声が響き――ウタネは、目を開けた。

 そこには、変わらず穏やかな笑みを湛えたリョウカの顔があった。

 その声が、その表情が、ウタネの心を優しく揺り動かした。


「うん――そうだね」


 ――ああ、さっきからどれだけ、涙を流せばいいんだろう。

 思えばウタネはあの日以来、涙を流していなかった。感情が死んでしまったのか、涙腺が凝り固まっていまったのか。

 あるいは、涙を流す資格がないと思っていたのかもしれない。


 柔らかく解けた涙腺が、温かい涙を目から零れさせる。

 滲む視界の中で、リョウカも同じように泣いているのが見えた。


 二人は涙を流す。あの日の電車の中のように。

 二人は手を繋ぐ。あの日のステージの上のように。

 そして――二人は笑う。いつかの、ありふれた日々のように。



 リョウカの能力は、ウタネの能力によって解かれた。

 リョウカが止めた時を、ウタネが動かした。

 お互いの右手で、お互いを消そうとしていた二人は――お互いの左手で、お互いの命を救ったのだった。

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