第四章14 別れと再会の約束の歌
ぼんやりと、目の前を流れる川を眺めていた。草地にべたりと座り込み、さらさらと流れる風と川の音に耳を傾けながら、ユウは大きく息を吐いた。
「お疲れですね、ユウくん」
横から声が掛かり顔を上げると、そこにはミコトの姿があった。
「おう。そりゃ疲れもするよ、いろいろあったから」
ユウは視線を川へ戻しながら、ゆるりとした声でそれに答えた。珍しく待ち時間なのだからと、ユウは精神の回復に努めているのだ。
具体的に言うと、何も考えていない。
常にあれやこれやと考えているユウにとって、それはかなり貴重な時間だった。
何故そんな時間が出来たのかと言うと、
「何話してるんだろうね、リョウカちゃんたち」
ミコトの向こう側から、アカリの声が聞こえてきた。彼女は覗き込むように体を傾け、橋の上を見上げている。
「さあな――」
釣られてユウも視線を送る。そこでは今、リョウカとウタネが話し合いをしていた。
「いやあ、仲直りできるといいんですけどね」
ミコトも同じように視線を送りながら、そう呟く。
「そう単純な話じゃないと思うけど――」
その呟きに対し、ユウは自分の考えを口にする。
あの二人に起こった出来事は、あの二人の関係性は、もう取り返しがつかないほどにぐちゃぐちゃになっている。
それら全てを水に流して『また仲良くやろう』というのは、些か強引に過ぎる結論だろうと思う。
しかし――
「まあ、良い結論に辿り着けるといいな」
それが、ユウの素直な願いだった。
ユウがリョウカとウタネを助け出し岸まで運んだ後、すぐにミコトたちが合流した。
例のすり抜け男はと言えば、それまでの間に剣の男――ユウキが片付けて、退場まで済ませていたらしい。
気を失った男を背負うユウキを見て、最初はミコトが珍しく素早く仕事をしたのかと驚いた。
だがユウキも『強制退場』の能力を持っていると聞かされ、ユウは更に驚かされることになったのである。
電話で彼の話をした時、ミコトは『会った時のお楽しみ』などと言っていた――ユウはそういうのは良いからちゃんと説明しろと怒ったが、電話をガチャ切りされた――のだが、なるほどそれは大したサプライズだった。
その後、お互いの情報と状況を改めて報告しあった。ユウキたちの能力や、お互いのここまでの戦闘のことなどだ。
ちなみにその途中ですり抜け男は目を覚まし、解放されると早々に立ち去った。他にどうすることもできなかっただろうが、恨み言の一つも言わなかったのはユウとしては意外だった。
そして情報共有をしている間、リョウカとウタネは手を繋いだままぐったりと横たわっていた。というか、二人ともさめざめと泣き続けていて放置するしかなかったのだ。
話が終わるころにようやく復活した二人は、「少し二人だけで話をさせてほしい」と言った。
もちろん全員すぐに承諾し、二人は今橋の上で話をしている。
「二人にとって、一番大切なことだからな。ゆっくり待とう」
ユウはミコトたちにそう言うと、再び川のせせらぎに耳を傾けた。
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我ながら奇妙な感覚だ、とリョウカは思った。
自分で自分の時を止め、そこから解放されたというのは頭では理解できる。しかしその間の感覚が何もかも欠如しているので、リョウカからすると時が止まった感覚は全くないのである。
ウタネの手を必死に掴み、時を止めた。そしてそのまま落下し――ウタネに引っ張られるように落ちたので、『あ、ウタネの方が体重重いんだ』などと呑気なことが頭を過った――、いつの間にか居たユウによって助けられた。
それがリョウカの体感した出来事だった。
「――リョウカ」
ここまでの経緯を振り返りながら歩いていたリョウカだったが、そう声を掛けられ立ち止まった。
先を歩くウタネが立ち止まったのは、ちょうどリョウカたちが戦っていた辺りだった。
「……なんで、私を助けたの?」
何から話すか、たっぷり十秒間考えたウタネから発された最初の質問はそれだった。
リョウカもたっぷり十秒かけて、その答を探す。しかし――
「……なんでだろうね」
答は、見つかりそうになかった。
別に、全く何も考えずにあの挙に及んだ訳ではない。
例えば、ユウが必ず助けに来ると信じていた。その時にウタネが能力を使ってくれれば、という期待もあったし、そうでなくともミコトと合流すれば『退場』で何とかなる、とも思っていた。
しかし、それはウタネを助けるのを『やめなかった理由』で、『何故ウタネを助けたか』の答にはならない。
――あの時私、何を考えてたっけ。
リョウカは記憶を辿る。無我夢中で走っていたあの時、自分が何を見て、何を聞いて、何を感じたのか。
男を見た。橋に手を着き、無情にも能力を発動した男を。
ウタネが裏切られたのはすぐに分かったし、ざまあみろなんて思ったのは覚えている。
ウタネが落ちるのを見た。手を伸ばし、哀れにすら見えるその姿を。
その手を取ろうと、それより前に決めていた気がする。
その前は――
「――背中」
ウタネの、背中を見ていた。先を走る、彼女の背中を。
そう、思えばリョウカはいつも、ウタネの背中を追っていた。
明るく活発、天真爛漫という言葉が似合いすぎるウタネは、大人しくて引っ込み思案なリョウカとは正反対だった。
リョウカはそんなウタネが自分と仲良くしてくれるのが嬉しかったし、彼女にずっと憧れていた。
だから、いつだってリョウカは彼女を追いかけていて、彼女に追い付こうと手を伸ばしていて。
――そんなことを思い出したら、本当に手が伸びていたのだ。
「追いつきたかった、のかな……?」
隣の芝生は青い、なんて最初に言ったのは誰だったんだろう。全く以てその通りだ。
自分と違うものは良いものに見える。自分に無いものは欲しくなる。自分にできないことは凄いことだと思える。
「何、それ……」
ウタネは震える声でそう呟く。呆れたような、困ったような、そんな力ない表情で。
「追いつきたかったのは、私の方だよ」
そしてそのまま弱い声で、彼女は自分の思いを吐露した。
「私に無いものをいっぱい持ってて。私が一番欲しかった才能を持ってて。私はいつだって、リョウカが羨ましかった。リョウカに勝ちたい、追いつきたいって、いつもそう思ってたんだよ?」
そう、あの日も彼女は同じことを口にしていた。リョウカのことが羨ましい、妬ましいと。
「――そっか」
リョウカの口から、言葉がぽろりと落ちた。
「私たち、お互いに羨ましかったんだ」
隣の芝生は青い、全く以てその通りだ。
――二人はただ、違うものを持っていたというだけなのに。
今さらながら、リョウカはそれに気が付いた。リョウカがウタネを羨ましく思い、憧れていたように。
ウタネもまた、リョウカのことを羨ましく思い、憧れていたのだ。
「それが、私を助けた理由?」
「うーん……」
ウタネは静かに訊ねる――が、それは違う気がする。
別にリョウカは、憧れから彼女を助けた訳ではないだろう。それはなんとも、おかしな話だろうし。
憧れという感情を抱いてはいた。それを思い出した。
思い出したその感情は、しかしきっかけに過ぎなかったと思う。
「結局――お互い、完全には嫌いになれなかったのかもね」
結局のところ、それくらいしか思い付かなかった。命懸けで助ける理由と言うには、弱すぎるかもしれないが。それはもう、『なんとなく』と言うのとほとんど変わらないレベルだった。
「お互い?」
ウタネは首を傾げる。彼女からすると、『自分はリョウカを憎んでいた』というところだろう。しかし――
「だって、あの時どさくさに紛れて私を消すこともできたでしょ? でも、ウタネはそうしなかった」
「あ……」
リョウカがそう言うと、ウタネは納得したように声を漏らした。
ウタネと一緒に、ユウの網へと落下した時。少し手をずらすだけで、彼女はリョウカのことを簡単に消せたはずなのだ。
「考えてみれば、当たり前かもね。……だって私たち、一度は親友だったんだから」
そんなウタネを見て、リョウカは少し笑いながら続ける。
「そう簡単に、それを忘れることなんてできないよ」
忘れられない怒りや憎しみがあるように。
忘れられない親愛や友情だって、間違いなくあるだろう。
一度繋いだその絆は、たとえ薄れたり、壊れたりしても――どこかに残っているものだと、リョウカは思う。
「でも――」
そしてリョウカは、更に続ける。消えない絆はある。それは大切な物だとも思う。しかし――
「だからって……全てを忘れて、笑って許して、『また一緒に』って手を取り合うことはできない。しちゃいけないと思う」
それを免罪符として、全てを許すというのは違う。
絆が消せないように、犯した罪もまた消せはしない。ウタネがリョウカにしたことは、許していいラインを数歩踏み越えていた。
「うん……そうだね」
ウタネにも、それは分かっているだろう。いや――おそらく、彼女はずっと分かっていた。自分がしていることが、許されないことだと。
頷く彼女の真っ直ぐな視線が、リョウカにそう思わせた。
その視線を、リョウカも真っ直ぐに受け止め――結論を告げた。
「だから、ね。……ここでお別れ。私は私の、ウタネはウタネの人生を歩いていく」
消せない絆がある。消せない罪がある。
複雑に絡まったそれは、もう元には戻らない。だから、もう二人が一緒に居ることはできない。
それが、リョウカが――二人が出した結論だった。
重く悲しい空気が流れる。
その結論を、納得した訳ではない。ただ、そうするしかないと頭で理解しただけだ。
「ただ……」
と、リョウカが躊躇いがちに沈黙を破った。
そして彼女は口にする――思い付いた、一つの口実を。
「もし、ウタネが有名な歌手になったら――その時は、歌を聴きに行くよ」
「え……」
それは、下手くそな言い訳だ。
親友として会いに行くわけではない。一人のお客さんとして、歌を聴きに行くのだ、と。
「それくらいは、いいでしょ? だって――私、ウタネの歌が大好きだもん」
自分に言い聞かせるように、見えない何かに言い訳をするように、リョウカはそう言った。
しかしそれは、紛れも無いリョウカの本心だった。
「リョウカ……」
ウタネは、やけに驚いた顔をしていた。
考えてみれば、面と向かってそれを口にしたのは初めてかもしれない。心の中では、ずっと思い続けていたけれど。
もしそれを口にしていたら――今、こうなっていなかったのかもしれない。
「あんなオジサン一人の言う才能なんてクソ食らえよ。私は信じてる。ウタネは絶対、歌手になれるって」
その埋め合わせをするように、リョウカは言葉を並べる。あの日は口にできなかった、ウタネに対する信頼を。
『ウタネが目指すべき』、あの日リョウカはそう言った。そこには、ウタネならできるという思いがあったのだ。それを伝えることができなかっただけで。
「それに、」
驚いた表情で固まっているウタネに、リョウカはさらに続ける。
「私に夢を押し付けたウタネが、自分で夢を叶えたら――その時には、水に流してもいいと思わない?」
事の発端になったその事実を、ウタネが自分の手で覆したなら。
その時ようやく、二人は始められるのではないだろうか。
一度壊れた絆を、再び結ぶことを。
「もう……ずるいなあ、リョウカは」
ウタネはようやく表情を変え――涙をこぼしながら、困ったような顔で笑った。
「そうかもね」
確かに、ずるいかもしれない。押し付けられた夢を、上手い事押し付け返したのだから。
でも、ずるくたって構うもんか。二人の望みが、ようやく重なったんだから。
「わかった――私、また頑張ってみる」
そしてウタネは、いつもの笑顔を見せた。にへら、と崩れるようなその顔は、リョウカの好きないつものウタネだった。
「でもその代わり――」
しかしウタネは、そう言うと唐突にその表情を変え――
「その時は、聴くだけじゃなくて……一緒に、歌ってほしいな」
体を傾け、下から潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。乱れた髪がハラリと流れ、涼香の母性本能は急上昇。
いつかの強力なおねだりの再来――反則だ。
「もう、しょうがないなぁ歌音は」
リョウカもいつかと同じように、そう言って笑った。
そうして一しきり、二人で笑い合った後――お互いに向かい合って、姿勢を正す。
「私たちは、ここでお別れ。でもいつか、ウタネが有名になったら……」
「その時は、二人で一緒に歌う。約束だよ」
二人は改めてそう確認し合う。これが、今の二人の最後の――そして、これからの二人の最初の約束だ。
「あ……そうだ」
「何?」
ふと、リョウカが思い出したように声を上げた。
ウタネが首を傾けて訊ねると、リョウカは真面目な面持ちで続けた。
「最後に――一回だけ、一緒に歌ってくれない?」
それは、リョウカの我儘だった。しかし――どうしても最後に、今の二人の思い出が欲しくなったのだ。
「え……でもリョウカ、声が――」
少し前に話した事実を思い出し、ウタネが呟く。
あの日以来、リョウカは歌えなくなった。それは間違いなくウタネのせいで、彼女は怯んだように顔を暗くした。
「……今なら、歌える気がするの」
しかし、リョウカは半ば確信があった。
二人のこれからを約束できた今――過去と決別すると決めた今、自分がもう一度歌うことができると。
「……わかった。曲は、何がいい?」
そんなリョウカの思いを察したのだろう、ウタネは表情を柔らかくしてそう訊ねる。
「オーディションで歌った曲」
リョウカは即座に答を返した。
二人で飽きる程練習した、思い出の曲だ。今の二人の最後を締め括るのに、これ以上相応しい曲はないだろう。
「えへへ、私もそう思ってた」
ウタネがにへらと笑うのを見て、リョウカは頷く。
そして川に向かって二人で並び――二人揃って、大きく息を吸い込んだ。
***************
「あ……」
最初に気が付いたのは、ユウだった。
「歌、だね」
続いて気が付いたのはユウキだ。その言葉で、全員が気が付いた。
川のせせらぎ以外は静かだったその場所に、歌声が聞こえてきたのだ。どうやらそれは、橋の上から聞こえてくるようだった。
重なり合う二つの声は見事なハーモニーを創り出し、どこまでも透き通るようだ。
儚くも美しいバラード――というのは些か使い古された表現だが、それ以外にその曲を的確に言い表す言葉は思い付かなかった。
「これ、リョウカちゃんたちだよね?」
アカリが目を瞑り耳を澄ましながら、確認するようにそう声を上げる。
「そうですね。いやあ、すごく綺麗な声だなあ」
ミコトも歌に耳を傾けながら、そう感想を漏らす。
「そうね、これはびっくりかも」
マレイも驚いた様子でそう言った。確かに、前知識なくこれをいきなり聴かされたら驚きもするだろう。流石にプロを目指していただけはある。
「ね、二人とも、仲直りできたのかな」
歌に合わせてゆったりと体を揺らしながら、アカリが明るい声を出す。
「うん、きっとそうですよ」
ミコトも明るい声を出し、アカリに同意を示す。
だが、ユウの意見は少し違った。
「いや……どうだろうな」
微妙な言葉を返しつつ、しかしユウはなんとなく察していた。
この歌に混じる――ほんの少しの、本当の悲しい音色を。あるいは、二人が出す結論をなんとなく予想していたからだろうか。
「まあ、一つ言えるのは――」
ユウはそう言って目を瞑り、歌声に意識を集中する。
澄んだ歌声は、ユウの耳を通り、心にすっと入り込んでくる。
「良い歌を聴かせてもらった、ってことかな」
ちょっと気障だったかな、なんて思いつつ、改めて歌声に耳を傾けた。
そして、ふと思い付きを声に漏らす。
「『せをはやみ』、か――」
二人が出したであろう結論に思いを馳せ――そしてこの歌を聴いて、頭を過ったのだ。
「え、何それ?」
アカリが耳ざとく聞きつけてそう訊ねてくるが、「なんでもないよ」と返す。
流石にこれは気障すぎて、とてもじゃないが説明する気にはなれなかった。
首を傾げるアカリに、ユウは一人静かに笑う。
静かな川辺に、歌声は響く。
その声は二人の思いを乗せて、ゆっくり、ゆっくりと流れていった。




