21 彼女と僕のマウント・ポジション
まだ空は明るかったが、ヒロシの視界はどんどん薄暗くなっていった。
アイスブルーの蝶が空中をふわふわと漂っている。
まるで水の中にいるように、全ての音が遠くに聞こえる。
……まさか女の子に踏み殺されて終わる人生だなんて想像もしなかった。
中学生になったばかりの時に起きた事件以降、ヒロシはリア充グループについてまわっていた。いわゆる「キョロ充」というやつだった。
周囲に女の子はそれなりにいたのだが誰からも好きとも嫌いとも言われたことがなかった。「無関心」というやつだ。
女の子を好きにさせるほど自分に自信はなく、嫌われるほどワガママに振る舞える度胸もなかった。
女の子と接してこなかったツケが思春期になって回ってきたのだ。
ヒーローにも悪役にもなれなかったモブキャラのような毎日。
それでもいつか自分の良さをわかってくれる女の子が現れることを信じて生きてきた。
自分からついていかない限り、誘われることは決してなかった。グループではいないものとして扱われるのが日常茶飯事だった。
家に帰ってひとり、このまま誰の心に残ることもなく死んでいくのかと絶望したこともあった。
だが……いまマリーからは明らかなる憎悪を向けられている。
それは決して望んだものではなかったが、ひとりさびしく死んでいたであろう今までの人生に比べたら荒唐無稽なぶんだけマシ死に方なのかもしれない。
「……ううっ……」
しかしこのまま終わりたくはなかった。この世界に来る前の彼であれば早く楽にしてくれと生きることを早々に諦めていただろう。
偶然手に入れた新たな人生。それは誰からも相手にされなかった前世とは違う。
少なくとも自分を見つけると駆け寄ってくれる人がいる。握手してくれる人がいる。ともに戦ってくれる人がいる……!
そしてなにより、自分がかわせなかった攻撃が、この世界にはあるっ……!!
「く……おお……っ!」
ヒロシは火事場の馬鹿力に最後の望みを託した。
いま死の淵にいる自分はすごいパワーが出せるんじゃないかと思い、マリーのブーツを掴む手に力を込める。
しかし……びくともしない。
少年は確かに限界を超える力を発揮していたのだが、マリーのパワーはそれを上回っていた。
無理もない……普段ですらヒロシは「10% OFF」のマリーに片手であしらわれてしまうのだ。リミッターのほとんどない今の状況ではいくら火事場の馬鹿力であっても覆すことはできなかった。
ヒロシの意識はついに限界を迎えようとしていた。苦痛はとうの昔に通りすぎており、屈しがたい快楽に変わろうとしていた。まるで脳に酸素が行き届いていないかのように頭がクラクラする。
意識はついにブラックアウトを迎えようとしていた。が、
「くあっ!? なっ、なんだぁーっ!?!?」
驚愕するレッドライディングの絶叫が意識に割り込んできた。
ナマクラなギロチンみたいに喉仏を潰そうとしていたマリーの厚底ブーツからふっと解放される。
「くはっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ!」
久しぶりの空気を貪るヒロシ。何事かと顔をあげる。
「みっ、ミルクっ!? なにしてんだっ、こらぁーっ!!」
白き狼獣、ミルクがレッドライディングの襟首を背後から咥え、高く持ち上げていた。
レッドライディングの身体が離れたことにより、マリーは支配から解き放たれ正気に戻ったのだ。
洗脳が解けたショックからか、踏みつけていた足を浮かせたままのポーズでマリーは呆然としていた。
「離せっ、離せぇーっ!? テメー、ご主人様に逆らうつもりかぁーっ!!」
先ほどまでヒロシ一行を全滅寸前まで追い詰めていた赤ずきんの少女。今は駄々っ子のように両手足をバタバタさせて暴れるのみだった。
どうして助けてくれたんだろう……とヒロシは荒く息をしながら白き狼の顔を見上げる。
すると名前の由来にもなったミルク色の犬耳の間からツキカがひょっこりと顔を出した。
「こらっ! マリーちゃんを操るなんていけませんっ! めっ!」
ミルクに横座りしているツキカは見下ろしながらレッドライディングを叱った。
「いつのまにその犬っころと仲良くなってん?」
ミームは定位置であった木のウロから離れてツキカの元へと飛んだ。
「ミルクちゃんが倒れて苦しそうにしてたから、いたいのいたいのとんでけ~ってやってあげたの。そしたらペロペロしてくれて……」
「ああ、ああ、わかったわかった、ともかくその犬っころもレッドライディングに操られてたわけやな……っていつまで寝てんねんヒロシ!」
ノリツッコミのような調子で話の矛先が少年に向いた。
「絶好のチャンスやないか! 立てや! 立ち上がって……剣を構えんかいっ!!」
うずくまるヒロシの耳元で、妖精は叱咤多めの激励をする。
「ヒロシ、立てっ! 死んでもええから立たんかいっ! 今ならおっ立てても許したるさかいついでに立てや! ヒロシっ、ヒロシっ、ヒロシーっ!!」
ついに妖精は耳穴に顔を突っ込んで絶叫しはじめた。
虫歯に響くようなキンキン声を執拗に浴びせかけられ、ヒロシはほとんど気力だけで身体を起こす。
側に転がっていた魔剣『ディスアーム』を拾い、それを杖がわりにしてヨロヨロと立ち上がった。
全身はすでに血まみれ、失血のせいか酸欠のせいか顔が幽霊のように青白い。
「なぎ払えーっ!!」
「や、やめろーっ!!」
妖精の号令と赤ずきんの悲鳴が同時に響く。どちらの声も届いていないかのような虚ろな瞳のヒロシは身体全体を泳がせて魔剣を振りかぶった。
それはもはや攻撃の最中なのか倒れる途中なのか見た目の区別がつかない。
レッドライディングめがけて前のめりになりつつ剣を振りきった。
白い刀身が如意棒のように伸びる。ヒロシのすぐ前で立ち尽くすマリー、その背後でミルクによって吊り下げられているレッドライディング、奥でミルクの背中に座るツキカ……三人の身体を通り抜けていった。
次の瞬間、女たちの着衣が手前からバン、バン、バンと連鎖するように弾け飛ぶ。
「よしっ、トドメや! マリーごとレッドライディングを貫けっ!!」
けしかける妖精。しかしヒロシは力尽きたように動かない。倒れそうになっていたが立膝でこらえるので精一杯のようだった。
「なにやってんねん、あともうひと息や! 根性見せんかいっ!! テンプレ騎士になりたくないんかっ!? ヒーローになりたくないんかっ!?」
「ぐ……ううっ……うぉぉぉぉーっ!!」
腹の底から絞り出したような雄叫びをあげる少年。最後の力を振り絞ってディスアームを突き上げた。
ノールックだったのでどこに当たるかは運任せだったが、偶然にもマリーの胸を貫いた。大きな胸に白い刃が沈んでいく。
「ひうっ!?」
背中に氷を当てられたみたいな悲鳴をあげて身体をのけぞらせるマリー。豊かな双丘がぶるんと大きく弾んだ。
背中を抜けた刀身はぐんぐんと伸びてレッドライディングの平らな胸に突き刺さる。
「ぎゃっ!?」
刃を掴んでもがき苦しむレッドライディング。
勢いあまったディスアームはその先にいるツキカまでも貫き通した。
「あんっ!?」
ビクンと身体をわななかせるツキカ。
魔剣を通してヒロシの身体には不思議なエネルギーが滝のように降り注いでいた。
「お……おおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーっ!!!」
ヒロシは天に向かって吠えながら、魔剣を高く掲げる。
そのブレードには団子のように三人の女が串刺しになっていた。
マリー、レッドライディング、ツキカ。
マリーとツキカは紅潮した身体を縮こませながら、ビクンビクンと痙攣している。顔を見られたくないのか伏せており、声も聞かれたくないのか手で口を塞いでいた。
ふたりのわがままボディに挟まれた少女レッドライディング。
アイデンティティである赤いずきんは先の攻撃によってなくなっていた。金色の三つ編みと、未発達ではあるが健康的な裸身が露わになっている。
「ぎゃ……ああ……っ……」
しかし幼い外見とは裏腹に、悪魔払いにあっているような形相でもがき苦しんでいた。
やがて背中から、ブラックホールのような黒いオーラが絞り出される。
ダークオーラは渦を巻きながら、ヒロシから逃れるように白く伸びる刀身を辿って切っ先まで移動する。
すると魔剣の先端が手の形に変わり、悪意の塊のようなそれをわし掴みにした。
「ギ……ギギギ……」
いままで少女の口から発声していた悪魔のような声が、渦の中から響いた。
ディスアームの手はそのまま黒いオーラを握り潰す。
「ギャアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
ダークオーラは爆音のような断末魔を轟かせ、森を揺らした。
浄化の証の白い液体が間欠泉のように吹き出し、豪雨のように降り注ぎ女たちの身体を濡らした。
純白の剣は役目を終えたとばかりに元のサイズに戻る。力を使い果たしたヒロシは最後の握力もなくなり、剣を取り落とした。
支えを失った三人の女たちが降ってきて、そのままヒロシを地面に押しつぶす。
少年は今度こそ、意識を失った。




