19 牝犬に乗った少女
マリーは劣情を煽るかのようにいやらしく舌を動かし、口の周りについた白く濁った粘塊を舐めとった。
あれほど嫌悪していた液体をごくりと喉を鳴らして飲み干す。それは完全に意思を支配されていることを表していた。
そんなマリーから不意打ち気味に殴られたヒロシは木に寄りかかったまま苦しそうにむせていた。鼻血混じりの吐血が雨のように雑草に降りかかる。
少年は超人的な素早さと回避力を持っているがそれ以外の能力は歳相応の人並み程度だ。逆にありとあらゆる攻撃を回避する人生を送ってきたせいで非常に打たれ弱い身体になっていたのだ。
助けを求めようとしたが内臓を握り湿られているような痛みに声が出ない。肺の息を吐き出すだけで精一杯だった。
脂汗がどっと吹き出し、のしかかるような疲労感が全身を包む。
「ああっ、ヒロシちゃん、大丈夫?」
こけつまろびつしながら駆けつけたツキカ。ぐったりするヒロシをを抱き起こすと顔は殴られたときの鼻血と木に激突したときの吐血でどす赤くなっていた。そこにミルクを斬ったときの黒い血が混ざってかなり痛々しい見た目になっている。
ツキカはあまりの酷さに悲鳴をあげそうになったが直前で飲み込む。驚くと不安にさせてしまうので努めて平静を装う。ライト・ノーヴルで保育士をやっており常日頃から子供たちと接している彼女なりの気遣いだ。
「お、男の子ならこのくらいカスリ傷! 大丈夫大丈夫、すぐ治してあげまちゅからね~」
「いや全身打撲ってカスリ傷ちゃうやろ」
ヒロシがぶつかった木のウロにはミームが移ってきていた。
せっかく元気づけようとしているのを台無しにする突っ込みを入れる。
ツキカは白濁液で汚れたエプロンを外し、血でセーターが汚れるのもいとわずヒロシを抱きしめた。
全身を撫でさすりながら「いたいのいたいのとんでけーっ!」といつもの治癒呪文を唱える。
柔らかい胸を押し当てられると、それだけで痛みが和らぐ気がした。
先ほどまで入浴していたようなのでシャンプーのいい匂いがして、こんな時だというのにヒロシはドキドキしてしまった。
母の胸に抱かれたような安らぎを得た少年は心身ともに回復する。完全ではないが動くことはできるようになったヒロシは生まれたばかりの仔鹿のようによろめきつつも、なんとか立ち上がった。
「あっ、もう立って大丈夫? ヒロシちゃん」
「……平気です、ありがとうツキカさん」
心配そうなツキカに対し気丈な笑みを浮かべるヒロシ。顔をについた血をワイシャツの袖で拭う。
ふたりのやりとりを眺めていたレッドライディングは楽しそうにフンと鼻を鳴らした。
「簡単に死なれちゃつまらねぇ、じっくり時間をかけて、クッチャクチャにしてやんよ……」
赤いずきん越しの顔がサディスティックに歪む。パンチ一発で戦闘不能になる少年と、回復魔法しか能が無いトロそうな女だと完全に見くびっているようだった。
「このメス犬にゃリミッターがあるんだよなぁ……50%なんてケチなことぬかしてないで、パァーッといこうぜ! なあっ!?」
ヘッドロックするようにマリーの頭を掴んで耳元で叫ぶ。
返事がわりにウウと唸ったマリーは腹部に爪立てる。そして皮膚ごと傷つけるような不器用さで乱暴にシールを剥がしはじめた。
粘着ノリが離れる音とともに「60% OFF」のシールが現れる。
70%……80%……続けざまに剥がされていくシールは毟られた花弁のようにヒラヒラと舞いながら地面に落ちた。
そしてとうとう「90% OFF」まで到達する。そこでマリーの手が止まった。
「あぁん? ……コイツ……残った自我で抵抗してやがる……! チッ! なにをためらってやがるっ!!」
焦れたレッドライディングはおぶさったままブーツのカカトでマリーの脇腹を蹴る。ヴッと前屈みになったマリーの手はブルブルと震えていた。それ以上手がシールに向かわないよう必死で撥ねつけ続けているのだ。
「オラッ、オラッ、オラッ! もったいつけてんじゃねぇ! さあっ、見せてみな! テメーの100%ってやつを!!」
駄馬を強引に走らせるように連続蹴りを加えるレッドライディング。
いくら蹴られても反撃しないが、腰を折って懸命にこらえている。
レッドライディングとマリーの間では目に見えない気力の勝負が行われていた。
マリーの意識はすでに支配され、殺戮と破壊の感情に満たされている。
奴らを殺れと命令されたら今すぐにでも飛び出していっただろう。
だが90%オフのシールを剥がせと命令された時点で、支配下におかれた彼女は無意識に忌諱した。
人間としての最後の矜持のような、遺伝子に組み込まれている生理的嫌悪のような……マリーにとっては絶対に譲れない、彼女が彼女であるがゆえの存在証明ともいえる領域……シールはそれを守るものであったのだ。
「意識を支配されとるっちゅうのにあそこまで拒むやなんて……あのシールの下には一体なにがあるんや?」
レッドライディングを倒す絶好のチャンスであるというのに、一同はシールの下が気になって攻撃するのをすっかり忘れていた。
「クソが、手こずらせやがって……剥がすんだよ、オラァァァァァーッ!!」
レッドライディングの身体に黒いオーラが現れ、咆哮とともに燃えがった。
ともに黒いオーラに包まれたマリーは火だるまになったように髪を振り乱しながら絶叫する。
「グッ! ググッ……!! グォォォォォォォォーーーーーーーッ!!!」
もがき苦しみながら宙をかきむしっていた手が振り下ろされ、とうとうシールを腹ごとわし掴みにした。
肌が爪に食い込み、血が滲む。内蔵をもぎ取られようとしているかのように、しなやかな身体が弓なりにのけぞる。
バリリッ……! と剥がれる音があたりに響き渡った。




