18 ミルクから出た謎のミルク
無數の牙で空を裂き、飛びかかってくる猛獣ミルク。
ヒロシはストレッチのようにすっと上体をそらした。
虎バサミのような歯がガチンと空振りする。マリーと同じような皮一枚の回避だった。
しかしそれが精一杯ではなくムダを極限まで省いたミリ単位の動きだった。動きを完全に見切っている少年の顔には辛さも必死さも、そして嬉しさもなかった。呼吸と同じくらい、当然のことをした表情のままだった。
リンボーダンスさながらにヒロシの胸の上を通り過ぎていく獣。
長い毛に覆われた胴体が見えたあたりで抜刀し、その無防備な横っ腹にディスアームの半円状の先端を突き立てた。
かつて少女たちを斬ったときと同じように、刀身は身体に深く埋没するが空振りしているかのように手応えはない。
しかしこの空を切るような感触はディスアームの力が発揮されている証拠……!
このままいけば何かが起こるはず……! とヒロシは不殺の魔剣の力を信じ、そのまま振り抜けようとする。
が、マリーがカスリ傷を追わせた箇所に刀身がさしかかると抵抗感が生まれ、切れ味の悪い包丁のように引っかかってしまった。
危うく剣がはじかれそうになったが両手で握りなおして力を込める。
負けるもんかと柄を捻ると傷口が抉れ、虫歯をペンチで引き抜くかのような、肉から骨が剥がされるようなギリギリとした感触があった。
傷口からは黒い液体が勢いよく噴出し、少年の顔を濡らす。
「く……ううっ!!」
刺した剣ごと吹っ飛ばされそうになるが柄をしっかりと捕まえる。ズルズルと引きずられるが足を突っ張ってブレーキをかける。
柄を逆手で握り直し、キャプスタンを回す奴隷のように押し込んだ。
「こ……こんのぉーーっ!!」
気合とともに一気に力を込めると、ズバアッと刀身が斬り抜けた。
勢いあまって前のめりに転びそうになったヒロシは特大の筆を使った書道パフォーマンスのように剣を振り回してバランスを取る。旋回する剣に付着したクリーム色の膿のような体液が周囲に飛び散った。
「うわっぷ!?」
「あんっ」
近くにいたマリーとツキカに飛沫が飛び、身体じゅうに白濁液がべっとりとへばりつく。
「ギャオォォォォォォォオオオオオオオオオオン!!!」
ミルクは空中できりもみしながら断末魔のような悲鳴を森中に轟かせ、地鳴りとともに地面に叩きつけられ、木々をなぎ倒しながら滑っていき、そのまま動かなくなってしまった。
森の中は小型の飛行機が墜落したような有様になっていた。
ヒロシは息を整えながら様子を伺う。倒れたままピクリともしないのでまさか死んだのかと困惑する。
「大丈夫、まだ生きとる! 身体の中に巣食った闇がディスアームによって外に引きずり出されて、そのショックで気ぃ失ってるだけや!」
うろたえるヒロシにミームはぴしゃりと言った。
「ところでさぁ……コレ……何?」
立ち尽くしたままのマリーが、しかめっ面で聞く。
顔じゅう白く濁った液にまみれているせいでロクに目も開けられないようだ。
「浄化された血や! マリーが斬ったときは闇の黒い血やったけど、ディスアームによって浄化されて光の白い血になったんや!」
「白っていうか……なんか黄味がかってて……ネバってしてるんだけど……それになんか生臭い……」
マリーはさも嫌そうに髪をかきあげる。液は髪にもかかっていてネバーと糸を引き、彼女をさらに不快にさせた。
「う、うん……」
女性陣とは異なりヒロシの顔は墨汁まみれになっている。斬るときに飛び出た黒い血が付着したのだ。レモン汁を浴びたように目をしばしばさせている。
「まあまあ、どっちも身体に害はないハズやから我慢せえって」
自分だけ何ともないのをいいことに気楽そうなミーム。
ホワイトソースまみれのツキカは頬に手を当てて、なにかを探すようにあたりを見廻している。
「あらあら、赤いずきんの子はどこに行ったのかしら?」
敵なのに迷子を心配するような口調。アゴや肘から伝い落ちた液がぼたぼたと垂れているがマイペースだ。
空に影が踊る。
空中でミルクを乗り捨てたレッドライディングは高く飛んでおり、マリーの頭上から奇襲をかけようとしてた。
「あっ!? ヤバっ!」
唯一視界がクリアな妖精が叫んだときにはもう遅かった。
赤いずきんの少女は子泣きじじいのようにマリーの背中にどすんと着地していた。
「う……っ!?」
血煙の獣騎士を背負わされた瞬間、気分を悪くしたようにマリーはうつむいた。
「うううっ……!」
「ま、マリー! 大丈夫!?」
えずく仲間を心配して駆け寄るヒロシ。よろめくマリーはヒロシ寄りかかるフリをしてパンチを放った。
「ぐふっ!?」
ヒロシは不意打ちのレバーブローをモロに受け、たまらず膝を折る。
腹を押さえて苦悶の表情を浮かべたが、その顔に容赦なくブーツの厚底が飛んできてグシャッとめり込んだ。
パンツが見えるのもいとわない豪快な回し蹴りをさらに喰らい、ヒロシは吹っ飛ぶ。
木に背中をしたたかに打ちつけられて、ズルズルと崩れ落ちた。
「まあっ、マリーちゃん?」
ツキカの呼びかけに対しマリーはバッと頭をあげた。
その顔は鬼瓦のように歪んでおり、鎮座した瞳は赤く血走っている。
「ウウ……」
歯を食いしばり、犬のように唸るマリー。
「まあまあ、どうしちゃったの?」
凶悪な容貌にギロリと睨みつけられて、口に手を当てて驚くツキカ。
「そ、そうか……わかったで! レッドライディングは乗っかったヤツを自由に操れる能力があるんや!」
「ハハッ……! その通りだぁ……でも今更気づいても後の祭りよぉ! コイツの身体はもう思うがままの操り人形……お前らをブチ殺すマシーンになっちまったんだよ! ヒャアーッハッハッハッハッ!!」
死期の近い人間に取り憑いた死神のような声で、レッドライデイングは狂った笑い声をあげた。
「さあて……楽しもうじゃねぇか……」
血染めのような真紅の頭巾を被った死神は、長い舌を出して自分の口の周りをベロンと舐めた。
その動きにあわせて、マリーも口のまわりの白濁液を舐めとるように舌を動かした。




