理性と本能
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お互いが拳を突き出したのは同時。
視界に映る目障りな顔を吹き飛ばさんと、猛り狂う本能に任せて拳を振るう。
そして、砲弾のごときその一撃を首を捻って回避する
まるで鏡映しになったような同じ動き。
しかし動きは同じだがその内心は全く違う。
片方はその不快感を隠そうともせず顔を歪め、怨敵を見つけたかのように睨みつけている。
しかしもう片方は笑っている。愉悦に歪むその顔が、語る言葉を持たぬ男の感情をよく物語っていた。よく来た。よく避けた。貴様が避けてくれたおかげで、俺はまだ戦える。
その表情から読み取れる感情は唯一つ、歓喜のみである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺の拳の一撃を避け、交差する拳の後ろ側から俺を睨むその表情。歪む顔の中に浮かぶ、激情を封じ込めた二つの瞳。
なるほど、実に愉快である。
この男が何を思い、何を為そうとしてここに来たかなど知らないし知ろうとも思わない。
俺が知りたいのはこの男の力であった。
肉を潰す感触を、骨を砕く快感を。そして……俺の首を刎ねて見せたような、見惚れる様な一撃をこそ見て感じたい。
生前首を刎ねられた時のことを思い出し、既に無いはずの首の傷がうずく。
俺の首を刎ねたあの一撃は良かった。
速さや力強さではない。
必ず殺す、と。その一点のみに集約された圧倒されそうな意思は美しく、何とも心地よい強さを持っていたものだ。それは今思い返しても飽きさせないほどに鮮烈な思い。
かつてのことを思い出し、つい表情が緩む。
俺のその表情の緩みを余裕の笑みと勘違いしたのか、男の瞳に浮かぶ激情が燃え上がった。
……来るか。
俺は拳ごと体を後ろに引き体一つ分の距離を開けようとすると、その動きに一瞬遅れる形で目の前の男も体を引く。
結果お互いの距離は体二つ分ほど開いた。
本当は拳で相手をするつもりであったが、こうなってしまえばもう一歩踏み込ま無ければやつには届かない。
しかし、やつは最初からそれを見越していたかのように俺の脚を踏み抜くように蹴りを放つ。
いや、見越していたのだろう。
俺の動きに合わせるように下がった事も、僅かに距離が開いたことで俺の拳が届かない事も、全て理解しての動きだ。でなければ、このような動きが出来るはずがない。
やつの動きを理解すると同時に足の骨が砕けた。
足を失ったことで体制を崩し、そこに追撃の蹴りを貰い防御の上から大きく吹き飛ばされる。
痛みは無い。しかし、やつの蹴りを受けた両腕は完全にへし折れていた。
……俺を力で上回るとは、最高ではないか。
既に失った喉で歓喜の咆哮を上げる。
凄まじい獣性が鎌首を上げ、思考が歓喜の殺意一色に染まっていく。危険を感じ取る嗅覚が鋭敏化し、腕と足が再生してゆく。
ああ、もうこいつを殺す事以外考えられない。
僅かに残った理性を自らの手で放り投げ、魂で咆哮を上げた俺は地面を踏み抜き疾走を開始した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
両足に残った確かな手ごたえを感じ、俺はいささか拍子抜けしていた。
鍛え抜いた一撃はやつの骨を容易く砕いており、炎帝から聞いた悪霊の攻略法が正しいのであれば、四肢を砕いた今の一撃は間違いなくこの忌々しい紛い物を再起不能にしただろう。
しかしそう思考した瞬間、体が硬直した。
耳では何も聞こえないが、それでも俺の体の何かが感じ取っている大音量の咆哮。
その咆哮に答えるように、絶叫の中心に凄まじい力が渦巻き始める。
……そう言えば、前の王種は強靭な生命力を持っていたと聞いたことがある。
しかしそれは生前の話。
悪霊に落ちてその能力を持ったままなどありえないと理性が告げるが、本能は理性を否定する。
来るぞ。ここからだ。これからが本当の『戦い』だ。
気を張れ、喜べ、殺意を持て。獣の如き飢えを持ち、殺すことに快楽を覚えろ。
やつの咆哮により呼び覚まされた俺の中の本能が凄まじい勢いで膨れ上がる。
しかし、その本能を強烈な意思で押さえ込む。
俺は、獣ではない。
俺の力を技を、獣のように力を振り回すだけのこのような存在と一緒にするな。
あくまでも冷静に。
本能を押さえた鋼のような理性で持って冷静に敵を見据える。
そこには四肢を取り戻した敵が存在しており――再度、咆哮を上げた。
影さえ追う事が難しい速度で地面を踏み抜き、白い雪を巻き上げ一瞬で距離を詰められる。
敵が迫っている、と。
そう認識した時には既にやつは攻撃を放っていた。
振り抜こうとしている拳は僅かな技も存在しない。
鋭い爪を最短距離で敵の心臓に突き刺し、抉り出そうとしているだけの獣がそこには存在していた。
胸に走る痛みを感じ、ようやく攻撃された事を知り敵の腕をへし折ろうと腕を取ろうとする。
しかし後僅かで心臓に届いたであろうその一撃は、繰り出された時以上の速度で引き抜かれた。俺の腕は空を切り、腕を動かしたせいで無防備を晒す。
腕を破壊せんとやつの鋭い爪が再度襲い掛かり、深く切り裂こうとする寸前で距離を取るためだけに力の入っていない前蹴りを繰り出しやつの体を蹴る。それと同時に地面から足を離し、やつが突進してくる勢いを利用して後ろに飛ぶ。
何とか距離を取った、と。そう思ったのも一瞬。
思考する暇など与えないと言わんばかりに前進を止めないやつの姿が映りこんだ。
戦い方がダメだとか、そういった次元の話ではない。
やつが行っているのは最短距離で急所を狙うだけの、戦いと言うよりは狩りに近いそれだ。
普通であれば通用しないそれが、現実には通用してしまっている。
それが通用するのはやつが持つ規格外の身体能力故だ。
目で追うことすら困難な、圧倒的な速力。
鍛え上げた筋肉とそれを覆う分厚い皮膚は鎧の役目を果たしているが、それすら薄い皮でも切り裂くように簡単に突破する凄まじい力。
そして先ほど腕を引いたときに感じた、先読みや戦闘の組み立てとは違う馬鹿馬鹿しいまでの危機回避能力。
加えて気の緩みを敏感に感じ取り、何時攻撃すればよいのかを感覚で理解している攻撃性。
全力で力を振るう事がもっとも強いと言う、生れながらの暴力の化身。
……鍛えぬく事で強さを得た俺とは、対極にいる存在だ。
思考に沈む俺を打ち上げるように、凄まじい力が体に打ち付けられた。
巨体の俺を吹き飛ばし、勝ち誇ったように声なき咆哮を上げている。
その事に怒りが湧き上がり、鋼鉄の理性を燃やし尽くすような激情が再燃する。
殺せ、拳を出せ、相手を分析する暇と思考があるのであれば、一度でもいいから攻撃を繰り出せ。
それはまるで性質の悪い毒だ。この悪霊と戦えば戦うほど鍛え上げた意思が溶けてしまう。冷静な理性を押しのけて攻撃的な本能が湧き上がり、それを原動力とした力を振るう事への快感が俺を襲う。
もう、耐えられない。
何の考えも無く突き出した拳がやつの体を打ち抜く。
骨を砕くが、しかし致命傷には遠い。その様な状態の体の破壊を無視したやつは俺を殴りつけた。
足を踏ん張りその一撃を耐える。
しかし、温い。
ああ、かわしていたのが馬鹿らしい。そう思うほどこいつの一撃は軽い。
拳に伝わる感触を楽しみ、心地よい快感と共に拳を引きやつに打ち込む。
一瞬で再生したやつの体も、今の俺からすれば何度でも再生する的でしかない。
打ち込むたびに体に張る力は増していき、やつの拳に乗る力も強くなっていく。
激情と言う炎で暖め、拳と言う槌で鍛え、お互いがお互いを高め合っていくような、そんな感覚。
殴り殴られ、お互いが一撃を重ねるごとに自分が、そして相手が昇華していくのが理解できる。
ああ、楽しい。
そうだろう、この快感こそ貴様が封じていたモノだ。
今まで蓋をしていた本能が、心地よい快楽を提供する。
しかしそれも終わりだ、と。
お互いの拳に乗る力は振りかぶられている今ですら理解できるほど、絶対の必殺性を秘めている。
最高だ。これを越える快楽など、存在するわけが無い。
そうだとも。敵を打ち据えるこの快感、一体他の何で満たせるというのだ。
放てば終わる。
そんな事を直感で理解させられる一撃が空気を切り裂きお互いに向かって放たれる。
そうだな、だからこそ――
そう、故に――
体を捻り、回避に走る。
今のままでも俺の一撃はやつを砕くだろう。しかし、それではダメだ。
完全なる勝利を、触れる事さえ出来ない絶対的な差を、今まで鍛え抜いたこの技を持って決着をつける。
そう確信を持ち、自分の一撃だけが相手に届くように首を動かし一歩を踏み込む。更なる勢いをつけて唸りを上げる拳はやつの顔面を消し飛ばそうとしていた。
――これで、俺の勝ちだ。
――正面から、拳を砕けばよい。
理性と本能、技と力。
噛み合っていたそれが最後の一撃でずれる。
どちらを優先するかは人それぞれだが、俺は自らの技を信じた。
絶対にかわせない。
そう言いきる事が出来る、一瞬の判断。
洗練された踏み込みは、俺の拳の勢いを殺す事無くやつの必殺の範囲から逃れるという絶技を体現させた。
決まった。
しかしそう思った次の瞬間、やつの行動は俺の予想の上をいった。
まるで俺の本能が選択した行動のように、やつの拳が俺の拳目掛けて振るわれていた。
お互いに必殺。
そんな拳をぶつけ合えば、どうなるかなど誰でも理解できる。
空気が爆ぜたような音と共に『俺の拳』が砕けた。
痛みは無い。
ただ、何故俺の拳だけが砕けたのか理解できなかった。
心地よい快感は何時の間にか消え失せ、心の中に残ったのは疑問のみだ。
何故? どうして?
力は最低でも互角。いや、俺の方が僅かだが確実に上であったはずだ。ならば仮にやつがこの行動を選択しても、砕けるのはやつの腕ではないのか? なのに、何故?
思考が疑問に占められ、意識の空白から肉体の動きが停止する。
その瞬間をこの敵が逃すはずも無く、俺は首を掴まれるとそのまま地面から引き抜かれるように宙へと持ち上げられた。
俺の首を締め上げる力は凄まじく、先ほどまで温いと感じていたのが嘘のようにびくともしない。
ならばと、腕をへし折ろるために掴みかかるが、こちらも凄まじい硬さだ。力を込める手の方が痛みを感じてしまっている。
俺は本当にこれを砕いていたのか?
自分自身にそう問いかけてしまいそうになるほど、何もかもが違いすぎる。先ほどまでとはまるで別人だ。
俺のその疑問を感じ取ったかのように、やつは笑みを浮かべる。
何が可笑しいのだ? そう思い口に出したかったが、締め上げられる喉は声を出す事どころか呼吸さえ行えない。
そして次の瞬間腕に掛かる力が増大し……俺の意識はそこで途切れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鬼族の死霊兵は、生きている鬼族の首を文字道理縊り取った。
溢れた血が周りの雪を赤く染め、胴体と離れた首が転がっている。
誇らしげに口を開け天を仰ぐその様は、声なき咆哮を上げているようであった。
……何と言うか、すごかったな。
鬼族同士の戦いとはここまでの物なのか、と。
そう思わせるほど凄まじい戦い。
正直、何がどうなったのか全く分からなかった。まあ、何がどうなったのか分からないほど凄かったのだ。
(悪くなかったな。まあ、最後に生きている方が小細工を弄したのはいまいちではあったが)
そうか? 十分凄かったと思うが……
(悪くは無いといっただろう? ただまあ……全力でぶつかれば生きている方が勝っただろうに、何故あのような行動に出たのかと、それだけ気になってな)
……あれに勝つのか。
アリエルの言う事なので本当なのだろうが、あれにかつ存在が残っていれば少しやばかったかもしれない。
一方でそれは、一番強そうなのはやったという事と同じなのだが。
……後は、どうとでもなるだろう。
俺の敵を食い尽くし、ここの一員にしてやれ。
故にそれだけを命じる。
餌を前に待たされていた犬のように、死霊兵たちは凄まじい勢いで進撃を開始する。
俺はその白い壁に混ざるように足を踏み出し、残った連中を刈り取るために剣を抜き放った。
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