↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀河悪役令嬢物語  作者: ヒロセカズヒ
2/2

【第二話 出港】

 フランツが技術士官を呼んだのは、ベルゼビュートへの処置から三日後のことだった。


 小さな会議室だった。呼ばれたのは一人だけ。艦の主任技術士官、ヴァルナー少佐。四十代の、無口な男だった。


「一つ聞きたい」とフランツは言った。「クリスタルを使わずに、戦艦の光砲と同等の打撃力を出すことはできるか」


 ヴァルナー少佐は少しの間、黙っていた。


「……理論上は、可能です」


「続けろ」


「大口径レールガンに、大容量のキャパシターを組み合わせる必要があります」少佐は慎重に言葉を選んだ。「ただし現代では、光砲もエネルギー供給もクリスタルで安価に実現できます。わざわざそれをやる理由が——」


「費用はどのくらいかかる」


 少佐はフランツを見た。何かを察したような目だった。


「膨大な費用になります」と少佐は言った。「クリスタルを使わない分、全てを機械で代替しなければならない。建造費だけで、通常の艦隊整備の数倍は——」


「やれ」


 少佐は何も言わなかった。


「軍事機密だ」とフランツは言った。「この会話は、記録しない」


 少佐は頷いた。それ以外に選択肢がなかった。


 会議室を出た後、少佐は廊下で少しの間立っていた。何を考えていたかは、わたしには分かる。しかし記録するのは、起きたことだけだ。





 ベルゼビュートの艦橋は、静かだった。


 静か、といっても、人の気配がないのではない。士官たちはそれぞれの持ち場に就いており、計器の確認が続いていた。ただ、声が少なかった。普段の出港前には必ず飛び交う冗談や雑談が、この朝はなかった。


 艦長のゾルダート中佐は、艦橋後方から前方を眺めていた。四十五歳。ベルゼビュートに二十年近く乗り続けてきた、この艦のことなら何でも知っている男だった。


 だが、今朝は分からないことだらけだった。


 前日の夜から、艦内に見慣れない技術者たちが入っていた。どこの所属かも告げられなかった。作業内容も知らされなかった。ただ、クリスタル区画への立ち入りを一時的に制限するよう命じられた。それだけだった。


 もう一つ、気になることがあった。


 艦長席に、見慣れない端末が増えていた。フランツが自分で取り付けたものだった。何のための端末か、中佐には告げられていなかった。


 朝になって、フランツ侯爵が艦橋に来た。


 フランツ=バイアロウト侯爵。この艦の表向きの新しい契約者だった。昨日から、そういうことになっていた。中佐は内心、まだ飲み込めていなかった。ルートヴィヒ大公が倒れて、エドゥアルト様が演習で——という話は聞いていた。詳しいことは何も知らされていなかったが、この艦に何かが起きたことは肌で分かった。


 フランツは艦橋中央に立ち、士官たちを見回した。


「諸君に伝えることがある」


 声は落ち着いていた。


「ベルゼビュートは現在、本来の戦闘能力を発揮できる状態にない。これは軍事機密として扱う。艦外への一切の言及を禁ずる」


 誰も口を開かなかった。


「出港の手順については、今回は通常とは異なる方法を用いる。クリスタル主機の起動を確認した後、航行は手動補助を主体とする。クリスタルの出力に過剰な負荷をかけてはならない。目的地は帝都星。以上だ」


 中佐は一歩前に出た。


「侯爵閣下。通常とは異なる、とおっしゃいましたが、具体的な手順の変更点を確認させてください」


「主機の起動確認後、推進はまず補助エンジンで行う。クリスタルの出力は最小限に留め、障壁展開も帝都に着くまでは行わない」


「……了解しました」


 中佐は頷いた。頷きながら、内心では様々なことを考えていた。USR格の艦が補助エンジン主体で航行するというのは、通常ならあり得ない話だった。しかし今は、あり得ないことが次々と起きている。


 艦長席の見慣れない端末にも、目がいった。


 しかし何も言わなかった。


「出港準備にかかれ」と中佐は振り返り、士官たちに命じた。「クリスタル区画の確認を優先する。各部署、報告せよ」


 艦橋に、静かな動きが広がった。





 格納区画より二層下、クリスタル区画への通路は施錠されていた。技術士官のリッター少尉は、ロック解除のコードを入力しながら、隣の先任下士官に小声で言った。


「昨夜から、誰が入ってたんですか」


「知らん」と先任は言った。「俺たちは廊下で待機してた」


「クリスタルに何かされたんですかね」


「余計なことを考えるな」


 通路の扉が開いた。二人は区画に入った。


 クリスタル区画の中心には、ベルゼビュートのクリスタル主機が据えられていた。


 直径三メートルほどの台座の上に、結晶体が鎮座している。透明に近い青白い輝きを持つそれは、リッターがこの艦に配属されて以来、常にそこにあった。近づくと、何か大きなものの呼吸を感じるような、そういう感覚がある。リッターは毎回、少し緊張する。


 しかし今朝のクリスタルは、いつもとは違った。


 光が、弱い。


 リッターは計器を確認した。出力値が表示された。数値を見て、彼は思わず先任の方を向いた。先任は既に数値を見ていた。二人は何も言わなかった。


 艦内通話が鳴った。


「クリスタル区画、状態報告を」


 先任が応じた。


「クリスタル、起動確認。出力——」一瞬の間があった。「出力、安定。通常手順での起動準備完了」


 通話が切れた。


 リッターは小声で聞いた。「これで通常なんですか」


「今日はそういうことだ」と先任は言った。「忘れろ」





 コンテナの中で、アビゲイルは宇宙怪獣の図鑑を読んでいた。


 光が揺れ、ベルが現れた。


「アビゲイル様。これからベルゼビュートが動きます」


「うん」アビゲイルは顔を上げた。「どこへ行くの?」


「帝都星でございます」


 アビゲイルはページを閉じた。帝都星というところがどんな場所か、よく知らなかった。お父様は行ったことがあると言っていた。


「ベル、ベルゼビュートを動かすって、どうやるの?」


「クリスタルが動力を発動し、艦を推し進めます」


「クリスタルって、あのひかりのやつ?」


「はい。わたくしの……本体のようなものでございます」


 アビゲイルはそれを聞いて、少し考えた。


「じゃあ、ベルが動くの?」


「少し違いますが、そのような感覚でございます」


「わからない」とアビゲイルは正直に言った。


「では、一緒にやりましょう」とベルは言った。「わたくしが動かします。アビゲイル様は、感じてみてください」


「うん」


 ベルの輪郭が、わずかに変わった。輝きが増したようでもあり、遠くなったようでもあった。


 しばらくして、アビゲイルは気づいた。


 床に、かすかな振動があった。


 金属の艦体を通して、何かが動いている。機械の音ではなかった。もっと深いところからくる、低い、息のような感覚だった。


 ベルゼビュートのクリスタルが、動力を発動していた。


 半封印の、弱められた光で。それでも確かに。


「ベル」とアビゲイルは言った。「動いてる」


「はい」とベルは答えた。「ベルゼビュートが、動きました」


 アビゲイルは手のひらを床につけた。振動が、指先に伝わってきた。遠く、深く。まるで、大きな生き物の鼓動のようだった。


 宇宙怪獣の図鑑に、こんな記述があった。怪獣は内部に独自の生態系を持つ、と。その鼓動は、惑星の地震に似ているという観測記録がある、と。


 アビゲイルには、今の感覚が少し分かった気がした。





 艦橋では、出港の手順が淡々と進んでいた。


「補助エンジン、起動確認」


「クリスタル出力、安定維持」


「バイアロウト星管制より離脱許可、受領」


「全艦、第一種航行配備」


 中佐は前方スクリーンを見ていた。バイアロウト星の大気層が、ゆっくりと後方に流れ始めていた。雲が、青い空が、緑の大地が、遠ざかっていく。


 USR格のはずの艦が、補助エンジンで静かに飛んでいた。


 中佐は何も言わなかった。ただ、前を見ていた。


 ふと、艦長席の端末に目がいった。


 フランツはその端末に、時々手を触れていた。何かを確認するように。あるいは確かめるように。何のための端末か、中佐にはまだ分からなかった。


「バイアロウト星、離脱完了」と航法士が告げた。「帝都星方向、設定完了。現在速度——」


「了解」と中佐は言った。「そのまま続けよ」


 ベルゼビュートは、帝国の星の海へと出ていった。


 その格納区画の一角に、小さなコンテナがあった。コンテナの中には、宇宙怪獣の図鑑と、五歳の少女がいた。


 艦長席には、誰も知らない端末があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。