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銀河悪役令嬢物語  作者: ヒロセカズヒ
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前章+序章

【序章の前に——ある母の独白】


 私はもう、この世界にいない。


 だから、何でも知っている。


 娘が知らないことも。娘が笑った理由も。娘が泣かなかった夜のことも。あの人たちが何を考えていたかも。宇宙の果てで何が起きていたかも。全部、知っている。


 でも、語るのは難しい。


 知っているということと、言葉にできるということは、別のことだから。


 それでも、語ろうと思う。


 あの子の話を。




【第一話 演習宙域、バイアロウト星、そして】



 その日、バイアロウト大公家に仕える艦隊は、例年通りの演習を行っていた。


 帝国歴の春。恒星の光が柔らかく差し込む宙域で、SR格の戦艦エラレンは僚艦と共に機動訓練を繰り返していた。演習とはいえ、クリスタルを持つ艦の動きは美しい。光の尾を引きながら宇宙を切り裂く姿は、戦場であれ訓練であれ、変わらない。


 エラレンの艦長席には、エドゥアルト=バイアロウトが座っていた。


 三十二歳。バイアロウト大公家の嫡男。銀白の髪は父ルートヴィヒから受け継いだもので、緑がかった灰色の目は彼ひとりのものだった。穏やかな人だった、とわたしは思う。戦場にいる時でも、どこか庭師のような静けさを持っていた。


 その日の演習は、特に問題のない内容だった。


 はじめのうちは。


 機動訓練の最終課目として、模擬砲撃の回避演習が始まった頃のことだった。エラレンのクリスタルが、何かに気づいた。艦内に微弱な異常データが流れ込んでいたのだ。後から調べて分かったことだが、それは情報毒の前駆体だった。本体ではない。ほんの欠片。それでも十分だった。


 クリスタルは沈黙した。


 ほんの数秒。しかしSR格のクリスタルが沈黙するということは、重力障壁が消えるということだった。


 模擬砲撃は、本物の砲撃ではない。そのはずだった。


 後の調査では、訓練弾の信管に細工があったとされている。誰が、どのようにして、という部分は、最後まで明らかにされなかった。


 エラレンは、爆発した。


 バイアロウト大公家の嫡男エドゥアルトと共に、その静けさごと、宇宙に消えた。





 ほぼ同じ時刻、バイアロウト星の領主館では、ルートヴィヒ=バイアロウト大公が執務室にいた。


 六十七歳。帝国最強と謳われるクリスタルの契約者として、長年その名を知られてきた人物だった。しかしその日のルートヴィヒは、老いた父親だった。机の上に広がる書類に目を落としながら、ときおり窓の外に目をやっていた。バイアロウト星の空は青く、雲が低く流れていた。演習宙域の方角は、この窓からは見えない。


 倒れたのは、午後の三時を過ぎた頃だった。


 大きな音がして、執事が駆け込んだ時には、ルートヴィヒは床に倒れていた。手にしていたペンが転がり、書きかけの書類の端に小さな染みを作っていた。


 たまたま館に来ていたのは、フランツだった。


 バイアロウト侯爵フランツ=バイアロウト。大公の次男。エドゥアルトの弟。当時三十歳だったフランツは、兄の演習の間に家の用向きで立ち寄っていた。騒ぎを聞いて執務室に駆けつけた彼は、父の傍らに膝をついた。


 応急処置は的確だった。後から聞けば、フランツには軍医の基礎訓練があったらしい。皇帝への緊急連絡も、彼が手配した。


 ルートヴィヒが意識を取り戻したのは、それから二時間後のことだった。


 フランツは、兄の死をまだ知らなかった。





 近衛部隊がバイアロウト星に到着したのは、領軍よりも早かった。


 これは、あとから考えれば、おかしなことだった。バイアロウト大公が倒れたという緊急連絡を受けてから、どれほど急いだとしても、近衛部隊がバイアロウト星に着くまでには時間がかかる。領軍なら星の内部にいる。なのに、近衛部隊の方が先に来た。


 来た者たちは、礼儀正しかった。指揮官は律儀に敬礼し、大公閣下のご容態はいかがかと尋ね、全力で支援する用意があると言った。


 フランツは、何かを察したかもしれない。


 しかし何も言わなかった。


 その日の夜、執務室とは別の小部屋で、帝国からの密使がフランツと向き合った。密使が何を伝えたか、わたしは知っている。エドゥアルトの死のこと、皇帝の意向のこと、ベルゼビュートのこと。そしてフランツに何を求めるか、ということ。


 フランツは長い時間、沈黙していた。


 何を考えていたのだろう、とわたしはときどき思う。兄への悲しみだったか。父への心配だったか。それとも、別の何かだったか。


 彼が密使に向かって頷いたとき、その表情は記録されていない。





 ベルゼビュートへの処置は、夜が明ける前に行われた。


 制御された情報毒。完全な毒ではなく、特定の機能だけを眠らせるための精密な工程だった。技術者たちは無言で作業し、夜明け前には終わった。バイアロウト星の空がうっすらと白み始める頃、ベルゼビュートは静かになった。


 本来の格が、落ちた。


 USRから、その半分以下のSRへ。

 それが計画だった。


 フランツが接触端子の前に立ったのは、太陽が昇り始めた頃だった。契約の手順は、形式的にはシンプルだ。端子に触れ、クリスタルに意志を示し、応答を受け取る。それだけのことだ。


 しかしクリスタルは、フランツに応答しなかった。


 代わりに、何かが返ってきた。データとも呼べない、意味とも取れない、ただ不快な何かが。フランツは端子から手を離し、その場に膝をついた。顔が青ざめていた。胃の中身が込み上げてきた。


 近くにいた技術者が慌てて支えた。


 半封印のはず、SR格のはずだった。そのはずだった。なのに、それでもフランツには届かない。


 処置の後でさえ、ベルゼビュートは強すぎた。


 弱体化をしてもSR格を超えている。


 フランツはしばらく呼吸を整えながら、部屋の隅に立っていた。膝の震えが収まってから、ゆっくりと顔を上げた。


 その時、彼は何かを思いついた。


 後から考えれば、その思いつきがすべての始まりだった、とわたしは思う。





 アビゲイルは、その朝、バイアロウト星の自室で本を読んでいた。


 五歳だった。


 銀白色の髪はまだ短く、緋色の瞳は文字を追いながら、時々ぴょこりと動いた。読んでいたのは図鑑だった。宇宙の生き物についての本で、宇宙怪獣のページが特に好きだった。でかい、とアビゲイルはいつも思った。でかくて、すごい。


 部屋のドアが開いたのは、昼過ぎのことだった。


「アビゲイル」


 叔父のフランツが立っていた。


 アビゲイルは本から目を上げた。フランツが自分の部屋に来ることは珍しかった。めったにないことだった。


「叔父様。お父様はいつ帰ってくるの」とアビゲイルは言った。「演習が終わったら会いに来てくれるって言ってた」


 フランツは少しの間、何も言わなかった。


「今日は、私と一緒においで」と彼は言った。「お父様を迎えに行こう」


「ほんとに?」


「ああ」


 アビゲイルは本を閉じた。父親に会えると思った。宇宙怪獣の話をしようと思った。でかいね、すごいね、という話を。


 フランツの顔に、何があったのか、五歳のアビゲイルには分からなかった。





 ベルゼビュートの格納区画に、生活ユニットコンテナが運び込まれたのはその夕方だった。


 アビゲイルにとって、ベルゼビュートは初めての場所ではなかった。バイアロウト家の艦だから、何度か乗ったことはあった。でも、こんなところには来たことがなかった。格納区画は広く、少し暗く、金属の匂いがした。


 運び込まれたコンテナは、小さな部屋だった。


 ベッドがあり、テーブルがあり、棚には本が詰まっていた。好きそうな本を選んでおいたよ、とフランツは言った。ロボットが三台、世話をするために配置されていた。


「しばらく、この部屋にいなさい」とフランツは言った。「部屋から出てはダメだ。皇帝陛下のご命令だから」


 アビゲイルはよく分からなかった。


「お父様は?」


「後で来る。旅の間、ここで待っていなさい」


 フランツが出ていって、扉が閉じた。


 アビゲイルは部屋を見回した。本は確かに多かった。宇宙怪獣の図鑑も、新しいものがあった。ベッドは柔らかそうだった。でも、窓がなかった。


 しばらくの間、アビゲイルは扉の前に立っていた。


 それから、ゆっくりと部屋の中を歩いた。棚を見た。テーブルの上を確認した。隅のほうに、小さな端子盤があることに気づいた。


 何となく、触れてみた。


 すると、光が揺れた。


 小さな光だった。


 蛍のように、ふわりと浮かんだ。アビゲイルは目を丸くして、それを見た。光は少しの間揺れてから、形を作った。


 女の子だった。


 アビゲイルと同じくらいの背丈の、銀色の髪をした女の子。透き通っていて、少し曖昧な輪郭を持っていて、でも笑顔は確かにそこにあった。


「あなた誰?」


 アビゲイルは聞いた。


「わたくしはベルゼビュートの緊急用人格インターフェイスでございます」と女の子は言った。丁寧な、落ち着いた声だった。


「わたしはアビゲイルよ」とアビゲイルは言った。「あなた、長いお名前ですね。ベルと呼んではいけませんか?」


 女の子は少しの間、考えるように首を傾けた。


「では、ベルとお呼びください」


「うん」アビゲイルは頷いた。「ベル。旅行中は、ずっと一緒なの?」


「はい。この艦内であればどこでもお供できます」


「でも」アビゲイルは少し困った顔をした。「おじさまが、この部屋から出てはダメだっていうの」


「では、このお部屋でごいっしょいたします」


 アビゲイルはしばらく考えた。それからゆっくりと、笑った。


「ありがとう。ベルが一緒なら、長い旅でも大丈夫だね」


「ありがとうございます、アビゲイル様」


 ベルの笑顔は、窓のない部屋に静かに灯っていた。


 その旅が、八年も続くとは、アビゲイルはまだ知らなかった。


 父親が、すでにこの世界にいないということも。


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