(一)-3
昼食の話題は当然ながら華ヶ崎先生だった。この二週間の平穏を嵐の如く吹き飛ばしたあの衝撃は夢にも出てきそうだ。しかし、太郎はすでに気を持ち直している。それどころか華ヶ崎先生の子犬のような顔が気に入ったようで、あれはあれでありなんだと日ノ丸弁当の米粒を飛ばしながら力説する始末。こいつは男の鏡だよ。
「久世君っていますデスか?」
教室の後ろの出入り口から声をかけてきたのは華ヶ崎先生だった。
「はーひ。俺でーふ」
全高校男子の命の源、焼きそばパンをくわえながら手を上げる。
「あなたが久瀬君!」
俺を見た途端、華ヶ崎先生は口を手で覆い、目をウルウルとさせながら近寄って来た。なんだ? なんだ? 何があった?
「ああ、久瀬君!」
華ヶ崎先生は座っている俺の頭を自分の胸元へ抱き寄せて頭を撫でた。理解出来ない。ただ俺の顔に華ヶ崎先生の小さ過ぎず大き過ぎない柔らかな胸が、ブラウスとブラ越しに感じられていると言う事実は強烈に理解できている。
「ああーっ!」
叫んだのは太郎で、それに続いて俺も「うわぁーっ!」叫んだ。
「な、何すんだよっ! 先生!」
手で押しやるとイスのバランスが崩れて俺は床にどたりと倒れた。
「久瀬君、あなたはお母様を亡くし、さらにはお父様が仕事の関係で海外へお出かけになられていて、独りで生活しているんですって? それを知ってしまった先生は、先生は、あなたが毎晩寂しさに震えているかと思うと可哀そうで可哀そうで仕方ないのですデス!」
「い、いや、もう慣れたし」
「はうぅっ! なんて気丈な!」
ついに先生はポロポロと涙を落とし始めた。そしてクラスを見渡す。
「久瀬君が焼きそばパンなんてみすぼらしい食事をしていると言うのに、皆さんは親御さんの作られたお弁当を食べているだなんて申し訳ないと思わないのデスか?
皆様も神の子なら困っている人には手を差し伸べるべきなのですデス。さぁ、みなさん、久瀬君におかずの一つでも差し上げようと言う慈愛の心を持った優しい方はいらっしゃないのですか?」
俺よりも太郎の日の丸弁当の方が哀れだし、焼きそばパンはみすぼらしくなんてないぞ。作った人に謝って欲しいが真剣な顔の先生には何も言えない。と言うかクラス中が何も言えないって感じで静まり返った。その中で動いたのはやっぱり五十嵐。学級委員の使命感が五十嵐の体を動かしているのか? 五十嵐は自分の食べていた弁当箱を持ってやってくると倒れている俺に差し出した。
「好きなの選んで食べて」
「いや、良いって。そりゃ学校ではパンばっかだけど家じゃわりかしちゃんとした食事してるし」
「強がりはいいのですデス。久瀬君、ここは五十嵐さんの優しさを受け入れるのですデス」
「強がってなんか」
「久瀬、先生が言ってるんだから食べなさい」
五十嵐の言う事ももっともだ。ここは無理に逆らうとややこしくなりそうだ。
「じゃ、じゃあ、プチトマトもらうな」
俺は「ありがとう」とぎこちなくお礼を言ってプチトマトを摘まみ口へ入れた。華ヶ崎先生はうんうんと頷いて五十嵐に「ありがとうございますデス」と微笑んだ。そこから数人が俺におかずをくれてその場はなんとか収まったのだが、俺たちは貴重な昼休み時間になんともしらけたイヤ~な後味の悪さを感じていた。そして華ヶ崎先生が満足して職員室へ戻って行くといつもの昼休みが返って来た。いや、いつもとは違っていた。やっぱりどっかしらけている。
「俺の事を心配してくれるのはありがたいけど、ちょっといき過ぎだよな」
言って焼きそばパンにかぶりついて太郎を見ると、太郎は親の仇でも見るような物凄い形相で俺を睨みつけていた。
「ど、どうした?」
「てめぇ、華ちゃんの胸の感触はどうだったんだよぉぉぉ」
「落ちつけよ、鼻息荒いって。あんなの大したこと無かったぜ」
「何を余裕ぶってんだ! そうだ! 修介の顔にはまだ華ちゃんの胸の感触が残ってるはず!」
言うなり太郎は俺に飛びかかって来て俺に抱きつくと激しい頬ずりを始めて全身の毛が直立した!
「やめろっ!」
「やめんっ! ああ、これが華ちゃんの胸の感触!」
「そんなわけねーだろっ! これは俺の頬だ!」
「俺のイマジネーション・アビリティを舐めてくれるな! これは紛う事なき華ちゃんのおっぱ……」
そこで体に衝撃が走って太郎が黙った。太郎の頭にはイスがめり込んでいる。
「食事中なの。黙って」
五十嵐だった。それにしてもすぐに五十嵐へ「毎回、毎回、いてーんだよ! 力の加減しやがれ怪力女!」と悪態をつく太郎の生命力は凄まじい。ひょっとしてこいつも魔人なんじゃないか? と疑いたくなるほどだった。
華ヶ崎先生ののほほーんとした世界史の授業が終わり、ようやく今日の授業から解放された。この一日の終わりのイスを引きずる音がたまらなく心地よくて好きなんだよなぁ。
「帰り、久しぶりにゲーセンでも行くか?」
太郎が誘ってきたが家にはミズルがいる。
「悪いけど、今日はパス。また今度な」
「付き合い悪ーな。お前……まさか……」
「その目は何だよ?」
「女じゃねーだろうな?」
太郎は眉尻を上げて訝しげな目を投げかけながら俺の周りをぐるぐると回りだす。
「ち、違うって。親父の用事があってさ」
「本当か? なーんか女くせーんだよなぁ」
こいつ、なんで女の事になるとこんなに鋭くなるんだ?
「それじゃ、急ぐから」
これ以上留まっていると太郎がミズルの存在を嗅ぎつけてしまいそうだから有無を言わさない態度で教室から出た。でもすぐに背後から「久瀬くーん」と呼びかける声がする。華ヶ崎先生の声だ。俺はもう面倒な事はごめんだ。聞こえないふりして駆け足でその場から立ち去った。




