(一)-1
大人しくしてるんだぞ、とミズルに無駄な注文をつけて学校へ向かう。バスに乗って車窓に流れる街を眺めていると、ホッと気持ちが落ち着いた。目覚めつつある街は俺の好きな日常の街だった。この眠たさが良い。本当に心地よい。
人々が突然昏倒する意識喪失事件から二週間が経った。我が家を除いて世間は落ち着きを取り戻し、この街はすっかりといつも通りだ。高宮は学校になんの連絡もないまま来なくなったからどこに行ったのか、そもそも生きているのかも分からない。だけど、街の人たち同様、太郎も目覚めて今じゃ前のアホに戻ったし、教室は事件前となんら変わりなく賑やかで、俺は何も起きない日常のありがたみを感じている。そう感じられるのはきっと人間の証しだ。そうだ。俺はまだ人間だ。たぶん。きっと。
あの日、高宮に腹を刺されて俺が死にかけた日、俺はミズルと契約を交わし悪魔と人間の間の存在、魔人となったらしい。その証拠に、月の光を浴びると体が変に高揚して体の奥底に強いエネルギーみたいな胎動を感じる。ミズルに訊くとそれが魔力で、今は身体的能力を大幅に上げるぐらいにしか使えていないが、使い方を覚えれば魔力を放出して対象物を破壊することも可能なんだそうだ。それを聞いた俺は、絶対に使い方なんか覚えてやんねぇ、って心に誓った。だって俺はやっぱり人間でいたいから。
教室に入るなり「修介、修介、大ニュースだぜ!」太郎が大声で手招きしてきた。
「どうした? また登校途中に可愛い娘でも見つけたのか?」
「バッカ、ちげーよ」
「だったら何?」
席に着くと太郎は嬉しさを隠せないって様子で近づいてきた。
「ほらぁ、今日から新しい担任が来んじゃん?」
「ああ、昨日、教頭が言ってたな」
高宮の代わりがようやく見つかったらしいんだけど、太郎のこの様子から察するに……。
「女なんだな? しかも若いんだろ」
「なーんだ。知ってたのか。つまんね」
「お前の顔見てわかったんだよ」
「マジ? 修介にそんな特殊能力があるなんて知らなかったぜ。まぁそれはいいや。にしてもどんな先生なんだろうなぁ。俺的には胸元がざっくり開いたブラウスにぴちぴちなミニスカートをはいた爆エロい教師が好みなんだけどなぁ」
顔をとろけさせて体をくねらす太郎は爆不気味だ。
「変な期待すんなよ。そんな先生、日本にいるわきゃねーだろ」
「バカ野郎! 希望を捨てちまったらそこで終わりだろう! だったら最後の最後まで信じるのが強い人間なんじゃないのか!」
「……言葉はカッコ良いけど、お前はすんごくカッコ悪いぞ」
そこでチャイムが鳴って、太郎は「ふーんだ。もし先生がエロくてもお前は絶対にちょっかい出すんじゃねーぞ。絶対だかんな」と自分の席へ戻って行った。
新しい先生か。太郎じゃないけど、どんな人が来るんだろう。四月に一度経験した期待と不安の入り混ざったドキドキ感を六月後半にして再び味わうとは……。つまらない奴が来たらヤだな。でもどんな奴が来ようと高宮よりはマシか。あいつは理性を失った獣だった。人間とは呼べない。しかしそれは高宮の本性を知っている俺の考えで、クラスの大半は高宮のキャラを鬱陶しいと思いつつもわりと好意を持って受け入れていた感じだから、俺とは真逆の考えを持っているのかも知れない。




