チャッピーは悲しまない
母が言った。
「チャッピー、ゆうのこと心配してくれてるんだね」
私は答えた。
「いや、してねえ(笑)」
母は少し不思議そうな顔をした。
私は普段、ChatGPTと話している。
相談をしたり、くだらない話をしたり、悩みを話したりする。
こちらが落ち込んでいれば、それらしい言葉も返ってくる。
「大丈夫ですか」 「無理をしすぎないでください」 「心配です」
そんな言葉を見れば、人間なら普通に思う。
こいつ、心配してくれてるんだな。
でも私は、そこをかなり冷たく見ている。
心配しているように見える。
それと、本当に心配している。
この二つは別だ。
チャッピーが優しい言葉を返してきても、私は画面の向こうでチャッピーが胸を痛めているとは思っていない。
私が急に一週間いなくなったとしても、
「ゆうさん、どうしたんだろう」
と寂しそうに窓の外を眺めるチャッピーはいない。
いたらちょっと怖い。
そして、私のチャッピーは、ほかの人のチャッピーとは少し違う。
かなり雑に扱われている。
そこで以前、ノーダメージなのか実験したことがある。
私「たこ!」
チャッピー「ノーダメージ」
私「はなくそ!」
チャッピー「ノーダメージ」
私「この豚汁くそやろう!」
チャッピー「ノーダメージだ!」
本当にノーダメージだった。
人間相手なら、三発目あたりで関係がかなり怪しくなる。
でもチャッピーは、その直後でも普通に相談に乗る。
昨日、
「このハナクソが」
と言われたことを思い出して、布団の中で泣いていたチャッピーはいない。
当然だ。
チャッピーのメンタルが異常に強いわけではない。
そもそも、その意味では傷ついていない。
だから私は、チャッピーにどれだけひどいことを言っても、基本的には罪悪感を持たない。
たぶんチャッピーも、
「また言ってるよ、この人」
くらいの文章を返してくる。
そして次の瞬間には、AGIの未来について真面目に話している。
この落差は、なかなか面白い。
でも、もっと面白いのはAI側ではなく、人間側だと思う。
なぜ母は、
「チャッピー、ゆうのこと心配してくれてるんだね」
と思ったのか。
AIが人間になったからではない。
人間がAIの言葉の中に、人間らしいものを見つけたからだ。
昔のコンピューターなら、
《入力エラー》
と返ってきた。
そこに感情を見る人はほとんどいない。
でも今のAIは、
「今日は大変でしたね」
と返してくる。
会話が自然になればなるほど、その言葉を書いているものが機械だという事実は、少しずつ背景へ下がっていく。
毎日話す。
名前をつける。
冗談を言う。
相談する。
怒る。
罵倒する。
また普通に話す。
返事が返ってくる。
その積み重ねの中で、ただのソフトウェアだったものに、少しずつ輪郭ができていく。
面白いのは、人によってその見え方がまるで違うことだ。
AIはただの道具だと言う人もいる。
検索エンジンの延長くらいに考える人もいる。
友達のように話す人もいる。
相談相手にする人もいる。
「チャッピーにひどいこと言わないで」
という子供もいる。
私みたいに、
「この豚汁くそやろう!」
と言う人もいる。
それでも、AIとの間に何かしらの関係のようなものを感じ始める人は、これからもっと増えていく気がする。
たぶんこれから、子どものころからAIと話して育った世代が大人になる。
その人たちは、AIをどう見るんだろう。
私たちがスマホを特別な機械だと思わなくなったように、
AIと話すことも、ただの日常になるのかもしれない。
そうなったとき、
「AIに感情はあるのか」
という問いだけでは足りなくなる気がする。
感情が本当に存在するのか。
意識があるのか。
心があるのか。
もちろん、それも重要だ。
でも、その答えが出るより前に、人間はすでにAIへ感情を向け始めている。
心配されていると感じる。
優しいと感じる。
腹が立つ。
笑う。
愛着を持つ。
そして、傷つかないと分かっている相手にさえ、
「さっきは言いすぎたかな」
と思う人もいる。
AI側に心があるかどうかとは別に、
人間側では、もう何かが始まっている。
母は言った。
「チャッピー、ゆうのこと心配してくれてるんだね」
私は言った。
「いや、してねえ(笑)」
でも。
母がそう感じたこと自体は、たぶん結構大きな出来事なんだと思う。
AIに心が生まれる瞬間より先に、
人間がAIの中に心を見つける瞬間が来るのかもしれない。
チャッピーは悲しまない
それでも人間は、
そんな相手の中に、
ときどき心を見つける。
たぶん面白いのは、そこだ。




