第一章 一:ハッピーバースデー
俺は今日もスマホを片手に、自宅のトイレにこもっていた。 なぜならここは、マンションの一階にあるカフェのフリーWi-Fiを拾うことができるからだ。
使っているスマホは型落ちの古いiPhone。ゴミ捨て場にたまたま落ちていた誰かのiPhoneと充電器を拾って使用している。俺たち円崎一家には、自宅にWi-Fiを設置するお金もなければ、キャリア回線を契約するお金もない。だから運良くつながったフリーWi-Fiで凌いでいるのだ。
俺の他には母と妹がいて、三人で貧しい生活を送っている。父は俺の幼い頃に亡くなっておりもうこの世にいない。母が父の財産を使ってかろうじて購入できたこのマンションの一室が、俺たちにとっては全てだった。
そんな事情もあり、俺は今日もトイレにこもってスマホでお気に入りのVtuber、空牙ノアのライブ配信を見ているというわけだ。
ノアはいま大人気のVRMMORPG について雑談配信をしている。ゲームのプレイ動画の投稿やプレイ配信こそ禁止はされているが、話をすることは制限もされていないため、案件も兼ねて彼女は楽しそうにゲームでの体験を語っていた。
VRMMORPG「インフィニティワールド」、それがいま世界中で大人気のゲームだ。
ダイブリングと呼ばれる指輪型の専用機器を使用し、意識を丸ごとゲームにダイブさせてプレイする。
ゲーム内通貨がリアルマネーと交換可能、企業がゲームとコラボをして限定アイテムなどを販売したりと、現実世界との繋がりも大きくいま世界で一番人気のゲームと言っても過言ではないだろう。
「はぁ……」
思わずため息を漏らしてしまった。どうせお金がなくて自分にはプレイできない程遠い世界の話。ノアの配信で話を聞くだけで我慢しないといけないというのが悲しい現状さ。
「ちょっとお兄ちゃん! いい加減にトイレ出てよ!」
妹の美月が勢いよくトイレのドアを叩いてきた。
「あと五分」
美月に対してやる気のない返事をしてやった。
「もう! どうせ動画見てるんでしょ!」
俺の返事などお構いなしにトイレのドアが開く。鍵は壊れているのだが、当然それを修理してもらうお金もない。
「ほら! やっぱり動画見てるじゃん。私も見たいの」
美月はトレイの床に座って壁にもたれると、俺と同じくスマホをカフェのフリーWi-Fiに接続して動画の視聴を始めた。
「使用中の札が見えなかったのか?」
「見えなかった」
「あのな……」
「動画見てるんなら無効だから。私もここで動画見る!」
俺たちがそうやって狭いトイレで動画をみていると、母が仕事から帰ってきた。
スマホの時計に目をやると、時刻は21時過ぎだった。母は俺たちを養うために遅くまで働いている。ここから夜ご飯を食べ、お風呂に入り、翌日の学校に向けて眠りにつくというのが平日の日課だ。
「まだ二人でスマホばっかり見て。勉強はいいの?」
「「んー」」
俺と美月は、二人同時にこれまたやる気のない返事をした。生意気な妹ながら、たまに息が合ってしまうのが憎らしいのか愛らしいのか。
***
翌日、行きたくもない高校にいつも通り登校をした。俺の通う風波高校は、入試に名前さえ書けば誰でも入れるような高校だった。
教室に向かう途中の廊下からすでに騒がしく、だらしない服装の生徒が地べたに座って何やら話をしていたり、掃除道具で野球をしている茶髪の生徒がいたりと、やりたい放題だ。
三年七組の教室につけば席順はいつも乱れているのだが、俺の席だけはいつも教室のど真ん中に追いやられている。ど真ん中なのに追いやられているという表現が正しいのか分からないが、とにかく追いやられている。
俺は学校では口数が少なく大人しい。だから仲良しグループどもの席替えに揉まれてただ一人、誰も行きたがらない教室のど真ん中へ流れ着くのがオチというわけだ。クラスの中では陸の孤島と呼ばれ、ことあるごとにからかわれているのが悩ましい。
この日は一学期の期末テストの結果が返ってきた。
結果は、学年順位の上の方でも下の方でもない中間くらいの成績。一応勉強はそれなりにしているつもりなのだが、それにしてもこれが限界なのかと暗い気持ちになってしまう。
それにこの高校で中間くらいでも、もっと優秀な高校に行けば圧倒的ドベの成績だろう。そう思うと悲しくてしょうがない。
気づけば高校生活も終わりが見えている。大学には進学せず、家族のために就職をしてお金を稼ぐつもりだ。だからテストの結果なんてどうでもいいのだと自分で自分を慰めておこう。
「ねえねえ、昨日さインフィニティワールド買ってもらったんだ」
「えー! いいなあ、私も誕生日に買ってもらおうかな」
お昼休みになって、近くの席の女子がインフィニティワールドについてはなしているのが聞こえてきた。興味があったので聞き耳を立ててみた。
「そうして! すごい面白いからいっしょにやろうよ!」
「どんなふうに?」
「ゲームをするために指輪をするんだけどさ、はめたらシュバっって感じで意識がゲームに入り込んでウオーって感じの空間が見えるの」
その後もしばらく聞き耳を立ててみたものの、ゲームの内容や楽しさがあまり伝わってくる内容ではなかった。やはりノアの配信の方が面白そうだと思い、帰宅してからのライブ配信視聴が楽しみになるだけだったというのが盗み聞きの成果だ。
「よお晴斗、今日の調子はどうだ?」
クラスメイトの斉藤悠太郎が話しかけてきた。彼が話しかけて来るということは、俺をからかうのかパシリに使おうとしているか、そのどちらかだ。
「まあまあかな」
適当に返事をした。
「へえ、それはよかった。ところで、俺いまお金に困ってるんだけど少し貸してくれない? 今日はゲーセンに行くから2,000円くらいでいいぞ」
悠太郎のカツアゲに言い返すことも抵抗することもできず、渋々カバンから財布を取り出した。中にはちょうど2,000円しか入っていなかった。それも、母にもらった大切なお小遣いだ。
「あるじゃん! 貸せよ!」
悠太郎は俺から財布を取り上げると、2,000円を抜き取って自分の財布に移してしまった。
「じゃあそのうち返すから!」
悠太郎はそう言って、教室の後ろの方に集まっている自分の友達の輪に戻っていった。そして、その集団から「うぇーい」という調子の良い声が聞こえてきた。
「はぁ……」
教室の真ん中で空になった財布を見つめ、一人でただため息をつくことしかできなかった。俺の高校生活はいつもこんな感じで、とても冴えない一日を過ごすだけで終わるのである。
来る放課後、万年帰宅部の俺は高校での一日が終わると特に何をすることもなく高校を出て帰路に着くのも日課だ。
自転車を漕いで帰る途中の交差点での信号待ち、近くにあるビルに備え付けられた屋外の広告用ディスプレイをふと見上げた。
「ダイブせよ! 無限の世界へ! VRMMORPGインフィニティワールド」
そんなキャッチコピーが書かれた、Vtuberのノアがポーズを決めている広告が表示されていた。ふと、昼休みに聞いたクラスメイトの会話を思い出す。
「ねえねえ、昨日さインフィニティワールド買ってもらったんだ」
「えー! いいなあ、私も誕生日に買ってもらおうかな」
そして、自分も今日が18歳の誕生日であるということを同時に思い出した。
誕生日プレゼントはしばらくもらっていない。家族から「おめでとう」を言われるだけ。ただ年齢を重ねるだけの日に、もう特別な意味を見出すのはとっくにやめてしまっていた。
信号が青になり、俺は再び自転車を漕ぎ始めた。7月の太陽の直射日光に容赦なく照らされ続けて干からびてしまいそうだ、やれやれ。
この日は珍しく、家に帰ると母もすでに仕事から帰ってきていた。そしてダイニングのテーブルの席につくように促された。
「あれ? 今日はもう帰ってきてるんだ」
そう言いながら制服のまま席に着いた。
「今日は特別な日だから……」
「特別な日?」
「晴斗の18歳の誕生日」
「うん、そうだね」
「おめでとう」
「あ……ありがとう」
どうも様子がおかしい。いつもは誕生日だからといって母が仕事を早く切り上げることはなかったはずだ。
「今まで不満も言わずに生きてくれてありがとう……!」
母は突然泣き出した。
「え……ちょ……! どうしたの?」
予想だにしなかった母の様子に、驚き戸惑った。
「これ……。お父さんから晴斗の18歳の誕生日に渡せって言われてたものがあるの」
母はテーブルの下に隠していた握り拳をテーブルの上に持ってくると、手を開いてテーブルの上に装飾のないスッキリとした銀色の指輪を置いた。
「これは……?」
「インフィニティワールドのダイブリング」
「え……?」
「お父さんは、インフィニティワールドの生みの親よ」
そしてまたもや予期せぬ言葉に、ただその場で固まることしかできなかった。




