第1話 今日から冒険者
背中には、長年使いこんだ弓と、旅の荷物。
冒険者になる。そう決めて、村の外の森でウサギを狩り、キノコを見分けるだけの毎日を送ってきた。
十五歳になれば冒険者として登録できる。
そして今日、ようやくその日が来た。
「本当に行くのね」
母が言った。
声には、まだ少し心配が残っている。
「うん。冒険者になるためにね」
エリナはうなずいた。
「もちろん色々気をつける」
何に気をつければいいのか、本当のところはよく分かっていない。
村の外で暮らしたことすらないのだ。
それでも、そう答えるしかなかった。
父はそんなエリナを見て、小さく笑った。
「無理だと思ったら帰ってくればいい」
「まだ出てもないのに」
「帰ってくる場所があるって話だ」
「……うん」
冒険者になる。
そう決めている。
けれど、何があっても成功してやるとか、絶対に帰らないとか、そこまで強く思っているわけではない。
知らない土地へ行くのは楽しみだった。
その一方で、少し怖くもある。
村の入口に馬車が止まっている。
そろそろ出発の時間だ。
「じゃあ、行ってきまーす」
エリナは言った。
エリナは村をもう一度見た。
生まれてからずっと暮らしてきた家も、少し離れただけでいつもより小さく見えた。
今日から、ここで眠らない。
そう思うと、急に変な感じがした。
「行ってらっしゃい」
母がぎこちない笑顔で答える。
父も手を上げた。
エリナは二人に背を向け、馬車に乗り込んだ。
馬車が動き出すと、クレシマ村はゆっくりと遠ざかっていった。
エリナは荷台からしばらく後ろを見ていた。
見慣れた道。
畑。
家々。
遠くに見える森。
どれも昨日までと何も変わっていない。
違うのは、自分がそこから離れていくことだけだった。
馬車が進むにつれ、村はだんだん小さくなる。
やがて家の屋根も見えなくなった。
「……ほんとに出たんだ」
小さくつぶやく。
十五歳になったら冒険者になる。
そう思うようになったのが、いつからだったのかは自分でもはっきり覚えていない。
クレシマ村にやって来た旅人の話を聞いたときだったかもしれない。
村の外には、自分の知らない場所がたくさんある。
大きな街。
広い森。
知らない土地。
そこで暮らす人たち。
そういう話を聞くたびに、見てみたいと思った。
冒険者なら、いろいろな場所へ行ける。
子供の頃のエリナには、それだけでも十分魅力的だった。
けれど、いざ本当に村を出てみると、楽しみだけではなかった。
これからどこで暮らすのだろう。
仕事はあるのだろうか。
ちゃんと冒険者としてやっていけるのだろうか。
考え始めると、いくらでも不安は出てくる。
馬車が石を踏み、大きく揺れた。
「わっ」
エリナは慌てて荷物を押さえる。
向かいに座っていた乗客がちらりとこちらを見た。
少し恥ずかしくなって、愛想笑いを浮かべながらエリナは座り直した。
まだ何も始まっていない。
まずはリヴェルに着いてからだ。
エリナは気持ちを切り替えるように、進行方向へ目を向けた。
しばらくして、遠くに大きな壁が見えてきた。
その内側に、たくさんの建物が並んでいる。
「……あれがリヴェル?」
馬車が近づくほど、その大きさが分かってくる。
クレシマ村とはまるで違った。
想像より大きかった。
街へ入ると、もっと驚いた。
人が多い。
道を歩いているだけで、次から次へと知らない人とすれ違う。
荷車を引く商人。
大きな荷物を背負った人。
店先で声を張り上げる人。
そして、武器を持った者たち。
「あの人たちも冒険者かな……。強そう」
エリナは思わず目で追った。
村でも冒険者を見たことはある。
けれど、知らない街で見ると今までとは違って見えた。
道の左右には店が並んでいる。
食べ物。
衣服。
道具。
見たことのない品も多い。
あちこち見ながら歩いていたエリナは、途中で足を止めた。
「……ギルド行かなきゃ。でもギルドって、どこ?」
街に着いたことに浮かれて、行き先も考えず歩いていた。
近くにいた人に道を聞き、教えられた通りに進む。
しばらくすると、大きな建物が見えてきた。
出入りする人の中には、武器を持った者が多い。
「やっぱり冒険者かな」
武器を持った人たちが次々に入っていく。たぶんここだ。
エリナは建物を見上げた。
冒険者ギルド。
少し緊張する。
けれど、ここへ来るために村を出たのだ。
エリナは中へ入った。
中にはいくつかの受付が並んでいた。
壁には大きな掲示板があり、何枚もの紙が貼られている。
冒険者らしい人たちが行き来し、思ったより騒がしい。
エリナは周りを見ながら受付へ向かった。
「冒険者登録ですか?」
受付にいた女性が声をかける。
「はい」
「わたしは受付のリオネです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
少し緊張しながらエリナは答えた。
「年齢は?」
「十五歳です」
リオネはうなずいた。
「それなら登録できます」
「名前と出身を教えてください」
エリナは名前と出身を答えた。
「これで登録完了です」
必要なことは少なく、思った以上にあっさり登録証を渡された。
エリナは受け取ったものをじっと見る。
これからの冒険のことを考えると、説明もあまり頭に入ってこなかった。
冒険者。
今日から自分もそう呼ばれる。
少しだけ嬉しくなる。
「ありがとうございます」
冒険者は掲示板で依頼を受けると聞いたことがあったので、真っ先に掲示板へ向かった。
たくさんの依頼が並んでいる。
荷物の護衛。
魔物の討伐。
採取。
調査。
運搬。
エリナは一枚ずつ眺めていった。
冒険者らしい仕事ばかりだ。
見ているだけで少しわくわくする。
だが、しばらくすると別のことにも気づいた。
「これ、いきなり私にできるのかな……」
討伐依頼。
当然、危険そうだ。
護衛も、経験も実績もない自分を誰が雇う?
どっちかというと、守ってもらう側かも。
採取ならできるかもしれない。
でも、このあたりの森のことは何も知らない。
そもそもエリナには、冒険に必要な装備が揃っていない。
村から持ってきた旅費も、好きに使えるほど多くはなかった。
冒険者にはなった。
だからといって、すぐに依頼はこなせそうもない。
エリナはしばらく掲示板の前で悩んだあと、さっきの受付へ戻った。
「あの」
「はい?」
「私でもできる仕事ってありますか?」
リオネはエリナを見てから、少し考えた。
「装備も、これから?」
「はい」
「それなら、初心者向けの仕事がありますよ」
「初心者向け?」
リオネは別の紙を取り出した。
「ギルドの雑用です。薬草の仕分け、倉庫整理、掃除、荷物運び。それから、近くの食堂で給仕を募集していることもあります」
エリナは少し黙った。
「……それって冒険者の仕事ですか?」
「冒険者になるための仕事、と言った方が近いですね」
「なるため……」
もう冒険者には登録したはずなのだが。
そんな顔をしていたのか、リオネが笑った。
「装備も食事も宿も、お金がかかりますから」
「それは……そうですね」
村を出る前は、登録したら依頼を受けて、その報酬で生活していくものだと思っていた。
けれど、依頼を受けるためにも準備がいる。
言われてみれば当たり前だ。
「それと、登録したばかりの人には簡単な寝場所も用意できます」
エリナが顔を上げた。
「寝る場所も?」
「長期間は無理ですけどね。最初のうちは使えます」
「使います」
エリナはすぐに答えた。
宿代がかからないのはありがたい。
「じゃあ仕事はどうします?」
「……薬草の仕分け、やってみます」
「分かりました」
こうして、エリナが冒険者になって最初にすることは、薬草を分ける仕事に決まった。
「これは?」
エリナは手にした草を持ち上げた。
「そっち」
作業を教えている人が指をさす。
エリナは言われた場所へ草を置く。
目の前の机には、似たような草が何種類も積まれていた。
最初に見たときは全部同じに見えた。
「これ、ほんとに違うんですか?」
「違う。よく見ろ」
一枚の葉を取って見せられる。
「こっちは葉の形が少し違う」
「……え?どこ?」
「だからここが違う」
言われてよーく見ると、確かに違う。
ほんの少しだけだ。
エリナにとってはすべて雑草にしか見えなかった。
キノコだったら、なんでも分かるのに。
「冒険者が採ってくるんですか?」
「依頼のついでにな。見つけたら小遣い稼ぎに採ってくるやつも多い。稼ぎの多い奴は採ってこないけどな」
「それをギルドで買う?」
「そういうことだ。それから薬屋に回す」
薬草は、そのまま使うものばかりではない。
薬屋が処理し、薬にする。
「じゃあ、これを覚えれば、自分で見つけたときに採ってこれますね」
「ちゃんと覚えてればな」
エリナは改めて机の上を見る。
実際に草むらの中で見分けられるだろうか。正直、自信はなかった。
それでも、外で薬草を見つけられるようになれば役には立つ。
「がんばります」
気合いを入れてエリナは次の草を手に取った。
翌日も、エリナはギルドで仕事をした。
薬草を分けたり、荷物を運んだり。
知らないことはそのたびに聞いた。
毎日見ていると薬草も少し分かるようになってきた。
五日目には、近くの食堂を手伝うことになった。
「これ、三番の席!」
「はい!」
皿を受け取り、店内へ出る。
昼どきの食堂はかなり忙しかった。
冒険者らしい客も多い。
「昨日、西の方でコボルト見たぞ」
「またか?」
「依頼出るかもしれんな」
そんな会話が聞こえてきて、
「コボルトか。やっぱり怖いのかな。」
など思っていた。
また、別の卓では、護衛の話をしている。
エリナは料理を置きながら、つい耳を向けた。
まだ知らない町やモンスターの名前も出てきて、よく分からないことも多い。
でも、それが面白かった。
ここでは、村にいた頃にはほとんど聞かなかった話が普通に飛び交っている。
自分も登録だけなら冒険者だ。
けれど、今はまだ皿を運んでいる。
早く依頼を受けてみたい。
そう思いながら、空いた皿を回収する。
少しずつ仕事をして、お金を貯める。
必要なものも揃えなければならない。
何が必要なのかも、まだ全部は分かっていない。
だから、今は覚えることの方が多かった。
その日の夕方。
食堂の扉が開き、二人の少年が入ってきた。
エリナは料理を運びながら、何となくそちらを見る。
自分と同じくらいの年齢に見えた。
二人とも冒険に出られそうな装備をしている。
一人は背が高く金髪で、つんつんとした髪。
動きやすそうな服には、妙にポケットが多い。
腰には片手剣。
細身だが、身のこなしは軽そうだった。
もう一人も背が高く、金髪の少年と同じくらいに見えた。
濃い青色の髪を後ろで低く結び、腰にはロングソードを下げている。
盾も持っていて、金髪の少年より少し重そうな装備だった。
二人は空いている卓へ向かった。
エリナが注文を取りに行く。
「注文、決まりました?」
金髪の少年は料理の札を眺めていた。
「これ、一番量多いのどれ?」
「そこから?」
「腹減ってるから」
「たぶん肉の煮込み」
「じゃあそれ」
決めるのが早い。
もう一人の青い髪の少年も料理の札を見て、
「同じので」
と答えた。
二人とも大きいだけあって、たくさん食べたいのだろうとエリナは納得した。
エリナが戻ろうとすると、金髪の少年が声をかけた。
「なあ」
「なに?」
「なんか慣れてない感じするけど、働き始めたばっか?」
「始めたというより臨時かな」
「臨時?普段は何してるの?」
「冒険者」
二人が同時にエリナを見る。
「冒険者?」
「五日前に登録したの」
「へえ」
驚いたあと、少年たちはすぐに興味を示した。
「じゃあ俺たちと同じじゃん」
「同じ?」
「俺たちも冒険者」
少年は自分を指す。
「俺、テイル」
それから、向かいにいる少年を見る。
「こっちはシアル」
「自分で名乗れるけど」
シアルが一言だけ返した。
「いいだろ。早いし」
「お前が早いだけだろ」
言いながらも、シアルは特に気にしている様子はなかった。
昔からこういうやり取りをしているのだろう。
「二人で来たの?」
エリナが聞く。
「サルド村から」
「あー、行ったことはないけど知ってる。ここからは遠かったっけ?」
「まあ、それなり」
テイルは気軽に答える。
初めて話した相手とは思えないくらい距離が近い。
「エリナは?」
「クレシマ村」
「一人で?」
「うん」
テイルが少しだけ目を丸くした。
「一人で村出てきたんだ」
「そうだけど」
「へえ」
さっきと同じ言葉なのに、少しだけ感心したような声だった。
「それで、依頼は?」
「まだ」
「俺たちもまだ」
エリナは二人を見る。
「装備あるのに?」
「あるけど、さっき登録したばっかだからな」
テイルはそう言って、少しだけ肩をすくめた。
装備を持っているだけで、自分よりずっと冒険者らしく見えた。
でも、二人もまだ登録したばかりらしい。
「受ける依頼とか決めたの?」
「それ見に来た」
「ここ食堂だけど」
「飯食って寝たらギルド行く」
「全然見に来てないよ、それ」
「腹減ってると決められないだろ。準備の飯」
よく分からない理屈だった。
エリナは少し笑った。
テイルも笑う。
「ただ腹減ってただけだろ」
シアルが言った。
「それもある」
「それしかないだろ」
二人のやり取りを見て、エリナはまた少し笑った。
エリナはふと聞いた。
「二人で依頼受けるの?」
「そのつもりだけど」
テイルは少し考え、エリナを見る。
「エリナ、誰かと組んでる?」
「組んでないよ」
「じゃあ三人でやる?」
あまりにも自然に言われたので、エリナは少し止まった。
「え!?」
「ここで会ったのも何かの縁だしな」
テイルはそう言ってから、軽く続ける。
「どうせ俺たちも初めてだし、一緒に一回依頼受けてみようぜ」
「ちょっと待って」
今度はシアルが口を挟んだ。
テイルがそちらを見る。
「なんだよ」
「いきなり決めるなよ」
「嫌なの?」
「そうじゃない」
シアルはエリナを見る。
「まず明日、一緒に依頼を見てみればいいんじゃないか。それで無理そうならやめればいい」
「あ、それなら」
エリナは二人を見る。
今日初めて会った相手だ。
本当に一緒に依頼を受けて大丈夫なのかは分からない。
けれど、明日ギルドで一緒に依頼を見るだけなら、別に困ることもない。
話した感じでは、二人とも変な人には見えなかった。
少なくとも、テイルが少し変わっているくらいだ。
「俺は最初から依頼見て決めるつもりだったけどな」
テイルが言う。
「絶対違うだろ」
シアルが返す。
エリナは少し考えてから、うなずいた。
「じゃあ、明日の朝一緒に見てみようかな」
テイルが笑った。
「じゃあ決まり」
「見るだけだからね」
「分かってるって」
シアルがテイルを見る。
「分かってなさそうだけどな」
それなら気が楽だ。
「明日の朝、ギルドで?」
エリナが聞く。
「そうしよう」
シアルが答えた。
そのとき、厨房から声が飛んでくる。
「エリナ! 料理!」
「あっ」
仕事中だったことを思い出した。
「今行きまーす」
「肉の煮込み忘れないでくれよ」
「忘れてない!」
エリナは厨房へ戻る。
五日前。
リヴェルの街へ来て。
冒険者として登録して。
薬草を分けて。
荷物を運んで。
食堂で働いて。
冒険者になった実感はなかった。
でも、明日は二人の冒険者と一緒に依頼を見ることになった。
エリナは、少しだけ冒険者に近づけた気がした。
お金もない。装備も貧弱。でも、明日は一人じゃない。
エリナは、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じながら、厨房へと走った。




