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第28話 灰色の亡霊と、禁忌の神話

1. 拭えぬ違和感――白銀の檻


 エグザルティアの王都は、眩いばかりの再生の活気に満ち溢れていた。街の隅々にまで笑顔と喜びの声が行き渡っている。空は青く高く、眩いばかりの輝きで人々を包み込んでいた。


 邪神の繭と化し、どす黒い魔力を放っていた城は本来の白銀の輝きを取り戻し、街の至る所からは石を削る音や、復興を急ぐ職人たちの威勢の良い声が絶え間なく響いている。市場には色とりどりの果実や布が並び、人々は長く暗い夜が明けた「勝利」を謳歌していた。


 しかし、その復興の象徴たる城のバルコニーに立つアルトリウスの心境は、冬の朝の深い霧のように、一向に晴れる気配を見せなかった。


 自ら王冠を置き、一人の騎士として生きる道を選んだ彼にとって、この平穏は何物にも代えがたい至宝であるはずだった。だが、ふとした静寂の合間に目を閉じれば、決戦の地下祭壇で闇に溶けゆく叔父ウィルの、あの最期の穏やかな――そして、何者にも救われぬまま孤独に消えていった眼差しが、あまりに鮮明に蘇るのだ。


『お前は……私の誇りだ……』


 その言葉は、呪縛から解き放たれた叔父が残した、唯一の、そして真実の愛の形だった。しかし、同時にそれは、叔父がこれまでのすべての罪を一人で背負い、永遠の虚無が支配する「闇の境界」へと消え去ったことの、残酷なまでの証明でもあった。


(私は、彼を救えたのか。いや、救うべきだったのか。それとも、あの消滅こそが彼にとって唯一の救いだったのだろうか……)


 答えの出ない問いが、アルトリウスの内で積み重なっていく。王都の空はあまりに青く澄み渡っている。そしてどこまでも広い。それがかえって、叔父を置き去りにしてきた奈落の深さを、耐え難いほどに際立たせていた。


 さらに、彼を不安にさせているのは個人的な感傷だけではなかった。各地に派遣された魔導師たちから届く、不穏な報告。邪神は封印されたはずだが、世界のひずみには未だ「闇の澱み」が消えずに残り、かつてウィルが王国の要所に施した守護の障壁が、彼の消失と共鳴するように急速にその力を失っているという。


 このままでは、叔父が身を削り、魂を汚してまで守ろうとした最後の遺産までもが、無慈悲な灰へと還ってしまう。アルトリウスは、自身の腰にある「光の剣」の柄を、指が白くなるほど強く握り締めた。


2. ポート・アンカー、バルトロの助言


 数日後。一行は、潮の香りと荒くれ者たちの喧騒が渦巻く港町ポート・アンカーを訪れていた。


 復興の要となる海上交易の拠点であるこの街の活気は、王都のそれよりも剥き出しで、荒々しい。その中心にある酒場「波止場の家」は、昼間から情報交換と喉を潤す酒を求める船乗りたちで溢れかえっていた。エリーゼが卓いっぱいに古地図を広げ、ジークが次の補給路を計算している中、アルトリウスの背後に、足音もなく一人の男が忍び寄った。


「……おいおい、そんな難しいツラして海を眺めてっと、せっかくの潮風が湿っぽくなっちまうぜ、坊主」


 使い古された手帳を弄びながら、不敵な笑みを浮かべて現れたのはバルトロだった。彼はアルトリウスの向かい側にどっかと腰を下ろし、懐から一枚の古びた羊皮紙を、無造作に木製の卓へと放り出した。


「バルトロ。……あなたに会いに来たんです」

「おう、俺に会いたいとは穏やかじゃねえな。まあ、考えてることは一緒ってことだな。いいだろう、まずはそれを見な。魔物の数は確かに減ったが、まだ世界が完全に『綺麗』になったわけじゃねえ。……むしろ、根の深い膿(うみ)が、目に見えねえ場所でうごめき始めてるらしいぜ」


 バルトロが指し示したのは、自身の手帳に記された【封印されし禁書の回収】という項目だった。そこに記されていたのは、エグザルティアの正史には決して残されない、禁忌の神話の断片。邪神と魔物の根源を一時的に抑え込み、次元の狭間に囚われた魂を現世へと呼び戻す術について記された古文書……「禁書」の存在であった。


「この話はまだそれほど情報は集まってねえんだが……邪神の力は封印されてもなお、依代となった者の魂を媒介に現世へと繋がろうとするらしい。その因果を完全に断ち、囚われた魂を引き抜くには、邪神の核が沈む『闇の境界』に直接干渉するしかねえって話だ。……そしてその禁忌の術が、どこかの聖堂に眠る『禁書』に記されてるってわけさ。どうだい、心当たりがあるんじゃねえのか?」

「叔父上の魂を……闇から引き抜くことができるのか」


 アルトリウスの瞳に、静かな、しかし確かな執念の火が灯る。


「ああ、あくまで噂だがな。だが、お前さんがずっと抱えてるその『忘れ物』を取りに行くための、もしかしたら道標にはなるんじゃねえか?」


 叔父上を救えるかもしれない。その一抹の望みが、バルトロの情報によってもたらされた。それは、砂の中から一本の針を見つけるための、ようやく掴んだ藁の端であった。


 一行は、バルトロがもたらした不確かな、しかし唯一の希望を信じ、ウィルの魂が彷徨う「闇の境界」へと至るための最初の手がかり……禁書が眠るとされる場所へと向かう決意を固めた。それは、終わったはずの戦いの続きではなく、残された者たちが果たすべき「弔い」の旅の始まりでもあった。


3. 灰の街に佇む「赤き影」


 情報を伝え終えたバルトロは、席を立ち上がり、部屋の出口へと向かおうとした。だが、重い木製の扉に手をかけたところで、ふと思い出したように足を止め、肩越しにアルトリウスを振り返った。その眼差しには、いつものからかうような光とは異なる、かすかな憂いが混じっていた。


「そういや、坊主。……あの仮面の姉ちゃんだがな」


 その言葉に、アルトリウスの意識が鋭く集中した。王都の決戦において、一行を地下へと送り出すために殿(しんがり)を務め、それ以来姿を消した女剣士、シルヴァ。ジークが間髪入れずに聞き返す。


「シルヴァか。あいつがどうしたんだ。あいつの行方を知っているのか?」

「一人であの『灰の街』、アシュベリーの廃墟で風に吹かれてるって噂だぜ。あそこは今もまだ、復興の手も届かねえ、死んだ街だ。あの街に降り積もる灰は、生きた人間の熱まで奪っちまう。放っておくと、あの姉ちゃんまで灰色の亡霊になっちまう気がしてな」


 バルトロは、窓の外に広がる眩しい青空をどこか遠い目で見つめ、低く、しかし重みのある口調で付け加えた。


「……まぁ、俺はあのアブねえ姉ちゃんを深追いする気はないがね。だが、一度会ってみると良いんじゃないか? お前たちの旅の『忘れ物』は、まだあそこに落ちてるかもしれねえからな。過去は清算しておかなきゃ、新しい旅ってやつも足取りが重くなるもんだ」


 その言葉を最後に、バルトロは雑踏の中へと消えていった。


 アルトリウスは、手元に残されたメモを静かに、そして強く見つめた。


 アシュベリー。そこはかつて、アルトリウスがエリオスとしての自分を失い、すべてが始まった場所だ。そして、シルヴァにとっては、守るべき仲間を失い、仮面をまとって孤独に生きる道を選んだ絶望の場所でもある。


「……エリーゼ、ジーク。行こう。まずはアシュベリーだ」


 アルトリウスの声には、かつて絶望の王都で仲間を鼓舞した時と同じ、揺るぎない王者の芯が戻っていた。


「シルヴァを迎えに行き、それから『禁書』を探し出そう。叔父上が残した最後の光が消える前に、僕たちが果たすべき役目が……そこにあるはずだ。今度こそ、誰も置き去りにはしない」

「禁書か…。きっとソラスだな。あそこには光の精霊に関する情報が山ほどあるからな」


 ジークが目をつむりながら言った。


 一行は、赤く染まるポート・アンカーの港を後にし、静かに、しかし力強く、仲間が待つ灰の街へと歩みを進めた。


ご覧いただきありがとうございました!

次回の第29話は、明日【6:40】に更新予定です。

■第29話 銀の仮面の終焉、灰に咲く一輪の意志


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※これまで1日3回ペースでスピード更新をしてまいりましたが、他サイト(カクヨム等)の投稿進度に追いつくため、次回(第29話)より【毎朝6:40】の1日1回更新へと移行いたします。

※毎日確実に、全32話完結までお届けしますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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