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第1話 泥まみれの騎士と紫電の少女

1. 不機嫌な少女


 遠くから、風に乗った旋律が聞こえてくる。どこから流れてくるのか、誰が奏でているのかも分からない。ただ、黄金色に染まるウィンダミアの夕暮れは、今日もまた美しく、穏やかであった。


 その美しさの中、一人の少女が不機嫌な足取りで歩いていた。


「なによ、どいつもこいつも。『女だから』なんて、何も見ないうちから決めつけて」


 エリーゼは吐き捨てるように言った。先ほど、王都アゼルロードで騎士団の調査隊選考から追い返された屈辱が、胸の奥でくすぶっている。書類をまともに見られず、実技試験にすら進ませてもらえなかった怒りの矛先を探し、彼女の鋭い視線が、街道脇に居座る巨大な岩に留まる。


「そこの岩、あんたも邪魔よ……。私の手にかかれば、こんなもの!」


 彼女が右手を力強く握りしめると、その小さな拳に美しい紫色の魔力が渦巻いた。次の瞬間、可憐な少女の体格からは到底想像もつかないような衝撃音が響き渡る。


 ドォォォォン!!


 紫電の拳が突き立てられると同時に大気の渦がその一点に集まり、巨岩は轟音と共に一瞬で粉々に砕け散った。立ち上る土煙を見つめ、エリーゼはふんと鼻を鳴らす。先ほどまで不協和音で満たされていた心の中に少しばかり軽やかな音色を感じた彼女は、少しだけ気分が晴れたような気がした。


(さて、どうやってあの分からず屋の調査隊に潜り込んでやろうかしら……)


 調査隊に入る。それは、自らの力を試し、自分が何者なのかを知るための、彼女にとっては小さくも大きな一歩となるはずであった。


2. 泥まみれの「素材」


 策を巡らせていた彼女の視界がだんだんと晴れてくる。何気なしに眺めていると、砂ぼこりの向こう側から「何か」が浮かび上がった。風圧で飛び散った岩の破片がパラパラと落ちる中、街道脇の茂みの中に横たわっていたのは、泥に汚れながらも隠しきれない気品をまとった、一人の青年だった。


 エリーゼの心臓が、とたんに早鐘(はやがね)を打ち始める。


「え? 嘘でしょ? 死んでる……?まさか、私のせい!?」


 顔から一気に血の気が引いていく。恐る恐る膝をつき、震える指先を青年の鼻先に近づけた。


(お願い、死んでないで。ここで死なれたら、私の輝かしい人生が始まる前に終わっちゃう!)


 数秒の沈黙が、永遠のように感じられた。だが、指先に微かな、しかし確かな熱を持った吐息が触れた。


「……あ。生きてる」


 肺に溜まっていた毒素をすべて吐き出したかのような、深い安堵が漏れる。


「よかった……!私のせいじゃないわ」


 無実を確信した途端、エリーゼの瞳は「恩人」のそれから、「獲物」を鑑定する悪徳商人のようなそれへと豹変した。


「この男が勝手に道端で寝ていて、私が勝手に岩を砕いただけ。完全なる不可抗力。不慮の事故。私はむしろ被害者よ」


 自分自身への完璧な言い訳が完成した瞬間、彼女の脳細胞は凄まじい速度で回転を始めた。改めて青年を観察すると、その「素材」の良さは一目瞭然だった。泥を被ってはいるが、白銀に輝く高価そうな装束。そして何より、傍らに置かれている見事な装飾の剣。


(ちょっと待ちなさいよ。この顔、この身なり、この尋常じゃないオーラ。……これ、どこかのとんでもないお坊ちゃんじゃないの?)


 先ほど苦々しくも門前払いしてきた門番の顔と、目の前の青年が音を立てて繋ぎ合わされた。


(私一人じゃ『実績なし』の村娘。でも、もしこの『いかにも凄そうな騎士』を従者として連れて行ったら? 私こそがその主人だって言い張ったら?――あの門番だって、この高貴なオーラの前では跪くしかないわ)


 安堵はいつの間にか、獲物を仕留めたハンターの薄笑いに変わっていた。


「感謝しなさいよ、イケメンくん。あんたのその命、私の夢のために有効活用してあげるわ」


 魔力の力で青年を浮かび上がらせる。夕闇が迫るウィンダミアの道を、獲物を背負った少女は将来の栄光を夢見て意気揚々と突き進んでいった。


3. 宿命の残響


 ウィンダミアの村外れ。元魔導師長ガレットの隠居所は、いつも通りのハーブの香りと古い書物の匂いに満ちていた。その静寂を、乱暴な衝撃音が突き破る。


「おじいちゃん、大変!大変よ!」


 玄関を蹴破る勢いで帰宅したエリーゼ。その背後には、自分の野望の種、泥だらけの青年が、エリーゼの魔力でフワフワと浮き上がっていた。


「道端で騎士様が倒れてたの!放っておけなくて連れてきちゃった!」


 必死な声を張り上げながら、先ほどの計算を完璧に演じるための準備に抜かりがない。


「……ほう、それはそれは、奇特なことだ」


 傍らで茶を啜っていたガレットが、ゆっくりと腰を上げた。孫娘のあからさまな演技にはあえて触れず、彼の鋭い視線は一点、青年の腰に帯びられた「剣」の鞘へと吸い寄せられた。


 その瞬間、ガレットの手から茶碗が音を立てて机に置かれた。古びた鞘に刻まれた独特の紋章。鎧に施された獅子の装飾。それは、彼がかつて自ら振り払い、二度と出会うはずのなかった「宿命」の残響そのものだった。


(……やはり、来たか)


 一瞬だけ、ガレットの表情が変わった。それは、エリーゼの知らない「魔導師長」の顔だった。エリーゼを運命の渦から守るためにすべてを捨て、隠し通してきたはずの運命を、孫娘は自ら連れて帰ってきてしまったのだ。


(逆らえぬ、か。……ならば、その導きに従うのもまた一興か)


 ガレットはわずか数秒でその「牙」を隠し、いつもの飄々とした好々爺に戻った。


「おお、エリーゼ、よく助けてやった。感心なことだ。さあ、お湯を沸かしなさい。……運命という奴は、いつだって泥まみれの顔をしてやってくるものらしい」


4. 従騎士アルトリウス


 テーブルの上には湯気を立てる野菜スープ。エリーゼは身を乗り出し、声を弾ませていた。


「ねえおじいちゃん、私決めたわ。この男が目覚めたら、私の『従騎士』になってもらうの。そんな人を従えた私が『主人』だってことになれば、王都の門番だってひれ伏すに決まってるわ!」


 ガレットは孫娘の自分勝手で無邪気な野心にほとほと苦笑しながら、あえて何も言わず、その「嵐の前の静けさ」を楽しんでいた。その時、ベッドからかすかな衣擦れの音が漏れた。


「……ここは、どこだ?」


 テーブルの空気が一気に切り替わる。立ち上がったエリーゼの顔には、完璧な「恩人の笑顔」が貼り付いていた。


「あ、起きたのね!よかった。ここはウィンダミア。あんた、道端で野垂れ死にそうだったのを私が助けてあげたのよ」


 矢継ぎ早に言葉を畳み掛けるエリーゼ。しかし、上体を起こした青年は、自分の手や傍らの剣を、まるで初めて見る物体のように不思議そうに見つめていた。


「……私は、なぜ……?いや、私はいったい……」


 焦点の定まらない青年に対し、エリーゼは問いかける。


「あなた、名前は?」

「名前?……名前。……いや、何も…思い出せない…」


(……あら。もしかして、記憶がない?)


 千載一遇の好機。……好機?そうよ、好機よ。エリーゼは身を乗り出した。


「えっと、何を言ってるの?あんたは私の……そう、私の忠実な『従騎士』でしょ!私を守るために戦って、それで、頭を打っちゃったのよ。ほら、思い出して!」

「うぅ。……そうだったのか……、ところで、私の名は?」

「名前!?え、と。えー……あ、アルトリウス!あなたはアルトリウスよ」

「アルトリウス……」


 青年はじっと自分の手を見つめていた。ふとエリーゼの顔を見て、再び手へと視線を落とす。そして、静かに目を閉じた。


 エリーゼは気まずさから冷や汗を浮かべたものの、そのまま椅子に腰掛け、彼の返事を待った。さすがに我ながらデタラメだったと呆れるエリーゼだったが、青年の返した反応は予想外のものだった。


「……確かに君は、私が守るべき存在という気がする。……そうか。私は、アルトリウスか。君の従騎士だったんだね」


 目の前の少女に対して、そこはかとなく懐かしさを感じていた。彼女の眼差しを見つめていると、胸の奥が妙に温かくなる。それは、かつて命を賭してでも守ろうとした「何か」が、今目の前で形を成しているかのような、理屈を超えた確信だった。


 エリーゼは彼の目を見ていた。その疑いを知らない、あまりにも澄んだ瞳。アルトリウス。その場の思いつきで付けられた名とも知らず、彼はエリーゼの嘘を「真実」として受け入れてしまった。


「そうよ!私はエリーゼ。呼び捨てでいいわよ」

「分かった、エリーゼ。君を守るために戦って記憶を失ったのなら、私は幸せ者だ。こんなに……こんなにも明るくエネルギッシュな主を持てていたのだから」


 アルトリウスは毒気を抜かれるほどに清々しい表情で頷いた。


 野望に燃える計算高い少女と、その嘘を聖典のように信じる騎士。この歪な不協和音が、やがて世界を救う大合奏へと繋がっていくことを、今は誰も知らない。


ご覧いただきありがとうございました!


物語がこれからどう動いていくのか、ぜひ見届けていただけると嬉しいです。


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