第56話『白鐘の疑念』
資料室の空気は、もう“会話”として成立していなかった。
言葉は届く。
だが意味だけが少し遅れて落ちてくる。
白鐘雨音は、久瀬黎司を見ていた。
その視線には、以前までなかった“確認”が混ざっている。
「……久瀬さん」
久瀬は顔を上げる。
「何だ」
白鐘は一瞬だけ迷い、そして言う。
「あなたが推理するたびに、人が消えています」
沈黙。
有馬がすぐに反応する。
「は? 何言ってんだよ」
白鐘は視線を外さない。
「事実です」
久瀬は否定もしない。
ただ、静かに問い返す。
「根拠は」
白鐘は資料を開く。
そこには“欠落の記録”が並んでいる。
だが一つずつが曖昧だ。
誰が消えたのかではない。
“消えた気配”だけが残っている。
白鐘は言葉を選ぶ。
「あなたが仮説を出すたびに、記録が減るんです」
久瀬は視線を落とす。
そして短く言う。
「因果が逆だ」
白鐘が眉をひそめる。
「逆……?」
久瀬は続ける。
「消えているから、俺が仮説を出している」
沈黙。
有馬が呟く。
「どっちでもいいだろそんなの」
だが白鐘は違う。
その言葉に、確かに“何かの軸”を感じてしまっている。
白鐘は一歩だけ後退する。
「私は……見てしまったんです」
久瀬が問う。
「何を」
白鐘は言葉を詰まらせる。
「“あなたの推理の後に空白が増える瞬間”を」
沈黙。
その瞬間、資料室の照明が一瞬だけ揺れる。
有馬が眉をひそめる。
「またかよ」
白鐘は震える声で続ける。
「久瀬さん……あなた、何を見ているんですか」
久瀬は少しだけ間を置く。
そして答える。
「矛盾だ」
白鐘の表情が固まる。
「矛盾……?」
久瀬は静かに言う。
「世界が維持できないものを、俺は見ている」
沈黙。
有馬が苛立つ。
「それがなんで人が消える話になるんだよ」
久瀬は答えない。
代わりに窓を見る。
雨は止んでいる。
だが“止んでいる理由”が消えている。
白鐘が小さく呟く。
「じゃあ……久瀬さんは」
久瀬が視線を戻す。
白鐘は言う。
「世界を壊してる側なんじゃないですか」
その瞬間、空気が一段だけ重くなる。
有馬が止まる。
「おい……」
白鐘は止まらない。
「推理って、確定させる行為ですよね」
「確定した瞬間に、不要なものが消えるなら」
「それをしているのは……」
言い切れない。
だが空気が答えを作る。
久瀬は否定しない。
ただ静かに言う。
「それでも見なければ、もっと壊れる」
沈黙。
白鐘の目が揺れる。
信じたいのか、拒みたいのか分からない。
そのとき、有馬がふと呟く。
「……おい」
二人が振り向く。
有馬は資料を見ている。
「なんか……減ってねぇか」
白鐘が息を呑む。
「何がですか」
有馬は答えられない。
だが確かに“誰かの名前を思い出そうとしている空白”がある。
久瀬は静かに確信する。
疑念が生まれた。
そしてこれはもう戻らない。
白鐘は小さく言う。
「私は……あなたをまだ信じたいです」
だがその言葉は、すでに遅れている。
空白はもう、動き始めている。
久瀬は静かに言う。
「次に消えるのは“理解される前提”だ」
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