第11話
「こんにちは」
初めてのイデアルから3週間ほど経った日だった。私たちは昼の礼拝に通いつつ、夜は教会と城を宿から観察する日々を送っていた。
「お久しぶりです!この前はありがとうございました」
礼拝を終えてから席を立とうとすれば、後ろから声を掛けられた。振り返れば、もはや顔馴染みとまで言える聖女様の補佐の方が笑顔で立っていた。
「いえ、こちらこそイデアルにご参加いただきありがとうございました」
補佐は聖女様に群がる信者を横目に、隠すように見覚えのある手紙を渡してきた。
「これは…!」
「そうです。他の信者に悟られないよう教会を出てから中身を確認してください」
「分かりました。ありがとうございます」
「では、私はこれで失礼します」
彼は頭を下げるとすぐに信者の中に紛れて行った。どうやら用件はそれだけだったようだ。
「お兄ちゃん、行くよ」
「あ、あぁ……」
「どうしたの?何かあった?」
「…聖女様、俺たちの方見てないか?」
カイルが声を潜めて言った通り、聖女様は私たちの方を見ていた。
それもじっと。
ベールに覆われて視線が分からないはずなのに、確実に見られていることが分かった。
「とりあえず聖女様に微笑んで、礼をして」
耳打ちすれば、カイルは私が言った通りに礼をした。私も一緒に礼をすれば、聖女様も軽くではあるが礼を返すような動作をしてくれた。これは完全に私たちを認知している。
「……今日のイデアル、もう少し踏み込んでもいいかもしれないわね」
「作戦練り直すか?」
「いや、その場の雰囲気と判断で私から切り出す」
宿に戻るなり手紙を開封すれば、中には短い文でイデアルに選ばれたことと今日の集合場所が書かれていた。
『本日、日が沈んだ後に教会に来られたし』
***
「こんばんは」
「こんばんは、よくぞいらっしゃいました」
教会に向かえば、既に補佐の方が待っていた。私たちの姿を視認すると、そのまま教会の奥にある小部屋に案内してくれる。
こんな場所が隠されていたなんて…。今度礼拝の時間以外に偵察に入った方がいいかもしれない。
そして補佐の男性が扉を開けると、聖女様がすでに待ってくれていた。
「こんばんは」
「こんばんは、お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ、問題ありませんよ」
聖女様が補佐に声をかけて部屋を退出させる。机の上には紅茶とお菓子が置かれていた。
「さぁどうぞ座ってください」
その言葉に、聖女様の向かい側にカイルと並んで腰かける。聖女様は砂時計を逆さまにしてから私たちを見た。
「本来ならばこんなこと私から言ってはいけないのですが、ぜひこの前話してくださったお話の続きをお聞かせ願えればと思います」
申し訳なさそうにする聖女様の姿に、私とカイルは思わず顔を見合わせる。それから思わず笑ってしまった。
「勿論ですよ。僕たちも聖女様にお話しできるのを楽しみにして来ましたから」
「そうですか!そう言っていただけて嬉しいです」
申し出るまで緊張していたのか、聖女様ははーっと長く息を吐きだした。
聖女という立場では、自分の意見を主張する機会が全くないから緊張したのだろう。そこまで読めるとその姿が愛らしく思える。余程緊張したのか、聖女様は私たちとは違う香りのする紅茶を一気に飲んだ。
「先日はどこまでお話ししましたっけ?」
「サーカスを見た所まで聞かせていただきました」
「そうでしたね。では、その続きからお話ししましょう」
カイルが聖女様に読み聞かせをするように話をする。私は聖女様の様子を観察しながら、彼の話に補足をするような形で違和感のないようにイデアルに参加をする。聖女様は目を輝かせながら私たちの話を聞いていた。
砂時計が全て落ちかける少し前、聖女様から見えないように机の下で私はカイルに合図を送った。事前の打ち合わせでカイルは合図に気づき次第、私に話を振る算段となっている。
「あぁ、そうだ。今日は妹から聖女様にお願いがあるそうなのでぜひ聞いていただけませんか?」
「あら、そうなんですか?」
ここまでは自然な流れだ。カイルの言葉に聖女様は首を傾げる。
「はい。あのご無理でなければ、聖女様のお名前を知りたいなと思いまして」
「……私の?」
「失礼なことを言っているのは承知の上です。ですが…寂しくて」
下を向きながら声を震わせる。聖女様からしたら、泣きそうなのを堪えているように見えるだろう。
「聖女様と折角こんなに楽しくお話しできるのに…お顔も名前も…何も知らないままだなんて……」
「メル、我が儘言いすぎだぞ」
「だって、」
声を荒げた私を宥めるようにカイルは頭を撫でる。さて、これでどんな風に出てくるだろうか。
「そういえば、私もあなた方のお名前を存じ上げませんね」
「え?」
聖女様は今更気づいたというように手を打つ。確かに、イデアルに推薦された時も名前を聞かれなかった。入国審査の時と言い、どうもこの国の人たちは名前を重視していない傾向にあるように思える。
「では今更ですが、自己紹介をさせていただきます。僕はカイルと申します」
「私は妹のメルです」
そう言うと聖女様は頷いた。そしてそのまま無言の時間が流れる。
「あの、聖女様はやはり名乗られませんか…?」
恐る恐るこちらから切り出せば、不思議そうな顔をされる。そうか、名乗る習慣もないのか。皆が聖女様と呼ぶから名前なんて使わないのだろう。
「私も名乗るものなのですか?」
「義務ではありませんが自己紹介は相互に行うことが多いので…」
そう言えば、聖女様は少し動揺してから咳払いをした。そしてこちらの様子を伺うようにしておずおずと口を開いた。
「えっと…名前はレティシア…です?」
「レティシア様ですか!美しい名前ですね」
「どうして疑問形なんですか」
「私も久しぶりに口に出したので……。それに、あまり人に呼ばれることがないので慣れなくて」
「ならこれからは私たちが沢山呼びますね」
「嬉しいですが、他の方の前では呼ばないように気を付けてください。名前を口外することは本来禁止されていますので」
口の前で人差し指を立てられれば、私たちが約束を守るしかない。しかし、レティシア様は笑いが堪えきれていないという様子でクスクスと笑っている。
「どうされましたか?」
「初めて言いつけを破ってしまったなと」
子どもが悪戯に成功した時のような表情だった。今まで聖女として生きてきた彼女には、こうして何かを楽しむということが殆ど無かったに違いない。
「それじゃあ僕たちだけの秘密ってことで」
「ふふっ、秘密を共有するなんて何だかドキドキします」
「聖女様との秘密なんて光栄です!」
しかしそんな時間も長く続くわけもなく、扉がノックされた。砂時計を見れば、砂はいつの間にか完全に落ち切っていた。
「あぁ…もう時間ですか。またお話ししましょう」
「ということは、また選んでいただけるのですか!」
「勿論です。でもこれも内緒ですよ」
今夜のイデアルはこれで終了となった。今回だけでも相当距離が近くなったと思うし、収穫としては十分だ。
宿への帰り道でカイルがため息をついた。きっと無意識だろうが、そのため息に思わず笑ってしまった。
「お疲れ様。よく頑張ってくれたわね」
「これを繰り返すのか?」
「えぇ、時間をかけてゆっくりとね」
私の返答に若干嫌な顔をする。長期戦が苦手なのかな。たしかに、彼の前職である警備隊は長期戦よりも短期戦の方が多い気がする。言ってしまえば、今の作戦の真逆だ。
「お願いだから我慢してね」
念押すように言えば、カイルは嫌々ながら返事をしてくれた。




