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第13話 パパとママは嘘つき

 午前の配達から戻った浩司に楓子がお茶を出していると、居間の電話が鳴った。

 応答した絹江が受話器を持ったまま店舗へ降りてくる。


「楓子さん、幼稚園から電話よ」


 この時間に幼稚園から。

 嫌な予感がしながらも楓子が電話を代わると、案の定、桜子の担任だった。


「桜子ちゃんがお友達と喧嘩をして、相手に怪我をさせてしまいました。お手数ですが、幼稚園まで来ていただけますか」


 担任の話すテンポがやけに早い。よほど慌てているのだろう。普段は落ち着いている楓子も、さすがに少し焦った。一つ深呼吸して、すぐに向かうと伝えて準備を始める。


 でも——頭の中に、疑問が引っかかっていた。


 桜子が、喧嘩?


 あの子は人と喧嘩するような子ではない。小さい子を見れば進んで面倒を見るし、公園では見知らぬ子を遊びの輪に入れてあげる。

 悲しいテレビ番組を見て涙を流すこともある、感受性の強い優しい子だ。


 どんな理由があっても人を傷つけてはいけないと何度も話してきたし、実際に誰かを叩く姿など一度も見たことがない。


 ……それでも、担任が嘘をつくはずもない。

 楓子は急いで幼稚園へ向かった。



 ◇



 職員室に入ると、桜子と同級生の立花友里(たちばなゆり)が同じソファの左右に離れて座っていた。


 友里の怪我は膝を擦りむいた程度で、少し赤くなってはいるが血は出ていない。絆創膏も必要なさそうだ。

 友里は直前まで泣いていたらしく、瞳を真っ赤にしたまま鼻をすすっている。桜子は戸惑いの表情で、楓子が入ってきた瞬間に目をそらした。


 担任が楓子を部屋の奥へと誘った。


「お呼び出しして申し訳ありません。事情が事情でしたので、お知らせしないわけにもいかず」


「いえ、かまいません。私が先生の立場でも同じようにしたと思います」


「そう言っていただけると助かります。——それで二人の喧嘩なのですが、どうやら先に友里ちゃんが桜子ちゃんを怒らせたようなんです。口論になって、桜子ちゃんが友里ちゃんを突き飛ばしてしまって。何度か理由を訊いているんですが、二人とも話してくれなくて」


「二人とも、ですか」


「はい。友里ちゃんは泣いてばかりですし、桜子ちゃんも言いたくないと。お母さんから事情を訊いていただけますか」


 楓子は静かに頷いた。


 口論自体は珍しくない。この年頃の子供は毎日のように喧嘩する。

 問題はその内容だ。あの穏やかな桜子が、相手を突き飛ばすほど怒った理由——それが、楓子にはどうしても気になった。


「ご迷惑をおかけしました。私からも事情を訊きますので、今日のところは連れて帰ってもよろしいでしょうか」


「はい、よろしくお願いします。——あぁ、友里ちゃんのお母さんもいらっしゃいましたね。一度お戻りを」


 子供たちのところへ戻ると、おっとりした優しい雰囲気の友里の母親が待っていた。楓子は真っ直ぐ頭を下げた。


「申し訳ありません。うちの子が友里ちゃんを突き飛ばしてしまったようで。本当にごめんなさい」


「そんなに畏まらないでください。子供たちのことですから。膝を擦りむいただけですし、心配ありませんよ」


「それでも人様に怪我をさせたのは事実ですから。桜子にもちゃんと謝らせます」


「わかりました。お互いに謝って仲直りしましょうか」


 促されて、桜子と友里はそれぞれ口を開いた。


「ごめんね、桜子ちゃん」


「あたちも、ごめんね。友里ちゃんを転ばせちゃった」


「はい、よくできました。仲直りの握手をしましょう」


 担任の声に合わせて、二人がぎこちなく手を握り合った。バツの悪い顔をしながらも、それでもちゃんと握り返していた。



 ◇



 帰宅すると、浩司が心配そうに何か言いたげな顔で待っていた。楓子は「後で説明する」とだけ言い残し、桜子を連れてリビングへ上がった。


 むっつりと黙り込んだままの桜子の前に膝をついて、楓子はそっと抱きしめた。


「ねぇ桜子。何があったの? ママにお話ししてくれる?」


「いや。言いたくない」


「そんなに言いたくないことなの? ママにも話せない?」


 楓子は優しく頬擦りしながら、耳元でそっと語りかけた。くすぐったかったのか、桜子が少し身をよじる。それからしばらくして——小さな声が聞こえてきた。


「あのね……友里ちゃんがね、パパとママのこと、嘘つきって言ったの」


「嘘つき? どういうこと?」


「友里ちゃんがね……あたちのパパとママは、本当のパパとママじゃないって」


 楓子の体が、一瞬固まった。


 五歳の子の言葉だ。でも、それが何を意味するのかは痛いほどわかる。その年齢だからこそ、物事の本質をまっすぐに言葉にできてしまうのだろう。


「パパとママとあたちは、髪の毛の色もおめめの色も違うから変だって。だから本当のパパとママじゃないって……」


「そんなことないのよ。パパもママも、あなたの本当のパパとママだもの。嘘なんかじゃないわ」


「うん、あたちもそう言ったの。そしたら友里ちゃん、パパとママが嘘ついてるって」


「そんな……」


「だからあたち、ひどいこと言わないでって友里ちゃんを押したの。そしたら転んじゃって……ごめんなさい……」


「桜子……」


 楓子は気づかないうちに、桜子をきつく抱きしめていた。


 ——真実を、話すべきなのだろうか。


 でも、まだ五歳だ。全てを詳らかにするには早すぎる。この子が全てを受け止められる日まで、もう少しだけ待てないだろうか。


 そう思いながら、どう言葉を探せばいいのかわからないでいると——桜子がまた口を開いた。


「どうしてあたちはパパとママとおばあちゃんと違うの? クラスのみんなとも違うの? ねぇ、どうして?」


 楓子は少し考えてから、静かに答えた。


「それはね……パパとママが神様に、桜子を世界で一番可愛い女の子にしてほしいってお願いしたからかな」


「そうなの? 神様がお願いを聞いてくれたの?」


「うん、そうだと思うよ」


 桜子はしばらく考え込んだ。小さな肩が、大きく落ちた。


「そうなんだ……」


 それから、ぽつりと呟いた。


「でも、あたちはみんなと同じがよかったな……」


 楓子は桜子の体をもう一度、強く抱きしめた。

 そして桜子に見えないように、顔を隠して——そっと、涙を流した。

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