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第13話 パパとママは嘘つき

 午前の配達から戻った浩司に楓子がお茶を出していると、不意に居間の電話が鳴った。応答した絹江が受話器を持ちながら店舗へ下りてくる。


「楓子さん、幼稚園から電話よ」


 それは桜子の幼稚園からだった。こんな時間に電話がかかってきたということは、何か問題があったに違いない。急いで楓子が電話を代わると、案の定、桜子の担任の先生だった。


「桜子ちゃんがお友達と喧嘩をして、相手に怪我をさせてしまいました。お手数ですが、幼稚園まで来ていただきたいのですが」


 よほど慌てているのだろうか、担任の話すテンポがやけに早い。普段は落ち着いている楓子もそれにはさすがに焦ったが、一つ深呼吸して平静を保とうとした。そしてすぐに幼稚園へ向かうと伝えて準備を始めたものの、ふと疑問が頭をよぎる。


 桜子は人と喧嘩をするような子ではない。ましてや暴力などもっての外だ。どんな理由があったとしても、決して人を傷つけてはいけないとこれまで何度も教えてきたし、事実、彼女が他人を叩く様子など見たことはなかった。


 桜子はとても優しい子だ。小さい子供を見れば進んで面倒を見たり、公園では見知らぬ子供を遊びの輪に入れてあげたりもする。感受性も強く、悲しいテレビ番組を見て涙を流すこともしばしばだ。

 そんな子が暴力を振るうなんて(にわ)かには信じがたい。とはいえ、担任が嘘を吐いているとも思えず、楓子は急いで幼稚園へ向かった。




 桜子と同級生の立花友里(たちばなゆり)は揃って職員室の中にいた。楓子が到着したときには同じソファの左右に離れて担任の話を聞いていた。

 膝を擦りむいただけらしい友里の怪我は大したことがなさそうだ。少し赤くなってはいるものの、血は出ていないので絆創膏の必要もないだろう。


 桜子の顔には戸惑いが浮かび、直前まで泣いていたらしい友里は瞳を真っ赤にしたまま鼻をすすっている。

 楓子の姿を認めた桜子が瞬間的に目をそらす。その様子を見ながら担任は楓子を部屋の奥へと誘った。



「お呼び出しして申し訳ありません。事情が事情だったものですから、お知らせしないわけにもいかず」 

 

「いえ、かまいません。私が先生だったとしても同じようにしたと思います」


「すいません、そう言っていただけると助かります。――それで二人の喧嘩なのですが、どうやら先に友里ちゃんが桜子ちゃんを怒らせたようです。それで口論になってしまい、桜子ちゃんが友里ちゃんを突き飛ばしました。何度も喧嘩の理由を訊いているのですが、二人とも話してくれないんです」


「二人ともがですか?」 


「はい。友里ちゃんは泣いてばかりですし、桜子ちゃんも言いたくないと。申し訳ありませんが、お母さんからも事情を訊いていただけませんか?」


 眉尻を下げた担任が申し訳なさそうに事情を説明する。それを聞いた楓子は頭の中で考えた。


 口論そのものに問題はない。自制のきかないこの年齢の子たちは普段から喧嘩ばかりするものだ。

 問題があるとすればその内容だろう。あの優しく穏やかな桜子が、相手を突き飛ばすほど怒るだなんて一体どんな話だったのか。

 気になる。とても気になるが、今ここで考えたところで答えは出ない。まずは本人に話を聞くべきだろう。


 そう思った楓子は居住まいを正して担任へ告げた。

 

「ご迷惑をおかけしました。私からも事情を訊いておきますので、今日のところはこのまま連れて帰ってもよろしいでしょうか?」 


「はい、よろしくお願いします。それでは……あぁ、友里ちゃんのお母さんもいらっしゃいましたね。一度あちらへ戻りましょう」


 楓子と担任が子供たちのところへ戻る。そして、おっとりした優しい雰囲気の友里の母親へ楓子が謝罪の言葉を口にした。


「申し訳ありません。うちの子が友里ちゃんを叩いてしまったようで。本当にごめんなさい」


 真摯で丁重な楓子の言葉。それに友里の母親が気遣うように答えた。


「そんなに畏まらないでください、子供たちのことですから。それに膝を擦りむいただけですので心配ありませんよ」


「それでも人様に怪我をさせたのは事実ですから。桜子にもちゃんと謝らせます」


「わかりました。それじゃあ、お互いに謝って仲直りしましょうか」


 楓子と友里の母親がそれぞれの子供たちに向かって話をする。それで納得したのか、桜子と友里はお互いに謝った。


「ごめんね、桜子ちゃん」


「あたちも、ごめんね。友里ちゃんを転ばせちゃった」


「はい、よくできました。それじゃあ、仲直りの握手をしましょう」


 担任の掛け声で手を握り合った桜子と友里は、バツの悪い顔をしながらもお互いを許し合った。



 ◆◆◆◆



 楓子と桜子が自宅へと帰って来る。心配そうな浩司が何か言いたそうにしていたが、楓子は「後で説明する」と言い残してそのままリビングへと上がっていった。

 楓子はむっつりと黙り込んだままの桜子の前にしゃがみ込むと、その身体をギュッと抱きしめた。


「ねぇ桜子。何があったの? ママにお話ししてくれる?」


「いや! 言いたくない」


 桜子は拒絶するが、楓子は優しく尋ね続けた。


「そんなに言いたくないことなの? ママにもお話できないの?」


 楓子が優しく頬擦りしながら耳元でそっと語りかける。くすぐったかったのか、桜子は僅かに身をよじるとやがて小さな声で話し始めた。


 

「あのね……友里ちゃんがね、パパとママのことをね、嘘つきって言ったの」


「嘘つき? どういうこと?」


「友里ちゃんがね、あたちのパパとママが、本当のパパとママじゃないって」


 楓子の瞳が驚きとともに見開かれる。未熟な5歳児の言葉ではあるけれど、それは痛いほど明らかだった。その年齢だからこそ物事の本質をストレートに言葉にできるのだろうが、いずれにしてもそれは桜子にとって重すぎる。


 ある意味で友里の言葉は事実だった。それをどう説明すれば桜子が傷つかないかを必死に楓子は考える。絶望的な思いを抱えながら、桜子の心を守る方法を探し続けていた。その彼女へ桜子が続けて言った。


「パパとママとあたちは、髪の毛の色もおめめの色も違うから変だって。だから本当のパパとママじゃないって……」


「そんなことないのよ。パパとママはあなたの本当のパパとママだもの。嘘なんかじゃないわ」

  

「うん、あたちもそう言ったの。そしたら友里ちゃん、パパとママが嘘ついてるって」


「そんな……」


「だからあたち、ひどいこと言わないでって友里ちゃんを押したの。そしたら転んじゃって……ごめんなさい……」


「桜子……」


 気付けば楓子は桜子を強く抱きしめていた。そして人知れず心の中で葛藤する。


 あぁ……やはり真実を伝えるべきなのだろうか。

 でもまだこの子はほんの5歳なのだ。すべてを詳らかにするにはさすがに早すぎる。


 あぁ神様。どうかもう少しだけ時間を下さい。

 せめてこの子がすべてを受け止められるようになるまで――


 存在するのかもわからない神にむかって、涙を浮かべて祈り続ける楓子。彼女へ桜子が再び尋ねた。


「どうしてあたちはパパとママとおばあちゃんと違うの? クラスのみんなとも違うの? ねぇどうして? ねぇ……」


「それはね……パパとママが神様に、桜子を世界で一番可愛い女の子にしてほしいってお願いしたからかな」


「そうなの? 神様がお願いを聞いてくれたからなの?」


「うん、そうだと思うよ」


 考え込んだ桜子が顔を伏せる。その小さな肩は大きく落ち込んで見えた。そしてポツリと呟く。


「そうなんだ……。でも、あたちはみんなと同じがよかったな……」


 楓子は桜子の身体を強く抱き締めながら、顔を隠してそっと涙を流した。

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