とある好青年
とある好青年
この話に関しては、あまり詳細に記してしまうと、とある事件に関してヒットしてしまう為に詳細を伏せる。
当時Hさんは、大阪府の外れにある◯◯市のマンションで旦那と新婚生活を送っていた。
Hさん夫婦の暮らす住宅は一階で、マンションは道路に面する様にして建っていた。
Hさんは日課として、朝八時頃になると、あらかじめタイマーでセットしておいた洗濯機から洗濯物をベランダに干していたのだという。
ベランダは歩道に面していて、ちょうどその頃になると、通勤しているサラリーマンが行き交うのがベランダの柵越しに見えるのだという。
「おはようございます!」
雑多に行き交うスーツ姿の男の中で、毎日、この時間にHさんに声を掛けてくる青年がいた。
「今日は洗濯日和ですね」
黒の短髪に痩身で、紺色のスーツに身を包んでいる、若手サラリーマン然とした青年は、爽やかな笑顔を見せながら、平日のこの時間に、柵越しにHさんにそう声を掛けて来るのだった。
男からは別段、下心と言うものを感じる訳でもなかった。それに見るからに干支ひと回りほどの歳の差があるし、第一からしてその好青年のビジネスバッグを握る左手の薬指には、Hさんと同じように、真新しく輝く銀色の結婚指輪が輝いていた。
「お仕事頑張って」
「ええ、ありがとうございます!」
Hさんと青年は、平日の間はそうして柵越しに挨拶を交わす事が日課となった。Hさんは、初めの頃はすっぴんでベランダに出ていた為に声を掛けられる事に戸惑ったが、いつしかその青年の為に、毎朝最低限の化粧をする様になった。この好青年に差し向けるマナーとしてそうする様になったらしい。
ある日の土曜日、Hさんは、日がな一日部屋で寝転がってばかりいる旦那に、嫌味のつもりでこう言ったという。
「あなたも寝てばかりいないで、あの人みたいにならないといけないわ」
「あの人って誰だよ」
「あの人よ。前話したでしょ、洗濯物を干してると挨拶してくれる人。あなたと違って毎朝同じ時間にきっちり出勤していくんだから」
Hさんの旦那は、仕事を辞めて、またしばらくしてからまたすぐに辞めて、という生活を繰り返していたらしい。その為に、あの精錬恪勤とした好青年を見習え、と言うつもりで言ったらしかった。
「どんな奴だよ」
しかし旦那は以前興味なさそうに、居間に寝転がりながら、だらしなく、朝のニュース番組をまどろんだ様な目で眺めていたという。
『大阪府◯◯市のアパートで、妻の――――』
報道番組の雑音を聞きながら、Hさんは生返事をした旦那へと嫌味を重ねようと振り返った。
『遺体を遺棄した疑いで、夫の△△△△(27)を――』
Hさんは振り返った先で、その好青年の顔をテレビの中に観た。
「は――!?」
小さな叫び声をあげながら居間を横切って、テレビにかじり付いたHさんに旦那は驚いていたと言う。
『遺体には鈍器で何度も頭部を殴った痕があり――遺体は死後八週間が経過しており、近隣住民からの悪臭がすると言う通報で――』
――間違いが無く、自分と毎朝挨拶を交わしていた、あの青年が容疑者として一面記事になっていた。
「この人っ!! コノヒトッ! ヒイいい!」
「ええっ! とんだ大悪党じゃねえかよぉ!」
ニュースキャスターは、死後二週間が経過した妻の遺体を自宅のアパートに遺棄していたと報じていた。
「二週間って……」
絨毯にくずおれた形のHさんは、嘆く様に顔を両手で覆うしか無かった。
何故なら……先週も、今週も、そして昨日も、その青年は休みなく、普段と変わらぬ溌剌とした笑顔で、Hさんへと、ベランダ越しに挨拶を交わしていたからだ。
「おはようございます! 今日もいい天気ですね!」
屈託の無いあの笑顔の裏で、青年は、自宅に妻の遺体を何食わぬ顔で遺棄していたのだと思うと、背筋がゾッとしたと言う。