夕暮れ広場の幽霊 終
「え、あ、は……?」
今、なんて言ったこの子。
君が欲しいって……それって……!
「いきなりで戸惑うのも無理ない」
先ほどまでの痴態はどこへやら、久家はキリッと精悍な顔つきで話を進める。
「だから、まずはお試しで始めてみないか?」
「お試し!?」
「ダメ、かな」
そこは友達からでとかでないの!?
い、いや、待て! そもそも、そういった意味だと決めつけるのは早計だ!
チラリも久家の様子を伺う。変わらず真摯な態度で立っていた。
均整の取れた顔筋、吸い込まれるかのよう錯覚に陥る瞳、差し込む夕日に照らされ、静かに煌めく黒髪。
否が応でも期待してしまう本能が恥ずかしかった。
だから、必死に抑える。
落ち着け、落ち着け、落ち着け……!
「……お試しだと、どういう事までするんだ」
必死に捻り出したのは、複数の解釈ができる問いだった。
これの答えで自意識過剰かどうかがわかる。
「お試し期間には、除霊を試みる事はない」
スンッとなる。
……わかっていた。わかっていたもん。
くそ、変な言い方しやがってと内心で毒づく。
「はあ」
「どうした、ため息なんてついて」
「なんでもねーっす……」
一人勝手に騒いでいた件は記憶の底に封印する。
何故なら立派な黒歴史だからだ。
思い出したら枕に顔を埋めるだろう。
「それより、意味深な事を呟いた割には何も変わっていないような」
「そうかい?」
「結局は幽霊退治を手伝ってくれって言ってるだけじゃん」
「ああ」
久家は手のひらをポンと叩く。
「脳内の話だからね。実際、言葉にはしていないよ」
「は!?」
「触れたくない事柄が有ったから避けていたが、どうにも上手く話せなくてね。だから、意識としては解禁した」
何を言っているんだ、この子……。
「例えば?」
「君の、能力が、欲しい」
最低。体目当てだったのね。
脳内の乙女秀人が怒り出す。
「別にそれは隠さなくても良かったじゃん……」
「そうかな」
「要は体力担当が欲しいって事だろ? 運動神経がーとか言ってたじゃん」
「…………」
俺の最もな意見を、しかし久家は反応せず沈黙している。
いや、思案しているのか。
……ダメだ。そろそろ付き合いきれない。
「あのさ、考えがまとまったいないなら今日はお開きにしないか? 話はまた後日聞くからさ」
次の登校日は五日後だ。
それまでには意見も固まるだろう。
「俺、寝不足で疲れてるんだ。これ以上はちょっとな」
口にすると、途端に体が重くなった。
人の体って不思議だなと感心する。
「……感を…………倒か」
「久家?」
ブツブツと呟く久家。
名を呼ぶが、反応がないのでもう良いかと鞄を手に取る。
「不信感を抱かれたら本末転倒か」
今回ははっきりと聞こえた。
振り返る。
久家は怖い顔をしていた。
「今から私がする話は、到底信じられないかもしれない。だが、君の……君だけでない、多くの人間に関わる話だ。心して聞いて欲しい」
「……やっとこさ、話す気になったようだな」
仕方がない。三度座る。
しかし、多くの人間に関わるとは大きく出たものだ。
「先に聞くが、君は都市伝説などに興味は」
「全然。ホラゲーとか漫画はたまに読むけど、そもそもあまり興味がないジャンルなんでね」
怖くなくてもあれだが、怖すぎるとあれなので見ない。
久家はホッと胸を撫で下ろす。
今の話に安堵する要素などあっただろうか。
「なら幾分話しやすい。……都市伝説は時折、人の前に姿を現す。君が見た様にね」
「それは、うん」
この目で見るまで想像だにしなかった。
噂ならまだしも、物語としか思っていなかった都市伝説が実在するなんて。
「都市伝説に幽霊はよく登場するが、幽霊は都市伝説ではないんだ」
逆もまた然りではないって事か。感覚的にも違和感はない。
「だから、都市伝説に取り込まれ悪霊と化す幽霊もいる。もちろん、関係なく悪霊なものもいるがね」
これまた思いもつかなかった。
幽霊が都市伝説に取り込まれるなどと……。
「……うーん、ちょっとしっくりこないかも」
「そうだね。例えば、夕暮れ広場の幽霊という都市伝説が姿を現す事になった時、話の元となった幽霊が必ずしも存在するわけではない」
「確かに」
根も蓋もない噂話が元の場合もあるだろう。
「その際など、近くにいる話に適合する幽霊が無理やり引き込まれるんだ」
「…………」
「例の話だとイジメが苦で自殺した生徒の霊なら適合するだろう」
ーーその子が人を傷つける意思などなくても、ね。
「……それは、確かに胸糞悪い話だな」
「ああ。都市伝説のために人を傷つける悪霊とされてしまうんだ」
「何で元が存在しない都市伝説が現れるんだ?」
「認識され、形作られたからだよ」
久家はそうとしか言えないんだと続ける。
「この世の法則と捉えてほしい。都市伝説は人々に認識される事で生まれる。その時、元となった事件や噂との繋がりは絶たれ、独立した個となる」
「だから、事実である必要がないって事か」
久家は頷く。
ピンとこなかった台詞が今更になってしっくりくる。
「程度や範囲など、観測はされているが……如何せん数値化が難しくてね」
昔ながらの足を使った手法が主だと言う。
「久家みたいな人は多いのか?」
「どうだろうね。私もそれ程、会った事はないからなあ。そもそも、知識はあれど直接対処する力など持っていないからね。辞める人も多いと聞く」
「久家は……」
聞こうとして口をつぐむ。
どうするつもりなのかとの質問は、俺を誘っている次点で意味を成さない。
「私は趣味でやっているだけだからね。辞めるも何もないんだ」
質問の内容を察した久家が苦笑しつつ、答えてくれる。
「趣味……」
「生まれた時から幽霊が見えている身としては、彼らはそう怖い存在ではないんだ」
穏やかに語る姿から本心である事がわかる。
「だから、少しでも可哀想な幽霊を助けてやりたくて。……君風に言うと目覚めが悪いからかな」
「それなら良くわかるよ」
今度は俺が苦笑する。
気持ちがわかった所で、素直に協力するとは言えないが。
「そして、君がいてくれると救える子が増える……かもしれない」
「買ってくれるのは有難いけど、俺はそんな大層な人間じゃーー」
やんわりと否定する俺の言葉を久家が遮る。
「都市伝説は人々の認識の集合により生まれる。けれど、ごく稀に“一人”でそれを成す人物がいる」
久家はジッと俺を見つめる。
嫌な視線だ。内側を覗き込もうとするかのような……。
「私も会うのは初めてだ」
「お、俺……?」
なんと情けない、か細い声だろうか。
心拍数が上がり、嫌な汗が頬を伝う。
俺は普通の高校生で、幽霊なんて初めて見た。
「ま、待てよ! 幽霊は今日初めて見たって言っただろ! そんな力があるわけないって!?」
「幽霊が見える能力と、都市伝説を形作る力に関連性はない」
「そもそも、何を根拠にそんな荒唐無稽な事を……!」
久家は人差し指をゆっくりと俺へと向ける。
「私はね、己を偽るのはどうにも苦手だが、嘘をつくのは結構得意なんだ」
「そ、それがどうしたって言うんだよ……!」
「夕暮れ広場の幽霊、彼女はーー」
ーー自殺した子の霊なんかではない。
「ばっ!?」
言葉が紡げない。
それは根底を覆す言葉だったからだ。
思い出されるのは、俺の話を聞き、妙な様子だった久家の姿。
「思い出したようだね。都市伝説が変化する。ありえない事ではないよ。だが、あの瞬間、ガラッと変わる事などありえない。あるとすれば、唯一人が信じ、変貌した場合のみ」
「……ベラベラと話していた事、あれは全て」
「嘘だよ。君が納得し、かつ比較的リスクの低い除霊法を盛り込んだ話を作った」
音を立てて記憶が崩れ去る。
嘘をつかれていたからか、とんでもない力が己に眠る事を知ったからか、過去、現在、未来の全てに不安を覚えたからか。
「幸い、都市伝説などには触れない生活をしてきたようで安心したよ。思い悩む必要はない」
「何が、だよ」
「君が都市伝説を具現化……いや、改竄したのは今回が初めてだろう」
「…………」
クラクラする。酸欠みたいな……いや、それ以上に息苦しい。
顔を上げられない。胸を抑え、必死に酸素を取り込もうとする。
「てい」
可愛らしい掛け声と共に頭に手刀が落とされる。
もちろん、相手は久家だ。
人が苦しんでいる時にとの文句は直ぐに疑問へと変わる。
呼吸が楽になっていた。わけがわからず、久家を見る。
「悪い霊が寄ってきていたよ。きっと、君の罪悪感に惹かれたのだろう」
苦しそうだったので追い払ってくれたらしい。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
そうか、幽霊は感情の生き物だから負の感情にも寄ってくるのか。
「人に影響を与える事なんて稀なんだけどね。それ程、君の負の感情が大きかったって事かな」
思い悩むのは当然だろうと久家は言ってくれる。
「特に君のように、誰かが自分のために傷つくのが嫌な人は、ね」
「……目覚めが悪いからな」
「ふふっ、わかっているよ」
久家はさてと手を伸ばしてくる。
握手だろうか。何故に。
色々ありずきたせいで、そろそろ考えるのが億劫になってきた。
「君を誘うのはもちろん自分のためだ。加えて幽霊たちのため、世の平和のため」
指を折って数える。
「私を手伝ってくれたら、改めて力が本当にあるのか確認できる。そして、力があるのならこちらの世界についてもっと知った方が良い。快適な睡眠のためにね」
最後にちゃめっ気を出してくる。
いや、俺には適切な言葉か。
本当なら一度持ち帰って検討してみると言いたい所だが……。
「今日は疲れたからな。もうどうにでもしてくれ」
半ば投げやりに手を握る。
汗ばんだ俺とは違い、久家の手はひんやりとしていた。
申し訳ない。
「言ったな? 任せたまえ。悪いようにはしないよ」
久家の自信満々な姿に抱えた不安は夕日と共にひっそりと沈んでいくのだった。