恋は暗闇3
管野家の人間は短命だった。管野の父親は夜道を転んで頭を打って死んだ。管野が六歳の時。管野の母親はある朝ベッドで眠るように死んでいた。原因不明の突然死。管野が九歳の時。管野家の生き残りは、管野と祖母だけになった。祖母は管野家の血が流れているとは思えない程の年齢を重ねていた。だがある日、病に倒れた。管野が十八歳の時。
「あんた、高校辞めるって馬鹿か。あと一年がんばりゃ、卒業だろうが。学歴と私の命どっちが大事なんだい」
祖母は病院のベッドの上から孫を叱責し、凄んだ。
「その質問で俺が学歴選んだら、ばあちゃんの子育て大失敗だったことになんぞ」
管野は冷静に返した。首を横に何度も振りながら祖母は自分の死より嘆いた。
「あんな進学校に入れたのに。この先は国立だろう? お前さん、ババアの見栄を踏みつぶす気かい?」
「優しい孫だって看護師さんに見栄張れんだろう」
「優しさが何だ。いいかい、スバル。もし、あんたが高校辞めたら私は舌噛んで悶絶しながら死んでやるからね。悪夢になるよ」
「余命宣告受けた人間がする脅しじゃねぇよ」
あと、一年もしないうちに卒業だった事もあり、管野は祖母の気持ちを汲んでとりあえずアルバイトを探した。それで、見つけたのが年齢不問の清掃会社の求人だった。
管野はてっきり面接を十五分程して終わりだと思っていた。当日になって、その日は筆記試験のみで、合格者にだけまた後日二次試験へ進める事を知った。バイト代がいい分、審査も厳しいんだと管野は納得した。筆記試験は集団ではなく、個別だった。広い貸し会議室にひとりだけで管野は通された。管野はそこで居里とはじめて出会った。居里は試験官だった。部屋のド真ん中に座った管野の前に居里はマークシートを置いた。
「一分したら、スピーカーから問題が流れます。一問につき、四秒以内に答えを選んでください。私は後ろにいます」
簡単な説明を済ませ、居里は管野から離れる。足音。椅子を引く音。座る音。静寂。その静寂の時間は管野には一分以下には思えなかった。管野は鉛筆を握りしめ、前方に置かれたスピーカーを見つめた。
今は冬です。あなたは屋内にいます。どのアイスクリームを選びますか。
前置きなく、スピーカーは喋り出した。
AチョコレートBストロベリーC抹茶Dアップル。四秒。川で動物が溺れています。最初にどの動物を助けますか。A鶏B像C猫Dハムスター。四秒。
つかみどころのない質問を管野は五十問答えた。そして二週間後、二次試験の連絡が来た。管野は喜んだ。居里にひと目惚れをしたため、また会えるという理由だけでとんでもなく浮かれた。
炊飯器の名前は羽毛布団
スピーカーから淡泊な声が流れる。それから、一時間ほど戯曲を聞かされる。
炊飯器の名前は?
「羽毛布団」
管野が答える。
報いのサンバのサンダルは生意気な五穀米の爪切り。珍重されてるタンチョウは山頂で風船にくくりつけられたダイバーがくれたお気に入りの懐中電灯は太陽になることもできず力果てる。お相撲さんのサンバの灼熱に爪先立ちで駆け出して、丸聞こえの生クリームはソーダ色だけれど、炭酸はないので弾けないホッチキスに飲み込まれる。あなたが来ない日に、清少納言のふりをして、春はあけぼのを春はうぬぼれとありきたりな二番煎じを思いついた新品のローファー。報いのサンバのサンダルは何?
「爪切り」
管野の答えはすべて早かった。管野には才能があった。居里は喜び、宮に管野を推薦した。
「あなたの事を調査してるの。ごめんね。お金が必要な事。両親がいない事は、酷いけどこっちには都合がいい。特殊な仕事なの。そして、とにかく向いてるわ」
公園で居里が弁当屋で買ってきた角煮丼を管野は居里とベンチで食べた。清掃会社ではないのは管野もさすがに気が付いていた。それでも、高校を辞めずに金が貰えるならと、管野は割り切っていた。
「次は訓練を受けて貰うことになる。相当きつい。脳みそが爆発しそうって感じると思う。地獄の訓練って言っていい。だから訓練を受けるだけでも、お金を貰える。外部に漏らさないように誓約書にサインをしてもらうし、それでも喋ったら嫌なことになる。どうする?」
「やります」
管野は角煮丼をかき込む。
「そう言ってくれると嬉しい。管野はおばあちゃん思いのいい子だね」
「ばあちゃんのこともあるけど、それだけじゃないです」
「高校を辞めたくないってこと?」
管野は角煮を崩す箸をとめた。
「居里さんが好きだから」
胸の内をさらけ出した管野は角煮丼を膝におろす。居里の顔を見た。
「恋は盲目。恋は闇。暗闇。だからダメ」
居里は、揺るぎない笑みで即座にフった。
「何も見えなくなる。私ね、死んでも忘れられない人がいるの。今でも恋をしてる」
管野は傷ついた。
「だからずっと暗闇にいる。でも暗闇に敵うのもあの人なの。そういう人なの。私を好きなったら、あなたは何も見えなくなるよ」
そこから管野はどうやって居里と別れたか覚えていない。気が付いたら道の端でひとり寂しく泣いていた。その失恋は管野の脳みそに深く深く根付いている。それでも管野はいつも居里を捜した。真っ暗闇の中、居里が立っている。腕を伸ばしても捕まえられないなら、誰よりも早く管野は居里を見つけたかった。その願望通り、いつだってどんな場所でも管野はすぐに居里を見つけた。
「むさ苦しい憂さ晴らしのサラシ、鎧兜が煮崩れを起こし、路傍の一睡の孤島に消える」
管野はアイマスクをはぎ取った。日永がいないが、廊下から声が聞こえた。
「九官鳥の巣作りを芳しく香ばしく、散々たる紅葉、懇意の根菜、気まずい浮世の果てまで」
管野が部屋を飛び出す背後で、木森の暗乱を唱える。
「ちょっと待って!」
日永を突き飛ばした高校生らしき男が駆け出す。管野は走る。腕を伸ばし、捕まえた。




