90話 魔王様の婚約者(賢者の婚約)
私は今、現実から逃げている。
「わ、わ、わ、私は、どうしたらいい?」
つい先日まで私がユイなのか、フレイヤなのかを悩んでたとか。ヴィリ達についていくか、この場に残るか悩んでいたり、誰の意志を尊重するべきかを悩んでいたりとか――まあ、色々考えていた。そして答えのない道路でおろおろしていたところ、魔王様が戦車でずががっと壁ぶち壊して、勝手にゴールを決められたような状況だが……まあ、一応の解決はみせた。
だからそう、その事で悩んでいるのではない。
いや、そこから付随した所で悩んでいるのかもしれない。いやいやいや……いやいやいやいや――。どちらにしろ、言えるのは、私はとても混乱している。
「というか……便座に座って鍵をかけ立てこもっている現実が辛い」
意外に便利。トイレ占拠。
排泄関係の心配だけはしなくていい。それに水も……一応ある。もしかしたら大腸菌との一大決戦をするかもしれない、手洗い用だけど。
「せめて、何か弁当もってこればよかった」
トイレで弁当……友達がいない子みたいだ。
便座に座りながら、深くため息をつく。
私は結局、フレイヤの姿で魔王城へ帰ってきた。一体、周りに魔王様がどういう説明をしたのか分からない。でも混乱なく私はこの場所にいる。
ハティーは最近、私が一度死んで蘇ったので、もしかしたら女神ではないだろうかと疑っていた。姿が変わってしまった事も一役買っているが……それは斜め上に飛び過ぎだ。死んで生き返るって、どこのキリ●ト様よ。そんな芸できるはずがない。
まあ、そんな現状もどうでもいい。現実逃避をしているのは――魔王様が私に甘すぎる上に、周りもそれを容認している事に対してだ。
「でも何あれ。砂糖何杯分? というかブドウ糖の原液? このままでは高血糖で死ぬ」
甘かった。
私は魔王様の愛を甘く見ていた。恋愛経験値は私と同じで0のはずなのに、どうして恥ずかしげもなく甘ったるい空気を出せる。
そんな事をブツブツとつぶやいていると、トイレのドアがノックされた。
「ユイ、フレイヤ。どちらでもいいし、どちらでなくてもいい。開けてくれ」
「……他にもトイレは開いていますよ」
「君に会えないと、俺は狂う気がするんだ。顔が見たい」
「気がするだけです。というか、まだ先ほど別れてからそれほど時間が経っていないのに、狂うとか、逆におかしいです。というか。何でこんなに沢山のトイレがあるのに、私の事をすぐに見つけてしまうんですか」
おかしい。明らかな異常。
普通魔王城から出た時に家庭教師兼賢者という役職だったなら、帰って来た時も同じはずだ。もしくは姿が変わってしまったので職を失うかだと思う。しかし帰ってきてすぐ、異常な現実が展開されることになった。
「婚約者殿を見つけられない男など、この世にはいない」
「突然居なくなれば探そうとはするかもしれませんが、ここは一般男子の大半が、そんないきなり見つけられるような場所ではないと思います」
そう。
解雇はされてなかった。私は今も家庭教師であり、賢者でもある。帰ってきてしばらくたったが部署異動の辞令も来ていない。
それなのにいつの間にかというか、帰ってきた時から、何故か私の職業欄に、【魔王様の婚約者】という新しい職業が追加された。
いやいやいや、ちょっと待て。
私は両親もいない平民。方や同じく両親はいないけれど、この国の最高権力者。格差婚どころの話ではない。シンデレラストーリーだって、元々シンデレラはいいところのお嬢様設定だったはず。
「それから私は魔王様の事が……えっと、その。好きですが、婚約者になる事を承諾した覚えはないです」
「俺もなってくれと言った事はないからな」
「だったら、何で城の皆がそろいもそろって、私の事を婚約者扱いするんですか?! というか、魔王様も今さり気なく婚約者扱いしましたよね。変な二つ名的噂まで立っているし」
しかも婚約者という噂だけならまだいい。
死んで生き返った奇跡の姫やら、本当の姿を隠さなければいけなかった悲劇の姫やら、この国を導く事ができる女神の子供など、訳の分からない2つ名が勝手につけられ、魔王城内に留まらず、どんどん拡散されている。止めて下さい。本当に。
「まあ、皆が認めてくれているならいいではないか。あえて否定をしなくても」
「して下さい。不味いですって。私には奇跡も悲劇もないし、女神の子供なんて、嘘大げさ紛らわしいです。変な2つ名の所為で、私が魔王様の婚約者であることが、致し方のないことのように扱われているんですよ。バレた時どうするんですか」
この城へ帰る事が決まった時、嘘つき呼ばわりされたらどうしようと、怖くて終始涙目だった。それなのに、こんな大きな嘘が私が知らないところで広がっている。もしもその噂が嘘だと民衆にバレたら、私は革命を起こされて、ギロチン台を登らされるかもしれない。最悪だ。
「そうか? 実際死んで生き返ったようなものだし、フレイヤの過去はあまりにも壮絶。悲劇も間違いない。人族は皆、女神の子供としているのだろう?だとしたら同じく人族の血を半分持っている君も女神の子には違いあるまい」
何故そこを論破する。
私としてはちゃんと間違いは間違いであるとと魔王様がきっちり否定してくれれば、それで万事解決なのだ。論破して肯定されたいわけではない。
「……うっ。とにかく、私は嘘つきですが、これほど大きな嘘は荷が重いんです。そ、それに。私は平民で姫ではないですし。魔王様の婚約者になったら色々マズイでしょうが」
「すでに書類上、ハン伯爵の娘となっているぞ? つまりは貴族の娘という事だ。貴族の娘なら姫でも問題あるまい?」
「なっ?! いつの間に?!」
「君が死んだ時、これではあまりにも酷いという事で、ハン伯爵が君を自分の娘にして盛大に送り出す為書類を提出されたんだ。遺体が腐る前に葬儀は行わなければならないからな。急ぎの案件として受理され、現在の君は、フレイヤ・ハンという名前になっている。本来なら本人の意思確認が必要だが、死んでいてはできないので、特別例として認められた。まあ、名前なんてなんだっていいがな」
開いた口が塞がらないというのはまさにこのことだ。まさか私が死んだという嘘が、こんなことになるなんて誰も予想していなかった。
デュラ様のやさしさが、私を追い詰めるだなんて普通考えない。
「というわけで、ハン伯爵の娘である君に、お願い事があるんだが」
「嫌です」
「俺と婚約し、俺を婿にしてくれ」
「嫌と言ったでしょうが」
トイレの壁越しの告白。色気もへったくれもない。トイレには神様がいるらしいけど、それは恋愛成就の神様ではない。
もしもそうだとしたら、どうしてそんな所で住んでしまったのか、色々聞きたいところだ。
「何故だ? あれか? もっとロマンティックな場所でないと駄目なのか? 嘘は困るという君の為に、早く嘘ではないようにしようと思ったのだが」
「そう言う問題ではありません。何故、私を婚約者にしようとしているんですか?! そうではなく、婚約者ではない、誤解だと皆に言って下さればそれで解決なんです」
「今それをすると、支持してくれている民衆の心が離れてしまう。つまり俺は数多くの民衆からの支持を得られない愚鈍な王となるな」
「何で?!」
魔王様が愚鈍なはずない。
なのに、私との婚約破棄で――いや、まだしていないんだけど、どうして民の心が離れるというのか。
「平民出の賢者様はある意味民衆の代表のような存在だからな。特にその人柄も皆よく知っている。ユイが庇護欲を誘う顔立ちだったのも、皆の娘というイメージを大きくした。そんな民衆代表の娘と魔王の婚約。今の城下町はある意味祭のような状況だ。それなのに、一方的に魔王が婚約破棄をしてきたら、自分達の娘を傷物にしたと、君の親同然の気持ちである民衆が怒るのは至極当然だと思うのだが」
「そ、そんな。ちゃんと皆だって話せば分かってくれるはずです」
ユイが自分を助ける為に使った変化が、まさか私の首をぎゅーぎゅー絞めるなんて。想定外だ。どうしてこうなる。
「フレイヤ、開けてくれ。一緒にどのような解決方法がいいか考えよう」
優しげに、魔王様が私に声をかけてくれる。
でもその手に騙されるな自分。魔王様は私より数倍頭がいい。一緒に解決しようと言っておきながら、結局魔王様の意見が正しい道筋になってしまい、私の予定と大きく離れた場所へ状況が変わってしまうのだ。心を鬼にしなければ。
魔王様が勇者と結婚をしなくても大丈夫にはなったけれど、魔王様の今後を考えるなら、大貴族的なお嬢様を婚約者と選ぶべきだ。そして私は家臣として魔王様に仕えるというのが、一番である。魔王様に信頼されている家臣という状況ならば、私も大満足。私がヤンデレ化する事もない。何故なら、妃とは立ち位置が違うから比べられるものではないからだ。もしも魔王様から離れた場所で仕事をしなくてはいけない時期が来たとしても、魔王様に認められる為を理由に仕事へ没頭して寂しさを忘れることもできる。
ガチャリ。
「魔王様、開けました」
「へっ?!」
魔王様をどうやって言いくるめようか考えていると、後ろから手が伸びてきて、勝手に内鍵が外された。ばっと振り向き上を向けば、そこにはいつも通りのクールなヨルムの姿がある。
「うむ。よくやった。下がっていいぞ」
「はっ」
「はっじゃないよ。何してるの?! というかどこか……うん。窓からだという事は良く分かったけど、ここ2楷だからね」
ヨルムは魔王様に頭を下げているが、魔王様に頭を下げる前に、まず私に詫びて欲しい。
ヨルムの背後にある、トイレの小さな窓が開いているのをみて、大方肩の関節を一度抜いて中に入ったのだろうと状況を理解する。細身のヨルムだからこそできる芸当だろうけど、一歩間違えれば変質者だ。性別の違うヴィリでなかった事が唯一の救いというか……。
「問題ある?」
「フレイヤはヨルムの心配をしているのだろう」
「そうだよ。2楷によじ登るなんて危ないし――じゃなくて。人様がトイレを使っている時は、とりあえずノック。窓から勝手に入ってはいけないの」
私を切り殺す役をおったヨルムは、最終的に私がヨルムの命乞いをしたという事で、私のメイドに落ち着いた。というかタイミングを同じくして、ノルンの父が今回の人身売買をしている事が明るみに出るのを恐れて、私を殺すよう命令をしていたらしく、ノルンはユイを殺さない為の偽装をしたとして、その功績も認められたというのも裏事情としてある。
そして私を殺すよう命じたノルンの父は更迭され、領地も僻地へと変えられた。ノルン父に代わり、ノルンがその地位を継いだが、まだ幼いという事で、叔父がノルンの教育係兼代行者と選ばれ現在に至る。
ノルンは今までみたいにフラフラと魔王城に遊びに来ることもできないようになり、大変な状況となってしまったが、私への謝罪と今後頑張って立派になったら会いに来ると手紙を送ってくれた。
「さあ、俺とフレイヤを遮るものはこれでなくなったという事だ」
「女性のトイレの前で、そんな可愛い顔で格好をつけられても」
トイレの前でも可愛い魔王様だけど、トイレの前はトイレの前だ。
しかしお構いなしに魔王様は私に抱き付いた。うぅ。相変わらずまつ毛が長くて羨ましいです。お願い見せつけないで。
「フレイヤ。婚約してくれ」
「……話し合うんじゃないですか?」
「婚約した上で、今後どうするか話し合おう」
やっぱり私の意見を聞く気がないじゃないですか。
きらきらの笑顔を向けられて、私はため息をつく。
「ルーンさんに怒られますよ」
「大丈夫だ。アイツなら、もうフレイヤを婚約者と認めた上で、今後どうやってお披露目し、教育していこうか考えている」
「って、何考えてるんですか?!」
本人の意志丸無視なんですけど。
でもルーンなら、どこがどう悪いのか言ったとしても、きっちり私が論破されてしまいそうだ。くぅ。どうして頭がいい魔王様の方に、頭の良い人が味方に付いてしまうのだろう。
「逆に聞くが、どうして婚約が駄目なんだ?フレイヤは俺の事が好きなのだろう?」
「好きだから、魔王様には立派な魔王様になって欲しいんです。私の所為でケチなんかつけられないぐらいに立派な」
私の所為で、魔王様の功績に汚点をつけたくない。
「フレイヤが居れば、俺は今よりもっと素晴らしい魔王となれるぞ」
「……現在馬鹿王まっしぐらじゃないですか」
よくそんな言葉を恥ずかしげもなく言えるものだ。これがお子様パワーというものか。いや、私もお子様なんだけど。
どうにも今までの人生の所為か、私は妙に枯れている。
「嫌いか?」
「……アホの子可愛いという萌え要素はありますけど。それに私が魔王様を嫌うなんてありえないといいますか……でも、とにかく――」
魔王様が私の口を塞ぐ。
「婚約してくれ」
そして離れて、何度目かの告白。
折角人が一歩引いて耐えているのに、どうして――。私のような馬鹿がさらに馬鹿になったら、もう取り返しがつかないレベルの馬鹿となってしまうのに。
「後悔……しないで下さい」
いつか後悔するかもしれない。
未来なんて分からない。だってもうゲームの話から大きく逸脱してしまっていて、BLゲームの攻略対象である魔王様が女の私と婚約しようものなら、私の知っている世界にはきっと二度とつながらないだろうから。
馬鹿な魔王様。私を馬鹿にする、一番大切な人。
「ああ。後悔しない。だから、死ぬまでずっと一緒にいよう」
「私と婚約して下さい」
「よろこんで」
こうして私は、魔王様の家庭教師だけでなく、魔王様の婚約者という仕事を兼任することとなった。




