87話 夢の世界(賢者の妄想)
私は誰だっけ……。
ぼんやりとした意識のままベッドから起き、ランプに火を灯す。足を動かすとジャラリと鎖が音を立てた。
「あ、そうか。私はソールだ」
窓ガラスに映る自分の姿をみて、今の名前を思い出す。
金色の髪が美しい、エルフ族の娘。それが今の私の役柄だ。
ため息をつきながら、自分の姿のその先、窓の外を見る。今が何時か、時計がないので分からないが、薄暗いので夜明けには早そうだ。太陽の姿はまだ見えない。
この姿となって、少しだけ私は自分の能力を学んだ。
私の能力はたぶん、幻覚を見せているに近い。なので私だと認識するもの、鏡や窓ガラス、水に映る姿は、全て幻覚と同じものにさせる。
しかし物質量などは変わらない。また影もまた、変化した姿とは違うものを映す。
つまりこの変化というのは、私の存在を勝手に脳内で書き換えるようなものなのだろう。物理的に変えているわけではない。
「記憶だけではなく、身体能力なども、私が元々持ちえたものしかない……か」
フレイヤであった私はそこまで考えて使っていなかった。
ユイの記憶が混ざって、世界がまた違って見えるようになって、改めて自分の能力がどんなものかを考えるようになった。今の私は、フレイヤでもユイでもないのかもしれない。
「幻覚は私が身に着けている物までは見せられるけれど、離れるとどこまでできるんだろ」
使い方によっては、色々な用途に使えるのではないだろうか。……でも、それを知ってどうするつもりなのか。
私はこの世界から出る事すらできないのに。それともこの力で、さらに誰かを歪めるのだろうか。……やめよう。考えると辛くなるだけだ。
だから無理やり違う事を考える。
「ヴィリ……大丈夫かな?」
ヴィリには、ヨルムを連れて逃げて欲しい事を伝えた。
だから、もう……私はこの世界で生きて、死んでいくのだろう。
「ごめん、ヴィリ」
折角探してくれていたのに、その努力を私は壊した。後悔がないわけではない。でも……これ以外の生き方が私には分からない。
考えると、切ない気分になる。
私はランプの灯を消し、もう一度ベッドに転がった。
明日は屋敷へ戻ると言っていた。だから眠らなければ。
そうでないと、ちゃんとソールを演じられない。目を閉じる。でも、楽しかったころの映像がみえてしまいそうで怖い。
夢の中だけでも幸せならなんて思えない。夢と現実のギャップが大きければ大きいほど、心が疲弊する。
できるなら何も見たくない。考えたくない。
消えろ。消えてしまえ。私はここに居なければいけないのだ。
「魔王様……」
助けて下さい。
思い出の中にいる、可愛くて賢くて、頼れる上司にそう呟く。でもそんなのは無理だ。分かっている。だから、自分の中でちゃんと割り切れるようになるまでは、忘れなければ。
「魔王様……」
「何だ?」
「どうか、皆を幸せにして下さい」
わずかな希望があれば、きっとまた頑張れる。だからそれを今の私は願うしかない。
そうすれば、私はまだ自分を嫌いにはならないですむ。狡い人間だ。……まあ、能力からいって、誰かを騙すようなものなのだし。私が狡いのは今更だ。
「無論だ」
……ん?
何故か私の妄想に、ちゃんと返事が返って来た。
「魔王は民を幸せにする義務があるからな。勿論、お前の事も」
へ?
パッと目を開ければ、魔王様がドアップで見えた。相変わらず麗しく可愛らしいお姿だ。
「あれ?」
何でここに魔王様が?
私はとうとう壊れて、頭がおかしくなってしまったのだろうか。そんな事を想っていると、そっと魔王様が私の頬を撫ぜる。
「もしかして夢ですか?」
夢だとしたら、何て残酷な夢だろう。
「夢か。それでもいいな。俺は夢の中で、何度も君に会いに行っている。現実でも夢でも会えるなんて、幸せじゃないか」
「そうですか? でも、覚めて独りぼっちだったら寂しいですよ」
「その時は会いに行けばいい」
自由だなぁ。
ああでも、魔王様なのだから、自由でいいのか。この国で一番偉い人。彼の行動を止められる人はいない。
「私は会いに行けません」
そう言って、体を起こし、足首に目をやる。これでは、会えない。私はここからどこへも行けない。
「だったら、俺が会いに行こう」
「駄目ですよ。魔王様は皆の魔王様なんですから。貴方を必要としている人がたくさんいます。私なんかに会いに来ていたら、皆が困ってしまいます」
魔王様は私とは違って、誰からも必要とされる存在。こんな場所へ来てはいけない人。
私とは違う世界の人だ。
「だったら、君が俺の傍にいるしかないな」
そう言って、魔王様が私の足元に屈む。そして、カシャンという音を立てて、足に嵌められた枷が外れ、ベッドの下へ落ちた。
とてもあっけなく。
「これで一緒に居られるだろう?」
「えっ……。いや、でも――」
「君を縛る枷はこれでなくなった」
確かに、重たい鎖は、もうない。って、えっ?いやでも、そういう問題だけじゃなくて。
「ユイが居なくなって色々考えた。それで気が付いたんだが、俺は別に魔王をやりたいわけじゃない」
「えっ?! 何言っちゃってるんですか?! 駄目ですよ。魔王様が魔王様辞めたら、皆が困ってしまいます」
魔王様はいなくてはいけない人だ。
「俺は困らない」
「いやいやいや。そう言う問題じゃなくて、我儘言ったらいけません。か、可愛い顔しても許しません」
ついうっかり、許しちゃいそうになるけど。駄目に決まっている。これだけは許してはいけない。
「なら俺の隣にいて、俺が愚王にならないようにずっと見張っていてくれ」
「はっ?」
「俺はずっと君の隣にいたい。それがどこでも俺は構わない。別に俺が魔王である必要はないんだ」
「いや、駄目ですってそんなの」
何を言っているのだろう。私と魔王の座、そんなの比べるまでもない。
「なら、君がそれを望むなら――、っと、いつまでも君では喋りにくいな。俺はこれから君の事をなんて呼ぼう?」
私はこんな事を願望していたのだろうか。
魔王様が魔王の座を捨てて、自分を選んでくれる夢を見るなんて。なんて浅はかで、罪深い。魔王様が求めていたのは、憧れの先生であるユイだ。
それだって、魔王の座を捨てるようなものでもない。……今、魔王様と離れていられて良かった。どうやら【ユイ】は完璧にショタコンを患っていたようだ。
その毒は、今は私の中にあるのだけど。
「今の私は【ソール】と呼ばれた女性です」
魔王様の琥珀色の大きな瞳映るのは、変化中の金色の髪のエルフだ。こんなに現実味のない、願望のみの夢なのに、変なところで現実だ。所詮は、私の脳が見せるものだからだろうか。
「それは君が変化している存在の名前だろう?」
「はい。そうですね」
「そうではなく、君の名前を直接教えて欲しいんだ。君が【ユイ】ではないとしたら、何と呼べばいい?」
私の脳内はどういう設定なのだろう。それとも夢に理論的な事を求めるのはそもそも間違っているのか。
何故か魔王様が【ソール】という女性を見て、それが元【ユイ】であり、でも本当は違う人物だと知っている設定になっている。流石、夢と言おうか。ご都合主義もここまで来るとあっぱれだ。
なんだか今まで悲劇の主人公みたいな気持だったのに、それが恥ずかしくなる。こんな馬鹿馬鹿しい夢を視るような女が悲劇の主人公なはずがない。よくて喜劇だ。
「何故笑っているんだ?」
「魔王様がここに居るからでしょうか」
もう二度と会えなくても、夢の中で会えるなら。しかもこんな馬鹿馬鹿しい夢を見れるなら、私はたぶんまだ大丈夫だ。現実とのギャップが云々なんて真面目ぶったって、阿呆なのだから仕方がない。
すると魔王様がギュッと抱き付いてきた。
「可愛い事を言ってくれる」
「可愛いのは、魔王様ですよ。私の事はフレイヤと呼んで下さい」
やっぱり、世界一可愛いです。
好きなんだな……。
私はたぶん。こうやって魔王様に私の存在に気が付いてもらいたいのだろう。
「フレイヤ」
「はい。何でしょうか?」
「ずっと一緒に居させてくれ」
愛の告白にしてはピントがずれてる。普通なら【居てくれ】ではないだろうか。……流石彼氏いない歴を、前世から続けているだけはある。告白の言葉すら、私の脳内はテンプレに失敗するらしい。なんて残念。
「でも魔王様は魔王様でなくはいけません。私と同じ所にいるような方ではないんです」
「フレイヤもここに居るような者ではないだろう? 俺に魔王をさせたいなら、フレイヤも魔王城に住むしかないな。俺は君がいる場所なら、どこでも構わない。だから今の俺は、フレイヤが魔王城に来るまではただのラグナログだ」
そう言って、魔王様は意地悪くにやりと笑う。
なんだかいつもの可愛い笑みとは違うけれど、ゲームの魔王様はこんな笑みをする男の人だった気がする。
「ラグ? でも、そんな魔王をやらないなんて言ったら、ルーンさんが怒りますよ。それに、勇者君の事はどうするんです? 世界を滅ぼさ――」
喋っている途中で口を塞がれた。……口で。
夢なのに、その感触はやけに暖かくリアルに富んでいて、ぽんと今思っていた言葉が吹っ飛ぶ。えっ? 今のはまさか――。
「俺が居るのに、他の男の話をするなんて、いい度胸じゃないか」
「いい度胸は、君の方でしょ? 何、ふざけたことをしてるの? 死にたいの?」
「……無粋な奴め」
「こんな場所で、愛の告白をやって、無理やり姉さんのくちびるを奪う奴の方がよっぽど無粋だと思うけど?」
「へ? 今度はフレイ君?」
はっと我に返ると、開け放たれたドアの先に、フレイの姿があった。
魔王様にフレイなんて、かなり豪華ゲストを迎えた夢だ。しかも過去の焼き回しではない。もしかしたら私は作家とか漫画家に向いているのかもしれないと思う。この世界に、そんな職業はないけれど。
「姉さん。魔王のいう事なんて聞く必要ないよ。姉さんが望むなら、俺の家族を紹介するから。一緒にまた暮らそう?血だって繋がっているんだし――」
「ふざけるな。だとしたら、俺がブァン国に行かなければならなくなるだろ」
「魔王なんて呼んでないよ」
「俺はフレイヤとずっと一緒に居ると決めたんだ……フレイヤ?」
可笑しくなって、私はお腹を抱えて笑った。
フレイ君とラグに取り合われるなんて、どんな妄想だろう。ヒロインか。ヒロインなのか?! この私が?
似合わなさ過ぎて、泣けるぐらい笑える。
「ユイねーちゃん――じゃなかった。えっと、フレイヤ。笑っている場合じゃないって。俺の為に、フレイと魔王の事を見捨てないで。本当に」
「見捨てるってなんですか。そんなのあるはずないじゃないですか」
本当にこの夢は自由だ。今度は勇者が登場した。
しかも2名を見捨てるなって……はて?そんな事を、前にも言われたような、言われていないような。どちらにしても見捨てられるなら私の方だ。私が彼らを見捨てるとかあり得ない。
でもここまできたら、歴代の今まで会ってきた人がオールスターでこの部屋に集まるんじゃないだろうか。それだと……満員電車みたいになるな。ある意味ウケる。
ひとしきり笑い転げて、私は息を吐き出した。
「こんな幸せな夢。覚めなければいいのに」
「夢?」
「はい」
目が覚めればまた現実だ。
また好きな夢を見る方法は何かないだろうか。こんな馬鹿馬鹿しい夢なら大歓迎だ。できるなら次は、勇者と魔王のBL展開も加えた萌え展開が――。
「だから、魔王、何をしているわけ?」
再び唇がふさがれて、そしてフレイによってはがされる。
「お姫様の目を覚ますのは、王子様のキスと相場が決まっているだろ」
「いや。お前、王子じゃなくて、魔王だし」
勇者、ツッコミが的確だね。間違いない。
確かに魔王様は、王子様ではなくて……そういえば、やけに外が喧しいような……。
「何度口づけたら目が覚めるか数えるのも楽しいだろう?」
「しないでよ。姉さんも、ちゃんと嫌なら嫌とはっきりと――姉さん?」
あれ? おかしいな。
これは夢だよね。私の脳内妄想が見せる夢。
「えっと、もう一度訊ねますが、これって夢ですよね」
全員がすごく悲しげな顔をした。ああ、良かった。やっぱりこれは――。
「現実だよ。姉さん」
「いやいや、現実だから」
あれ? フレイと勇者が否定する。……えっ? これは、私の妄想だったはずじゃ?
「夢でも、現実でも会えるなんて素晴らしい事だろ。さあ、そろそろ目を覚ませ。そして、帰るぞ」
そう私に言って手を差し出すラグは、どこまでも清々しかった。
……えっ?




