7話 異世界の調味料事情(魔王の天啓)
俺がマヨネーズというものが食べたいと言ったことで、案内されたユイの部屋は、ほとんど荷物というものがなかった。
好意的な言い方をすれば片付いているともいえるのだが、とりあえず物がないので散らかりようがないだけともいえる。部屋の中には備え付けのベッドと鞄が一つと小さな箱。この部屋にあるのはこれだけ。
後はこの城で支給されたメイド服がハンガーにかかっているぐらいか。小物もなにもないし女なのに化粧台もない。そういえば、ユイは化粧っけが全くなかった。
普通、ここで生活するならもっと荷物を持ってくるものだ。特にここへは下級貴族の娘が奉公に来ることが多いので、化粧道具や服で荷物の量は半端ない。また家庭教師の場合は学者などが多いので、持ってくる蔵書が豊かだったりする。
ユイは一応家庭教師として招いているので、1人部屋が割り当てられていたが、その所為で余計に何もない部屋に感じた。
「最近来たばかりなのか?」
そんなことはない事を知っていながら、俺はそうユイに尋ねた。でもユイの部屋はこれから荷物が届くのだというような姿をしている。
「そうですね。少し前にはなりますが、ここに来てまだ日は浅いです。でもどうしてそう思うのですか?」
「荷物が少ないように思ったんだが」
ハン伯爵のところで働いていたというので、全く金がないという事はないだろう。特にユイは自分の元々持っていた荷物も売っている。
一体そのお金はどうしたのだろう。
場合によっては、ルーンが言う通り要注意な人物かもしれない。
「ああ。私、人さらいにあったせいで、あまり自分の荷物を持っていないんです」
「でもその後、買ったりしないのか?」
「買いますけど、あまり無駄遣いはしないようにしようと思って。将来、人族領の国にも行ってみたいと思っていますので」
ああ。そうか。
ユイは人さらいにあった為、故郷がどこにあるのか分からなくなってしまったと聞く。きっと自分のいた国を探す為に旅をしようと思っているのだろう。だとしたら、あまり荷物を増やし過ぎるのは行動を制限するだろうし、お金を溜めておかなければいけないというのも理解できる。
しかし人族領に行くのか。ユイの能力はまだ未知数だ。その能力が大した事がなければいいのだが、そうでなかった場合は――。
「はい。これがマヨネーズです。で、まあ。今あるもので、マヨネーズを使った料理となるとサンドイッチぐらいしかできないですけど」
俺がこれからどうしていこうかと考えていると、ユイは黄色いものが詰まった小瓶とパンを俺に差し出してきた。パンには、卵や野菜など色々挟んであり、奇妙な感じだ。特にパンは食事時に出てくる主流の固焼きではなく、お菓子のような柔らかいパンを使っていた。
「これがマヨネーズなのか?」
「はい。ソースなので、すでにサンドイッチには挟んであります。一応どういうものかを見せようかと思いまして」
瓶を受け取り、俺はしげしげとそれを眺めた。黄色色をしたそれは、溶けたチーズのようにもバターのようにも見えるが、とても柔らかそうに見える。それでいて液体ではない。
「どうやって作ってるんだ?」
ソースといったのだから、何かの食材を加工して作り出しているのだろう。しかしそれが何かさっぱり思い浮かばない。
「材料はオリーブオイルと卵と酢です。後は塩と胡椒で味を整えています。えっと、簡単に言えば、油と酢を卵で乳化させて作る感じなんですが……なんて説明したら分かるかなぁ」
ユイは俺が訝しんでいたことに気がついたらしく、うーんと腕組をして悩んだ。だがユイの言葉には分からない単語があり、これだけでは理解は難しいのでもう少し噛み砕いてもらいたい。
「ニュウカとはなんだ?」
「えっと、まあ、簡単に言えば、油と水って混ざりませんよね。それが均一に混ざることを乳化というんです」
「どうやって混ぜるんだ?」
「卵のレシチンの働きを使って……といっても、あれですね。実際に見せたほうが早そうですね。でも今日はもうマヨネーズは十分ありますので。とりあえず、一度食べてみて下さい」
ユイは俺が子供のように質問した為、困ったように笑いながらパンを差し出してきた。
本当はそれほどお腹は減っていないが、お腹が減ったという言い訳を使ってこの部屋に招いてもらっているので、断るわけにはいかない。折角、ユイと一緒に居たメイドに強大な魔力を見せて萎縮させることで2人きりになったのだ。俺が話した事が嘘だとばれて警戒はされたくない。それに実際マヨネーズに興味がないわけではない。
俺はパンを受け取り、とりあえず一口だけでもと、ちぎって食べようかとするとユイが慌てて止めた。
「待って下さい。えっと、ちょっとマナー違反かもしれませんが、がぶちょっと噛みついて食べて下さい。そうでないと、具がこぼれてしまいますので」
確かに。
パンに噛みつくなんて上品さがなく、むしろ野蛮と眉をしかめられそうだが、ちぎって食べては中に挟んでであるものが飛び出てきてしまいそうだ。
まあ、ここにはマナーを気にする奴もいないしいいか。
俺は大口を開けてパンにかぶりつく。固焼きではなく柔らかい為、簡単にパンは噛み切れた。そして、俺は大きく目を見開く。
「……旨い」
パンの柔らかい触感に野菜のシャキシャキとした触感。そして少し酸味のある食べたことのない味。特にパンがほのかに甘い事もあって、酸味と塩味がとても絶妙な味わいだった。
ぺろりと一つを食べ終わってしまった俺は、次は黄色いものだけが挟まれたパンにかぶりつく。それは卵を細かく刻んだモノに先ほどのマヨネーズが混ぜてあるものが具となっているようで、こちらも不思議な触感だ。卵の歯ごたえとパンのしっとりとした触感。全てが今までにない感覚だ。
パンと言えば、菓子でない限りぱさぱさしているのが普通。こんな風にしっとりしている甘くないパンなど初めてだ。
「これはお姉さんの国の料理なのか?」
国が変われば料理が変わる事もあるだろう。でも柔らかいパンを食事時に出せるという事は、きっとよほど恵まれた土地にある国に違いない。どうしても柔らかいパンの方が傷みも早く、保存には適さないのからだ。
俺がそう尋ねると、ユイは困ったように笑った。
「まあ、そんな所でしょうか。元々は、カードゲームをやる間に片手間で食べられるように作ったものだと聞いています」
「食事を片手間?」
食事と言えば、ゆったりとするものと相場が決まっていた。急いで食べる者は、卑しい者とされる。
裕福かと思ったが、そうでもないのだろうか?
「うーん。そうですね。日本のおにぎりも片手間で食べれますし、たぶんこの国よりも忙しく、さらに働くのが好きな国なんだと思います」
「働くのが好き?」
「ええ。凝り性な性分な国民性でしたので。幼い時は学校に部活。大きくなったら仕事。いつも忙しいのが当たり前でした」
「学校?ユイは貴族だったのか?」
ただ貴族だとしても、女性で学校に通うというのは珍しい。普通女性の場合は家庭教師をつけるのが一般的だ。
「いいえ。一般庶民です。この国で言う、平民ですね。私の国は、男でも女でも子供には義務教育というものがあり、必ず学校に通う事になっていましたから」
「ギムキョウイク?平民も勉強するのか?平民には平民の役割があるし、必要ないのではないか?」
全員が勉学に励む。それは奇妙な世界だ。
勉強するのは上に立つ為。この国をより良くする為であり、そういった職業に就くものが勉強すればいいだけだ。
靴屋の息子は靴の作り方を知ればよく、農民は土の事を知ればいいので、学校に行く必要はない。
「ちょっとこの国とは成り立ちが違いますので。えっと私の国は能力さえあれば誰でも、どんな職業にでもつけるようになっています。もちろん親の仕事を継ぐ人もいますが。ただ、自分が何に向いているのか、それが分からないので、色んな事を学ぶんです」
「なら平民が政治を行ったりもするのか?」
政治を行うのは貴族と決まっていた。しかしユイが言うように、誰でもなんにでもなれるという事は、政治もできるという事だ。
「えっと、この国のやり方を否定しているわけではありません。この国の集中的に政治を学び、しっかりと政治ができる人を育成するという方法は間違っていないと思います」
ユイはそう前置きをした。どうやら、俺は知らず知らずのうちに睨みつけてしまっていたらしい。
ユイの国はこの国とはまるで違い、話を聞いていただけなのに、俺は自分のやり方を否定されているように感じてしまっていた。しかしそれではいけないと、俺は深く息を吐く。
もしも、ユイの国のやり方の方が優れている部分があるならば、取り入れていく必要がある。この国をより豊かにするためなら、俺は下手なプライドを持つべきではない。
「ただ私の国は、適した能力があるものがそれをするべきという考えでしたから。それだけの能力があれば、平民でも政治をします。平民だから知能が劣っている、貴族だから優れているとは一概に言えないと思われていますので。ただそれ一点を教えられてきたわけではないので、どちらがいいのかは分かりかねます」
適性するように教育するアース国。適性があるものを教育することで探し、さらなる教育をするユイの国。どちらがいいのかは分からない。
ユイが言う通り、この国のやり方がすべて間違っているとも思わない。しかし平民に政治をする能力がないわけではないという考えは目から鱗な考え方だった。それにそのやり方なら、平民の中で今までの貴族よりも優秀な学者が生まれ、高い技術が編み出される可能性もある。
知識は力だと俺は常々考えてきた。
ユイが持っていた道具に詰まった技術は今のアースでは逆立ちしてもできない物。しかしユイがいうように平民も含め、すべての者が知識を身に着けた上で知恵を出しあえば、遠くない未来で可能となるかもしれない。
今は貴族しか通っていないこの状態で、平民を学校に通わせるというのは難しいだろう。しかし不可能ではない。何故ならば、すでにユイがいた国では、それが行われているのだ。
ぞくりとした。
ユイはそれがさも当たり前のように思っている。この国ではもっとずっと先でしか出てこなかっただろう考えや知識が彼女の中では普通なのだ。
手放すべきではない。
俺の脳裏に天啓でも受けたかのように、その考えがひらめく。
ユイは人族領へ将来渡ろうと考えているが、その知識が人族領へ渡ってしまうのは困る。それにユイの知識を正しく使っていけば、アースはより豊かになれるだろう。
しかし俺だけが認めても、今のままでは宝の持ち腐れ。一番信頼を置けるルーンでさえ、俺の意見を抑え込みユイを俺から遠ざけるのだ。このままでは、ユイはメイドとして働き、十分な金を溜めて出て行ってしまう。
……だとしたら、多少荒療治だとしても、ユイの能力を皆に知ってもらい賛同を得るべきだ。そうすれば、ユイを手放すべきではないと思うのは俺だけではなくなる。
「それにしても、お姉さんの国の料理はおいしいね」
「へ?ああ。ありがとうございます」
突然話を最初に戻されて、ユイはきょとんとした顔をしていた。しかし俺の中では、この話もつながった話だった。
「できたら、もっとお姉さんの料理を食べてみたいなぁ」
メイドでは駄目だ。メイド長ならいざ知らず、新人のユイではルーンとも俺とも接点が遠すぎる。
だから、ユイに色々知識を披露してもらうならば、もう少し分かりやすい場所がいい。例えば、俺やルーンの食事を作る場所とか。
突然研修場所が変更になったら、ユイは一体どうするだろう。その時の行動も面白そうで、俺はニコリとユイに笑いかけた。