56話 賢者の弟(ユイの衝撃)
「えっと、ここは私の部屋だから。くつろいでというか……」
何といっていいものか分からず、私は曖昧に笑って部屋の椅子を勧めた。
フレイは泣いた事で少し疲れたらしく、大人しい。というか、元々大人しい少年か。ゲーム上でも、……私の弟だったとしても。
たぶん喉が渇いただろうと思い、冷蔵庫の中からアイスティーを取り出し、グラスに注いだ。
「ガムシロいる?」
「えっ? ガムシロ? あるの?」
「うん。厨房借りて作ったから。ミルクはさすがにないけどね。はい。ちゃんと水は一回煮沸してるから大丈夫だよ。ガムシロは好きなだけ入れて」
そう言って机の上に置いて、私も椅子に座った。
とはいえ、ぶっちゃけ対面すると何を話していいものか分からず、私は何から聞くべきか迷う。元々弟とはそれほど仲良かったわけでもない。小さい頃ならいざ知らず、最近はいつ喋ったっけと考えなければいけないレベルだ。
でもそれは弟も同じだろう。感極まって泣いていたが、それはこの世界に日本の事を知る同胞がいたからに違いない。やはり異世界で生活するというのは、結構大変なのだろう。例え転生して――ん?本当に転生なのか?憑依とかそう言う系もあり得そうだし……。そもそも転生したという事は、弟は一度死んだという事になる。
「えっと。もう一度聞くけど、フレイ君は、ヨウ……長谷川陽で間違えない?」
さっきからフレイは『僕だよ』と繰り返すばかりで、弟の名前を言わなかった。オレオレ詐欺じゃないよねという感じだけど、オレオレ詐欺をするメリットを感じないし、そもそもこの世界で私に弟がいたことを話した事があるのは魔王様だけだ。
「うん。そうだよ。もう、かなりの事を忘れてしまって、僕の名前も中々出てこなくなってしまったけど。でも俺は産まれる前、確かに長谷川陽だった。姉さんの3歳下の弟の」
「産まれる前という事は、転生したという事?」
ネット小説でよく見かける、異世界転生というものだろうか。私のような異世界トリップの事例があるのだから、絶対ないなんて言えないんだけど。
「うん。気がついたら俺はフレイという少年としてこの世界に誕生して、勇者トールの幼馴染になっていたんだ。赤子の時の記憶は曖昧だけど1歳から2歳になる途中ぐらいから記憶もしっかりとしてるよ。機能的に上手くしゃべれなかったこともあったおかげで転生者とは周りの誰にもバレていないと思う」
「えっと。言葉とか大丈夫だった?日本語とは全く違うし、大変だったんじゃ」
「最初は分からなかったけど、幸い赤ん坊と同じ記憶力はあったみたいで、普通の子供と同じペースで覚える事が出来たから問題ないよ。姉さんは、どうしてここに?」
フレイはそう言って困ったように笑う。大変じゃなかったわけではないに違いない。でもそれを言ったところでどうしようもないのだ。だから、きっと彼はすべてをすでに受け入れているのだろう。
「私はもっと曖昧で、どうしてと言われると、よく分からなくて。気がついたら、新聞紙に包まって路上で倒れてたんだよね。それで、デュラ様……えっと、この国の貴族の方なんだけど、その方に助けられて。まあ色々あって、今はここで魔王様の家庭教師兼、賢者をやってるかな」
どうして異世界トリップしてしまっているのかさっぱり分からない。直前の記憶がないので、日本で何があったか分からないのだ。
「そっか……召喚系の類が関係してるのかな? 姉さんの噂は、ブァン国でも有名になっているよ。石鹸とか凄いね」
「ああ。ほら、うちの小学校、石鹸作る授業があったよね。その時にすごくはまって、色々石鹸の歴史についても勉強したんだよね」
ヨウに比べるとあまり勉強はできなかったけど、一点集中型で、興味あることはとことんまで調べる性質だった。なので、ところどころは、ヨウの知識には負けていないと思う。
「そうだったっけ。えっと、ごめん。もう小学校のころの記憶はほとんど残ってないんだ」
「あっ、そうなんだ。……ごめん」
私は異世界トリップだったが、ヨウは異世界転生。色々状況も違うだろう。自分の名前さえ、中々出てこないくらいなのだから、確かに小学校とか、詳しくは覚えていないかもしれない。
それにヨウがいつ死んだかによっても違うだろう。高校生で死んだならまだ覚えているだろうが、90歳とかになっているとそんな昔の事、印象深いもの以外覚えている方が稀だ。まあ、ヨウがどういう状況で異世界転生したのかはまだ聞けていないけれど。でも、聞いてもいいものだろうか。自分の死にざまなんて。
ヨウは確かに弟だけど、何でも話せる間柄でもないので、微妙に気を遣う。
「謝らなくてもいいよ。たぶん、転生したら忘れていくのが普通だと思うから」
「そっか。うん。でも、よく私の事を覚えていたよね」
私の事なんて真っ先に忘れられると思っていた。
家族の中でも、一番影が薄かったのが私だから。関係的にもヨウとは薄かったし。
「忘れるわけないだろ?!」
しかし予想以上にフレイが私の後ろ向き発言に反応し、突然激怒した。あまりに唐突過ぎて言葉がでない。
「姉さんの事を忘れるわけない、忘れられるはずないだろ?!」
「あ、……うん。ごめん」
弟はこんなに熱い人間だっただろうか。分からない。だって、私はそこまで弟と関わってきていないから。だからか、自分の中ではとてもクールなイメージが強い。
「……えっと。俺も怒鳴ってごめん。でも、俺が姉さんの事を忘れるなんて思わないで欲しいんだ。家族なんだから」
「うん。ありがとう」
まさか、異世界トリップ後にそんな事言われるなんてなぁ。世の中何があるか分からないものだ。
「そういえば、姉さんはやっぱり気が付いている?」
「何を?」
「えっと、この世界がゲームの世界にとても酷似しているって」
フレイの言葉に私はドキリとした。
ずっと私だけがこの世界がゲームの世界だと知っているのだと思っていた。しかし、現実には違ったようだ。
「うん。たぶん、ここは【RPGの中心で愛を叫べ】の過去の世界だと思う。だから私は世界滅亡フラグを立てない為に、魔王城で働いているんだけど……あれ?フレイ君は何でそのゲームを知ってるの?」
だって、【RPGの中心で愛を叫べ】はロールプレーイングゲームでも、パズルゲームでもない。BLゲームなのだ。
普通は男の子がやるゲームではない。
考えられる理由は、実は弟が腐男子だったか、彼女など身近な人間が腐女子で強制的に覚えさせられたかだけど……。
「えっと……その。姉さん、怒らずに聞いて欲しいんだけど」
「怒らずに?」
「姉さんが、その……いなくなってから、姉さんの部屋を片づける事があって。その……」
フレイの言葉はどうにも歯切れが悪い。それに、怒らずに聞いて欲しいって――まさか。
「姉さんがいなくなってから、姉さんの事を知りたくなって。色々見たんだ。ゲームや本棚や、パソコンの中を――」
「い、いやぁぁぁぁ!」
あの、腐海を見たなんてっ?!
あまりの事態に私は叫んだ。まさか、家族にあれを見られただなんて。死にたい。マジで死にたい。もう会う事はないかもしれないけれど――いやいや、今、弟に会っちゃっているよ。
「警察が姉さんの部屋を確認していたから。それに便乗したというか……。その時にそのゲームを知ったんだ。その……グッツが色々あったから好きだったのかなと」
「もう、止めて。私のHPはゼロよ……」
ショックが大きすぎて魂が抜け出てしまいそうだ。まさか日本からいなくなった後に、生き恥をさらすことになるなんて、神様ひどすぎます。
しくしくと泣きたい気分になりながら、私はぐったりと机に顔を伏せた。どんな顔をして、弟と顔を合わせていいのか分からない。何で私、トリップ前にPCの初期化をしなかったんだ。あと、薄い本も宝物のように溜め込むんじゃなかった。
「……軽蔑した?」
「ううん。驚いたけど、姉さんはこういうものが好きだったんだなって、ちょっと新鮮だった」
フレイの声に、軽蔑の色がない事を確認して、私はそっと顔を上げた。フレイは困ったように私を見て笑ってる。
「それで、えっと。フレイ君もここがBLゲームの世界だって気が付いてるんだよね」
「うん。といっても、俺も全部知っているわけじゃないけどね。でも大雑把なストーリーは覚えていると思うんだ。あのストーリーだと、魔王と勇者が相討ちしたら、滅亡へ進んでしまうんだよね」
フレイの言葉に私は頷く。
「そう。まだずっと先の話かもしれないけど、それだけは回避しないと」
滅亡フラグなんて恐ろしすぎる。
私はまだ死にたくない。
「でも俺の知識は曖昧だし、できたら姉さんと協力したいんだけど。俺もこの世界生まれてしまった限り、ここで生きるしかないからね」
「……そういえば、私――」
「何?」
「あ、何でもない。えっと、私も勇者君について色々教えて欲しいんだよね。やっぱり攻略対象を知っておいた方が有利だし」
フレイが生きている間に、私は元の世界に戻ったのだろうか。
それを聞こうとして、止めた。もう戻る事が出来ないフレイにそれを聞くのは残酷な気がするし、そもそもここで感動の再会状態になっているという事は、戻れなかったという可能性が高い。
だったら、聞かない方がいい。
「俺も色々教えて欲しいんだよね。例えば姉さんと魔王様との関係とか」
「へ? 関係? 一応魔王様の家庭教師してるんだけど……」
関係と言われてもなぁ。上司と部下とでも言えばいいのか。
「へぇ。家庭教師ね」
「向いていないかもしれないけど。魔王様の近くに行くには一番いい方法だったんだよね」
この国では賢者扱いされてしまっているけれど、弟ならば、私の頭が悪い事はよく知っているだろう。だとしたら、似合わないと思われていそうだ。
「そんな事ないよ。姉さんは優しいからぴったりだと思うな」
「家庭教師は、優しくても駄目でしょ。でも勉強ができない人の気持ちは分かるかな」
頭が良すぎると、何故わからないかが分からないというし、それに比べれば向いているかもしれない。
「とりあえず、色々情報交換したいから、また俺と会ってくれないかな。それに、姉さんともっと色々話したいんだ」
少しだけ心配そうにフレイが私の事を伺ってきた。
衝撃の事実が分かってしまって、まだ恥ずかしいが、でも悩むなら1人より2人がいい。それに魔王様とフレイが協力者だなんて、頭脳キャラ総取りだ。これなら滅亡フラグはきっちりへし折れるはず。
なんだか全てが上手くいきそうな予感に、私は笑顔で頷く。
「もちろん。私も、協力者ができて嬉しいし」
「ありがとう、姉さん」
フレイもまた、心配そうな顔から一転し笑顔を私へ向けた。




