29話 オリーブの使い方(魔王の不調)
「こちらで、保湿剤を開発しております」
ハン伯爵の案内で、俺はオリーブオイルを使った化粧品を開発している場所へやってきた。といっても、俺自身は化粧品の事などさっぱり分からない。まだ石鹸の方が分かるのだが、石鹸と保湿剤というのは真逆のものに思えるのは俺だけだろうか。
「ユイ。保湿剤は具体的にどうやって使うものなのだ?」
「今は手の保湿を保つ為のハンドクリームを検討しています。どうしても水仕事をする者は、手の脂がなくなり乾燥し、ガサガサになりますので。勿論、オリーブオイルならそのまま顔に塗ったりしても問題はないのですが、クリーム状でないと、すぐに取れてしまうかなと思い、蜜蝋に混ぜるなどして検討中です」
「水仕事という事は、貴族以外で売るつもりなのか?」
「中々コストを下げられないので、難しいかもしれませんが、手荒れで悩んでいるメイドって、結構多いんです」
なるほど。
同じようにメイドをしていたユイだからこそ思い至ったのだろう。そのままオリーブオイルを塗るのではなく、クリーム状にして塗ろうという所も独創的で、さすがとしか言えない。
しかし、その後ろでハン伯爵が自慢げに俺を見ているような気がしてならないのは、俺の被害妄想だろうか?うちの子凄いだろう的な。……誰がうちの子だ。
特にユイがハン伯爵の所のメイドの服を着たままというのが面白くない。ハン伯爵に、ユイは私のものですが、それが何か?といわれている気分になる。
さっさと脱いでしまえと言いたいが、そんな事を言ったらユイがびっくりするだろう。というか、女性にそんな事を言ったら色々問題だ。
「体にもいいと言っていたが、それも化粧品に使うのに関係するのか?」
「えっと、色々難しい話になりますが、そうですね。肌の乾燥を防ぎ、保湿力を高める他に、老化を抑えたり血行を促進したりします」
どうしてそこまで分かる?
そう言いたいが、色々難しいと言った言葉の中にすべてが含まれているのだろう。ユイの知識は俺やこの国のものとは大きくかけ離れている。たぶんユイに順序立てて教えてもらえば、分かるようになるだろうが、この場で全部を理解するには時間がかかりそうだ。
「ユイがいた国でも使われていたのか?」
「はい。乾燥は美容の天敵ですので」
そういえば、ユイの肌はきめが細かく繊細そうだ。鱗などで覆われている種族ではないので、柔らかく何かあれば簡単に荒れてしまうように思う。すでに日に当たっている部分は少し赤くなっていて痛々しい。
そんな少し赤みを帯びた首は細く、簡単に折れてしまいそうなくらい脆く儚いものに見えた。
じっとその首を見つめていたが、何だかあまり見ていてはいけない気がして、そっと視線を外す。ただ首を見ていただけなのに、何故かドキドキした。
「後は……そうですね。私の国は毎日風呂に入り体を洗う習慣があったので、清潔に保てる反面、体の油脂が取れてしまい、余計に需要があったのかもしれません」
「毎日風呂?」
「はい。いいですよ。お風呂は。凄く清潔的になりますので皮膚病などの病気の発生を抑えます。また、血行を良くしたりと、冷え性にもいいんです」
「風呂というのは、お湯を張る方か?それとも蒸気の中に入る方か?」
魔族領は広く、風呂といっても種類がいくつかあった。ただし、毎日も入るような地域はあまり聞いた事はない。
「お湯を張る方です。こちらにはサウナもあるんですね。私の国にもないわけではないですが、各家庭にはさすがになくて。私が毎日入っていたのは、お湯をバスタブに張る方です」
「家庭に風呂?貴族以外も?」
「はい。毎日健康ランドに行っているとお金が足りないと言うのもあるんですけどね」
健康ランドと言うのは、公共風呂の事だろうか?
アース国にも昔は多くあったが、病気が流行るのは裸で肌が触れ合う風呂の所為という噂が立ち、徐々に数を減らしていた。しかし個人で風呂を用意するのは手間的にも大変だろう。それでも入ろうとするのは、トイレの件といい、本当にユイの国は綺麗好きらしい。
「魔王様はあまりお風呂に入らないと聞きますし、良ければ今度一緒にお風呂はどうですか――あっ、……すみません。失礼な事を言って」
一緒にと言ったところで、ハン伯爵が厳しい顔をした為に、ユイはシュンとした顔をした。確かに魔王を風呂に誘うなんて普通はあり得ない行為だ。
でもそれよりも俺はもっと信じられない事があるのだが……。
「いや、大丈夫だが。一緒にか?」
「すみません。そうですよね。魔王様と一緒にお風呂とか、ごめんなさい。考えなしな事を言いまして」
いや、考えなしというか……。
「ユイは、女性だよな」
「そうですけど?」
「その……ユイの国は男と女が一緒に風呂に入るのか?」
恐る恐る尋ねると、ユイはキョトンという顔をした。まるで何を言っているんだというような顔だ。でも今何を言っているんだと言いたいのは俺の方だと思う。
「いえ。勿論、そういう混浴をする温泉もありますが、普通は男女別ですよ。ああ。でも、子供は別枠で、一緒に入ったりもするんです。やっぱり一人でお風呂というのは他のお客様に迷惑をかける事がありますし、事故も起こしやすいので」
へらっと笑ってユイは説明したが、俺はある重大な事実に気が付いた。
子供は別枠で一緒に入ったりもする。そして、俺はユイに風呂に一緒に入らないかと誘われた。そこから導き出されるのは、ユイは俺が一緒にお風呂に入っても問題なくらい幼い子供だと思っているという事だ。
元々ユイが俺の事を可愛いと思っていて、子供だと思っている事はルーンから聞いて知っていた。しかしいざ本人に完璧な子ども扱いをされると、愕然としてしまう。そうか……ユイにとって、俺はまだ子供なのか。
「魔王様。顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
ユイに言われて、俺ははっと顔を上げた。
想像以上に、ユイに子供として扱われていたという事実は、俺の気分をどん底に突き落としたようだ。普段なら子供だと貴族に馬鹿されたところで、いつかは大人になるのだからそれしか言えない者には言わせておけばいいと思っていた。しかしユイに、邪気なく子供扱いされるのは結構堪える。
「体調がすぐれないようでしたら、少し休憩を挟みましょうか」
「ああ」
ハン伯爵の申し出を、俺は情けなくも受け入れた。
……少し疲れた気がする。主に精神的な部分が大きいが。
「えっと、休憩されるのでしたら私はそろそろ一度メイド業務に――」
立ち去ろうとしたユイの服の袖を俺は無意識に掴んだ。掴まれたユイは、少し驚いたような表情で俺をまじまじと見つめる。
子ども扱いされてへこんだのに、さらに子供っぽい行動をしてしまい、俺は自分に恥じた。確かにこれではユイに幼子のように思われても仕方がない。俺はユイから顔を背け手を放す。
ユイはアルバイトだと言った。だから決して俺から離れていこうとしているのではない。そんな事分かっていて、それなのに行かないで欲しいと思って、その感情のままに袖を掴んでしまうなんて滑稽だ。
「……デュラ様。もう少しメイド業務に戻るのが遅くなっても大丈夫でしょうか?」
「ああ、構わないよ。元々無理にお願いしているのはこちらだからね」
「ありがとうございます。では、魔王様少しあちらで一緒に休憩をしましょう」
「は?」
突然ユイはそう言うと、俺の手を掴み歩き始めた。
何が何だか分からず、俺はそれについていく。
「魔王様、ここへ来るために無理をされたんですね」
「無理?」
ユイは俺以外には聞こえないような小声で話しかけてきた。
「目の下に少しクマができています」
そういえばいつも以上に仕事をしたため、少し睡眠不足になっていたかもしれない。しかしそれぐらいやらなければ、ルーンから許しが出るだけの仕事量はこなせないのだ。勉強も手が抜けないのだから、削るのは自分の時間となる。
「威厳を保つ必要があるのは分かりますが……無理をしなければできないのも十分に理解していますが、体を壊しては意味がありません」
俺も気が付かなかった体調不良にユイは気が付いたらしい。そして無理をした事に対して、憤りを感じているようだ。しかし俺が無理をする事に対して納得もしているようでもある。
「失礼を承知で言いますが、私は魔王様の家庭教師であると同時に、ラグの友人です。ですから……辛い時は言って下さい」
そう言って、ユイは少し泣きそうな微妙な顔で俺の方を振り返った。
「必ずお助けしますから」




