13話 ルーンの授業(ユイの勉強)
神様ありがとう。
現在私は、私を異世界なんかに転がしておいた神様に対して、お礼を言いたくなった。いや、許したわけじゃないよ。だって社会人1年目で必死に働いていた子をホームレス状態にした人がいたら、恨まずにいられる人が一体何人いる事か。
でもお礼を言いたくなるぐらい、私は今満ち足りていた。
「年の差っていいよねぇ」
「はい?今、何か言いましたか?」
「あ、いいえ。何でもありません」
おっと、危ない危ない。本音が漏れかけて私はあわてて笑顔でやり過ごす。
でもいいわぁ。ラグとラグが紹介してくれたラグの家庭教師であるルーンが並ぶとすごく絵になるのだ。ルーンの見た目は成人してそこそこぐらいの外見で、男性だけど柔和な顔立ちをしている。銀色の髪は三つ編みにして1つに纏められていた。男のロン毛なんてうっとうしいだけと思っていたけれど、中性的な顔立ちの人がすると抜群に似合うものだ。
さらに知的さをアップさせる眼鏡。そう、眼鏡。完璧です。ありがとうございます。
もう、先生キャラで決定ですねと言いたくなる眼鏡の奥には、灰色の色素が薄い瞳があり、優しげにラグを見ていた。
教師×生徒ってどうしてこう、胸躍らせるんだろう。
いやいや、魔王×勇者エンドを目指しているのだから、こんなところで浮気をしている場合じゃない。それは分かるのだが、年の差コンビ、身長差コンビっていいよなぁと思ってしまう。勿論リバもどんと来いだ。
最近、この感覚忘れていたなぁと2人が並ぶとほのぼのしてしまう。いや、ほのぼのしているわけにはいかないし、私の人生をかけた問題は解決していないんだけどね。未来で起こるだろう戦争を食い止めるなり早期解決するなりしないといけないのだ。
「ではユイ。授業を始めましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
「ユイ。ルーンの授業が終わったころにまた来る」
「分かりました」
部屋から出ていくラグを見送って、私はルーンから文字を習い始める。
ルーンが教えてくれるアース国の文字は、英語に比較的似ていた。そういえば、ゲーム中に魔王が勇者に送った手紙として出てきた文字も英語っぽかったなぁと思い返す。あの時は、まさか自分がそれを覚えることになるとは思っていなかった。発音というか、読み方はローマ字読みに近いだろうか。それほど苦労はない。
文法も英語に似ている。
英語が得意中の得意というわけではないのでまったく苦労しないわけではないが、理解しきれなくて発狂するレベルでもない。
それに料理本は、基本単語とイラストだけで埋め尽くすつもりだ。そうでないと、私と同レベルで文字の読み書きができない人物が読めなくなってしまう。
「ユイは呑み込みが早いですね」
紙は勿体ないので、粘土板に文字を書いていると、ルーンにそう褒められた。
ラグに対してもこうやって褒めて伸ばす形式で指導していたのかなと思うと、頬が緩んでしまいそうになる。でもさすがにそれはマズイ。だって、私が先生×生徒な邪な目で2人を見ているとバレたら、いくらなんでも魔王様の家庭教師として雇ってもらえないだろう。BLが魔王様の教育上いいとはさすがに言えない。
なので、私は真面目な顔を極力とるように努めた。
「ありがとうございます」
「この国の文字はユイの国の文字に似ていたりするのですか?」
「いえ、私の国の文字とは違いますよ……あー、でも。ある意味似ているのかも」
「ある意味?試しに名前を書いてみてもらえませんか?」
ルーンに言われて、私は日本語で、長谷川優衣と書き込む。さらに少し考えてから、はせがわゆいとハセガワユイ、HASEGAWAYUIとひらがな、カタカナ、ローマ字で書いた。
「これが漢字で書いた名前で、こちらがひらがな、こちがカタカナ、あとこれがローマ字です。この国の言葉はこのローマ字に似ているので、何とか覚えられそうかなというだけです」
「ユイの国はいくつもの言語を使っているのですか?」
ルーンが不思議そうに私が書いた文字を見る。でも確かに自分の名前を何通りにも書けるなんて、何種類かの言語を使っているかのようだ。こうやって考えると、意外に私って賢かったのかなと思う。
日本では私はむしろ頭が悪いと思っていたのだけど、所変わると、色々変わるものだ。
「えっと何って伝えたらいいんだろ。……これらはすべて日本語で、日常では今の文字を全て混ぜ合わせて使ているんです」
ローマ字に関しては日本語と言っていいのか分からないけれど、でも知らないと困るわけだし、まあいいかという感じだ。英語の話まで異世界で始めるとややこしくて仕方がない。アメリカやイギリスは何処だと言われても、この世界では説明ができないのだから。
「混ぜる?」
「例えば、【私は長谷川優衣と言います。ふりがなはハセガワユイです】と書くとこうなります」
粘土板に書いた文字を捏ねて消した後、私は再びそこに文字を書いた。私のつたない説明で混ぜるというと、【長谷かわYUイ】とか、意味の分からない混ぜ方をされてしまいそうだ。もう少し私の頭が良ければ上手く伝えられたかもしれないが、それができないので実際に見せるしかない。
「複雑な使い方をするんですね。ふりがなとは何です?」
「漢字は音読みと訓読みがあって、同じ字でも違う読み仮名だったりするんです。例えば【優衣】ですが、これは【やさころも】とも読めます。でも逆に同じ音でも、違う意味だったりします。その時は漢字で書くとすぐに何を表しているのか分かります」
橋と端と箸など、中々に日本語を伝えるのは難しい。
国語の先生というか、外国語の先生って大変だろうなぁと実際に自分がその立場になって分かる。日本語ってややこしい。それなのに日常で不自由しないのは、慣れなんだろうなと思う。
「すごい言語ですね。確かにこの複雑な言語を自由自在に操れるなら、アース国の文字は簡単でしょうね」
「あ、いえ。全然簡単じゃないですよ。私、そんなに頭良くないので。本当に、必死なんです。これから単語を覚えていかないとと思うと実は結構不安です」
文字は何とかなりそうだが、単語は難しい。
さらに文法を使って言葉を書いたり、読んだりするとなると本気で難しいのだ。そんな簡単に覚える事ができたら、英語であれほど苦労することはなかったと思う。
「そうですか。でもユイの話言葉はとてもお上手ですよね。何処で覚えられたんです?」
「えっと……それが良く分からなくて。もしかしたら一時的な記憶喪失かもしれないと、デュラ様は言って見えたのですが」
「記憶喪失?」
ルーンに言われて、私は神妙に頷いた。ぶっちゃけ私はそんな記憶喪失になっているとは思っていない。しかし、ならばどうしてできるのかと言われても分からないのだ。トリップ特典じゃないの?と思わなくもないけれど、そんなのを説明するのは不可能である。頭がおかしいと思われるのがオチだ。
そもそも、私はどうしてこの国で新聞紙にくるまって転がっていたのかも分からない。転がる前は一体何をしていたのかなども、実は分からない。
目を開けたらここにいたような感じなのだ。
私は名前も住所も言えるし、ちゃんとじぶんが誰かも分かっている。でも直前の記憶はあいまいだ。一体何をしていてこんな状態に陥ったのか、良く分からない。
「どうも人さらいにあったようで、私は気がついたらこの国に居たんです。デュラ様はその時の恐怖体験が、記憶を混乱させてしまい、どこから来たのか、どういう状態だったのかなどを思い出せないのではないのかと言っていました」
実際私には一部記憶の欠損があるかもしれないなぁとは思わなくもない。でも帰れないのは、ここが異世界、しかもゲームの中の世界だからであって……そんなの証明のしようがない。せめて、私と同じ状況の人がいれば、日本は私の妄想ではないのだと言えるのだけど、そんな相手今のところ見たことがない。
現状は私だけが、この世界がゲームの世界だと知っているという状況だ。
「そういえば、そうでしたね。辛い記憶を思い出させてしまってすみません」
「いえ。大丈夫です。それに人さらいにあったおかげで、私は今ここでラグのような可愛らしい友人も得ることができたのですし」
しかも魔王様への口添えもしてくれるとか、本当にいい子だ。
料理本を作りたいとかも、ちゃんと考えがあっての事だし、すごく賢い。きっと将来は魔王様の側近に違いない。……そこまで偉くなっちゃうと、さすがに友人扱いしてくれないかなぁ。
でも今だけでも彼の友人でいられるのは幸運な事だと思う。
「……可愛い友人ですか?」
「はい。あ、でも。貴族の子に対して、友人扱いは不味いですよね。すごく可愛くて、賢いので、確かに私の友人には勿体ないぐらいなんですけど。でも、ラグが友人と言っていいと許してくれる限りは、友人でいたいので目を瞑ってもらえませんか?」
自分もラグを友人だと声高らかに言えるぐらいの努力をすべきなのだろうが、ぶっちゃけ自分の能力は知り尽くしている。貴族に成り上がるとか無理な領域だ。
それにラグも大切だが、私にとっては死亡フラグを折る事も大切なので、今はそっちに集中させてもらうしかない。私がこの世界で生き残るには、他ごとに力を入れている場合じゃないし、2つの事を同時に行えるほど器用ではないのだから。
だから無事フラグ折りが成功するまでは、教師×生徒も封印しておかないとだ。
「ルーン先生にとってラグはとても大切な方と分かっています。教育に悪い事は教えないようにしますので、よろしくお願いします」
ルーンがラグを見る目を見ていれば、とても大切にしているのだという事が分かる。それなのに、勝手に萌えてすみませんという気持ちと一緒に私は頭を下げた。