6風呂目 入江の町の幼馴染たち1
「……っ、ああもう!! ああ、くそっ…! 」
ルミランタの北部、切り立った高山が連なるメルズルスト山脈の麓は一年を通して寒冷である。
氷河が山岳地帯を削り取り、海面上昇によって海水で満たされた細長い入江のほとりにその町はある。
入江の町マグオン。
深い入江には冬になると氷河が流れつき、切り立った崖で周辺の町や村とは隔絶されている。マグオンはそんな土地である。
その町一帯を治める領主の息子、アルカナ・ルンペルシュティルツキンはイラついていた。
アルカナは今年で10になる。今度、中央都市アストランティアにあるマグウィザード魔法学校を受験する予定である。
自分で言うのもなんだが、アルカナは顔がいい。
加えて成績優秀、運動神経抜群、魔法の腕は町一番どころかこの年頃の中だけならば国一番でもおかしくないほどである。大人からの覚えもよく、男女人気も高く。なんでもできる、逆にできないことはなんだと周りから言われて育った。
能ある鷹、埋もれた才能、片田舎の天才とは、まさにアルカナのことである。
そんな完璧なはずのアルカナがなぜこんなにもイラついているのかというと、すべての発端は、この町に越してきた一人の女の存在にあった。
アルカナを中心に回っていたと言っても過言ではないこの世界を壊す忌々しきその女は、名をフィオーネ・ローゼンと言った。年はアルカナと同じ10歳である。
ローゼンはある日突然、一人の天文学者の母親と一緒にこの町に越してきた。
そして、アルカナと同じ町の初級学校に転校してきた。
最初の印象は「地味な女だ」というだけだった。
ぱっとしない黒髪は今どきアレンジもしないバカ真面目な一つ結び。ピクリとも笑わない石のように固い顔。なにより圧倒的に言動が可愛くない。
町を案内してやると言っても、「帰る」と一言。
歓迎のしるしに物を買ってやると言っても、「必要ない」と一言。
こちらをちらりとも見ないのがまた気にくわなかった。
けれどもっと気にくわないのは、アルカナの能力の全てが……ローゼンに……負けている、と言わざるを得ないことだった。
アルカナが満点を逃したテストでローゼンは満点、今までずっと一等だったかけっこも初めて負けた。魔法は、早さ、うまさ、正確さの全てにおいてアルカナがローゼンに劣った。
人付き合いという点については心配するまでもなくアルカナのほうが優れていたが、そんなものはそもそも勝負にならないのだ。
アルカナはあまりの悔しさに拳を握り締めた。
そして絶対あの女に勝つと決めた。領主の父に頼んで評判のいい家庭教師をつけてもらって必死に勉強した。なんとしてもあの女に勝ち、首席でマグウィザード魔法学校に合格してやるのだ。
「おい、ローゼン」
「なに。今から帰るところだから手短に言って」
「受験の点数で勝負だ。おまえもマグウィザードを受けるんだろう!!」
そうだ。受験において圧倒的に分があるのはアルカナである。
ここでローゼンをコテンパンにし、上下関係をはっきりさせてやる。
アルカナの心はこれまでになくアツく燃えていた。
だというのに。
「いや、受けないけど」
「は!?」
ローゼンの返答にアルカナは雷に打たれたような衝撃を受けた。
なんだって? 今何と言った。この女は、これだけの能力を持っていながらマグウィザードを受けない?
「授業料払えるようなお金、私にはない。私は初級学校を出たら働きながら資格を取るの。青服助手の資格。診療所で働けば、お給料安定するし」
「青服助手の資格なら、マグウィザード行って薬学とれば自動的にとれるだろ!!」
「そうね。でも受けない。私に中級高等一貫に通うような余裕はない」
「は、なん、それじゃ……」
「なに?」
「勝ち逃げじゃねーーーーーか!!!」
アルカナが指を差して非難すると、極めて冷静にローゼンは言った。
「逃げていないし、そもそも勝負してない。受験もしない」
「おまえホントにそれでいいわけ!? 最初っから行けねぇってあきらめてるだけだろ!!」
その一言がまずかったのか。
初めて、ほんの少しだけ、ローゼンの表情に怒りの色が……というより、げんなりしたような面倒くさそうな色がのった。
「あなたに何が分かるの」
周囲の気温がこれ以上ないほどに下がったんじゃないか。そう思うほどに冷たい声でローゼンが言った。
「あなたの言う『勝負』とやらのために受験して人生棒に振れっていうの。マグウィザードの授業料免除がどれだけ狭き門か、調べたことはある? ないでしょうね。だってダメでもご両親がお金を出してくれるものね」
アルカナは二の句が継げなかった。
彼女の言うことは正論だった。言い返そうとしても、できないのである。
「あなたが歩いてるその道は、あなたの努力だけでできてるわけじゃない。あなたの見ている物だけが世界の全てではない」
そう言い放ったローゼンの顔から怒りの色はなくなっていた。今はただ氷のように冷たい双眼がこちらをじっと見ていた。
「わかったらそこをどいて、ルンペルシュティルツキン。私はこれを先生に返して家に帰るの」
ローゼンは手に持っていた本を指さし、次にアルカナの後ろを指さした。
アルカナは道を開ける。
「それじゃ、また明日」
そう言ってフィオーネ・ローゼンは去っていった。
「ほんっと〜に可愛くねぇ女!!!」
聞こえたかどうかは定かではないが、なんとか憎まれ口を返し、アルカナは衝撃を抱えたまま家路についた。
学校の前まで家の馬車が迎えに来てくれた。家に着くと、使用人がみな「おかえりなさい」とアルカナに頭を下げた。おなかは空いていませんか、と高級な菓子を出してくれた。これから隣町で評判の家庭教師が家に来る。アルカナが頼んだから。
なんだか突然、アルカナはそれらすべてが恥ずかしいような気持ちになった。
改めて考え直してみれば、アルカナは、一から十までどこまでも、親の金で生きている子どもであった。
このままローゼンに勝ったとして、それで勝ったのはアルカナではなくアルカナの両親だということになりはしないか。というかそもそも、それは勝負として成り立つのか。そんなことを考える日が増えた。
両親に、家庭教師をみんな外してくれと頼んだ。学校までの送迎をやめてもらうことにした。
自分の力だけでローゼンに勝たなければ意味が無いような気がした。
この日、アルカナは天文台に来ていた。
天文台の階下は図書館になっていて、その上が職員とその家族の住居で、最上階を含む屋上が天文台なのである。
だから正確に言えば、アルカナは天文台の下の図書館に用があったのだった。
当たり前だが、家庭教師をはずしてもらってから、教材が勝手に用意されることはなくなった。だから調べ物をするための本を読みにアルカナはそこに来たのだった。
目当ての本を見つけ、手近な席に腰かけた。
しばらく本を読みふけり、アルカナは調べ物に没頭した。
ほどなく経って、ふと顔をあげると、書架の前にローゼンが立っていた。アルカナのほかには誰も来ていないと思っていたが。
けれどそこまで考えて、そういえば、ここは彼女の家でもあるのだったと思いなおした。今の天文台の職員はローゼンの母親なのである。
またしばらく本を読みふける。積んで置いた分をあらかた読み終え、写しを終え、問題を解き終えた。続きは明日にしようと席を立つ。外を見ると、真っ暗だった。
「大丈夫? 顔、青いけど」
「え?」
顔をあげると、ローゼンの黒飴みたいな目がこちらを見ていた。
いつもと同じ一つ結びの黒髪になぜか妙な安心感を覚えて肩の力を抜く。
同時に体中から力が抜けた。
「え、ちょっと、ルツキン……?」
遠くにローゼンの声がする。ばたんと大きな音を立ててアルカナは倒れた。
次に目を開けると、そこは知らない部屋だった。
小さなベッドにアルカナは寝ていた。
首だけを動かすようにして見渡すと、星々の絵と、おびただしい量の書物、それに混じるようにして、子どもが描いたような肖像や編みかけの肩掛け、たたまれた洗濯物、ぬいぐるみなどが置いてあった。
「あ、起きた。顔色も平気そうだね」
机で勉強していたローゼンがこちらを向いた。
そして席を立ち、片手をアルカナの額、もう片方の手をローゼン自身の額に付けて熱を確認した。
「熱もない。ごはん、食べられそう? スープとパン粥」
「いただこう」
「じゃ、そこ座って。あっためるから」
言われたとおりに座る。ローゼンはスープの入った鍋を魔導コンロの上で温め、かき混ぜている。その背中にアルカナは尋ねた。
「おまえは、いつもこんなことをしているのか」
「こんなことって?」
「洗濯とか、食事を作ったり……」
「私、両親いないんだ」
「は……」
なんでもないことのように言って、ローゼンはくるくると鍋をかき混ぜる。
「二人とも私が小さい頃に死んじゃった。一人だった私を、母の仕事仲間だったオルガさんが引き取ってくれたの。……オルガさん、私のことはやってくれるんだけど、自分のことはすぐほったらかしにするから。これは私がやりたくてやってること」
ちょうどよいところで火を止め、器によそい、「はいどうぞ」とアルカナの前にスプーンと共に置く。
「いただきます」
「召し上がれ」
アルカナが食べている間もローゼンは勉強していた。
アルカナは見つける。
積まれた本の上に、丁寧に、大切そうにまとめられたマグウィザードの入学要項を。何度も読んだのだろう、紙は擦り切れ、インクも掠れてきているようだった。
付箋がついていたのは『青服助手』の箇所ではなく、『天文学魔法研究職・天文台司書資格』の欄である。
「ローゼン、それ……」
アルカナが示すと、ローゼンは気づいて「ああ、これ?」と言った。
「この前はあんなこと言ったけど。本当のことを言えば、夢くらいは見ていた」
ローゼンの指が入学要項の表紙を大切そうになぞる。
「授業料全額免除は筆記、実技ともに上位4位以内を三期以上維持、それを六年間。そうすれば叶う、夢」
「ローゼンならきっと……」
「ありがとう。この前はごめんね、ルツキン。あなたがうらやましくて、つい嫌な言い方をした」
「いや、いいんだ。あれは……俺が悪かった」
首を振ってローゼンがほほえんだ。
彼女が笑うところを、アルカナは初めて見た。
けれどその笑顔は、痛そうだった。
なんのしがらみもなく魔法学校の門を叩くだろうアルカナに向けて、切なそうに笑んでいた。
笑うな、と思った。そんなふうに笑うな。こんなことならいっそ。
「泣いてしまえばいいのに……」
「ん?」
「いや、なんでも。……受けないのか、本当に」
「うん、受けない。この町を出れば、私より優秀な同世代の人なんていくらでもいる。そのうちの上位4人に入っているかどうかなんて、賭けるには分が悪すぎる」
「なんで青服助手になるんだ」
「二番目にやりたいことだったから。オルガさんを病気とか怪我から守れたら……もしものとき看病できたらって」
「一番目にやりたいことは、なんだったんだ……?」
アルカナが尋ねると、ローゼンは少し言うのをためらっているようだった。
けれど結局、少しだけ寂しそうに言った。
「……母さんの見ている景色を、私も見てみたかった。オルガさんと同じ目線で語りたかった。遠くで光る、星の話を。この不思議で美しい、世界の話を」
ローゼンは上を見上げた。螺旋のような階段の先、建物の一番てっぺんにある天文台を。あるいはその先にあるだろう星々を。
それは宝物を見るようなまなざしだった。
「じゃあね、ルツキン」
「……ああ、また学校で」
ローゼンは下までアルカナを見送ってくれた。
手を振る彼女と別れ、アルカナは踵を返す。
頭上には銀砂のような星々がきらめいていた。きらきらと、さらさらと。
本当なら、ローゼンが関われたであろう、美しい光たち。
ただ父に言われたからという理由で受験するアルカナよりも、彼女こそがきっとあの光にはふさわしかった。
「……俺、なにやってんだろう」
アルカナはぽつりと呟いた。
初めて、心の底から、負けたと思った。
完敗だった。
敵わない。ローゼンは圧倒的だった。
「それでも、俺の勝ちなわけ……?」
そうなのだった。
ローゼンはマグウィザードを受けない。ならば不戦勝でアルカナの勝ちなのである。
けれどアルカナは何一つ嬉しくなかった。
イライラした。
猛烈に腹が立っていた。
「……っ、ああもう!! ああ、くそっ…!」
アルカナが、そう吐き捨てながら滲んだ涙を袖で乱暴に拭ったときだった。
どんっと音を立てて、アルカナの正面に開いた引き戸が落ちてきた。
何が起こっているのか全く分からないまま、湯気を立てるそれの、視線の向こうの後ろ姿にアルカナは尋ねた。
「誰だよ、おまえ」
振り向いた人影は言った。
「風呂屋だっつの!!!」




