私、夏が好き
「私ね、夏が一番好き」
アスカが、ひまわりのように笑う。
快活でいつもみんなの中心にいた女の子。
夏の太陽のようで、今でも俺の記憶の中に眩しく残っている。
「私ね、夏が一番好き。ほら見てマナブ、これこそが夏。青い海、白い砂浜!」
海からの風に麦わら帽子を抑えて、アスカが元気よく砂浜に走っていく。
「並ぶビーチパラソルに、打ち寄せる波、そして黒い雲!」
「曇ってんじゃん!」
さあどうだ、と言わんばかりに空を指し示したアスカに俺は即座に突っ込んだ。
俺の言葉に合わせたように雷鳴が轟く。
「キャッ、うふふ」
空を走る稲妻に瞳を輝かせ、嬉しそうに笑うアスカ。
「そこの子達、危ないから海に近づいちゃダメだよ! 雷が落ちるかもしれないから」
ライフセーバーのお兄さんに注意されて俺たちは元来た道を戻る。
自転車で飛ばす登り道に、大粒の雨が落ち始めた。
「キャー、降って来た。マナブん家にゴー!」
アスカと二人、俺の家に飛び込む。
容赦なく降った夕立のせいで俺もアスカもずぶ濡れだ。
「あー、濡れちまった。ったく、何で急に海行こうなんて言い出したんだよ、アスカ」
海までは自転車で片道十五分、行けない距離ではないが、見ただけで帰ってくる意味もわからない。行くなら泳ぎたかった。
自転車で家を出てからアスカが海に行こうと言い出したのだ。
俺は棚からタオルを二枚取り出して一枚をアスカに渡す。
「海を見なきゃ私の一日は始まらないのよ」
髪を拭き、したり顔で言い放つアスカだが、時刻はすでに午後四時を回っている。
「お前の一日って何時に始まってんだよ」
「だぁって、昼間暑いんだもん」
グデーンと床にうつ伏せて「冷たくて気持ちいい」なんて頬ずりしている。
「アスカ、床汚いぞ」
「おばさんが毎日雑巾掛けしてるから大丈夫。私のよだれが垂れても拭いてくれるわ」
「うちの雑巾はお前のよだれ拭きかよ。いいから風邪引く前に先シャワー浴びてこい」
浴室に入ったアスカのために、着替えの入った袋を用意する。
うちにアスカの服が常備されてる時点でうちがアスカの別荘と化してきてるよな。
俺も自分の着替えを用意して、アスカの後にシャワーを浴びる。
シャワーを終えると居間にアスカの姿がない。多分、俺の部屋か。
「あー、エアコン好きー。でもオゾン層が、シロクマさんごめんなさい」
俺の部屋でも床でぐでってるアスカは、エアコンのリモコンを持ってなぜかシロクマに謝っていた。
アスカの話の飛躍と謎の行動に俺は時々ついていけない。
この通り、アスカはちょっと人とずれてる。でも陽気で、みんなを笑わせるのが得意で、俺の自慢ーーにしていいかはちょっと疑問だが近所に住む幼馴染だ。
因みに、アスカは一緒に歩いてると九割の人が目で追いかけてくる美少女だ。
成績も良く、スポーツ万能。うん、やっぱり自慢の幼馴染だな。
俺は見た目は普通。スポーツは得意だが勉強は苦手。短所も長所もあって合わせて平均といったところか。
「起きろアスカ、パンツ見えるぞ」
横になってるアスカの水色の短パンの裾からチラチラと白い生地が覗く。
「うー、見せパンだから大丈夫」
見せパンてなんだよ、パンツ見せんなよ。いや、見せるってならしっかり見るが、まてまて違う。乙女なら恥じらいを持て。
あと、通行人の九割が振り返るアスカがパンツ見せてたら余裕で犯罪者が出るぞ。
俺、今のうちから身体鍛えとこうかな。人並みよりはある運動神経活かして格闘技でもやるか。
よし、後で両親に相談してみよう。
「そういえばアスカ、夏休みの宿題どのくらいやった?」
机の上に山になっているプリントを見て思い出す。
「まだ半分。自由研究と読書感想文は終わる気がしないわ。漢字練習と算数だけにしてくれればいいのに」
ようやく床から頭を上げたアスカが答える。
夏休み開始一週間で宿題半分終わらせてるのは速い方だろう。俺は二十枚程あるプリントのうち二枚やっただけだ。
算数はこの世から滅びればいいと思う。
「アスカ、昼飯は?」
「起きたらなかったわ」
朝食から食べていないらしいアスカの返答に、俺はキッチンに行き冷蔵庫からフルーツサンドを取り出す。俺のおやつにと母が用意したものだ。多めにあるので、飢えてるアスカと二人で食べることにする。
「ちゃんと朝起きろよ」
小さなちゃぶ台を出し、フルーツサンドを置く。すぐにアスカの手が伸びた。
「無くならないから、落ち着いて食え」
飲み込む勢いで頬張るアスカに、思わず言ってしまって、俺はアスカの母親かと自分に突っ込む。
「夏休みの朝は、二度寝するためにあるのよ」
ゴクリとサンドを飲み込んだアスカが、またしてもしたり顔をする。その言葉に俺は呆れる。
「おばさん怒らないのか?」
アスカの母親は専業主婦だ。昼間も家にいる。子供がいつまでも寝ていたら家事も終わらないだろう。
「小六にもなって親に起こされないと起きれないなんて言わないわ。スヌーズ続けてたらこの時間になったのよ」
自力で起きたと言い張るアスカに頰が引きつるのを感じる。
スヌーズ機能って何時間も使えるんだな。
「マナブ、勉強会しよう!」
いいこと思い付いたとばかりにアスカが手を叩いた。
「一緒に宿題やろう、ここで。私、宿題取ってくる」
また突飛な行動に、と止める間も無くアスカはうちを飛び出し、自転車で一分のアスカのうちへ向かったようだ。きっとすぐに戻ってくるだろう。
アスカはすぐに戻ってきた。宿題と、本と、マンガと着替えと、ゲームを持って。
「宿題やる気あるか?」
「もちろんあるわよ。さあまずは、マナブの算数から片付けよう、おー!」
一人で拳を上げてやる気を出すアスカ。算数の言葉に俺のやる気は一気に失せた。
アスカに無理やり算数をやらされた俺は力尽きていた。
「ただいまー」
母の帰宅の声に天の助け、とばかりに宿題を片付ける。
「アスカ、夕飯の手伝いしよう。食ってくだろ?」
「いいの?」
アスカの顔がパッと輝く。
飯食えるのがそんなに嬉しいのか。アスカの笑顔につられて、俺も思わず笑ってしまった。
「いつものことだろ。母さん、おかえり。アスカ食ってくって」
「アスカちゃん、いらっしゃい。いいわぁー、女の子のお出迎え。今日はね、ナスと牛肉が安かったの。甘辛味噌炒めにしましょう」
「おばさん、おかえりなさい。はい、手伝います」
疲れを吹き飛ばしたような母の満面の笑みと、食材に釘付けで敬礼をしているアスカ。
「おばさん、私が持ちます」
いそいそと食材の袋を持つアスカに母の顔が綻ぶ。
「ありがとう。本当に気がきくわね、アスカちゃんは。どっかの息子は重い買い物袋を受け取ろうともしないのよ」
「はいはい、悪かったね。アスカ、俺が運ぶよ」
買い物袋を受け取ると、アスカは嬉しそうに笑う。
「ありがとう、マナブ。お肉入ってるって」
わーい、とはしゃいでアスカはまな板と包丁を出す。
「包丁持ってはしゃぐな。落ち着いて扱え、危ないだろ」
「マナブ、私お肉切るよ!」
「先に野菜な。肉切るとまな板も包丁も脂で洗うの大変だから」
「オーケー、野菜も切るよー」
「包丁を構えるな、それは武器じゃねえ。危ないから一回置け!」
口を尖らせ、渋々と包丁を置くアスカ。ハイテンションな奴に包丁は握らせちゃいけない。
料理が出来上がった頃、父が帰ってきた。
「ただいまー」
「「「おかえりー(なさい)」」」
「お、アスカちゃんだ。今日は賑やかだね」
いつもぐったりとして帰ってくる父が上機嫌で食卓に着く。
「本当にいいわよね。アスカちゃん、可愛いし気がきくし、もううちの子になっちゃいなさい」
母がにこにこと笑って言うのに、父が「おお、いいねえ」と嬉しそうに返す。
「ヤッター!!」
アスカは両手を挙げて大袈裟に喜んでいる。
これって、そういう意味なのか?
俺の胸が勝手にドキドキと速まった。
まあ、そんな感じでアスカは夏休みのほとんどを俺のうちで過ごした。俺や、他の友達と外に遊びに行ったりもしたし、うちの食卓の常連になっていた。
昼間の家事は俺とアスカの共同作業だ。宿題も、夏休みを半分残した所で終わらせた。
「今日、マナブの家に泊まってってもいいかな?」
ドギマギとした上目遣いでアスカが俺に聞いた。
なんだこれ、ちょっと待てなんだこれ。
頭の中をラノベの展開が過っていく。
俺たちまだ小学生で、いやでも将来を誓い合ったらいいのか? 両親公認だし、これはいいのか? もしかして。
そして今、俺の部屋ではアスカが眠っている。
俺は今、両親の部屋で眠っている。
もちろん、わかってたぜ俺は。こんな展開読めてたよ。ちくしょー。




