後編 自己流「小説の書き方」
さて、後半では自分が考える小説の書き方について述べてみたいと思います。あくまで素人意見ですので、”これはまちがってる”、”おれの方がもっといい意見が言える”という方、是非とも感想、あるいは反論をお待ちしています。
1. 一人称小説にするか三人称小説にするか
小説を書き始める場合、作者が必ず意識することは、一人称小説を書くか、三人称小説を書くか選択することだと思います。
一昔前ですと、同人誌などで生まれて初めて小説を書く人の大半が一人称小説を選択したと思います。しかし最近では、初めて書いた小説が三人称小説という人も珍しくないようです。
日記やエッセー、紀行文などは一人称で文章を書きますが、これをそのままフィクションということにしてしまえば一人称小説になります。
これに対し、三人称小説は小説以外のいかなる文章にもない形式であり、小説を書いたことのない人にとり、はじめて執筆体験する文章になります。
とは言え、奥が深いのは一人称小説の方でしょう。プルーストや大江健三郎の作品を読むと一人称小説の奥義に触れることができます。
ただし、以下では三人称小説を書く際の簡単な注意事項だけ述べます。
1-1. 心理描写はブロック主人公のみが原則
ところでアマチュアの同人誌でよくある三人称小説の失敗に、登場人物の心理描写をした直後の文章で別の登場人物の心理描写をする、というのがあります。
「彼は不愉快だった。一方、彼女は明るい気持ちになった。」
といったような文章です。えっ?どうしていけないのかわからない、ですか?
この例ではわかりにくいですが、小説を読んでいて、複数の登場人物の心理描写が連続した箇所までくると、感覚的に不自然さを感じるからなんですね。
三人称小説の場合、最初から最後まで主人公しか心理描写しないならともかく、複数の登場人物の視点を描く場合、1ブロックごとにブロック主人公を決め、そのブロック内は彼/彼女しか心理描写をやらない、という規則を決めた方が無難です。
ここでいうブロックとは、小説内の塊の最少単位です。小説が複数の章で構成される場合、ブロックは章よりさらに細かい単位です。ブロックの前は空行(または章のはじめ)があり、ブロックの後にも空行(または章の終わり)がある、といった単位です。
もちろん章自体をブロックにしてしまう手もあります。
ただしこの応用編として同一ブロックながら、登場人物Aの心理描写をした後に、風景描写や台詞などが長々と続き、その後に登場人物Bの心理描写を行う、というのも場合によってはアリです。ただしこの場合、読んでいて不自然になってないかどうか、何回か読み返して確認する必要があります。
要は読んでいて不自然ならば不可、そうでなければ可ということです。
1-2. ナレーターが”神視点”すぎてもいけない
前述の「ベストセラーの書き方」で、クーンツは英国の文豪チャールズ・ディケンズを「本物の文学」と絶賛しておきながら、『二都物語』の冒頭の文章を手厳しく批判しています。クーンツ曰く、こういう表現は19世紀の小説だから許されるのであって、今時こんな小説を書いてはダメ、と天下の文豪にダメ出しをつきつけています。
以下の文章です。
「それはすべての時代の中で、最良の時代であり、最悪の時代でもあった。英知の時代であるとともに、愚鈍の時代であり、信念の時代でもあったし、不信の時代でもあった。それは光の季節でもあれば、暗闇の季節でもあったし、希望の春でもあれば、絶望の冬でもあった。」
要するにナレーターが神のように何でも知っている描写は、三人称小説の場合、不自然ということです。逆に一人称小説ですと、ナレーターの視点が読者から見て対象化されるため、どんなに偏見に満ちた書き方をしてもそれが作品の”効果”になる場合があり、また賢い作者はそれを意図的に狙います。
無難なのはナレーターもブロック主人公が知ってる程度のこと以外、原則書かない、ということです。
ただし、エンターティメント系の小説、特に伝奇小説では、ある種の知識や薀蓄が小説の読みどころになる場合があり、これをナレーターが”神視点”で解説するのは、ある程度許されるのでは、と個人的には考えています。
ちなみに伝奇小説では、よく物知りのキャラクターを登場させ、その人物の台詞で知識や薀蓄を説明させる、という方法があります。これならナレーターの”神視点”問題から解放されますが、一方で、知識や薀蓄は”地の文”で解説するのが本筋、というのが私個人の考えではあります。
2. キャラクターはどうするか(ホームズとワトソンが最強タッグ?)
小説にかぎらず、映画、ドラマ、漫画、アニメ、演劇、ゲームといった物語芸術で、魅力あるキャラクターを登場させることが重要であることは言うまでもありません。と言うか、上記のジャンルで小説が一番キャラクターをないがしろにしても許される感がありますが、それでも小説においてもキャラクター設定は重要な要素でしょう。
最近ふと思いついたのですが、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズに出てくるホームズとワトソンの二人のタッグチームが読者を小説に引き付ける最強の組み合わせの一つではないでしょうか。
すなわち、
①ホームズ=超人変人キャラ
②ワトソン=凡人常識人キャラ
の組み合わせです。
①は読者に小説を読む動機づけを与えるキャラクター、②は読者が小説の世界に感情移入できるキャラクターです。
どちらが主役でどちらが脇役でも構いません。あるいは両方とも主役ではないが、主要キャラクターに含まれていればいいと思います。
これは長編小説ほど有効でしょう。短編やショートショートでは、ストーリーやテーマの関係で無理してホームズとワトソンを入れるのは難しいかもしれません。
3. 文章はどうするか
私が個人的に小説を書く際に文章について意識しているのは以下の通りです。
①できるだけ何を書いているのか読者に伝わるように、わかりやすく書きます。映画、ドラマ、漫画など視覚に訴えるメディアに対し、文章を読ませる小説は、内容を理解するだけで労力が入ります。だからこそ、その労力を低減させるべく、小説のストーリーが読者に理解できるよう、わかりやすく書きます。
②ここぞという場面では、文学的文章で勝負します。同じストーリーを伝えるにも何通りもの文章表現がありますが、言葉が喚起する想像力を利用することで、様々な効果を読者に与えることができます。ときには①の条件に反しても、言葉の”効果”を最大限に引き出す文章を選びます。
矛盾した二条件に思えるかもしれませんが、通常は①を、小説のクライマックスでは②を原則にしています。
4. ストーリーはどうするか
ラストのオチや大ドンデン返しを含め、ストーリーは小説の最も重要な要素だと考えます。
ストーリー作りが巧みな小説家をストーリーテラーと呼ぶことがあります。日本の純文学界では軽視する向きもあるようですが、私は小説家がストーリーテラーと呼ばれることは最高の栄誉だと思います。
キャラクターの性格がしっかり設定してあれば、作者が能動的にストーリーを考えなくても、キャラクターが自動的に動いてくれる、という人がいます。しかし、これも限度があるでしょう。ある程度以上、面白いストーリーを作りたいなら、作者が能動的にストーリーを作り出す必要があります。
ただし当初考えたストーリーを強引に推し進めると、キャラクターの性格が死んでしまう、ということがあります。この場合は微調整が必要でしょう。自然な流れにまかせたり、リアリティーを重視したりして、ストーリーを微調整します。
これはテーマについても言えることだと思います。当初、想定していたテーマで強引に小説を書くのではなく、リアリティーを考えて微調整するのです。テーマは特にエンターティメント系の小説の場合、意識しなくてもいいと思いますが、テーマを入れた方が小説に深みが出る場合があると思います。
5.描写はどうするか
私個人としては、描写はできるだけ緻密な方がいいと考えています。ただし絶対的自信はありません。最近、文学フリマで童話を買ったのですが、描写の考えが私とは真逆の作品でした。つまり、登場人物の設定も情報量が少なく、舞台となる街の名前もあえて設定せず、あえて曖昧にした世界です。そしてこの曖昧さが想像力を喚起してすぐれた童話にしているのです。
作風により、描写の最適な方法論も変えるべきかもしれません。
*************
以上、いかがだったでしょうか。感想、反論をお待ちしています。