93 喰らった生贄
稜線では、丸太の投下が終わっていた。
「火を放て」
パリサイドの指揮官が指示を飛ばす。
「まず、さきほど少年が口にした言葉から説明しようかの」
老婆がキッと長老を睨みつけたが、まあよい、というように手で制した。
「ああいう言葉は、時として直接的で、時として逆説的でもある。正しき知識を持っていなければ、得られるものはない。正しき知識を持っておれば、あのような伝承めいた暗号は、本来は要らぬもの」
ヘスティアーとは、神話時代の神。かまどの神と伝えられておる。
かまどの火。まさしくあれじゃよ。
長老は、くすぶり始めた丸太の山を指差した。
あの火に守られた孤児。
孤児とは。
「これが大方の者には理解できぬだろう。孤児とは、ある男のことを指す」
男の名はゲンロク。
ゲントウの子である。
ゲントウ亡き後、ゲンロクは装置開発者の息子として、特別な位置にあった。
表向き、カイロス収縮派に属していたが、装置の誤った使用を最も恐れていた人物である。
「ゲンロクは思いつめておった。メルキトとして、日々の暮らしに倦んでもおった。ある日、恐ろしい決断をし、それを実行に移したのじゃ」
ゲンロクは特殊な体に身を変えた。
それが、あそこに立っている太刀。
身を変えたというより、太刀に精神を宿したというべきじゃろうな。
あれも一種のアギなのじゃろう。
すなわち、太刀の束に内包しておる意識。
そこに凝縮された意識は、正しき者が、正しき方法でカイロスの刃を手に入れようとするとき、刃を開放するということのみ。
正しき方法でなければ、殺してしまう、ということ。
そうして、カイロスの刃を飲み込んだ。
「生贄とは。これは逆説的な言い回しの例」
そのような言い方をすることで、正しき知識を持つ者が確信を持って事を成すために。
「生贄。つまりカイロスの刃は、孤児であるゲンロクが姿を変えたあの太刀、その中にある、ということなのじゃ」
長老が、少年を見つめた。
その瞳は透き通っていたが、いくばくかの怒り、そして哀れみが混じっているようだった。
「少年よ。もうひとつ、誤りを正しておこう」
ヘスティアーに保護されし孤児、生贄を喰らう。と、言ったな。
少し違うんじゃよ。
おまえさんが口にしたのは、他に流用された暗文ではないかな。
正しくは、
ヘスティアーに保護されし孤児、喰らった生贄を解放す
というものじゃ。
「どうじゃ、これでわかったかな」
老人はそういって口をつぐんだ。
入れ替わりに、少年が言う。
「あの泉の水は? その動きによっては……」
「ん? 話さなかったか。正しき方法でなければ、孤児は刃を奪いに来たものを殺してしまう、ということじゃ」
「じゃ、これが正しい方法なんだね。だから、水は湧き上がって来ないんだね」
「少年よ。老人が言うことに対して、そんなふうに念を押すものではないぞ」
「ごめん。でも、」
「悪い癖じゃ。でも、というのは」
「すみません。でも、さっきも太刀は火に包まれていた。なぜあの時は」
「火だから何でもよいというわけではないじゃろう。違うかな?」
そう諭されて、少年はもうなにも言わなかった。
水は、ゲンロクの意思が動かしている。
見ておればよい。カイロスの刃は手に入るじゃろう。
長老の瞳に不安が浮かんだが、すぐにそれは消えた。
「わしは、ゲンロクを信じておる」
ンドペキに通信が入った。
「ンドペキ! すまない! 連絡もせずに! あのヘスティアーに保護されしの言葉の意味が!」
ここまで聞いて、ンドペキはスジーウォンの声を遮った。
「今、俺も長老の言葉を聞いている。おまえのすぐ後ろで。話の方に集中してくれ」
「えっ、そう! わかった。でも、スミソが」
「それも後で聞く」
通信を切った。
スジーウォンがパリサイドに怪しまれてはまずい。
目の前で起きていることに集中してくれ。