88 結婚するってことは
声が聞こえてきた。
「結婚するってことは、夫婦になるってことよね。どんな困難も二人で乗り越える。これ、約束して」
紛れもなくスゥの声。
そして、握った手はまさしくスゥの手。
「約束する」
ンドペキはホッと息を吐き出した。
「ひとりでなんでもやる、なんて無しにして」
「わかった」
マスクの中でスゥが微笑むのが見えた。
「よかった……」
「私でよかったでしょ。手をつないでいるのが」
「うん?」
「モンスターなんかと手をつないでたらどうしよう、って思ってたでしょ」
「んなことはない。さては、おまえ、そう思ってたな」
「ううん。私にはちゃんとンドペキの肩の辺りが見えてたから、安心してたよ」
辺りを窺う。
声を出したからといって、変化はない。
ンドペキはスゥと向き合い、そのまま頭をめぐらせて、背後を確かめた。
稜線がだらだらと下っていく。
右手の低地は、見渡す限りの森。
ゆるやかに下って、その先には何もない。
バーチャルを生み出すデータがないのか、あるいはかすんで見えないのか。
左手の台地は、ごろごろと石が転がり、ところどころに草が生えているだけの荒地。
森が点在している。
「煙」
台地の森のはずれから、煙が上がっていた。
胸に、新たな考えが浮かんだ。
「ここが、シェルタ……」
バーチャルで巨大なインテリアを施してあるシェルタ。
ありえないことではない。
しかし、この荒涼とした景色がレイチェルの趣味だろうか。
あるいは前任の長官の嗜好か……。
「地球だよな」
「そうみたい」
「まさか、ワープなんてことは……」
「そんな」
生身の人間を、生体組織固定もせずに移動させる技術は、まだない、はず……。
しかし、もし技術が開発されていたのなら、これほど好都合なシェルタはない。
暗闇に閉じ篭らずとも、自由に快適に潜んでいられるのだから。
「でも」
もし、ここがシェルタなら、目的地に到達したことになる。
だが……。
シェルタの入口であるこの地点に、見張り要員がいないばかりか、なんのチェックもされていない、のではないか。
しかも、見渡す限り、建物らしきものはない。
人の住む気配がない。
「森か」
稜線を駆け下りれば、ものの数分で森の端部に到達できる。
あの木々の下にレイチェル騎士団が屯っているのだろうか。
あるいは、あの煙はレイチェル騎士団が立てているものだろうか。
「情報がないのに決め付けるのはよくないと思うけど、違うと思う」
スゥの言葉が正しいのだろう。
「あの煙、食事の支度ってもんじゃない」
煮炊きものの煙なら、もっと白いはず。
森のはずれから立ち昇る煙は、かなり激しく、広範囲に燃えている。
そして、空を塗り潰すほど黒かった。
「山火事か」
行動を起こすべきなのだろう。
ここに立って、すでに数分が経っている。
マルコとミルコは姿を現さない。
いや、出現はしているものの、位相がずれていて目には見えないだけかもしれない。