57 一つ目のお姉さんは、脈があるって
「ねえパパ、今、いい?」
「いつも言うけど、娘がパパに話しかけていけない時なんて、ないよ」
「うん」
顔を覗かせたチョットマは、げっそりしたように見えた。
「入っていい?」
「なに言ってるんだい」
チョットマを襲ったクシが、ハクシュウの顔を持っていた。
ハクシュウがクシだったのではない。
そのはず。
それでもチョットマは意気消沈してしまって、宿敵が居なくなった喜びどころではなかった。
イコマは小さなスツールに腰掛けたチョットマの右肩に止まった。
「セオジュンのことなんだけど」
「ああ」
右肩に止まったのは、いわば合言葉。
万一、他人のフライングアイであっても、チョットマにはわからない。
ンドペキとの間では必要なかったが、ユウやアヤともそれぞれに合言葉を決めてある。
チョットマがフライングアイにちょこんと触れた。
チョットマは二日おきくらいに訪ねてくるが、話題は決まってセオジュンのこと。
捜索にさしたる進展はない。
それでも話題にするのは、半ば習慣となった安全な話題だからかもしれない。
チョットマとて、部隊の行く末や、街の今後や、アンドロとの戦いについて考えていないはずはない。
そんな話題を避け、行方不明となったセオジュンのことを話すのは、いわば肩の力を抜くために必要な時間なのかもしれなかった。
まして、クシがハクシュウの顔を持っていたという、チョットマにとって衝撃的な出来事があったその翌日ともなれば。
今、クシの死体が運ばれようとしている。
あるビルの屋根の上に、放置するために。
葬儀という類のものではない。
あくまで死体の処理。
屋根の上で二週間晒し、死体が消え失せなければ、つまり再生されなければ、地下深くの水系に放り込まれ、処分される。
それがエリアREFでの慣習。
そう聞いたンドペキが、二名の隊員と共に、クシを運んでいるのだ。
勿体つけた儀式としての弔いより、よほど自然な形かもしれない。
信じてもいない神に祈りをささげ、「神に召されて」などと逆に不遜な思いで死体を見つめるより、悲しみの念も深まるというものだろう。
死体は死体。
数日もすれば腐敗が始まる。ただの冷めた肉。
もうそこに魂が宿っているはずもない。
魂という、人が編み出した「存在」が実際に存在するとしても。
ンドペキはクシの死体処理にチョットマを誘おうとはしなかったし、チョットマも参加しようとはしなかった。
「あ、そだ、パパにお礼を言わなきゃ」
「ん?」
「私が歌を習いたがってるって、ンドペキに言ってくれたでしょ」
「ああ、勝手なことをしたかな」
「ううん。ありがとう」
「どんな感じ?」
「一つ目のお姉さんは、脈があるって」
「そいつはよかった!」
チョットマは習った曲を教えてはくれなかった。
自分のものになったら、皆の前でお披露目するのだと笑った。
ほっとする笑顔だった。
娘との他愛もない会話。
このために、人は、父親になる。
父親としての一番の望み。
それは娘のこんな笑顔。
自分の遺伝子を受け継いだ子を持ったことのないイコマでも、それくらいのことは分かる。
アヤとはまた違う種類の喜び。
彼女はすでに大人で、長い年月を一緒に過ごした。
チョットマに娘として接しているのはまだ数ヶ月。
知らないことも多い。
ただそれだけの違い。