52 離脱せよ!
「急げ!」
言われるまでなく、異変を感じていた。
「逃げるんだ!」
泉の水が盛り上がっていた。
見る間に、背丈を越えている。
「やばいぞ!」
水は剣を守るため、自分達を襲おうとしている!
触れれば、この体は!
スジーウォンはアビタットを追って走り出した。
「スミソ! 早く!」
「剣は!」
「ここ!」
と、アビタット。
見れば、少年の背に。
紅蓮の炎の中、無我夢中で走った。
眼前は真っ赤な世界が広がるのみ。
アビタットの姿は見えなくなった。
ゴーグルモニタだけが頼り。
「早く早く早く!」
アビタットの叫びがヘッダーの中にこだまする。
泉から五キロメートルほど離れた。
振り返って見て、スジーウォンは背筋が凍りついた。
「スミソ!」
「わかってる!」
水が追ってきていた。
黄金色の水蒸気となって。
「もっと速く!」
スジーウォンは叫んだ。
黄金色の水蒸気は、真っ赤な炎の中でもはっきりわかる。
スミソのすぐ後ろに迫っていた。
「くそ! 何だこれは!」
「知るか!」
生きた心地がしない、とはこういうことを言うのか。
初めてそんな気持ちを味わった。
装甲の中は快適なはずなのに、汗が吹き出ている気がした。
「早く!」
そんな言葉しか出てこなかった。
「これ以上、無理だ!」
アビタットの声がした。
すでに一キロほど先を走っている。
「剣を捨てる!」
「おい!」
「仕方ないだろ!」
「スミソ! 離脱するんだ!」
アビタットが叫んだ。
「進路を変えるんだ!」
そう言われて、理解した。
アビタットを追ってはいけない。
泉の水蒸気は、剣を追っている!
「スミソ!」
ゴーグルモニタからスミソが消えていた。
「おい!」
再びスジーウォンは後ろを振り返った。
「うわ!」
すぐ後ろに金色に輝く壁が迫っていた。
スジーウォンは、一気にアビタットの進路から外れた。
水蒸気は幅二百メートルほどの帯状となって、津波のように突き進んでくる。
何としても避けなければ。
「アビタット!」
「僕が引き付ける!」
「後は頼む!」
スジーウォンの口から、そんな言葉が思わず出た。
やがて火の勢いは収まり、荒地に出た。
アビタットの姿が視認できた。
ローブ姿ではない。いつの間にか装甲を身に着けている。
ゆるやかな傾斜地を走り抜けていく。
輝く剣を背負って。
それを追う水蒸気。
金色の舌が獲物を捕らえようとするかのように。
「やばいぞ!」
追いつかれる!
見る間に距離が縮まっていく。
「早く剣を捨てろ!」
「迷ってるんだ! どこに捨てるか!」
「どこでもいい! 迫ってるぞ! 時間がない!」
「じゃ、ここに!」
アビタットが走り抜けざま、剣を地面に突き刺した。
そこは、荒涼とした丘陵地帯の小さな尾根だった。
石ころが散乱するだけの乾いた土地。
アビタットはそのまま尾根の向こう側に姿を消した。
スジーウォンは水蒸気の動向を凝視した。
忌まわしき水。
触れたものを石に変えるという。
「なにが石だ! ギリシャ神話か!」