45 歌の稽古
そのさらに少し前。
チョットマは気分がよかった。
この調子じゃ、いつまでたっても歌の稽古もできないぞ。行けるときに行って来いと、ンドペキが背中を押してくれたのだった。
それにしても、ンドペキはなぜ私が歌を習いたいって知ってたんだろ。
さては、パパが喋ったな。
悪い気はしなかった。
「でもさ、ンドペキ、あのお店に入るには、武装してたんじゃダメなんだよ」
エリアREFのバー「ヘルシード」では、入口で武装を解かれてしまう。
「ああ、知ってる」
へえ、ンドペキはそんなことも調べてくれてたんだ。
「送り迎えはしてやれないぞ」
「当たり前でしょ」
重装甲なら、店で着替えに困る。
軽武装ならいいかも。
「鳥の歌とやらを習って来い。いや」
「なにさ。私がいいと思う歌を習うんじゃだめ?」
「アーネスの歌がいいかも」
「だれ?」
「おまえの声に、ちょうど合うかも。いや待て」
「もう!」
「チョットマ」
「なに?」
「これは、任務だ」
「えっ?]
「隊の気分を高揚するような。そうだな、隊の歌みたいなものを」
「あっ、なるほど!」
隊員たちは疲れている。身も心も。
それを少しでも和らげ、鼓舞する歌を。
「お前が皆の前で歌うんだ。気持ちが晴れ渡り、沸き立つような歌を」
「はい! 了解しました!」
と、チョットマは喜び勇んでヘルシードに出掛けたのだった。
ひとつ目のお姉さんは、喜んで教えてくれた。
教えてくれるばかりか、チョットマの話を聞いて、その場でオリジナル曲を作ってくれた。
歌のレッスンといえば聞こえがいいが、チョットマにとってはヒア汗が出っ放し。
なにしろ、これまで歌というものを歌ったことがない。
口ずさんだこともなければ、聴いたことさえほとんどないのだ。
また、近いうちに来ます、と店を出たときには、ぐっしょりと汗をかいていた。
ふにやぁ、疲れたぁ。
ま、でも私、音痴じゃなくてよかった。
お世辞かな?
エリアREFには風というものがない。
ねっとりした空気が漂っているだけ。
しかも、このところ、なぜかニューキーツの気温は上がり続けている。地下はまさしく蒸し風呂のよう。
それでもチョットマは、鼻歌交じり。
いい歌よね。
きっと、ンドペキも喜んでくれるはず。
うん。絶対いい。
「そばにいて」
チョットマは何度も声に出してみて、音程を確かめた。
でも、優しい歌ね。
ちっとも勇ましくない。
いいかな、これで。
隊の歌というより、恋の歌みたいなんだけど。
まあでも、隊員たちは仲間なんだし、これでいいよね、ンドペキ。
きっとパパは、いいね! って言ってくれる。
エリアREFの狭い通路を行く。
もうとっくに恐怖心はなかった。
聞き耳頭巾のおかげで、かつては散々怖い思いをしたけど、いい人ばかりだし。
通路に溜まった得体の知れない液体。
そこに棲む虫。
相変わらず、気持ち悪いけど。
それに、この臭気も苦手。
でも、今はここが私の住処って思う。
私って、案外、順応性があるんだな。
私のことで変な噂も耳にするけど、それもみんな含めて、私の街。