第1話:便利屋の日常と、招かれざる来訪者
第1話:便利屋の日常と、招かれざる来訪者
アステリア王国の片隅、地図にも載らぬ辺境の地「日だまり郷」。
この村には、季節の変わり目を告げる、ひどく穏やかで優しい風が吹く。
アルドは、愛用の木の柄がついた鍬を肩に担ぎ、畑の土をさらりと撫でた。
指先に伝わる土の温度は適度で、昨晩の雨を含んだ心地よい湿り気がある。
「うん、今年もいい野菜が育ちそうだ。やっぱり、土が健康だとこっちまで背筋が伸びるよ」
アルドは独り言を呟きながら、ふう、と息を吐いた。
太陽が燦々と降り注ぎ、周囲の木々は柔らかな緑を揺らしている。村の近くを流れる小川の音と、鳥のさえずり。それ以外には、何も聞こえない。
ここには、王都の複雑な権力争いも、魔導兵器をめぐる野心も、ましてや世界を滅ぼすような魔獣の脅威もない。
あるのは、朝の陽光と、手入れされた畑と、明日も今日と同じ平穏が続くという確信だけだ。
アルドは村の入り口に設置した、手作りの看板を眺めた。
『便利屋アルド 〜何でも屋ですが、急ぎの案件はお断りです〜』
「看板が少し曲がってるな。直しておこう」
アルドが何気なく看板の端を指先で弾くと、まるで空気そのものが彼の意図を汲み取ったかのように震え、看板は完璧な垂直に整った。
同時に、村の周囲に薄い、けれど宇宙を支配するような純粋な魔力の結界が、産声のように静かに展開された。
アルドは気づかない。
自分がただ「掃除しただけ」の所作が、遠く王都の魔法学術院の観測器を狂わせ、数千キロ先の魔獣たちの群れを「そこに入ってはいけない」という本能的恐怖で逃げ出させていることに。
「さて、今日は何を作ろうか。……そうだな、旬の野菜でスープでも煮込むか。レイヴンたちも、ちょうど薪割りで汗をかいている頃だろうし」
アルドは満足げに微笑み、のどかな村の小道を歩き出し、自分の小さな丸太小屋へと向かった。
小屋の裏手には、彼が「ただの家庭菜園」と呼ぶ小さな畑がある。そこで彼は、少し不格好だが瑞々しい野菜たちと、道端に生えていた「ただのハーブ」を数枚摘み取った。
それを、使い込まれた鉄鍋に放り込み、ことことと煮込み始める。
しかし、読者には明かしておこう。彼が「ただのハーブ」と思って鍋に放り込んだそれは、伝説に謳われる『世界樹の若葉』の変異種である。
熱を加えられたその葉は、**【千里先まで芳醇な香りを届け、生物のあらゆる闘争本能と魔力の淀みを強制的に沈静化させる特殊な効能】**を秘めていた。
そんな恐ろしい奇跡のスープがコトコトと煮込まれている最中――日だまり郷の平穏を破る、無作法な足音が響いた。
「おい、ここが例の『異常に魔力が集まっている』って噂の村か? 薄汚ぇ場所だな」
声の主は、全身を仰々しい鋼の鎧で固めた大男。その後ろには、いかにもガラの悪い武装した男たちが数人続いている。
彼らは、フェンリス大公の領地周辺を荒らし回っている、野心家の貴族が裏で差し向けた「調査隊」という名の強盗冒険者パーティだった。
「領主のジジイが囲い込んでる『未知の資源』ってのが、こんな辺境にあるたァな。さっさと金目のモンと、その『資源』とやらを見つけて帰るぞ。村の連中が逆らったら、一帯丸ごと焼いちまえ」
リーダー格の大男は下卑た笑いを浮かべ、周囲を見渡す。そして、一番手前にある、煙突から美味しそうな匂いを漂わせている丸太小屋に目をつけた。
ドンッ!!
乱暴に蹴り開けられた木の扉。土足で上がり込む男たち。
しかし、そこにいたのは、腰にお手製のエプロンを巻き、おたまを持ったまま目をパチクリとさせている、ごく普通の青年――アルドだった。
「おや?」
アルドは、武器を構えて殺気を放つ男たちを見て、首を傾げた。
「迷子かな? それとも、村長に用事ですか? ごめんなさいね、ここはただの便利屋の小屋でして……」
「あぁん? 誰だてめぇは。ここにある金目のモンを全部出せ! それと、この村に隠されている『資源』の場所を吐け! さもなきゃ、その首を刎ね飛ばすぞ!」
大剣を突きつけられ、怒鳴りつけられるアルド。しかし、彼の危機感は著しく欠如していた。
(……すごい汗だ。それに、顔色も悪いし、やけにイライラしている。さては、慣れない森の道で迷って、よっぽどお腹を空かせているんだな。かわいそうに)
アルドは生来のお人好しを発揮し、ポンと手を打った。
「まあまあ、そんなに急ずに。ちょうどお茶を淹れたところなんですよ。休憩していきませんか? 粗茶ですが、疲れは取れると思います」
「は……? てめぇ、俺たちが誰だか分かって……」
「はい、これ。熱いので気をつけてくださいね」
アルドは、男の剣先をヒョイと素手で避け(男からすれば、見えない速度で剣を弾かれたように感じた)、土の器になみなみと注がれた「野草茶」を差し出した。
「な、なんだこの不気味な茶は! 毒でも入ってんじゃねぇだろうな!」
「あはは、ただの薬草ですよ。裏に生えてたやつで」
男はアルドのあまりのペースに毒気を抜かれつつも、「俺をコケにしやがって」と見せつけるようにその茶をひったくり、一気に煽った。
「こんなもん、俺の胃袋なら毒だろうが――」
ゴクリ。
その瞬間。男の脳内に、宇宙の誕生と終焉がフラッシュバックした。
それはただの茶ではない。アルドが「裏の畑」で育てた、大地の極大魔素を限界まで濃縮した『神の雫』に等しい液体であった。
常人が一口飲めば、そのあまりの旨味と、細胞の奥深くまで強制的に満たされる圧倒的な魔力の奔流に、精神と肉体が耐えきれなくなる。
「あ……ぁ……」
男の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。怒りも、野心も、他者を傷つけようという悪意も、全てがその「究極の充足感」の前に意味を成さなくなった。
「う、うめぇ……なんだこれ、母ちゃんの匂いがする……俺、もう戦いたくない……」
ドサァッ。
男は、この世の全てを悟ったかのような満面の笑みを浮かべ、白目を剥いて気絶した。
「えっ!? お客さん!? ちょっと、大丈夫ですか!? そんなに急いで飲むから火傷したんじゃ……!」
慌てるアルド。残された部下たちは、リーダーの突然の奇行と気絶にパニックに陥り、後ずさりした。
その時である。
アルドの背後の影から、音もなく二つの人影が滲み出た。
「……随分と、騒がしいネズミが迷い込んだものだな」
一人は、薪割りの斧を片手に持った、鋭い眼光の男――“千剣の将”レイヴン。
もう一人は、気配を完全に殺した、外套の女――“影の暗殺者”シノンだ。
レイヴンは、アルドの視界に入らないよう背後に立ち、残った冒険者たちに向けて、かつて戦場を震え上がらせた「本物の殺気」を叩きつけた。
「ヒッ……!?」
「リーダー(アルド)は『休んでいけ』と仰った。だが、貴様らのような汚泥が、これ以上この聖域の空気を吸うことは俺が許さん」
「二度と、この村に近づくな。……次はないと思え」
シノンの冷徹な声が、男たちの鼓膜ではなく脳の髄に直接響く。
圧倒的な死の恐怖。目の前にいるのは、ただの村人ではない。世界を滅ぼせる本物の化け物たちだ。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!!」
男たちは、泡を吹いて倒れているリーダーを置き去りにして、武器を放り出し、文字通り転がるように村から逃げ出していった。
「あれ? 皆さん、もう帰っちゃうんですか? せっかくスープもできたのに」
アルドがおたまを持って振り向いた時には、そこには静寂と、気絶した男が一人転がっているだけだった。
「レイヴン、シノン。彼ら、どうしたんだろう? お茶を一口飲んだだけで、大満足して帰っちゃったみたいなんだけど」
「……ええ、アルド殿。よほど、貴方の淹れたお茶が心に沁みたのでしょう。彼は……そうですね、疲れすぎて眠ってしまったようです。私が村の外まで『送って』おきます」
レイヴンは、冷や汗をかきながら、気絶した男の首根っこを掴んでズルズルと引きずっていく。
「そうかあ。じゃあ、目が覚めたら気をつけて帰るように伝えてね。あ、スープ飲む? 今日のハーブ、すごくいい香りがするんだ」
「頂戴いたします!!」
レイヴンとシノンは、最敬礼でアルドのスープを受け取った。
その日の夕刻。
アルドの煮込んだスープの香りは、本当に風に乗って、アステリア王国の国境を越えていた。
その香りを嗅ぎ取った、王都の地下に潜む暗部組織の長や、隣国の凄腕の刺客たちは、一様に東の辺境の空を見つめて戦慄した。
「なんだ、この澄み切った魔力の波動は……。辺境で、神話級の秘宝でも顕現したというのか……?」
「至急、調査隊を編成しろ! 『日だまり郷』に向かうのだ!」
アルドの与り知らぬところで、世界中の強者たちが、その「匂い」に引き寄せられ始めていた。
そして、夜の帳が下りた日だまり郷の入り口。
逃げ出した冒険者たちが、せめてもの嫌がらせとして置き去りにしていった『魔力探知式・小型爆発魔道具』が、チカチカと不穏な赤い光を点滅させていた。
しかし、それが村の看板の横――アルドが何気なく修復した際に発生した、薄い結界に触れた瞬間。
シュゥゥゥ……。
何の爆発音もなく。閃光もなく。
ただ、絶対的な浄化の力によって、凶悪な兵器は美しい光の粒子へと変換され、夜風に溶けて消え去った。
『便利屋アルド 〜何でも屋ですが、急ぎの案件はお断りです〜』
村の看板は、今日も平和に夜風に揺れている。
アルドの圧倒的で、無自覚な「日常」は、こうして世界を巻き込む伝説への第一歩を、静かに踏み出したのである。
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