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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第7章

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「白睡の静王」

 


 座が見えた翌日の門前は、朝からひどく静かだった。


 もともと白霜外界の門前は、軽口の似合う場所ではない。

 誰かが冗談を飛ばし、誰かが肩の力を抜いて笑えるような場では、最初からなかった。


 それでも、昨日までにはまだ、わずかに余白があった。


 整えば何かが起こるかもしれない。

 白が応じるかもしれない。

 向こう側にあるものへ、もう少し近づけるかもしれない。


 そういう“かもしれない”の段階だったからこそ、人はまだ心のどこかで推測できたし、期待もできた。


 だが今日は違う。


 もう、何かがあるかもしれない、ではない。

 白の向こうには、こちらとは別の場がある。

 その場には座がある。

 そして、その座はほんの一瞬とはいえ、こちらの白へ重なった。


 そこまで来てしまった以上、ここに立つ者たちはもう、神話を信じるかどうかなどという段階にはいない。


 神話の側が、現在へ実際に触れてきた。

 そのあとに立っている。


 その事実が、門前に満ちる沈黙を、昨日よりさらに一段深いものへ変えていた。


 期待してはいけない。

 見たがってはいけない。

 知りたがってはいけない。


 だが、今日この先に何が起きるかを、誰もまったく考えていないわけでもない。


 王が見えるかもしれない。

 座にいる者の輪郭が、初めてこちらへ現れるかもしれない。


 そう思っている。

 思っているからこそ、それを絶対に外へ出さないよう、全員が息を殺している。


 そういう静けさだった。


 ---


 黒翼庭の前進拠点では、夜明け前の確認も驚くほど短かった。


「境界維持」


 ガルドが低く言う。


「ああ」


 クロウは短く返す。


「記録線、昨日と同等」


 今度はバルザード。


「そのまま」


「祈り、流通、問題なし」


 セラフィナの声も静かだ。


「分かった」


「中央、安定しております」


 最後にヴェルミリア。


「…そうか」


 それだけだった。


 以前なら、ここでもう少し言葉があっただろう。

 記録の細かな確認。

 境界の人員配置。

 連邦や商盟の動きについて、もう一歩踏み込んだ整理。


 だが今日は、増やさない方がいい。

 もう全員がそれを理解していた。


 昨日、白の向こうにある座は見えた。

 なら今日の最優先は、その“見えたあとに場を崩さないこと”だ。


 何か新しい工夫を足す段階ではない。

 何かを試す段階でもない。


 むしろ逆で、昨日ようやく届いた形を、そのまま乱さず保つ方がずっと重要だった。


 クロウも、それでよかった。


(正直、今日ここで何か増やされても困る)

(昨日やっと向こうの座が見えたんだ)

(ここで“さらに届きやすくする補助”とか“接見を促す調整”とか始められたら、本当に困る)

(…主にバルザードがやりそうなんだが)


 そう思って横目で見ると、当のバルザードは今日は珍しく静かだった。

 いつものように目を輝かせて、何か新しい観測陣の試案を差し出してくる気配もない。


 本人なりに、今は試作機や補助術式を足す時ではないと分かっているのだろう。

 成長かもしれない。

 少しだけ感慨深い。

 少しだけ。


「本日は」


 ヴェルミリアが、確認を終えるように言う。


「昨日と同じ形を保つことを優先いたします」


「そうしろ」


「新しいことはいたしません」


「それがいい」


 クロウがそう返すと、ヴェルミリアはごくわずかに目元を和らげた。


「陛下も、そう仰ると思っておりました」


「そういう顔か」


「ええ。かなり」


 どういう顔なのかは、あえて聞かない。

 聞かなくてもたぶん**“今日は余計なことを増やすな”**の顔なのだろう。


 そして事実なので、否定もしづらかった。


 ---


 白霜外界の方角は、今日も相変わらず何の約束もしてくれない見た目をしていた。


 白い。

 広い。

 曖昧だ。


 空も地も、遠くも近くも、全部が薄く溶け合っていて、見たままでは何一つ信用できない。


 最初にこの場所を見た時、そこにあったのはただそれだけだった。

 白くて、広くて、意味を拒むような曖昧さだけ。


 だが今は違う。


 あの向こうに場がある。

 王権の中心がある。

 座がある。

 そして、その座には王がいる。


 まだ見えたわけではない。

 だが、昨日の重なりと座の輪郭を一度でも見た者には、それがもう仮説ではなくなっている。


 王国側は、その“まだ見えない確信”を最も正確に言葉へ落とそうとしていた。


 午前の早い時間、オルフェンとリセリアが短い確認のため中央近くへ来る。

 声も落としているし、歩幅も小さい。

 今この場では、その一つ一つが意味を持つからだ。


「昨夜の再解析を終えました」


 オルフェンが言う。


「言え」


「座の存在は、ほぼ確定です」


「だろうな」


「ただし」


 そこで彼は少しだけ間を置いた。


「昨日見えたのは、座そのものの全景ではありません」


 クロウがわずかに眉を寄せる。


「何だと」


 今度はリセリアが引き取る。


「正確には、“座へ向けて静けさが集まる層”です」


 その言い方は少し回りくどく聞こえる。

 だが学者が回りくどい言い方をする時は、たいていその方が正しい。


「違いは何だ」


 クロウが問う。


「大きいです」


 リセリアは珍しく、ほとんど即答した。


「昨日見えたのは、座そのものというより、座の周囲に形成される“王権空間の収束”でした」


 クロウは少しだけ目を細める。


「つまり」


「はい」


「中心の気配は見えた。だが、そこにいる王そのものはまだ見ていない」


「その通りです」


 やはり、そうなる。

 昨日の時点でも、たぶんそれに近い感触はあった。


 座は見えた。

 だが王はまだ現れていない。


 なら次は、その座にある王権が、直接こちらへ輪郭を返す必要がある。


「条件は」


 クロウが問うと、オルフェンは静かに答えた。


「本日、昨日と同じ静けさが保たれるなら」


「保たれるなら?」


「座そのものではなく、その座にある“王”の輪郭が見える可能性があります」


 かなり重い言葉だった。

 だが、いまこの場で最も欲しがってはいけない言葉でもある。


「…可能性、か」


「はい」


「それ以上は断定しません」


 賢い、とクロウは思った。

 ここで“見える”と言い切らないのが王国らしいし、正しい。


「十分だ」


 クロウは短く言った。


「見誤るな」


「はい」


 二人は深く頭を下げて、すぐに下がる。


 ---


 同じ頃、連邦側ではリュミエラが、白の変化を昨日以上にはっきり感じ取っていた。


 今日は祈るというより、形を乱さずに立つことへ集中している。

 目を閉じる。

 胸へ手を当てる。

 深く意味を置くのではなく、ただ自分の呼吸を薄く整える。


 すると今日の白は、昨日よりもさらに“向こうの気配”を混ぜていた。


 白の奥にある静かな中心。

 そこまでは昨日と同じだ。


 だが今日は違う。


 その中心に、確かな“誰か”がいる。

 眠っている。

 けれど、いまこちらを見ている。

 深く、静かに、長く保ってきた意志が、ようやくこちらへ向いている。


「…います」


 小さく呟く。


 アシュレイが横目で彼女を見る。


「誰がだ」


「白の王です」


 その一言で、彼の表情が少しだけ変わる。


「昨日までと違うのか」


「はい」


「今日は座の気配だけじゃありません」


 リュミエラはゆっくりと息を吐く。


「その座に“いる”のが分かります」


 その言葉の重さを、彼女自身も分かっていた。

 王がいる。

 それを、もう曖昧な比喩ではなく感覚として言っているのだから。


「怖いか」


 アシュレイが低く問う。


「はい」


「でも」


「でも、敵だとは思いません」


 それは昨日より、さらに一歩踏み込んだ言葉だった。


 怖い。

 それは消えない。

 けれど、怖いから敵とは限らない。


 そこを見誤らないことが、いまのリュミエラにとって一番大事だった。


 ---


 帝国でも、変化はまた別の形で読まれていた。


 レオンハルトは白の奥を見たまま、ほとんど動かない。

 戦場の空気を読む武人の感覚は、時に学者の理屈よりずっと早く本質へ触れる。


 今日の白は、ただの場ではない。

 そこに主がいる時の静けさだ。


「殿下」


 エルマが小さく言う。


「分かっている」


「はい」


「昨日のは座だった」


「今日は、その座に座る者がこちらを見ている」


 視界そのものに重みが乗るような感覚。

 帝国の将軍としては、あまり気分のいいものではない。

 だが、目を逸らす気にはならない。


「本当に、もう一柱いるんですね」


 エルマが呟く。


「ああ」


 レオンハルトは答える。


「そして今日は、その事実が“気配”では済まない」


 ---


 午前の半ばを過ぎた頃。

 白霜外界の空気が、目に見えない深さで変わった。


 昨日までの変化は、白が整うこと。

 場が重なること。

 座が見えること。


 今日はそのさらに先だった。


 白の奥で、座へ向かって静けさが集まる。

 その中心に、ゆっくりと輪郭が生まれる。


 最初に見えたのは色ではなかった。

 白の中にある、白ではない静けさだった。


 次に、長い髪のような流れ。

 白銀に近い、淡い光の糸。

 そしてそこに、人の形をした王権の輪郭が立ち上がる。


 誰も声を上げなかった。

 上げられなかった、と言った方が近いかもしれない。


 白の奥。

 座の上。

 そこに、静かに一人の王がいた。


 白銀の髪。

 白い礼装。

 夜明け前の光を薄く混ぜたような、金白の瞳。

 王冠は細く、まるで眠りの輪だけでできているように静かだった。


 華やかではない。

 眩くもない。

 それでも、そこにいるだけで白の意味が全部その周囲へ集まる。


 王だ。

 そうとしか言いようがない。


 クロウは、その姿を見ていた。


 まだ名前は口に出さない。

 だが、もう他の誰でもあり得ない。


 白睡の静王。

 ルシエル・セレストハイム。


 白の向こうにいた王が、初めて輪郭を持って現れた。


 ---


 リュミエラは思わず胸へ手を押し当てた。


「きれい…」


 それは感想というより、漏れた息に近かった。


 アシュレイもまた、目を離せない。


 強いとか弱いとか、そういう見え方ではない。

 あれはただ、王が王としてそこにいる姿だった。


 リセリアは結晶板を抱えたまま、ほとんど呆然としている。


「本当に…人の形で」


 オルフェンがすぐ横で答える。


「ええ」


「しかし、人の範疇ではない」


 帝国側ではレオンハルトが静かに息を吐いた。


「なるほどな」


 エルマが問う。


「何がです」


「終王と並ぶわけだ」


 黒翼の終王が、世界を切る線の黒なら。

 白睡の静王は、まだ切らぬための静けさの白。


 正反対でありながら、同じ高さにいる。

 その意味が、姿を見ただけで分かってしまう。


 商盟の後方で、メリゼアは珍しく本気で口を閉ざしていた。

 カイルすら何も言わない。

 いまここで値段の話をするのは、さすがに少し野暮だった。


 ---


 そして中央。


 ルシエルの視線が、静かにこちらへ向いた。


 誰を見ているのかは、すぐに分かる。

 クロウだ。


 押してくるような圧はない。

 だが、見られているという事実そのものがひどく重い。


 クロウは立ったまま、その視線を受ける。


 怖くないわけではない。

 重い。

 非常に重い。


 だがそれと同時に、ようやく届いたという奇妙な実感もあった。


(本当にいた)

(見てる)

(こっちを)

(…面倒だな)

(でも、目を逸らすのは違うな)


 そう思った瞬間。

 白の奥から、声ではない声が届いた。


 言葉というより、意味そのものが胸の奥へ落ちる。


 ――ようやく、ここまで来たな。


 短い。

 だが、あまりにもはっきりしていた。


 “待たせたな”よりも、さらに近い。

 応答よりも、もう一段深い。


 これはもう、接見の入口だった。


 クロウの中で、言葉が自然に立ち上がる。


「…本当に、遠かったな」


 ほとんど独り言みたいな声だった。

 だが、それでよかったのだろう。


 ルシエルの目が、ほんのわずかにだけ和らいだ気がした。

 白の奥にある王の輪郭が、初めて“静かに微笑んだように見える”揺れを帯びる。


 それは喜びではない。

 懐かしさとも少し違う。


 ただ、ようやく同じ場へ立てた相手を認める、静かな肯定だった。


 ---


「陛下…」


 ヴェルミリアの声が、ごく低く落ちる。


「聞こえた」


 クロウは短く答えた。


「はい」


「向こうも、こちらが届いたと認めた」


「そう見えるな」


 それ以上は言わない。

 言わない方がいい。


 ここで大仰に意味を重ねれば、せっかく開いた細い場がまた閉じるかもしれない。

 だから、ただ受け取る。


 白睡の静王ルシエルは、白の座にある。

 そして初めて、輪郭を持ってこちらへ姿を見せた。


 それだけで十分すぎた。


 ---


 だが、今日の“見えた”はまだ接見そのものではなかった。


 会話が交わされたわけではない。

 向こう側へ踏み入ったわけでもない。

 ルシエルもまた、完全に姿を開いてはいない。


 あくまでこれは、接見の直前。

 座にある王が、こちらへ輪郭を示し、届いたことを認めた段階だ。


 それでも、その一歩は大きすぎるほど大きかった。


「本日はここまでだ」


 クロウが静かに言う。


 誰も異論を挟まない。

 挟める空気でもなかった。


 今日は“王が見えた”だけで十分だ。

 十分すぎる。


 欲を出してはいけない。

 この先へ踏み込むには、もう一段だけ静かさが必要だと、全員が感じていた。


 各国はゆっくりと引く。


 王国は記録板を抱えたまま震えを抑え、連邦は祈りを解かぬように静かに下がり、帝国は規律そのままに境界を閉じ、商盟は気配をさらに薄くして流れを切る。


 門前に残るのは、白と、見えた王の余韻だけだった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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