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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第6章

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「初めて静かに・・・」

 


 次の日の白霜外界は、前日よりさらに静かだった。


 静か、という言葉だけで足りるのかは分からない。

 音がまるでないわけではない。風は吹いているし、遠くでは雪とも霧ともつかない白がゆっくり揺れている。

 岩肌には乾いた冷気がまとわりつき、息を吐けば白く滲む。


 それでも、そこに立つ者の感覚ははっきり違っていた。


 **白が、乱れていない。**


 前までは違った。

 近づけば浅くなることがあった。

 嫌われれば濃くなることもあった。

 位置がずれ、距離がずれ、見えているはずのものが急に遠ざかることも珍しくなかった。


 だが今日は違う。


 白が白のまま、静かに揃っている。


 それは美しいというより、まず異様だった。

 白霜外界で“整う”という現象そのものが、今までほとんど見られなかったからだ。


 ---


 黒翼庭の前進拠点では、誰も朝から余計な声を上げなかった。


 もう全員が分かっている。


 ここで「見ろ」「来たか」「何が変わった」と騒ぎ始めるのは違う。

 そういう軽い興奮すら、いまは場を乱す可能性がある。


 だから皆、必要な報告だけを短く交わす。


「境界安定」


 ガルドが言う。


「帝国線、変動なし」


「ああ」


 クロウは短く返した。


「記録線、昨日の配置を維持」


 バルザードが続ける。


「杭の反応も細いままです」


「そのままにしろ」


「はい」


 セラフィナも静かに言う。


「商盟経由の雑音、ほぼ遮断されています。連邦側の祈りも静かです」


「分かった」


 そしてヴェルミリアが、最後にいちばん重要なことを告げた。


「中央線、安定を維持しております」


 それが今日の土台だった。


 境界は騒がず、記録は押しすぎず、祈りは強すぎず、中央も崩れていない。

 昨日作った受容配置が、一晩を越えても壊れず続いている。


 それだけで十分大きい。


 クロウは白の向こうを見ながら、内心でかなり正直に思っていた。


(続いてるな)

(昨日だけの偶然じゃない)

(なら本当に、この形が合ってるのか)

(…面倒だが、ここまで来ると少しだけ安心するな)


 少しだけ、だ。

 全面的にではない。

 白霜外界相手に全面的に安心できるほど、こちらも愚かではない。


 だが少なくとも、受容配置は失敗ではなかった。

 そこまではもう認めてよかった。


 ---


 各国もまた、昨日より一段静かだった。


 帝国は、もはや門前へ威圧を見せようともしない。

 境界線は薄く長く、割り込みだけを止める形で張られている。

 前へ出るための剣ではなく、余計なものを中へ通さないための剣。


 王国は記録具を減らしたまま、見る姿勢そのものを細く保っていた。

 観測とは、もっと多くのものを並べることだと思っていた者ほど驚くだろう。

 いまの王国は、見るために削っている。


 連邦はさらに分かりやすい。

 祈りの場はある。

 だが、以前のように“こちらの意味を厚く置く祈り”ではない。


 むしろ逆だった。


 祈りで場を満たすのではなく、祈りが場を乱さないように薄く保っている。

 それは連邦の人間にとって、かなり珍しい立ち方だ。


 商盟は言うまでもない。

 前へ出る気配そのものを消している。


 カイルは今日も後ろに立ち、門前よりも人の流れと情報の線の方を見ていた。

 メリゼアもまた、ただ見ているだけに見えて、その実ずっと全体の値動きを測っているのだろう。


 どの国も、自分の役割を分かってきた。

 そして、その理解が全部同じ方向を向いた結果、白は静かに整い続けている。


 ---


 午前の半ば、最初に異変に気づいたのはリュミエラだった。


 異変と言っても、嫌なものではない。

 むしろその逆で、今までにない穏やかさだった。


 彼女は第二圏寄りでも第三圏寄りでもない、昨日定めた“祈りすぎない位置”に立っていた。

 胸へ当てた手の下で、いつものように遠くない眠りの気配を探る。


 すると今日のそれは、今までと少し違った。


 近い。

 だが刺さってこない。

 深い。

 だが重く押しつけてこない。


 まるで、向こう側でも慎重に息を整えているみたいだった。


「…静かです」


 思わず呟く。


 アシュレイが横目で彼女を見た。


「前から静かだっただろ」


「違います」


 リュミエラは小さく首を振る。


「静かなのではなく、整っています」


 その表現に、アシュレイもすぐには返せなかった。

 だが意味は分かる。


 今までの白は、静かでも常にどこか不安定だった。

 ちょっとしたずれで距離を狂わせ、意味を外し、こちらの足場を奪う気配があった。


 だが今は違う。

 壊れないように、向こう側でもきちんと均しているような静けさ。


「向こうも、待ってるのかもな」


 アシュレイが低く言う。


 リュミエラはその言葉に、少しだけ息を止めた。


 待っている。


 その可能性は、今まで何度も言葉の端には触れていた。

 だが、こうして感覚として近づくと重みが違う。


 こちらが返事を待っているように。

 向こうもまた、“返れる形になるのを待っている”のかもしれない。


「…はい」


 小さく返す。


「たぶん」


 ---


 同じ頃、王国側ではリセリアが記録板の数値を見て、珍しくはっきり顔色を変えていた。


「オルフェン様」


「何です」


「位相の揺れが…消えてはいません」


「ええ」


「でも、減り方が違います」


 オルフェンが隣へ寄る。

 ザイードも後ろから覗き込んだ。


 数値としてはごくわずかな差だった。

 だが、この場ではごくわずかな差がとてつもなく大きい意味を持つ。


「昨日までは、“揺れた上で安定”してました」


 リセリアは指先で記録線を追う。


「今日は違います。“揺れる前に揃っている”」


 オルフェンが目を細める。


「白そのものが、こちらに合わせて整っている…」


「はい」


 その言い方がもっとも近かった。


 白が薄くなって門を見せるのではない。

 白が濃くなって拒むのでもない。

 白そのものが、“返礼位相”とでも呼ぶべき静かな形へ変わりつつある。


「記録を続けろ」


 オルフェンが言う。


「ただし見るな。掴もうとするな」


「はい」


 リセリアは頷いた。


 いまこの変化を前にして、学者がいちばんやりたくなるのは“もっと見たい”だ。

 だが、それを押し出せばたぶん壊れる。


 そのことを、この場にいる学者たちはもう十分理解していた。


 ---


 帝国でもまた、変化は別の形で感知されていた。


 レオンハルトは境界線の確認を終えて門前へ視線を向けた時、何とも言えない違和感を覚えた。


 危険が増したのではない。

 むしろ逆だ。


 場の緊張が、鋭さではなく密度へ変わっている。


 武人の感覚として言えば**「敵が構えた」のではなく「場が構えた」**に近い。


 ひどく奇妙な感覚だった。


「殿下」


 エルマが隣へ来る。


「どう見ますか」


「…前より危なくはない」


「はい」


「だが、軽くもない」


 それは見たままの印象だった。


 乱れた白は危険だ。

 だが、今日の白は乱れていない。

 だからと言って、近づいてよい軽さでもない。


 むしろその逆で**“ここから先は正しく受け取れ”**と静かに迫ってくるような重さがある。


「門が応じかけているのか」


 エルマが問う。


「まだ断じるな」


 レオンハルトは低く言う。


「だが、返る準備に近い気配ではある」


 そこまでなら言える。


 帝国としても、ここで無理に意味を厚くするのは違う。

 だが、何も変わっていないと言うのもまた嘘になる。


 白は、今日明らかに違っていた。


 ---


 昼を少し回った頃、門前にいた全員が同時に息を呑む瞬間が来た。


 音がしたわけではない。

 眩い光が走ったわけでもない。


 ただ、白の奥で何かが“意味を持ちかけた”。


 それは輪郭ではない。

 言葉でもない。

 だが、意味の手前にある何かが、初めてこちらへ滑り出してきた感じがした。


 クロウは中央で、その変化を最も強く受けた。


 胸の奥が、ほんの一瞬だけ冷える。

 冷えるのに、拒絶ではない。

 むしろ何かがこちらの形を確かめているような、静かな触れ方だった。


 白の向こうで、まだ見えない門がわずかに息をした。


 そんな錯覚すらある。


「…来るな」


 思わず呟く。


 それにヴェルミリアがすぐ反応する。


「はい」


 彼女の声も、普段より少しだけ硬かった。


 来る。

 だが、まだ完全ではない。


 その“手前”がいま、門前いっぱいに広がっている。


 リュミエラは胸へ当てた手を少しだけ強く握った。


「言葉じゃない…」


 小さな声が漏れる。


「でも、意味があります」


 アシュレイが一歩だけ彼女に近づく。

 支えるためではなく、余計な意味が乗らぬよう静かに立つためだ。


 リセリアは記録板を抱えたまま、ほとんど震えるみたいな声で言った。


「これが返書の前触れ…?」


 オルフェンは答えない。

 答えられない。

 だがその目には、否定ではなく確信に近いものがあった。


 ---


 次の瞬間、白の奥から、ごく短い断片が返った。


 声ではない。


 直接耳へ届いたわけでもない。

 空気が震えたのでもない。


 それでも全員が“今、何かが返った”と分かった。


 意味の断片。

 言葉になる一歩手前のものが、白の奥からこちらへ静かに置かれた。


 クロウの中で、それはほとんど言葉として立ち上がりかけた。


 ――まだ。


 それだけだった。


 たったそれだけ。

 なのに、その一語に近い感触が門前全体の空気を変える。


 まだ。


 拒絶ではない。

 否定でもない。

 ただ、まだ。


 リュミエラが息を呑んだまま目を閉じる。


「…そういうことですか」


 アシュレイが横で問う。


「ええ」


 彼女は小さく頷いた。


「まだ、なんです」


 オルフェンも低く言った。


「応答そのものではない。ですが、これは完全に無意味ではありません」


「向こうが“まだ”と示したのか」


 エルマが呟く。


「そう考えるのが自然でしょう」


 ザイードが答える。


「少なくとも、こちらの受容配置に対して返った初めての明確な断片です」


 商盟の後ろで、メリゼアが珍しく笑みを消したまま言う。


「本当に返してきたわね」


 カイルも軽口を挟まない。

 それだけ重い一瞬だった。


 ---


 クロウは白の向こうを見たまま、しばらく動けなかった。


 まだ。


 その断片は、意味としてはひどく短い。

 だが、十分すぎるほど重い。


 向こう側に意志がある。

 慎重さがある。

 そして、こちらの今の在り方を“返すに値するかどうか”で見ている。


 そういうことだ。


(本当にいたな)

(いや、まだそこを断言するには早いか)

(でも、返ってきた)

(少なくとも、ただの現象じゃない)

(…面倒だな)


 出てくる感想はやはりそこだった。

 だがその“面倒”には、昨日までとは違う重さが混じっている。


 もう、手応えだけの段階ではない。

 向こう側から初めて意味の断片が返った。


 それはかなり決定的だ。


「本日はここまでです」


 ヴェルミリアが静かに告げた。


 その判断は早く、そして正しかった。


 ここで欲を出してはいけない。

 今の断片だけで十分重い。

 ここからさらに押しに行けば、せっかく整った白がまた閉じる。


 レオンハルトも異論なく頷いた。

 オルフェンも、アシュレイも、カイルも、誰も逆らわない。


 全員が分かっている。

 今日はここで引くべきだと。


 ---


 各国がゆっくりと引き上げ始める中、クロウだけは少しだけ最後まで白の前に立っていた。


 まだ。

 その断片は、耳ではなく胸の奥へ残っている。


 まだ何かが足りないのだろう。

 まだ完全には返れないのだろう。

 だが逆に言えば、返る気はある。


 そのことが、思っていた以上に重かった。


「陛下」


 ヴェルミリアが少し離れたところから呼ぶ。


「ああ」


「お戻りを」


「…ああ」


 短く返し、ようやく踵を返したのだった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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