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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第4章

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「魔導王国は見逃したくない」

 


 魔導王国エルグレイスの会議室は、たいてい暖かくない。


 寒いわけではない。

 だが、人を安心させるような温度にも調整されていない。


 石造りの壁。

 余計な装飾のない長机。

 術式灯の明るさも、議論の邪魔にならぬ程度に抑えられている。

 豪奢でもなければ威圧的でもない。

 だが、その分だけここでは言葉と記録だけが前に出る。


 魔導王国らしい部屋だった。


 曖昧な気分や、雰囲気だけの大義は、この部屋では長くもたない。

 紙に落ちるか。

 定義されるか。

 少なくとも仮説として並べられるか。

 そうでなければ、どれほど重大な直感でも、ここではまだ“扱えるもの”にならない。


 その中央で、オルフェンは報告書を一枚ずつ読み終えていた。


 補助宮から持ち帰った監視結果。

 黒翼庭の主がさらに深層へ通った時の境界波形変化。

 白霜外界に関する古い地誌の照合。

 商盟ルヴァンディア経由の古記録。

 帝国側から流れてきた薄い前線報告。


 紙束の厚みだけで、事がどれだけ大きくなっているか分かる。


 補助宮だけでも、既に国家案件としては十分に重かった。

 そこへ白霜外界が繋がる。

 さらに“別の王”の痕跡らしきものまで見え始めた。

 もはや一つの遺構や一つの禁域を調べている感覚ではない。

 古い世界の構造そのものが、黒翼庭から少しずつ現実へ戻り始めている。


「…増えましたね」


 リセリアが静かに言った。


 彼女もまた机の向こうで記録を読んでいた。

 視線は落ち着いている。

 だが、その落ち着きの奥にある熱は隠しきれていない。


 知りたい。

 けれど前回の補助宮で、知りたいからといって雑に手を出せば、取り返しがつかないことも学んだ。

 いまのリセリアには、その両方がある。


 補助宮までは、まだ“未知の王権遺構”としての興奮が前に出ていた。

 だが今は違う。

 白霜外界が繋がったことで、未知は遺構ではなく現象になった。

 地図を狂わせ、到達を食い、記録の整合性そのものを崩す現象。

 そうなると、興奮だけでは足りない。慎重さが前へ出てくる。


「増えたな」


 オルフェンも短く答えた。


 向かいにはザイードがいる。

 彼は相変わらず紙の山の中に埋もれるようにしていたが、機嫌が悪いわけではなかった。

 むしろ、こういう時の方が頭は冴える男だ。


「補助宮の時点で重かったが」


 ザイードが鼻の奥で息を鳴らした。


「白霜外界まで繋がると、もう地誌では済まん」


「はい」


 リセリアが頷く。


「未踏地の問題ではありません。王権現象の境界です」


 そこが重要だった。


 白霜外界は、ただ遠いわけではない。

 ただ寒いわけでもない。

 そして、ただ危険なわけでもない。


 地図が信用できず、到達の記録が一定せず、同じ場所を見たはずの者同士で証言が食い違う。

 それらすべてが単なる異常地帯の特徴なら、まだ対処のしようがある。


 だが今の魔導王国は、そこへ別の意味を見始めていた。


 **眠りが外へ滲み出している。**


 そう考えた途端、白霜外界はただの辺境ではなくなる。

 眠る別王の気配が、地図そのものを歪ませている境界現象。

 そういう仮説に変わる。


 しかもその仮説は、ただ美しいだけではない。

 補助宮で見つかった記録断片と、古地誌の破綻傾向と、帰還記録の不一致とが、妙に綺麗に繋がってしまう。

 だから厄介なのだ。

 学者は、繋がる仮説を見てしまうと簡単には手放せない。


「筆頭賢者殿」


 会議室の隅で控えていた記録官が、少しだけ遠慮がちに口を開いた。


「ひとつ、確認してもよろしいでしょうか」


「何だ」


「白霜外界について、我が国はどの等級で扱うべきとお考えですか」


 良い質問だった。


 地誌異常か。

 神話級遺産案件か。

 王権現象か。

 その分類ひとつで、割ける人員も、動く部署も、使える予算も変わる。


 それはエルグレイスにとって、単なる役所仕事ではない。

 何をどう名づけるかで、どの知識体系をぶつけるかが決まる。

 封印学が主になるのか、地誌学が主になるのか、外交と軍務まで巻き込むのか。

 この国では、分類はもう戦略だった。


 オルフェンは少しだけ考え、それから言った。


「補助宮の時点では“神話級遺産案件”だった」


「はい」


「だが白霜外界を含めるなら、もうそれだけでは足りない」


 会議室の空気が少し変わる。


 足りない。

 その言葉の重さを、ここにいる者たちはよく知っていた。

 分類が足りないということは、既存の知識の枠では対処しきれないという意味でもある。


「王権現象案件として上げる」


 オルフェンは言った。


「しかも単独の王権ではない可能性を含めて」


 記録官の背筋がわずかに伸びる。


 それは、王国の中でも最上位に近い扱いだった。


 単独の神話遺産なら、まだ管理と監視の範囲で済む。

 だが王権現象、それも複数王権の接続が疑われるとなれば、話は一気に大きくなる。


 外交も動く。

 遺産管理局も動く。

 封印学派だけではなく、地誌、歴史、魔導理論、軍務、全部が絡む。


「やはり、そこまでですか」


 リセリアが言う。


 驚きというより、確認に近い声だった。


「そこまでだ」


 オルフェンは頷いた。


「補助宮が一時的な遺構反応ではなく、今も主を選び、深層を開き、裁定に呼応した。その時点で既に重い」

「その先に、白霜外界という“地図の外側に影響を残す領域”まで繋がった。なら、もう単独施設の問題ではない」


 ザイードが机上の地図へ指を滑らせる。


 北方禁域。

 補助宮。

 そのさらに外側に薄く広がる白霜外界。

 そして、その境界に見え隠れする黒い影の記録。


「繋がっておるのですな」


 彼の声は低かった。


「ええ」


 リセリアも同じ地図を見る。


「補助宮が終王の記録層と王権認証を保持していたのなら、白霜外界は別王の“座標不安定な眠り”の境界現象である可能性が高い」


「座標不安定な眠り」


 若い記録官が復唱する。


 ザイードがそこで、少しだけ得意そうに鼻を鳴らした。


「偏在王権だ」


 彼はその語を、ようやく定着させるように言った。


「一箇所に定まらず、痕跡だけが複数の位相へ漏れ出し、結果として周辺の地図も方位も落ち着かなくなる」


 理屈としては、美しい。

 だが美しい仮説ほど、当たっていた時に厄介だ。


 偏在王権。

 その言葉を置いた瞬間、白霜外界の奇妙さが、ただの怪異ではなく体系へ入ってくる。

 到達が食われる。

 方位が揺らぐ。

 記録だけが均一に壊れるのではなく、“別の秩序へ引かれたように”乱れる。

 それらがすべて、眠る王権の偏在による境界効果だとすれば、あまりにも収まりがよかった。


「補助宮の記録では」


 リセリアが静かに言う。


「眠り継続、偏在、固定失敗、そうした断片が残っていました」


「うむ」


「なら白霜外界は、その“失敗した固定”の外側で今も揺れている可能性がある」


 言っていて、自分でもぞくりとする。


 学者としては魅力的だ。

 だが、人間としては近づきたくない。

 その両方を持ってしまうのが、この案件の危険なところだった。


 オルフェンはしばらく黙っていたが、やがて視線を上げた。


「魔導王国は動く」


 短く、しかしはっきりと言う。


「ただし、補助宮の時と同じ誤りは繰り返さない」


 その一言で、前回の失敗が全員の頭に戻ってきた。


 ラウス。

 擬似認証。

 補助宮暴走未遂。

 黒翼の終王による裁定。


 あれは、魔導王国にとっても大きな教訓になった。

 知りたいからといって、知る資格まで自動的に得られるわけではない。

 その線を踏み越えれば、監視者ではなく侵入者になる。


 そして何より、黒翼の終王はそれを“壊す”ではなく“終わらせる”で切った。

 その裁定を見た以上、もう魔導王国は以前のようには振る舞えない。


「今回は」


 オルフェンが続ける。


「白霜外界の固定条件を探る」


「中へ入ることではなく?」


 記録官が問う。


「まずはそこだ」


「しかし、黒翼庭が先行する可能性は高いかと」


 リセリアが言う。


「高い」


 オルフェンも認める。


「むしろ、主軸は向こうにあると見てよい」


 そこが、この遠征の最初から最後まで難しい点だった。


 普通の遺跡なら、誰が先に掘るかの話になる。

 だが今回は違う。


 主認証を持つ存在がすでにいる。

 補助宮はそれを見せた。

 ならば白霜外界とその先にある痕跡でも、黒翼の終王クロウ・レイヴンハートが主軸になる可能性は極めて高い。


 つまり魔導王国は、“先に全部を解く側”ではなく、“王が解いていく現象から最大限を読み取る側”として動くべきなのだ。


「悔しい話ですが」


 リセリアが低く言う。


「現時点で、最も深く白霜外界へ触れうるのは黒翼庭です」


「そうだな」


 オルフェンは否定しない。


「だが、それは我らが何もできぬという意味でもない」


 ザイードがそこで細い指を一本立てた。


「だからこそ、中継遺構だ」


 会議室の空気がまた少し締まる。


 眠王の中継遺構。

 補助宮ではない。

 王そのものの座でもない。

 だが、偏在した眠りと現実の地図を繋ぎ止める“中間の装置”なら、主認証のすべてを必要とせずとも監視可能な層があるかもしれない。


「本体ではない」


 ザイードが言う。


「だからこそ、まだ我らにも見れる余地がある」


「補助宮が終王の記録を支えたように」


 リセリアが引き継ぐ。


「眠王にもまた、本体へ至る前段階の遺構があるなら、そこが白霜外界のどこかに露出している可能性があります」


「ええ」


 オルフェンが頷く。


「そして、その露出が“地図の不安定さ”として見えているのだとすれば」


「白霜外界を調べること自体が、中継遺構を探すことになる」


 リセリアはそう結んだ。


 会議室の空気が、今度は少し熱を帯びる。


 ここにいる者たちは学者だ。

 未知そのものよりも、“未知へ届く構造”が見えた時に強くなる。

 今まさに、その構造が見え始めていた。


 ただし、熱が出たからといって、すぐ暴走するほど愚かではない。

 少なくとも、オルフェンがいる間は。


「興味を持つのは構わん」


 彼の声が静かに落ちる。


「だが先に線を引け」


 全員が少しだけ居住まいを正した。


「白霜外界は、到達した者を歓迎しているのではない。記録の側を揺らし、道の意味を食う場所だ」


「はい」


「つまり、“見つけた”と“触れてよいか”は別だ」


 それは補助宮で見た現実の続きでもあった。


 補助宮は見つけられた。

 だが、誰でも好きに触れてよいわけではなかった。

 白霜外界も同じ、あるいはもっと厄介かもしれない。


「では」


 リセリアが問う。


「我々は何を第一目標に置くべきでしょう」


 オルフェンは迷わなかった。


「固定条件の監視と固定条件だ」


「ええ」


 ザイードがすぐに意味を取る。


「中継遺構があるなら、それが“どの時に見え、どの時に見失われるか”を押さえるべきだと」


「そうだ」


 オルフェンは頷く。


「到達そのものではない。まずは“到達が可能になる条件”を掴む」


 それが魔導王国らしい判断だった。


 派手ではない。

 だが、間違いにくい。

 そして、今の案件ではそういう積み方しか許されていない。


「…黒翼庭も、同じことをしてくるでしょうね」


 リセリアが言う。

 そこには少しだけ、悔しさに近い感情が混じっていた。


「ええ」


 オルフェンもそれは認める。


「むしろ向こうの方が先にそこへ達する可能性が高い」


 主がいる。

 主認証がある。

 補助宮でその事実は証明された。


 ならば白霜外界でも、王権の側へより深く通るのは黒翼庭だろう。


 それでもなお、監視する意味はある。


 主がどこを選び、何に反応し、何を残し、何を見送るのか。

 それを見ることでしか、白霜外界の構造は読めないかもしれないからだ。


 議論が一段落したところで、ザイードが古地図の余白へ新しい印を書き込んだ。


 白霜外界。

 そのさらに曖昧な一点に、小さく。


 **眠王の中継遺構**


 仮説名に過ぎない。

 だが、名前を置くと物事は急に輪郭を持ち始める。


 若い記録官がそれを見つめながら、小さく息を呑んだ。


「本当にあると思われますか」


 ザイードはペン先を止めないまま答える。


「本当にあるかどうかと、ある前提で探る価値があるかは別だ」


 いかにも彼らしい返しだった。


「そして今は、後者が十分に成立しておる」


 リセリアもその地図を見る。


 眠王の中継遺構。

 まだ見ぬ別の王。

 偏在し、眠り、地図の外側へ滲む王権。


 怖い。

 だが見逃したくない。

 その二つが胸の中で、綺麗に同居していた。


「筆頭賢者殿」


 彼女が低く呼ぶ。


「何だ」


「白霜外界へ向かうなら、黒翼庭の動きもほぼ同時になるはずです」


「だろうな」


「なら、これはもう探索競争ではありません」


「ええ」


「王が何を選ぶかを見る遠征です」


 会議室が静まる。


 オルフェンはその言葉を数秒だけ考え、それからゆっくり頷いた。


「その通りだ」


 悔しいが、誤魔化しても仕方がない。


 今この件で最も深い鍵を持つのは、黒翼の終王だ。

 魔導王国はその現実を嫌でも受け入れなければならない。


 だがそれで終わりではない。

 王が開く扉の前で、何が見え、何が見えないか。

 それを正しく読む者こそが、この件では次に進める。


 それなら、まだ魔導王国にもできることがある。


「準備を進める」


 オルフェンは言った。


「監視班を再編しろ。白霜外界の固定条件を最優先に、商盟との接触も継続。帝国の前線情報も拾う」


「連邦は」


 リセリアが問う。


「まだ追わん」


「理由を」


「知れば騒がしくなる」


 即答だった。


 補助宮の時もそうだった。

 連邦が早く騒げば、案件そのものが神学と異端審問に飲み込まれる。

 いま必要なのは断罪ではなく、構造の確認だ。


 リセリアもその判断にはすぐ頷いた。


 そして会議は静かに、しかし確実に動き始める。


 地図が巻かれる。

 記録が整理される。

 監視班の名前が書き換えられる。

 商盟向けの問い合わせ文案が作られる。


 魔導王国は、白霜外界へ向けて本気で歩き始めていた。


 会議が終わったあと、リセリアは一人で窓際に立った。


 会議室の高窓から見える空は薄曇りで、北は当然、ここからでは見えない。

 だが、見えなくても分かる。


 白霜外界はある。

 そして黒翼庭もきっと、同じ場所へ向けて動き始めている。


 補助宮で、あの王は記録の方へ認められた。

 終わらせる王。

 その権を持つ者。


 なら、白霜外界の先でも、たぶん主軸はあちらだ。

 悔しい。

 だが否定はできない。


 それでも、だから見ないという選択肢はない。

 むしろ逆に、そういう王が何をどう選ぶのかを見なければ、この件は永遠に分からない。


「…見逃したくないですね」


 小さく呟く。


 誰に向けた言葉でもない。

 自分自身への確認に近い。


 怖い。

 だが見たい。


 魔導王国の人間にとって、その二つは時々、同じ意味になる。


 窓硝子へ薄く映る自分の顔は、前より少しだけ真剣だった。

 補助宮までは“未知がある”だった。

 今はもう、“未知の向こうに別の王がいるかもしれない”へ変わっている。


 そうなれば、ただの学問では済まない。

 それでもなお、知ろうとする。


 それが魔導王国だった。


 その夜、中央記録院の記録棚へ新しい整理札が一枚加えられた。


 北方禁域関連。

 補助宮案件。

 王権現象。

 そしてその下に、小さく追加された語。


 白霜外界。

 眠王の中継遺構。


 まだ仮説だが、仮説だからこそ一番危険な段階でもあるのだった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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