「現状の把握」
ヴェルミリアは、一歩も前へは出なかった。
だが、玉座の下から静かに見上げているだけで、場の中心が彼女へ移ったように見えた。
四天王の筆頭。
そう設定したのは間違いなく自分だが、実物を前にすると納得するしかない。
静かなだけで、人を従わせる空気がある。
「まず、現在時刻よりご報告いたします」
声は落ち着いていた。
早口でもない。もったいぶっているわけでもない。
ただ必要なことを、必要な順に、過不足なく積み上げる声音だった。
「陛下が終焉の玉座にてご静養へ入られてから、千と二十七年が経過しております」
クロウは黙った。
黙るしかなかった。
千年。
予想の斜め上どころの話ではない。
だがここで「は?」と聞き返したら終わる気がした。
終わる、というか。
たぶん色々始まる。もちろん最悪の方向に。
なので外面だけは保ったまま、頭の中だけで整理する。
千年経過。
つまり、自分の知らない時代が千年分ある。
しかも、この四人はその千年のあいだずっとここにいたらしい。
いや、待て。
どういうことだ。
いや、そこを今問い詰めても仕方がない。順番だ。
パニックに優先順位を食わせるな。
「…続けろ」
短く返すと、ヴェルミリアはわずかに目を伏せた。
敬意の所作なのだろうが、なぜか「やはり、その先からですね」とでも言いたげに見えるのが怖い。
「はい。黒翼庭の中枢機構は、陛下のご不在中も基本機能を維持しておりました。《黒鴉城ネヴァーグレイヴ》本体、境界線防衛機構、魂炉、死霊書庫、影回廊、いずれも最低出力にて継続稼働中。大規模な損耗はございません」
聞き覚えのある単語が次々に出る。
魂炉。
死霊書庫。
影回廊。
どれも昔、自分が妙に凝って設定した施設名だ。
響きが気に入って盛った記憶がある。
その時は楽しかった。
とても楽しかった。
だが、盛った設定が現実に存在していると笑えない。
笑えないどころか、胃が痛い。
「城内の守護機構も問題ありません!」
今度はバルザードが半歩だけ顔を上げた。
片眼鏡の奥の目が、嫌なほどきらきらしている。
予感として、こういう目はだいたい良くない。
「再起動に伴って全域の自己診断も走らせましたが、誤差は許容範囲内です!主回廊第七節点に微細な術式摩耗、北西翼棟の封印庫第三区画に魔力偏差、境界線監視網の一部沈黙、魂鋼機兵待機列のうち第三系統に反応遅延、ただしいずれも復旧可能範囲、現行戦力としては――」
「要点だけにしなさい、バルザード」
ヴェルミリアが横から静かに言った。
声音は柔らかい。
だが、よく研がれていた。
「おっと、これは失礼を。つい嬉しくて急いてしまいました」
嬉しいのか。
いや、まあ、主の復帰なら嬉しいのかもしれない。
だがそのテンションで施設と兵装の自己診断を畳み掛けないでほしい。こっちはまだ自分の状況把握も終わっていない。
クロウは内心で深く息を吐いた。
実際に吐けているかは分からない。だが、そういう気分にならないとやっていられない。
「境界線監視網については、私から」
セラフィナが口を開いた。
白銀の髪が肩を流れ、純白の翼がわずかに揺れる。
先端だけ黒いその翼は、小さな動きですら妙に目を引いた。
「人の諸国は、この千年で形を変えました。ですが、北方禁域そのものへの警戒は途切れておりません。各国とも、直接の侵入こそ避けつつ、遠方より監視のみを継続していたようです」
「諸国…」
つい声が漏れた。
しまった、と思った時には遅い。
だがセラフィナは、こちらの言葉を問い返しとは受け取らなかったらしい。
むしろ、補足を望まれたのだと美しく解釈したようだった。
「はい。現在、この周辺で大勢力と呼べるものは四つございます」
やわらかな声が、祈るように広間へ落ちる。
「北方の軍事国家、《竜嶺帝国ザルカディア》」
「西方の宗教国家、《聖冠連邦アルディウス》」
「南方の学術国家、《魔導王国エルグレイス》」
「そして東の海洋商業圏、《蒼海商盟ルヴァンディア》」
なるほど、とクロウは思った。
このあたりはまだ分かりやすい。
四大国家がある。
世界はちゃんと続いている。
そして、そのどこも黒鴉城を完全には忘れていない、ということか。
「特に現在、最も早く反応しているのはザルカディアです」
ガルドが低い声で言った。
短い。
だが、それだけで広間の空気がわずかに変わった。
軍事担当が軍の話を始める時の重さがある。
「北方監視塔群より、すでに三度の監視波。加えて、帝国斥候が境界線へ接近中」
早いな、とクロウは思う。
目覚めたばかりなのに、もう知っているらしい。
いや、向こうからすれば当然か。
千年沈黙していた禁域が急に反応したのだ。放っておく理由はない。
「規模は」
問い返してから、少しだけ安心した。
自然に質問できた。
少なくとも「規模って何の?」とは聞いていない。
「現時点では小規模。監視と威力偵察が主目的かと」
ガルドの返答は簡潔だった。
その一方で、ヴェルミリアが静かに補足する。
「ただし、彼らが帝国である以上、慎重さがそのまま自制を意味するとは限りません。測るつもりで踏み込み、そのまま既成事実を積み重ねる可能性は高いでしょう」
それも分かる。
というか、かなりもっともらしい。
むしろ千年後の世界なのに、そのへんの大国仕草はあまり変わっていないんだな、という妙な納得すらあった。
クロウは玉座の肘掛けに指先を置いた。
冷たい石の感触は薄いが、確かにそこにある。
ここで必要なのは、たぶん二つ。
一つは情報。
もう一つは、下手に敵を増やさないこと。
少なくとも自分は、目覚めた直後に世界征服を始めたいわけではない。
むしろ逆だ。状況が分からないうちは、できる限り静かにしていたい。
だが問題は、そういう穏便な意図を、この四人が穏便に受け取ってくれるかどうかだった。
たぶん、無理だ。
まだ数分しか経っていないのに、それくらいの理解はできてしまった。
「…こちらから動く必要はない」
クロウは慎重に言葉を選んだ。
「少なくとも今は、まだ何も分からない。余計な刺激は避けろ」
よし。
かなり常識的だ。
慎重な判断だ。
平和的ですらある。
これで「では先制攻撃を」みたいな流れにはならないだろう。
ならないはずだ。
頼むからそうであってくれ。
そう願った次の瞬間、ヴェルミリアが静かに目を伏せた。
「承知いたしました」
嫌な予感がした。
「つまり現段階では敵対意志を明示せず、監視と選別を優先されるお考えなのですね」
違う。
いや、近いけど違う。
もっとこう、普通に様子見というか、下手に騒ぐなというか――
「騒ぎは起こすなよ」
慌てて重ねる。
「まずは見ろ。まだ早い」
これでどうだ。
これ以上ないほど慎重なはずだ。
さすがに今のは誰が聞いても“まだ何もするな”だろう。
だがセラフィナは胸の前で手を組み、静かに微笑んだ。
「御心、確かに。騒ぎになる前に、不要な火種は摘み取っておきます」
いや違う。
それは“騒ぎになっていないだけ”で、たぶん中身はかなり物騒なやつだろう。
バルザードも勢いよく顔を上げる。
「なるほど、なるほど!表立った進軍ではなく、まずは監視と選別、それに付随する最小限の地ならしということですね!ならば境界線監視網の再構築を急ぎましょう。敵の目だけ潰し、こちらの目を通す形なら騒ぎにはなりません!」
騒ぎにならない、の定義が怪しい。
ガルドだけは比較的素直だった。
「御意。防衛線を維持しつつ、接敵時は排除ではなく後退を優先します」
おお、まとも。
今のところ一番まともだ。
クロウは少しだけ救われた気分になったが、その直後に続いた一言で打ち消された。
「ただし、越えてはならぬ境界を越えた場合は別です」
まあ、そうだろうな。
むしろ、そこはそうでないと困る。
困るのだが、四人全員が自分の発言を、それぞれかなり都合よく解釈して動き始めている気配がする。
まずい。
かなりまずい。
だがここで「いやそこまでじゃなくて」と細かく訂正し始めたら、それはそれで不自然だ。
王が自分の言葉を後から慌てて修正する図は、どう考えても格好がつかない。
それに何より、自分はまだこの世界の常識を知らない。
下手に縛るより、有能そうな連中に任せた方が結果的にマシな可能性まである。
その可能性があるのが、ものすごく嫌だった。
クロウは数秒だけ考え、結局、最も安全そうな形でまとめることにした。
「好きに動け。ただし、やりすぎるな」
言った。
言ってしまった。
かなり危ない言い回しだという自覚はある。
だが、他にどう言えばよかった。
すると四天王は、まるでそれを待っていたかのように反応した。
「はっ」
また揃った。
その揃い方が、逆に怖い。
ヴェルミリアが伏せたまま、静かに告げる。
「陛下のご意志、しかと拝しました。必要な者だけを、必要な順に…と」
怖い言い方をするな。
セラフィナが続く。
「御心を煩わせる者は、私が水面下で処理いたします」
やっぱり怖い。
バルザードは、もう止まらなかった。
「では私は境界線監視網の再起動、ならびに魂鋼機兵の待機列のみ先行して整えます!ええ、もちろん大規模展開はいたしませんとも。いたしませんが、万一に備えて第二、第三案は必要ですので、ついでに第五案くらいまでは――」
「三案までにしなさい」
ヴェルミリアが即座に切った。
「ええっ、減りました!?」
「生きているだけ感謝なさい」
怖い。
やっぱりこの宰相、かなり怖い。
ガルドは短く言った。
「国境は私が」
頼もしい。
頼もしいのに、全然安心できない。
クロウは無表情のまま、心の中だけで頭を抱えた。
配下からの信頼が重すぎる。
本当に重すぎる。
何だこれ。
昔の自分は、どういうつもりでこんな忠誠心マシマシの連中を設定したんだ。
いや、楽しかったのは覚えている。
すごく分かる。強い配下はいい。とてもいい。
でも、実際に目の前で絶対の信頼を向けられるとなると話は別だ。
責任がでかい。
あまりにもでかい。
しかも全員有能そうだから、適当に言ったことがそのまま本当に通ってしまいそうなのが最悪だった。
「…陛下」
ヴェルミリアが再び口を開く。
「もう一件、ご報告を」
まだあるのか。
いや、あるだろうな。
千年分だもんな。
「申せ」
短く返すと、ヴェルミリアはわずかに視線を上げた。
「先ほど、境界線監視網の一部が帝国の斥候を捕捉いたしました。距離はまだございますが、進行方向から判断するに、禁域外周の確認ではなく、明確に内部を測りに来ております」
クロウは眉を動かしかけて、たぶん動いていないことに気づく。
動きが早い。
想像以上だ。
いや、向こうからすれば異常事態なのだから当然だが、それにしても早い。
「数は」
「現時点で五。うち二騎は飛竜持ち。偵察としては想定以上です」
ガルドが答える。
飛竜持ち、という単語に少しだけ現実感を失いかけたが、今さらそこを気にしていても仕方がない。
大事なのは、これが最初の接触になるかもしれないということだ。
最初が肝心だ。
こちらが何者として見られるか。
その第一印象になる。
できれば穏便に済ませたい。
できれば、だが。
「接触はするな」
反射的にそう言ってから、クロウはわずかに言い直した。
「…いや。こちらからは仕掛けるな。監視するだけでいい」
今度こそどうだ。
かなりはっきり言った。
仕掛けるな。監視するだけ。
これなら戦いにはならない。
ならないはずだ。
頼む。なってくれるな。
セラフィナが静かに目を伏せる。
「承知いたしました。こちらからは仕掛けません」
最後の言葉が妙に引っかかった。
**こちらからは**。
つまり相手から仕掛けてきたら別なのか。
いや、まあ普通にそうか。
普通なのだが、セラフィナの口から出ると妙に不穏だった。
ヴェルミリアが確認するように言った。
「では、帝国側の意図を測ることを最優先に。敵対が明確になった時のみ、最小限の対応を図る…と」
「そうだ」
最小限。
最小限だぞ。
頼むから、その言葉の意味を拡張解釈するなよ。
「ガルド」
「はっ」
「国境は任せる。だが、繰り返す。まだ早い」
ガルドは低く、力強く応じた。
「御意。剣を抜くべき時まで、鞘に収めておきます」
おお。
その言い方は格好いいし、意図も通じている気がする。
少しだけ安堵した、その時。
バルザードが小さく、しかしはっきりと呟いた。
「さすがは陛下…」
嫌な響きだ。
「敵の早期接触すら織り込み済みで、あえて“まだ早い”と。なるほど、相手に最初の一手を打たせることで出方と力量を量るおつもりなのですね…!」
違う。
そういう大仰な話ではない。
ただ、こっちが起きたばかりで何も分かっていないから、なるべく先に動きたくないだけだ。
ないのだが。
ヴェルミリアが何かに得心したように目を細めたせいで、もう何も言えない空気になった。
「ええ。ならば、その測るための盤面はこちらで整えておきましょう」
セラフィナも静かに頷く。
「最初の選別としては、ふさわしい相手かもしれません」
ガルドの声は重かった。
「帝国が、陛下の前に立つ資格を持つかどうか。私が見極めます」
見極めないでほしい。
いや、見極めるのはいいが、そんな重い話にしないでほしい。
クロウは玉座の上で一切顔色を変えないまま、心の中だけで遠い目をした。
たぶん、自分は今、とんでもない誤解を生んでいる。
しかも最悪なことに、その誤解は四天王の能力が高すぎるせいで、そのまま現実になってしまう可能性が高かった。
冗談じゃない。
せめてこれ以上、話が勝手に大きくなる前に、一度状況を整理しておきたい。
そう思って口を開こうとした、その時だった。
広間の空気が、かすかに震えた。
音ではない。
気配だ。
セラフィナの翼が、ぴくりと揺れる。
ガルドの兜がわずかに持ち上がり、バルザードは反射的に片眼鏡を押さえた。
ヴェルミリアだけが、最初からそれを知っていたかのように静かだった。
「陛下」
彼女が言う。
「境界線監視網より伝令です。帝国斥候、進路を変更。禁域外周の確認ではなく、直線的に内側へ踏み込む構えを見せています」
早い。
というか、もうか。
まだこっちは起きてから少ししか時間が経っていないんだが。
「…そうか」
とりあえずそれだけ返す。
短く、静かに。
もちろん、内心の胃痛は隠したままだ。
ヴェルミリアは深く頭を垂れた。
「いかがなさいますか」
いきなり本番だ。
いや、違う。
本番にするな。
ただの斥候だ。
たぶん。
まだ、たぶん斥候だ。
ここで大事にしたら、それこそ向こうにも余計な誤解を与える。
こちらが目覚めたばかりの神話王であろうと、最初の一手を重くしすぎるのは危険だ。
だから。
だから本当に、なるべく静かに――
「監視だ」
クロウは言った。
「まずは、監視だけでいい」
その一言に、四天王が再び頭を垂れる。
「御意」
今度は揃った声が、さっきよりも深く響いた。
何だろう。
この感じ。
嫌な予感が、さっきより増している。
そして、その予感はたぶん当たる。
クロウは表情を一切動かさないまま、心の中だけで強く思った。
どうか本当に、監視するだけで終わってくれ。
切実に。
本当に切実に。
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