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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第8章

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「聖女は祈りを選ぶ」

 

 祈りとは、本来とても強いものだ。


 名を与え、意味を定め、向きを揃える。

 散っていた心を一つの場所へ集め、曖昧だったものへ輪郭を与える。

 恐れに形を与え、希望に行き先を与え、迷う者たちに**「どちらを向けばいいのか」**を示してくれる。


 だから連邦は、祈りによって国であり続けてきた。


 違う身分を持つ者。

 違う土地で生まれた者。

 違う過去と、違う痛みを抱えた者。


 そんな人々が、それでも同じ方向を向き、同じ言葉を口にし、同じ秩序の中で暮らしていけるのは、そこに祈りの名があったからだ。


 奇跡には奇跡の名を。

 異端には異端の名を。

 救済には救済の名を。

 災厄には災厄の名を。


 そうして意味を定めることで、連邦は曖昧な世界を整えてきた。


 だからこそ今、リュミエラは初めて、その強さそのものを少し怖いと思っていた。


 白き王ルシエルを前にして、祈りはあまりにも簡単に押しつけへ変わる。

 聖なるものだと呼べば、それは連邦の言葉の中へ収まってしまう。

 異端だと呼べば、今度は斬る理由になる。


 どちらも違う。

 違うと分かっている。

 分かっているからこそ、どう祈ればいいのかが難しい。


 受け止めたい。

 でも、包み込みたくはない。

 見失いたくない。

 でも、自分たちの意味で塗り替えたくもない。


 その矛盾みたいなものの前で、リュミエラはずっと立ち止まっていた。


 ---


 朝の小礼拝堂には、薄い光が差していた。


 大聖堂ほど大きくない。

 法王庁の中でも、身内だけが静かに祈るための場所だ。

 高い天井。

 白い石。

 細い窓から落ちる曇り空の光。


 燭台の炎も今日は小さめで、全体がひどく静かに見える。


 その静けさが、今のリュミエラには少しありがたかった。

 人の声が少ない場所でないと、自分の中の迷いまで遠くなってしまいそうだったからだ。


 彼女は祭壇の少し手前に立ったまま、じっと両手を重ねていた。


 跪いてはいない。

 声に出してもいない。

 ただ、目を閉じて呼吸を整えている。


 最近は、こういう時間が増えた。


 前ならもっと迷いなく祈れていた気がする。

 光神ルミナスへ。

 民の安寧のために。

 正しい救済のために。

 迷う者たちが正しく導かれるように。


 言葉は自然と出てきた。

 祈ることと、願うことと、正しさを信じることが、ほとんど一つにつながっていた。


 今は違う。


 祈ろうとすると、その途中で必ず白き王の静けさが差し込んでくる。


 白霜外界の白。

 座の静けさ。

 ルシエルの金白の瞳。

 終王クロウと向き合っていた、あの**こちらの意味で塗れない白**


(どう祈ればいいんでしょう)


 心の中で問いかける。

 けれど、いつものような答えの輪郭は返ってこない。


 代わりにあるのは、今までより少しだけ曖昧で、でもごまかしのない感覚だった。


 分からない。

 本当に、まだ分からない。


 でも、分からないまま**こういうものだ**と先に決めてしまう方が、たぶんもっと違う。


 白き王を救済の側へ入れてしまえば、連邦の祈りの中で整いすぎる。

 災厄の側へ落とせば、今度は恐れによって理解した気になってしまう。


 そのどちらも、いまの自分には嘘に思えた。


 ---


「聖女様」


 礼拝堂の入口で、小さく声がした。


 振り返ると、若い祈祷士の娘が一礼している。

 まだ年は十代の半ばくらいだろう。

 真面目で、敬虔で、少しだけ緊張しやすい顔をしている。


「どうしましたか」


 リュミエラが優しく問うと、娘は躊躇いがちに言った。


「神学局より、午前の小会合へのご出席を」


「…分かりました」


 その一言だけで、胸の奥が少し重くなる。


 たぶん、また同じ話だ。

 白き王をどう位置づけるのか。

 連邦として何と呼ぶのか。

 どこまでを保留とし、どこからを祈りの中へ組み込むのか。


 避けては通れない。

 でも、簡単に答えを出せる話でもない。


 娘は去る前に、少しだけ迷ってから言った。


「聖女様は…どうお祈りしておられるのですか」


 その問いが、リュミエラには少し刺さった。


 祈祷士の娘にとって、それは自然な質問だ。

 聖女がどう祈るかを知りたい。

 その祈りの形を学びたい。


 けれど今のリュミエラには、その問いにすぐ返せるほど整った答えがない。


「私は」


 少しだけ考えてから、正直に言った。


「決めつけないように祈っています」


 娘はきょとんとした。


 無理もない。

 連邦で**決めつけない祈り**など、あまり聞いたことがないだろう。


「まだ、分からないからですか」


「はい」


「分からないものへ、先に私の言葉を被せすぎないように」


 娘はすぐには理解できない顔をしたが、それでも真剣に頷いた。


「…はい」


 その素直さが少しありがたかった。


 分からないことを、分からないと言える。

 それを聞いた相手が、すぐに失望するわけではない。


 それだけでも、今のリュミエラには少し救いだった。


 ---


 午前の小会合は、法王庁の内部でもかなり閉じた部屋で行われた。


 法王ユリオス十三世。

 上級神学官が二人。

 リュミエラ。

 それに今日は、連邦の古参修道院長が一人同席している。


 グラウスはいない。

 その代わり、彼が送ってきた整理書は卓の上にある。


 白王の神学的位置づけ。

 終王との対称構造。

 七柱災厄説修正時の教義影響。


 全部、嫌になるくらい真面目で、だからこそ圧が強い。


「始めましょう」


 法王が静かに言う。


「本日の焦点は一つです」


「白き王を、祈りの側でどう扱うか」


 その言葉に、リュミエラは息を整える。

 逃げられない問いだ。


 神学官の一人が先に口を開いた。


「聖女様。あなたは現地で、白き王に“穢れ”を感じなかった」


「はい」


「敵意や破壊の衝動も、主たるものとしては感じていない」


「はい」


「ならば、白き王は少なくとも“邪”ではない」


 そこまでは分かる。

 そして、その次に来る言葉も予想できた。


「では、“聖”として祈りのうちに受けるべきでは?」


 やはり、そこへ来る。


 リュミエラは少しだけ目を伏せた。

 言いたいことは分かる。

 邪でないなら聖へ寄せる。

 それは連邦の祈りの構造として自然だ。


 でも、それが自然だからこそ危うい。


「私は、まだそれも違うと思っています」


 部屋が少し静まる。


 法王は黙って続きを待っている。

 神学官たちの目は真剣だ。

 修道院長の視線はもっと静かで、どこか試すようでもある。


「白き王は、清らかではありました」


 リュミエラは丁寧に言葉を選ぶ。


「でも、それは私たちの祈りが求める“清さ”とは少し違います」


「どう違うのですか」


 修道院長が初めて口を開いた。

 年老いた、しかし芯のある声だった。


「私たちの聖は、救済へ向かいます」


 リュミエラは答える。


「人を照らし、罪を赦し、苦しみを抱き上げる方向を持っています」


「ですが白き王は、そうではありません」


「救う、というより…留める」


 その一語に、部屋の空気が少しだけ変わる。


 誰もが、そこに何かの核心があると感じたのだろう。


「留める?」


「はい」


「終えてはならないものを、眠らせることで保っている」


 法王がゆっくりと目を細める。


「つまり、慈悲ではある」


「ですが、安易な慰撫ではない」


「はい」


 リュミエラは頷いた。


「だから私は、白き王を“ただ聖なるもの”として祈りの内側へ入れるのは、まだ違うと思います」


 それは連邦にとって少し苦い答えだった。


 邪ではない。

 だが聖とも言い切らない。

 そのどちらでも、少しだけ足りない。


 では何か。

 そこに名前を置けない。


 その置けなさこそが、いまのリュミエラの誠実さだった。


 ---


「聖女様」


 もう一人の神学官が慎重に問う。


「では、我らはどう祈ればよいのでしょう」


 その問いは、神学というより半ば懇願に近かった。


 連邦は祈る国だ。

 祈り方が分からないという状態そのものが、国の不安に直結する。


 リュミエラはしばらく黙った。


 それから、ゆっくりと言う。


「まだ、迎え入れるための祈りはしない方がいいと思います」


「なぜです」


「それは、私たちの意味で白き王を包むことになるからです」


「ですが、拒まないのなら受け入れるべきでは?」


「その二つの間に、まだ一つ段がある気がするんです」


 法王が小さく頷いた。


「聞きましょう」


「…見つめる祈り、です」


 自分で口にして、少しだけ不思議に思う。

 でも、いまはそれが一番近い。


「断じるでもなく、取り込むでもなく、ただ見つめて、誤らない位置を守る祈り」


「それなら、まだ押しつけにならないと思います」


 神学官たちは顔を見合わせた。

 連邦にとって、それはかなり新しい発想だ。


 祈りは普通、向きを持つ。

 救済へ。

 祝福へ。

 赦しへ。


 だが**見つめる祈り**は、向くというより留まる。


 強く届かせるのではなく、間違った意味を先に差し出さないための祈り。

 祈ることで相手を掴むのではなく、祈ることで自分が雑に掴まないようにする態度。


「受け身ですな」


 修道院長が静かに言う。


 責める口調ではない。

 ただ、事実として。


「はい」


 リュミエラは頷く。


「でも、いま必要なのはたぶんその受け身です」


「こちらの祈りが強すぎると、白き王を“連邦が理解したもの”に変えてしまう気がして」


 その恐れは、リュミエラにとってかなり本物だった。


 白き王の静けさは、理解を急いだ瞬間に壊れるような気がする。

 そういう意味で、いま連邦に必要なのは祈りの強さではなく、節度だ。


 ---


 会合の後半、法王はほとんど結論を先に知っている顔になっていた。


「神学判断は保留を続けます」


 穏やかだが、はっきりした声だった。


「ただし、“邪”への暫定寄せも、“聖”への早期編入も行いません」


「白き王は、なお見つめる対象に留める」


 それは連邦にとってかなり珍しい決定だった。


 断じない。

 取り込まない。

 ただ見つめる。


 だが今は、それが最も強くて最も慎重な祈りなのかもしれない。


「異端審問局は不満を持つでしょうな」


 修道院長が言う。


「持つでしょう」


 法王はあっさり答えた。


「ですが、ここで強い名を置く方が、よほど危うい」


 リュミエラはその言葉に少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。


 法王は、少なくともいまは理解している。

 白き王を教義の内へ急いで押し込まない方がいいことを。


 ---


 会合が終わったあと、リュミエラは回廊を一人で歩いていた。


 白い石壁。

 細い窓。

 そこから落ちる曇り空の光。


 連邦は今日も変わらず美しい。

 整っていて、祈りに満ちていて、人の心を一つにする形を知っている。


 だからこそ、その強さが今日は少し怖かった。


 祈りは人を救う。

 でも時に、救うために相手の意味まで決めてしまう。


 白き王は、そこへ簡単には収まらない。

 収めてしまったら、たぶん違う。


「リュミエラ」


 前方からアシュレイが歩いてきた。


「終わったのか」


「はい」


「どうなった」


 彼はいつも通り、遠回しがない。


「保留です」


 リュミエラは答えた。


「でも、少しだけ形が決まりました」


「どんなだ」


「受け入れるための祈りではなく、見つめるための祈りです」


 アシュレイは少しだけ眉を上げた。


「…変わった言い方だな」


「はい」


「でも、今の私にはそれが一番しっくりきます」


 彼はしばらく考えてから、短く頷いた。


「悪くない」


「そう思いますか」


「ああ」


「剣でも似たようなことはある」


「どういうことです」


「間合いに入ったからって、すぐ斬るのが正解とは限らない」


 リュミエラは少しだけ目を見開いた。


 勇者らしい、そして分かりやすい言い方だった。


「見て、相手の線を読む時間がいる」


「そうしないと、自分の都合だけで振るうことになる」


 たしかにそれは、祈りにも近い。


 祈るとは、ただ気持ちを前へ投げることではない。

 相手を見ずに**こうあってほしい**を押し出すことでもない。


 ちゃんと見て、誤らない位置を取ること。

 その上で初めて、祈りにも意味が宿る。


「ありがとうございます」


 リュミエラが言うと、アシュレイは少しだけ不思議そうな顔をした。


「何がだ」


「分かりやすかったので」


「そうか」


「はい」


 それだけのやり取りだった。

 だが、少しだけ心が軽くなった。


 ---


 夕方、連邦から各現地拠点へ新しい通達が出た。


 **白王案件について、暫定神学判断は保留。ただし“邪”および“聖”のいずれにも急いで寄せず、感応と節度を優先する。祈りは断定より観察を重んじる。**


 かなり珍しい文面だった。


 祈りに観察を重んじる。

 連邦らしくない。

 だが今は、それでいい。


 その通達はやがて黒鴉城ネヴァーグレイヴにも届く。


 小会議室でそれを読んだクロウは、少しだけ目を細めた。


「観察、か」


 ヴェルミリアが頷く。


「はい」


「連邦にしては、かなり抑えた表現です」


「そうだな」


「ですが、聖女殿らしいかと」


 それも、たしかにそうだった。


 リュミエラは最初に会った時から、こちらへ強い意味を押しつける感じが薄かった。

 聖女でありながら、妙に**見る**側の人間だった。


「助かる」


 クロウが言う。


「かなり」


 白き王を聖だの災厄だのと簡単に名づけられたら、たぶんまた余計な歪みが増える。

 だから**見つめる祈り**を選んだのは大きい。


「ですが」


 ヴェルミリアが静かに続ける。


「それは同時に、連邦強硬派にとっては極めて不満な着地でしょう」


「だろうな」


「表が抑えるほど、裏は熱を持ちます」


「分かってる」


 受け止める側が形を決めれば決めるほど、拒絶する側も輪郭を持つ。

 リュミエラが意味を押しつけない祈りを選んだことは、正しい。

 だが正しいことが、そのまま静かに済むわけではない。


 ---


 夜。


 小礼拝堂へ戻ったリュミエラは、今度は少しだけ落ち着いて祭壇の前に立っていた。


 相変わらず言葉の多い祈りは出てこない。

 だが、昨日までよりは迷いが少ない。


 私は、まだ白き王を分からない。

 だから先に意味を置かない。

 でも、ただ怖がって遠ざけるのでもない。


 見つめる。

 誤らない位置で。

 押しつけずに。


 それが今の自分の祈りだと、ようやく言葉にできる。


「…見つめます」


 小さく口にする。


 誰かへ届くような祈りではない。

 むしろ、自分が間違えないための確認みたいな祈りだ。


 それでも、今日はそれで十分だと思えた。


 聖女は、意味を押しつけない祈りを選ぶ。

 それは連邦の祈りを弱くする選択ではない。


 たぶん初めて、この国の祈りを少しだけ誠実にする選択だった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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