表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜』優しさほど深く壊れる、美しき地獄の異能譚   作者: 佐倉井 鱓
祈り叫ぶ者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

264/264

第262話 価値観

壁に押し付けた右手の甲が

軽く震えていた。


アラインは、左手で時也の手首を逃さず

細い顎先をほんのわずかに傾け──


その吐息が、時也の頬に触れるほどの

至近距離まで顔を寄せる。


「やっぱり⋯⋯見間違いじゃなかった⋯⋯」


その声は、噛み殺すように低く

しかし怒気の熱が乗っていた。


視線は、時也の耳に刺された

小さなピアスに釘付けだ。


桜色の花弁に包まれた、透明な滴──

いや、滴のように見えて

その実、伝説級の〝遺物〟


「億は下らない⋯⋯

いや、もはや〝値段〟なんて

意味を成さないんだぞ、これは!」


怒声を上げたかと思えば

アラインの眼差しは

ぎらつくような苛立ちに染まる。


「千年で〝数粒〟しか存在しない

信仰や神話にすら残されるほどの宝石⋯⋯

それを、だ。

ピアスに!?しかも両耳に!!?」


手首を握る力が、じわりと強くなる。


「歩けば〝宝石泥棒に狙ってください〟って

言ってるようなもんだぞ!!!

そんなもん、身に付けて

街を歩いてんじゃねぇ!!!」


声には呆れと怒りと──

そして、確かな〝羨望〟が滲んでいた。


「それに!あれだぞ!?

ハンターに、アリアがこの街にいるって

看板出してるようなもんだろうが!!

こんなモン、奴らが探してる

遺物そのものなんだから!!!」


時也は、その怒気に僅かに眉を寄せたが

反論することなく、穏やかな声音で応じた。


「いえ、これは⋯⋯

信仰の魔女の転生者の方を探す上で

その方の心の叫びに耐えられるようにと

アリアさんが流してくださったもので──」


「うるっさい!!!」


遮るようにアラインが叫んだ。


表情は既に怒りを超え

焦燥にも似た苛立ちが刻まれている。


「猫といい、キミといい⋯⋯

〝紛失〟と〝損失〟って言葉

知らないわけ!?!?」


バンッ、と掌が壁を叩き、鈍い音が響く。


「ふかふかちゃんの首元に巻かれてる

宝石付き首輪といい

キミのその耳のピアスといい!

ボクの血管がキレそうになるんだよ!!!

見てるだけで

心臓に悪いっつってんの!!!」


アラインの呼吸が荒い。


口調は荒れているのに

その瞳の奥にあるのは切実な〝実務的焦燥〟


彼にとって――

それは単なる装飾品ではない。


それは〝経営資源〟であり

〝運営資金〟そのもの。


慈善活動だって、表の顔だって

維持には金が要る。


その資金繰りのために

どれほど帳簿を睨んできたか。


何人の人間の口座を凍結し

何度、自分の寿命を削るような

契約書にサインしてきたか。


──それなのに。


そんな財宝を

まるで桜の花一片のように耳に飾り

笑って歩く〝狂信者〟が目の前にいる。


「キミら、揃いも揃ってッッ!!

ああもうッッ!!!」


アラインは

苛立ちを吐き捨てるように、空を仰いだ。


しかし、視線はすぐにまた時也に戻る。


「見てるだけでボクのストレスなんだよッ!!

キミを見るたびに頭は大丈夫かって

心臓がギュってなるわ!!

ああああああッ!!もう!!

ほんと無理!!!!」


握った手の力が解け

代わりに額をこつん、と時也の肩に押し付けて

アラインは深く、深く息を吐いた。


その声は震えていた。


激情の裏に、現実の経済が付き纏う──

それが〝実業家アライン〟の現在だった。


「わ、わかりました!

わかりましたから!!」


両手を上げて時也が必死に言葉を挟んだ。


「転生者の方を見つけ出しましたら

必ず厳重に保管いたしますので!

部屋──じゃなくて、桜の金庫でも!」


「違う!そういう話じゃない!!」


アラインが〝ぐいっ〟と時也の袖を掴んで

両腕をぶんぶんと振り始めた。


着物の端がばさばさと音を立てて揺れ

その隙間からふわりと広がる〝桜の香〟が

アラインの鼻先をくすぐる。


「そもそもね!?

キミ達、金に困ってないから

そんな軽々しく

伝説の遺物を装飾品に使えるんでしょ!?」


「い、いや、それは⋯⋯っ」


「〝それは〟じゃないよ!!

あんな額面の小切手を

ぽんって机の上に置くしさ!

誰も躊躇わないし、確認すらしないし!!」


「〝資金運用〟とか〝原価償却〟とか

〝流動性資産〟の概念が希薄すぎんのよ!!

キミたちの財政はぁぁ!!」


唾が飛びそうな勢いで捲し立てながら

アラインの表情は徐々に

口惜しさと焦りに満ちていく。


「ボクに片耳のやつ一個──

ちょうだいよっっっ!!!」


その言葉は、悲鳴のようですらあった。

眼差しには、真剣な切実さが宿っている。


それは単なる羨望ではない。


〝資産価値〟として

彼は真面目に求めているのだ。


「ねえ、いいじゃん!?

どうせそのうちアリアの涙で

また生み出されるでしょ!?

ほら、タイミングってのもあるじゃん!!

今必要な奴に回すのが──

〝効率〟ってもんじゃん!?」


「そればかりは──」


時也が、強く、明瞭に言い切った。


ぐいと袖を引き戻すようにして

アラインの手を優しくほどきながら。


「誰を蹴落とす事になっても

譲れませんので!!」


その声音は凛と澄んでいたが

同時に異常なほどの〝執着〟も含まれていた。


アラインが思わず息を飲むほどに、真剣で。


「これは

アリアさんが流してくださった〝奇跡〟です。

僕は⋯⋯誰に盗まれても、手放しても

見失ってもなりません。

僕が〝彼女の傍にある〟という

証でもあるのですから!!」


「⋯⋯ああ、もう

そういうところが

狂ってんのよぉぉおぉぉぉッ!!!!!」


髪を掻き毟りながら、アラインは喚いた。


「お前なぁ!!

その宝石、ただの〝硬貨〟に換算したら

国家予算の五年分以上なんだぞ!?

そんなもんを耳につけて

〝愛の証〟とか言って歩いてたら

金の流れを知らない坊ちゃんって

看板ぶら下げてるのと一緒なの!!

経済音痴っていうか──

もう害悪の部類だって

自覚してぇぇえぇぇぇ!!!」


「そこまで言わなくてもっ!?」


「マジでうるさいッッ!!!」


指を指して、アラインはなおも叫ぶ。


「物には〝交換価値〟ってもんがあるの!

例えば、あの宝石一つあれば

孤児院の運営費の数十年分は確保できるの!!

〝機会損失〟って言葉、知ってるか!?

一度も現金化せずに手元に留めたまま

それが誰の手にも渡らず朽ちていくことを

〝資産の死〟って言うんだよぉぉぉ!!!」


「し、資産の死って⋯⋯

それは、さすがに表現が!」


「こっちは命かけて

帳簿一枚で組織を維持してるんだよ!

同じ組織の人間として

もう少し現実を見てくれ!!

数字は裏切らない

心意気じゃ腹は膨れない

愛や信仰心じゃ電気も点かないの!!!」


「で、でも僕はアリアさんを護るのが

最優先──」


「それが害悪だって言ってんだよ!!!

アァァッ!!!」


アラインは壁に突っ伏して

両拳を叩きつけるように音を立てた。


地面が、わずかに揺れた気さえした。


「神を見てる暇があったら

現金の残高見ろやぁぁぁあぁぁぁああああ!!!」


怒りが、焦燥が、哀しみが混じっていた。


──アリアの〝涙の宝石〟


それは〝狂信者〟には〝奇跡〟であり

〝現実主義者〟には〝救世の札束〟だった。


理屈と情念が

交わるはずもなく、ぶつかり合う。


そして二人の間に残るのは、ただ──


〝絶対に譲れない価値観〟だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ