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頭がボーッとする。

難しい事を考えるのを、私の脳みそが放棄したような感覚に陥る。


「 御帰りさないませ。 まぁ、椿様と御一緒だったのですか? 」

「 ああ、王都に寄った時に偶然会ってな。 拾って帰って来た 」


侍女にそんな事を淡々と言う蛇男……確かに、拾われたな、私。

ゆっくり降ろされて、屋敷のその入り口の前で佇んでいた私の前に、カロラナ様が歩み寄って来た。


「 お買い物はして来なかったのね、椿 」

「 ……はい、余り欲しい物がありませんでした 」


カロラナ様は何時だって、息子の恋人である私に優しい……私はいつも、どうしてもカロラナ様のその笑顔に微笑み返すことが上手く出来なくて。 ぎこちない私の返答に、ただ優しくカロラナ様は頷いて、私の背中に手を添える。


「 夕食は椿が前に美味しいって言っていたクザンの包みハーブ添えを用意していただいたのよ。 冷めてしまわないうちに召し上がって? ラファエル、貴方もね 」


顔を覗き込んでくるカロラナ様の目尻の垂れ下がった皺は、この人の人柄を一目で説明していると思う。 そんな私と母親のやり取りを何かを思うように見つめていた蛇男。そんな息子を一見して、カロラナ様が私に穏やかな声で投げかける。


「 椿、おかえりなさい 」

「 あの、えっと、ありがとうございます 」


私はいつだって、おかえりの言葉に返すあの言葉が言えなかった。 そんな私を誰も責めたりさずに、ただ眉を下げて優しく笑うから。 だから、私はこの人達と逢えなくなるなんて悲しいと、そう思ってしまったのかもしれない。




ーーー

ーー



蛇男はやっぱりこれが当たり前だと言うように、私と寝台を共にする。 でも、強くそれを拒否出来ないのも、自分でもよく理解してる。


背中を向けている蛇男の規則正しい肩の動きを見るに、多分眠っているのだろう。 私は、深く考えることを放棄してしまった。




ボーッと半身だけ起き上がり、窓の外を見ようとした、その時だった。



「 ……ど、うして? 」



ーーあの日、最後に見た。



『 貴女が言ったんじゃない、何故こちらから出向かなきゃいけないのって 』



クスクス喉を鳴らして私に微笑むのは、この国に飾られていたあの絵画の神様………私を、連れて来た人。



『 帰りたいの? だから、あの泉に向かおうとしたのかしら 』

「 ……ねぇ、貴女は何だって出来るんだよね? 」

『 そうね、貴女が今心の中で考えている事も私にとっては余りにも容易いことよ 』



目を閉じると、いろんな人の笑顔が瞼の裏に思い浮かんでくる。 そして、今まさに側で眠りについている、蛇男の優しい眼差しも。



「 そっか……なら、叶えてよ 」

『 この世界の人の記憶の中から綺麗さっぱり貴女の事を消し去って、無かった事にする……そして、人々の時間を貴女が来たあの日に戻す。 こんな事お願いして来たのは、貴女が初めてよ 』



目を閉じて、私はそっと微笑む。

それが、きっと、一番良い。



『 泣くほどこの騎士が大切なんではないの? 良いのかしら、本当に貴女の記憶を彼から消してしまって 』



私は、また泣いてるの? 不思議だ、この男が絡むと、どうしてかボロボロと涙が零れ落ちるようになってしまった。


「 ……大切よ。 だから、このままじゃ可哀想なの。 この人は幸せにならなきゃいけない、私に足を引っ張られてちゃいけないの 」



そう、こんな女に勘違いしてはいけない。 結ばれるべき相手と幸せにならなければ、いけないんだ。



『 貴女はあの日に息を引き取ったわ。厳密に言えば、人々の記憶はそうなっている…… ただ、本当に戻ると言うのならあの無機質で恐ろしい病棟からになるわ……全てがあの日のままになる。 意味は、分かるわね? 』



命のタイムリミットを肌で感じる、あの哀しくて淋しい部屋。 本当ならそこでこの命を終える筈だったんだ……この人に、会える事もなかった。


「 ええ、もう良いの。 全てがそれで元通りよ…きっと、あの子とこの人なら今度こそ上手く結ばれると思う 」

『 貴女は、自身の事を何も望まないのね 』


フワリと私の前に漂って来たその神様は、本当に慈愛に溢れた優しい顔をしている。


「 貴女のお陰ね、私、この世界に来れて良かったって思うわ……此処での日々は本当に、本当に幸せだった 」



そう、本当に、幸せだった。



『 涙を流すのはおよしなさい。 まだ、貴女を連れて帰ることは出来ないみたいだから 』

「 ……どうして? 私はあの病室に戻って静かに最期を受け入れる。 生まれ変われるなら今度は、可愛くて素直な女の子になる 」

『 そう、でも、貴女を連れて帰ることを後ろの騎士様が許して下さらなさそうだから。 まぁ、気が向けばまた泉にいらっしゃいな 』




ーーフワリと笑って神様が消えて行く。



その瞬間、力強い手が私の手首を掴んだのに驚いて後ろを振り向いた。


「 どこから、聞いてたの…… 」

「 どこから? ……最初から全てだ 」


何てことだろう、蛇男は物凄い剣幕で顔を歪めて私を睨みつけている。 と思った瞬間に寝台に押し倒された。 私の上に蛇男が覆いかぶさっている。



「 ……っ、私が可哀想だなどとふざけた戯言を申すな‼︎‼︎ 記憶を消すだと? ……ふざけるな、そんな事は断じて許さぬ‼︎‼︎ 」


血相を変えて、激怒を飛ばしてくる蛇男の血の気が引いている。 その切ない声は、絞り切った叫びにも聞こえた。


「 泣くほど私が大切だと抜かすならっ、どうして何時も側から離れようとする⁉︎ 」

「 大切だから、幸せになって欲しいのよ 」

「 ……っ、私の幸せをお前が決めるな‼︎‼︎ 」



どうして、そんな顔で叫んでるの。

ねぇ、そんな思い詰めた辛そうな顔をしないでよ、やり直そう、最初から。


「 やり直せるならばと願った事は何度だってある! …っ、お前に剣を向けたあの日、お前を護れなかったあの日も! 他の女の名前を呼んでお前を抱いたあの日もっ、戻れるならもう二度とお前を傷付けぬと……何度だって願っておるわ‼︎‼︎‼︎ 」



なんだ、知っていたんだ。

あの日あの子の名前を呼んだ自分の事を。 ねぇ、そんな泣きそうな顔しないで。 私は、もう良いよ。



「 だが、良いか? 時間は戻せぬのだ‼︎‼︎ お前の事を忘れるなどあり得ぬ……お前を傷付けた分の何倍もお前を必ず護ると決めた、私はそう決めたのだ‼︎‼︎‼︎ 」


劣化の如く叫んで私の手を押さえつける蛇男は、限界まで思い詰めて堰を切ったように想いを吐き出している様に見えてしまう。



「 どうすれば、お前に許してもらえる……どうしたらお前に私のお前への気持ちを信じて貰える 」



唇をギュッと噛み締めて震えている蛇男の顔は、目元が暗がりの所為でよく見えない。 ただ、その口元は耐える様に己をギュッと噛み締めていて……その後、私が信じられない物を見てしまう。



「 ……っ、何でよ 」



それを見た私の瞳から、じわっと水の塊が流れ落ちて来る。 だって、この人は何時だって余裕そうな顔で仏頂面で。



「 どうしてお前は、何時も私から逃げて行く……何故私はいつもお前の事になると、全てが空回りしてしまう 」



噛み締める唇の端を、ソレがなぞる様に滴り落ちて、冷たい温度で私の頬に落ちて私の涙と混ざって溶ける。




ーーねぇ、どうして泣いているの。




「 私はお前に何時だって笑っていて欲しいだけだ。 だが、私には何故かそれが出来ぬ……アドルフ達の様に、お前を笑かす事も出来ぬ 」



ポタポタと流れてくる蛇男の涙が、信じられなくて、心がまた得体の知れない感情に襲われる。


「 だが、この世界でお前が病魔に苛まれず生きて行けるなら……私はそれでも良かった。 お前が生きているなら、それだけで…‼︎‼︎ 」



その言葉に、声をしゃくりあげて涙が溢れて来てしまう……この人が悪い。普段泣かない人が、こんなに感情を剥き出しにして泣き喚くから、つい涙が移ってしまっただけだ。



「 お前を元の世界になど絶対に帰さない! それならいっそ、私の目が届かない様なこの世界の遥か遠い国に行ってしまった方が幾分マシだ……お前の命が消えてしまうなど、私には恐ろしくて耐え切れぬ。 お前が、居なくなってしまうなどと…… 」



そう絞り出す様な掠れた声を出して、私の横に顔を埋めた蛇男の涙を啜る音が耳元に響いてくる。 その所為で私の瞳からもボロボロと涙が零れて来てしまう。



「 頼むから、生きる事を諦めないでくれ……ずっと不安だった、お前が湖で諦めようとしたあの日から、不安で不安で仕方なかったんだ 」


私の頭をギュッと抱き寄せるその手は、まだ震えが止まっていなくてそんな蛇男に、どうしても涙が止まらない。


「 …っ、沈んで行くお前が頭から離れぬ! あんなに心から恐怖を感じた事はない…息を吹き返さぬお前の血の気の引いた顔も脳裏にこびり付いて……お前が、お前が 」


震える拳を何度も寝台に力なく叩きつける蛇男の苦痛に塗れたその泣き声に、ボロボロと涙が零れて、思わず蛇男の肩の布をギュッと握り締めてしまう。 その手を掴む蛇男の手も、私の手も互いに強く震えて。



あぁ、この得体の知れない感情は何と言う名前なんだろう。 炎みたいに過激で、そよ風みたいに私に優しく吹き渡るこの感情は……一体。



「 …っ、死にたくない 」



そうだ、本当は私。



「 死にたくないよ‼︎‼︎ …怖いの、身体が痩せ細って何も喉を通らなくて、誰も来ないあの病室に戻りたくなんてないよ、もう一人ぼっちになりたくない‼︎‼︎‼︎ 」


命のカウントダウンを数えるしかない、恐ろしくて冷たい部屋。 本当は、何時までも此処に居たい……そう、この人の。


「 死にたくなんてないの! …っ、でも生き方が分からないっ、意味が見出せない気がして怖くて堪らないの‼︎‼︎‼︎ 」


絶叫を吐いた私を、ギュッと抱き寄せて二人の頬が重なり合って、その温度がとても暖かく感じて、涙がずっと止まらない。


ねぇ、貴方はとても優しくて、私が出会った人の中でとびきり素敵な男の人。 だから、そんな貴方に惚れてもらえたなんて受け止められない。 上手に踊れない人形に、その手を取れると思えないの。



私には、自信が、ないの。



「 …っ、何時だって私がお前の側にいる! どんなときだって護ってみせる。 怖いなら他の男ではなく私を頼れ‼︎‼︎ 」


力強いその腕の中で、私はただ泣き続けた。 赤ん坊みたいに、感情を爆発させて号泣して、そんなわたしを何度だって彼は抱き締め続けてくれた。



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